ここでは、これまで大学の医学・農学・獣医学系の学部や研究室、製薬会社、化粧品会社などの実験施設で動物実験に携わってこられた方(あるいは今も携わっておられる方)からいただいた貴重なメッセージをご紹介します。“動物実験”について、様々な立場、角度からの声をお寄せ下さい。また、いただいたメールは、このコーナーでご紹介させていただく場合がございますので、匿名やペンネームをご希望の方はその旨もお書き添えください。いずれも、メールはこちら(写真展事務局)へ→site_animal1122@yahoo.co.jp (メールのタイトルに「動物実験と私」とご記入下さい)

青字タイトル=動物実験を経験された方からのご意見 緑字タイトル=実際に実験は行っていないけれど、実験や、それにまつわる現場を目撃したことのある方からのご意見 ピンク字タイトル=動物実験未経験の方のご意見)


49)0か100かではなく…(2007.10.4.)

投稿された今までの様々な意見を読んで思うのは

動物実験を賛成、反対とか善い、悪いといった二つに分けて論じる事がそもそもできないんじゃないか、という事です。

宮崎駿さんが「もののけ姫」の時のインタビューで「自然と人間」について次のようにおっしゃっていました。

『つまり、愚か者どもがゴルフ場だらけにするとか、用もないのに干潟の湾を仕切ってしまうとか、ダムを作り過ぎちゃうとか、そういう突出しているものだけを扱えばいいという訳じゃない。電気を使う暮らしとか、病気を克服しようとか、貧乏を無くそうとか、不条理な死から解放されたいとか―そういうありとあらやる人間のやって来たこと、それがいいことだと思ってやって来たことが、実は自然というものを人間のために利用するということに尽きるわけですね。だから、悪い奴が悪いことをやって来たからこうなったわけじゃないんです。いいことをしようと思ってやって来たことに原因があるんですよ。

 そういう風に考えていくと、自然の問題というのは簡単に残せばいいんだとか、樹を植えればいいんだとか、それは大事なことで日常的にやんなきゃいけないことですけれども、実際にはバランスを取るしかないんですね。他の生物の犠牲の上に人間が存在しなければならないという、この問題をどういう風につかまえるんだろうと。そこまで考えないと。』

これは「実験動物と人間」についても同じことが言えるのではないでしょうか。

傍から見て明らかに趣味としてしかみられないような虐待実験や、不必要な実験とかは

どう考えても間違っているのだからともかくとして

医学や人間が営んでいく上での動物達の犠牲を全くゼロにして生きていこうとしたら、

一人で山にでもこもって生活の一切を自給自足していくしかないけどそんな事ができる人は滅多にいない訳で・・・。

なるべく犠牲は少ない方がいい。(当たり前だけど)

でもどうしても実験動物が必要な場合もある・・・。

ただ、だからといって「どうせ殺すのだから何をしても同じじゃん」とは考えて欲しくない。

アニマルライツというものは人間が勝手につくったものだけど

やっぱり実験動物達に苦痛や恐怖をなるべく与えないように考えて工夫していくことは

「人間として」大切なことなんじゃないか、と思うのです。

(ちなみに私はベジタリアンですが、これをいうと大抵

「肉や卵を食べなくても日用品や薬にも動物の命は使われているし、虫だって殺すじゃないか」という意見がありますが、

0か100じゃなくて、ただ私は「食肉に関して一人分の需要が減りました」という事なのです。

私が手に取らなかったパック詰めのお肉や生活用品は“もう手遅れ”だけど

買う事によって供給が促進されるんじゃないか、と思います。)

地球上の全ての生物の命は平等だと思っています。ただ私はそれらの命への愛情に、順列があります。

自分勝手だとは思うけどやっぱり「人間→動物→昆虫」という風に。

(同じ「昆虫」の中でも、とんぼは上の方でゴキブリはかなり下の方だったりするし

場合によっては「動物」が「人間」より上の事も・・・)

割り切って考えているようですが、

私は犬も猫もハムスターもうさぎも飼っていて、彼らと生活しながら実験動物の事を思うと、

本当はいつも板ばさみの気持ちです・・・。

読み辛い駄文で失礼しました。

                       (19歳、女性)


48)医者という仕事、命についてもう一度、考えたい(2007.2.7.)

