「笑顔っていい」、同感です


 高橋様

「笑顔っていい」、同感です。

私がかかりつけの医者で、専門は脳外科ですが、落語を聞いて笑うと、脳の血流が増 え、脳が活性化するといってます。

脳梗塞で倒れたり、痴呆症にならないよう、せっせと落語を聴いています。

 高橋
もちらん、「悲しみ」も人間ですから避けられません。悲しみに向き合うことも分 かち合えば心を豊かにし社会をより良いようにアクションにつながるとおもいます。

それもどなた
か教えてください、、匿名ででも。

 

  もちろん悲しみの背景には、多くの場合死があります。また、理不尽で、非条 理な暴力や差別があります。社会的構造的、階級、民族、人種差別、民族差別その 歴史的文化的差別があります。 職場から、権力から、コミュニティを通して個人 に注 がれる、いじめです。戦争はどうでしょうか。歴史的事実は弱いものが犠牲者 でし た。貧困,住む地域、と 教育、病気発生の因果関係は科学的に解明されるべ きで、 民主政治の根幹の施策に定立されなければなりません。以上を前提に、悲し さも笑 いも エンパワーメントのよき機会として、民主社会への土壌づくりとなら ないで しょうか。笑いや悲しみをおう所以です。

『77歳7ケ月の私は、いま「終かつ活動中」ともいえますが「習かつ活動中」です。
人間なら誰でも100%息を確実に止めます。しかし終(つい)では暗くなるので、 習(まなぶ)がいいですね。そこで4年前からはじまって昨年7月に「不治、原因不明。 治療方法なし」と診断された私は、つらさはありますが「習かつ活動」をしようと決め ました。ふらつきながら2年間で到達したのは「笑いの効用」『笑いの価値』でした。』

また故大西和尚の"笑い"の話に戻します。
真面目なおおくのかたは地道に仕事をつづけ、時には世の不正や不合理を怒る。しかし、 だからといって肩苦しく、謹厳実直この上なしでは面白くもない。
しつらえられ、押し付けられたものでは広がりのないものとなってしまう。そこで大西和尚 の"笑い"の登場となります。

 「人間の笑い方には二十四種あるそうな」とか言いながら、口の先に手を当てて鶯のように笑う女のホホホ、などといくつか紹介した後、 「本当の笑いは目の笑いなの、目の笑いというても、あいつアホなことを言いよるというさげすみの笑いは卑しくなる。心からにじみ出る暖かい笑いでなければならない・・・鼻で笑うのは下等なの、フンと笑う、あれやね。口で笑うのは、有り合わせの笑い方で本当におかしかったら捧腹絶倒というて、ハラを抱えて笑う。・・・
「気を許した友達とか仲間の間ではアハハと笑ったらよい。」とかなんとか、"笑い"について語っておられる。氏の言いたいことは、苦悩に満ちた現世で、笑いは人と人とを慰め、励まし、つなぎ合わせるのに大いに必要なことだということなのであろう。作り笑いなどではなく、心からの笑いである。心に角があれば、いい顔は出ないし、いい笑いとはならないらしい。・・・

私も本当にそう思います。私は健康上、約2年前ごろから家にいることを半ば余儀なくされています。そんななか笑うことが1番難しいことを実感しました。
人生は出会いといいますが、1人では笑えません。笑わなければ表情を失い「つくねんと終焉を待つことになる」、競争社会にどっぷりかり格差社会が急速に進んでいる今日の日本では民衆の中にも「生き延びるためには」・・・ということで、たとえば親子関係にも難題が見られるようになっている。生活にかかわる協同の組織にも、政府の動向をおもんぱかっているといわれ自己規制にはしる。この先に弱者切捨ての、軍事国家と福祉切捨ての日本が進むのだろうか。たしかに其の流れは私の身近にもひしひし感じているところです。
『年金減額、医療保険値上げ、消費税10%へ、介護保険の制度改正』、このままいけば私たちの前には絶望がまっていることになる。私の特定希少難病についての研究についても1970年の難病指定後45年たつのにほとんど進んでいない現実がある。(少数の専門の研究者のあたまがさがりますが)

しかし社会は大きく変わろうとしています。経済的価値だけでは、言うところの経済が成り立たなくなっています。其のことについてはおおくの識者が事実解明をしており。折があれば私も勉強したいと思っています。

わたしの視点は

●赤チャンが笑う。赤チャンが笑う。赤チャンが笑う。私も笑う

●こどもが走る。子供が歌う。こどもが遊ぶ、私ら高齢者はみな目を細める。

●シールズという若者組織が。「将来の私たちの未来を勝手に決めないでくれといってたちあがました。若いママさん子供を抱え、子供の未来をまかせられないといって各地で登場した、私らは目の前のこのような人たちの未来に希望をもっていいだろうか。いいとも、という声がいっぱい聞こえます。

老人たちは、もともと誰も孤独であることを願ってはいません。社会との 次世代に希望を托して、こころゆたかにいきたいとねがっています。

人生はすべからく出会いだという。残る時間の中でたくさんの出会いのシーン、場面に出会うことになります。その場というか、シーンに触れて、感じて、喜びを感じることになるのでしょうか。器の大きいあなたは高齢者や弱者の過去と今に宿っている、未来へのメッセージ、負の遺産(戦争)をなくし、人生はすばらしいのだというメッセージが湧き出るようにしてなくなるのでしょう。
この間、いつかの写真をアップしました。こどもや、身近な花、景観。食物・などから手触り、歯ざわり、におい、命、温もり、などです
同じ人間として自然に、出会い・ふれあい・語り合い、で行きたいものです。

     
     

 

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