こどもは希望  子供は未來

  誰しも加齢とともに自然に心の中に浮かぶのが、姿、行動を持った、あの"子供"です。あの仕草、あの声色の青年たちです。 孫子は要ではありますが、近くの子供であれ、遠くの子供であれ、女の子であれ、男の子であれ。日本の子であれ、ヴェトナムの子であれ、みんな身近になりうる仲間です。 私も人間の端くれですが、そう思うのは自然だと納得しました。最近の経験から以下紹介します。

その1
 ある四街道の小学校の全6年生を6人で分担し私は15人に戦争体験の話を昨年末にさせていただきました。 毎年被爆者の故藤川さんをお連れしていましたが、今回は50分の授業のなか、30分私が話し、15分間質問に答え、最後に5分間私がまとめたあと、全員が感想(添付)、を書く時間でした。 私は自分の小学校時の瞼に浮かんだことだけにしました。 ・小学校2年の時、仙台空襲の焼夷弾投下の最中、母に手をひかれ兄と逃げたこと。 ・熱く焼けへぶる熱い中、 叔父に連れられ、左右に焼死体を見ながら縁故疎開地に向かったこと。 ・小学5年の兄が疎開地からいなくなって大騒ぎしたこと。学校でウサギ飼育担当だったので気になって仙台までかえってしまったこと。 ・戦争が終わって、久しぶりに家族7人そろった時のうれしかったこと。 ・待っていたひもじさ。着るもの。履物、傘、しかじか。など具体的に話しました。今ではだれも想像できないものばかりです。 ・米軍の進駐の時の様子、門を開けて入ってくる米兵におびえて逃げた姉たち。 ・駅前の戦災孤児の群れ・・・・・・・。私がこの目でみたありのまま、時に目をつぶって、おもいだしつつ話しました、 生徒さんらは真剣にきいていました。 最後に、私から。平和って何?なに?と問いかけました、「みんな 学校の校庭で遊ぶよね。ボールけりなんかして。喧嘩もするよね。毎日お家でごはんを食べているよね。お母さんに怒られるときもあるだろう、ゲームもしているでしょう。本や、まんがよむし。兄姉けんかは?」 こんな調子で語りかけました。ますますみんな真剣です。彼彼女の目に向かって、私はこころから語っていました。 「実は貴方たちが今やっていること、これが平和なんだ。戦争中も、終わってからも私は、貴方たちのようなことは出来なかった。」・・・・「だから・今を大事にして平和を守ろう」って。 貼付はその時の生徒たちの感想文です。 ただしフルページ写真は被爆者の故藤川さんの山梨少6年生全員への話。みんな話にすいこまれていったことがわかります 78歳の私は、子供たちから教えられました、素直に考えて書いています。大人のほうが「事実としての戦争に真面にむきあっているとはいえないのではないか。どうあれ、次の社会を担うのは目の前のこどもたちです。 健やかに育つように日々努めている、小学校の先生たちと親御さんに、 市民・高齢者の一人として心から感謝するものです。私も枯れ葉じじーなりに頑張ります。あいがとうございました。


以下次回へ
その2   この目で見た大川小学校の悲劇の跡
その3   閖上中学校の悲劇の中から
その4   請戸小学校(浪江町)にたたずんで

     
     



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