私は、とある大学病院の研究室におりました。
先生たちが動物実験をされていて、その手伝い(薬の精製、実験器具の準備等)をしていたことがあります。

いろんな先生たちがいろんな研究をしておられ、実験に使われていたのは主にラット、兎、他に猿がいました。

先生たちは研究だけが仕事ではなく、臨床と研究の両方をやっておられたので、忙しさのせいなのかとてもずさんな実験を行っておられました。

私たち助手にはまったく口出しをさせない先生だったので、
どんなに抗議しても聞き入れてもらえなかったのですが・・・

新しい手術方法をまず兎で試みておられたのですが、
きちんと経過観察をしなかった(できなかった?)ために
うやむやのまま殺されてしまった兎が何匹もいました。

先生に抗議しても聞き入れてもらえなかったので、教授に直接抗議というか注意をしてもらいたくて言いに行ったのですが、教授は兎だってお金で買っているんだ!と金銭的な面でしか怒ってくれず、どうしようもありませんでした。年に一度行われる動物慰霊祭にも先生方は行ってくださらず、先輩が毎年行っておられました。

兎の最期はいつも先輩が注射をしておられたのですが、
先輩は私たちには見ないようにとおっしゃり、
隣の部屋からごめんねと小さな声がいつも聞こえてきていました。

結局私は研究室を辞めてしまいましたが、
今でも同じようなことが繰り返されていると思います。

先生方が罪悪感を感じておられるのかおられないのかはわかりません。
でも私は知ってしまったのに、何もできなかった・・・と今でも悔やまれます。
何度も泣きました。

もちろんきちんと実験をして、きちんと手を合わせておられる先生方もたくさんいらっしゃいます。
ですが私はそうでない先生がいらっしゃることを考えると、
医療の発展には動物実験が必要不可欠ではあるかと思いますが、
実験をする側の先生を選ぶときに、やっぱり人間性もみて選んで欲しいです。

すべて命なんです。
ものではないんです。

医者という仕事、命について、もう一度考えていただきたいと思い、メールしました。


           (匿名希望さん)


47)動物の命も人間の命も一緒なのに…(2007.2.7.)

私は、児玉小枝さんの、「どうぶつたちへのレクイエム」という作品を読んで、動物実験について以前よりもっと深く考えるようになりました。
児玉さんの作品では、動物収容施設に入れられた動物たちの写真でいっぱいでした。いつもは、本を読んでも全然泣かない私も今回だけは思いっきりないてしまいました。人間はどれだけ「悪」なんだろう?
そして、そう思っててもなにもできない自分は、どれだけ無力なんだろうと・・・・。なんで、人間は自分だけのために、たくさんの「命」を犠牲にできるんだろう?目の前で叫んで苦しみもがいていく動物の姿を平気で見てられるんだろう?そんな「人間」と同類の自分が、怖いです。


46)実験動物や動物実験は必要ないと思います(2007.2.7.)

