ホーチミン市立ツーズー病院にて
べトちゃん・ドクちゃんのこと


 貴兄 と同じように、サイゴンツーズー病院平和を訪ねたことです。私の場合は20年以上前のことですが。 病室を一つ一つまわりました。副院長女医の懇切な説明は今も覚えています。英語の現地通訳者は同胞が受けたあ まりの惨さのまえに嗚咽、通訳が出来なくなりました。ドクちゃんが私らにまとわりつき、笛をふいてくれました 。小頭傷,下肢寸胴の子・・・・・・、それぞれに、私の所によってくる、其のしぐさは子どもらしい。私はくる ぶし・足がないこども足首のない幼児や子供を抱かせてもいました。そのとき私はふるえていました。 私の質問は、異常出産,死産、誕生地域、枯葉剤散布地域、疫学調査。発生年度・推移、そして今の様子・国際支 援などでした・副院長は・地図や統計資料や実例を示して説明されたのです。驚いたのは、お金や体制の不足で疫 学調査が十分出来ていないことでした。

加害者は何もしていない、 枯葉剤投下がなければ(、戦争がなければ)おびただしい子供の犠牲者はなく、すごい数のホルマリンずけの異常 嬰児の展示もなく、今頃、一人ひとりが野山で働き遊び家族で笑っていたにちがいない。

私はスタッフの大変さを おもい尊敬をこめてねぎらいたい気持ちでいっぱいでした。すると、いえ「子供はみんな私のこどもです」と。こ の言葉が後日サイゴン近郊枯葉剤投下と米軍による住民の囲い込み(戦略村)地帯を見る4回の訪越につながりまし た。毎年Ⅰつ4つの小学校の建設・増築を支援したからです。この地域はサイゴンコープが支援しようとしていた 地域でした。
貴方がいかれた、石川文洋の写真コーナーがある戦争証跡博物館の(戦略村)の写真と重なっています。サイゴンコ ープの方と、この辺だろうと一緒に確認した地域でした 。
長い者語りになるのでモウやめます。
Yさん。貴方の訪越の報告が、生協やめて10年の私に、過去をふりかえるよ い機会になりました。ありがとうございました。
私の今後を問う過去に宿った未来に改めてきずかせて頂きました 。





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