笑いを粗末にしたらあかん、 いやしくも人間に生まれた以上は

 

 これは百歳の人生を語る、清水寺(修学旅行では、おそらく多くの人が立ち寄った京都の寺)の貫主、故大西良慶氏の言葉だ。
百年の人生を語る氏の著書を購入して、読んでみたところ、上記のような言葉に出くわした。
私はこれまで和尚は来世のことを主に語る人だと思っていた。しかし百二才を超える大西貫主は、生きていることを肯定的にとらえている。面白く読ませてもらった。
大西貫主は、今のこの世の中の、つまり、この日本の社会的矛盾の一端をよくご存じのようだ。だから百歳を超えても、戦争や不正に進んで発言してきたことで有名だった。先年惜しくも亡くなられたが、存命ならば、今のご時勢を鋭く批判されたことであろう。まあそれはともかく、こんな世の中だから、人々は何かに追い立てられるようにとげとげしくもなりがちだ。そこでこのとげとげしさやいろいろな軋みが、仲間のうち、というか人間同士の間に流れ込んではいけないと思われたのであろうか。

氏は優しい心を大切にしなければいけないと説くのである。そこで軋んだ時には「ちょっと待ってや」と間の取り方や"笑い"の大切さを教えてのだ。以上は勤めていたときの職場の雑誌に書いたものです。以下それに沿って書き改めてみた以下本文

 翻ってまじめなおおくのかたは地道な仕事をつづけ、時には世の不正や不合理を怒る。しかし、だからといって肩苦しく、謹厳実直この上なしでは面白くもない。
しつらえられ、押し付けられたものでは広がりのないものとなってしまう。そこで大西和尚の"笑い"の登場となる。
「人間の笑い方には二十四種あるそうな」とか言いながら、口の先に手を当てて鶯のように笑う女のホホホ、などといくつか紹介した後、
「本当の笑いは目の笑いなの、目の笑いというても、あいつアホなことを言いよるというさげすみの笑いは卑しくなる。心からにじみ出る暖かい笑いでなければならない・・・鼻で笑うのは下等なの、フンと笑う、あれやね。口で笑うのは、有り合わせの笑い方で本当におかしかったら捧腹絶倒というて、ハラを抱えて笑う。・・・
気を許した友達とか仲間の間ではアハハと笑ったらよい。」とかなんとか、"笑い"について語っておられる。氏の言いたいことは、苦悩に満ちた現世で、笑いは人と人とを慰め、励まし、つなぎ合わせるのに大いに必要なことだということなのであろう。作り笑いなどではなく、心からの笑いである。心に角があれば、いい顔は出ないし、いい笑いとはならないらしい。・・・・・

私も 本当にそう思います。私は健康上、約2年前ごろから家にいることを半ば余儀なくされています。そんななか笑うことが1番難しいことを実感しました。
人生は出会いといいますが、1人では笑えません。笑わなければ表情を失い「つくねんと終焉を待つことになる」、競争社会にどっぷりかり格差社会が急速に進んでいる今日の日本では民衆の中にも「生き延びるためには」・・・
・・・・・ということで、たとえば親子関係にも難題が見られるようになっている。生活にかかわる協同組織にも、政府の動向をおもんぱかっているといわれ自己規制にはしる。この先に弱者切捨ての、軍事国家と福祉切捨ての日本が進むのだろうか。たしかに其の流れは私の身近にもひしひし感じているところです。
『年金減額、医療保険値上げ、消費税10%へ、介護保険の制度改正』、このままいけば私たちの前には絶望がまっていることになる。不治の私の特定希少難病についての研究についても1970年の難病指定後45年たつのにほとんど進んでいない現実がある。(少数の専門の研究者のあたまがさがりますが)

しかし社会は大きく変わろうとしています。経済的価値だけでは、言うところの経済が成り立たなくなっています。其のことについてはおおくの識者が事実解明をしており。折があれば私も勉強したいと思っています。わたしは別の角度から考えた。

・赤チャンが笑う。赤チャンが笑う。赤チャンが笑う。私も笑う

・こどもが走る。子供が歌う。こどもが遊ぶ、私らはみな 目を細める。

・シールズという若者組織が。「将来の私たちの未来を勝手に決めないでくれといってたちあがりました。
若いママさん子供を抱え、子供の未来をまかせられないといって各地で登場した、私らは目の前のこのような群像の未来に希望をもっていいだろうか。いいとも。
・老人たちは、もともと誰も孤独であることを願ってはいません。社会とのつながりをもとめ次世代に希望を托して、こころゆたかにいきたいとねがっています。

人生はすべからく出会いだという。残る時間の中でたくさんの出会いのシーン・場面に出会うことに。その場というか、シーンに触れて、感じて、喜びを感じることになるのでしょうか。
器の大きいあなたは高齢者や弱者の過去と今に宿っている、未来へのメッセージ、負の遺産(戦争)をなくし、人生はすばらしいのだというメッセージが湧き出るようにしてなるのでしょう。
以下私の場合のいくつかの場面写真を添付しました。こどもや、身近な花、景観。食物・などから手触り、歯ざわり、におい、命、温もり、などです
同じ人間として自然に、出会い・ふれあい・語り合い、垣根を越えてつながっていく、ぬくもりと「ともに」があり。これにかけることが出来る。我以外みな師、ある作家がいいていた。






back