初めまして。『どうぶつたちへのレクイエム』拝見させていただきました。 私も30代半で18歳くらいから動物実験、実験動物問題を知り、非常にショックを受けました。実際に中はどうなっているんだろう?と実際この目で見たい衝動にかられ、ある会社に就職し、明治製菓薬品(株)に(もう15年以上前なので時効です。口外しないように動物実験している事について誓約書も書かされました。それ自体おかしな話しです。)動物飼育者として就職しました。やはり、施設内は悲惨でした。実験後の小動物等マウスを殺すことはとてもできませんでした。殺処分は飼育係が担当することになっており、毎週のようにラットやマウスが搬入されてきました…。私は仕事でしたがとてもできないと上司に打ち明け、例外でしたが私の分上司が引き受けてくれました。実験後の動物は泣きます。本当に泣きます。マウスもラットもウサギもモルモットも。マウスは亡くなっても魂が残るのか、掃除の終わった動物のいないケージが異様にカタカタと小刻みに小さい音をたてていたのを覚えています。憐れでした…。当時テニスコートの近くに動物慰霊碑があって、いつも誰かがテニスはしてましたが、動物慰霊碑に献花されているのを見たことは殆んどありませんでした。たまにいつあげたのかわからないくらいのお線香があっただけでした…。施設内の小動物の扱いはひどかったです。倫理感はないに等しかったように思われました。犬、ウサギ、ラット、マウス、猫等、一体何の実験してるのか疑問でした…。私も世間に今程知らされてない頃から悩んでました。どうして実験動物、動物実験が必要なのかと?でも考えた末あるひとつの結論に達しました。私は実験動物や動物実験は必要ないと思います。病気の薬の為の動物実験、実験動物は特に必要ないです。それは、私自身特異体質というか、わかりやすく言えば、やや予知能力みたいなものがあり(無宗教です)そこの観点から見れば結局、人の病気等は、前世と言っておわかりでしょうか?(テレビでは江原啓之氏がオーラの泉で前世の話し等してますが、世の中信じる人、信じない人がいるのでなんともいえませんが)ある程度病気は前世と関係しています。病気を治療するならアメリカの眠れる預言者(故)エドガ―ケーシーは薬を使用せず各人のリーディング(つまりその人の前世を読み、原因不明の病気の治療法を事細かに語り治療しました。)実際彼のリーディングに関するものは記録に残っているだけで15000件近くあり、治療法も彼のリーディングと食事療法、オイル療法、整骨等の方法によって適切な治療を行いました。インターネット上にも公開されていますし、本も出版されています。今、流行のヒーリング等でも薬に頼らなくてもある程度の病気は治癒する場合もあります。根本的に、病気はどこから来てるのか、何もわかっていないのが現状です。 何よりも、いかに病気にならないように心がけた生活形式のライフスタイルにもっていくべきかの心掛けが大切です。食品の添加物に注意を払ったり、無農薬野菜をできるだけ選ぶ等…生きていく上で大事だと思います。 特に思うのは、病気の薬のための実験動物や動物実験をする以前に人間の未知の部分を探求して、各人の病気を前世療法や気やヒーリング等である程度治療できると言いたいのです。結局西洋医学で薬浸けにし、東洋医学を殆んど取り入れない日本の大企業の儲け主義も根底にあります。政治家が製薬会社関連に批判できないのも資金援助されてるからです。日本の歴史にしても、奈良、平安、鎌倉時代…人間は動物実験していたでしょうか?薬はあったのでしょうか?自然治癒や薬草等や自己治癒力で治療してたんじゃないでしょうか?寿命も4〜50歳が平均だったかもしれません。結局人間がありもしない病気をより作りあげていると思います。先進国といわれている国程癌が多発してたり、AIDSやSARS、奇病等文明病のような気がしてなりません。 一日も早く動物実験、実験動物がなくなる日を願って。                          (鈴木さん)


45)派遣された施設に悪人はいないと感じました(2006.6.12.)

はじめに、長い間悩んだ末のメールです。実験を行っている方
の利害が生じる場合がありますので、匿名、秘密厳守で御願い
いたします。

わたしは、動物実験施設に派遣された愛玩動物飼養管理士です
。愛玩動物飼養管理士としてではなく、動物の取り扱い等に詳
しいという事で採用されました。
実験者の方は利害が自分一人の物ではないのでコメントできな
いと思います。
実験を行っている方のお話では、研究費の出どころや、発表の
場で科学的根拠等を求められるので動物実験はさける事が出来
ないようです。
このような動物実験は好き勝手に行えるのもではなく、動物へ
の正しい処置、倫理面から審査されています。予算も申告し限
られているので、無制限に行う事でもありません。代替手段の
無い必要と認められる場合のみ最小限に行われています。
動物に苦痛を与える実験ではより厳しく審査され、苦痛が実験
意義を上回る場合等は審査員から差し戻され実験に至りません

最終的には殺して解剖してしまうのですが、殺すための実験と
思える様なひどい物はありませんでした。
飼養管理の現場では、動物1匹あたりに最低限必要な面積等決
められていて実験者の飼養管理に問題があると判断した時は、
厳重注意と指導をしていました。最低限を守れば良いという訳
ではないので、実際には余裕はありました。
派遣された施設では、告発された他施設の様なひどい事はあり
ませんでした。
派遣された施設には人医も獣医もいて実験する方の相談に乗っ
ていました。
動物実験には専門の資格を持った技術者がいて常に指導にあっ
ていました。
動物に関する法律等を勉強されている方もいて実験者の相談に
応じていました。
愛玩動物飼養管理士のわたしのもとにもたびたび相談がありま
した。
実験者の方は動物を良く観察していて、異常がないか自分の飼
養管理に問題が無いか気にかけていました。
わたしが呼び出される場合、新しく始める方や、動物種を替え
た方の勘違いである事が多かったです。愛玩動物の犬やネコの
様に実験動物も人為的に改良されているので特殊な病気や習性
?があります。また、わたしが施設の方から教わる事も多々あ
りました。

身近に実験者の方を見ていて愛情を感じないかといえば全くそ
んな事はありませんでした。
全て述べる事も出来ませんので一部です。
自分の管理している動物が仔供を産んだが、育ててくれないと
いう相談に来られた方いました。(人間の臭いが付いたから育
てないという事は無いと思います)お仕事がお忙しい方でした
が、わずかでも時間を作って母親代わりに昼夜を問わず育てて
いました。結局その仔は母親に遺棄され死んでしまいましたが
、その方は死に立ち会われた後、ずっと泣いておられました。
実験が終わった後、どうしても終生面倒を見たいと申し出て来
る方もいました。こちらは、法的?にも問題があり職員の方と
相談の上あきらめていただきました。
実験終了時に動物を殺してしまわなければならない時、手を合
わせる方も少なくありません。それで許される事ではないとお
思いの方もおられるでしょうが、実験する方も殺すのは本意で
はなく、そのような事くらいしかしてあげられなかったと思い
ます。
動物と接する機会の多い実験者の方は、動物の表情や、体温、
息づかいを感じながら飼養しているのです。

本当にひどい動物実験の現状を訴えているホームページも多々
あり、社会の必要悪といわれている現場ですが、派遣された施
設に悪人はいないというのが正直な感想です。表面的な事では
なく、そばで見て感じた事です。もちろん動物実験が当然の権
利と思っている方はいませんでした。

ホームページに教授秘書をされておられる方の無麻酔でしっぽを
切るお話がありました。派遣された施設では聞かなかった話で
すが、小動物に麻酔をするのは知識と技術が要求されます。麻
酔として作用する量と致死量が近いのです。
わたしは、その先生が動物を殺したくなかったから、麻酔をつ
かえなかったと思いたい。適正量は調べれば解る事なのですが
、周囲にその環境も無かったのでしょう。
もちろん小動物にも人間の様に麻酔の機械があります。驚くほ
どとても高価な物です。教授の話された先生にはお金も知識も
技術も無かったのでしょう。それを真に受けて話される教授と
もう一人の秘書さんもお気の毒です。
意義の感じられない実験を強要されている方もおられますが、
教育のためとはいえ気持ちのよい事ではありませんね。ただ、
自分の行いを嫌悪するだけでなく、その経験は無駄にしてほし
くありません。
実験動物を引き取った方もおられましたが、実験者にも同じ様
な方がいたのは先に述べた通りです。
派遣された施設では、実験責任者の様な方ほど動物の取り扱い
に関して厳しく指導されていました。また、最初に述べた様な
理由から若い実験者の方でも有意義と判断された実験しか行っ
ていませんでした。
そのような方のためにも動物や人間の医学に関する書物や情報
がたくさんあり、わたしの様な派遣社員でも自由に閲覧できる
様になっていました。実験をする方は、十分ご自分の実験を理
解されていると思います。
動愛法等に関する事や、問題のある他施設の新聞記事等も張り
紙で告知され注意を促していました。
当たり前なのでしょうが、実験動物の慰霊祭もあり、実験に携
わっている方、過去に携わっていた方が献花に来られました。
施設の外には慰霊碑等もあり、お水等が絶えなかったのでお参
りされている方がおられるのでしょう。
わたしが派遣された施設で見たり感じたりした事でしたが、わ
たし自身は動物実験を推進する意図はありません。また、反対
も出来ません。動物実験施設の事をメールしてしかられる事は
あってもほめられる事はありません。その点はご理解ください。


44)日々この小ささで何ができるか模索しています…(2006.5.14.)

 こんばんは。
 以前より化粧品や生活用品を動物実験を行っていない企業のものを選んで使用しています。
 結果それが自身の健康にも大変意味があることだと知ったからです。
 行われる実験が本当に神に許されるものなのかどうかは、これからの日本社会を見ていけばわかることなのだろうと感じます。
 少子化問題を結婚率がどうこう、といった視点でから論議されることが多いようですが、
私の周囲では結婚し望んでいるのに妊娠できないといった女性がたくさんいます。
 利益しか考えない化粧品会社などの化学合成物質によって子供ができにくい体に変化してしまっているのでは、と思うのです。
 もちろんそれだけが不妊の原因とは思いません。
 でも、神様は見ているんだよきっと、
と感じたのです。
 すべて天につば吐くこと。
 日本がなぜ世界から見下されるのか。極東の小国とバカにされるのか。いい金ヅルぐらいにしか扱われないのか。
 本当に尊敬される国になりたいのなら、それは経済力だけではない、精神面の豊かさ、善良さ(ただのお人よしって意味ではなく)ではないのでしょうか。
 どうぶつたちへのレクイエムのあとがきにありましたように、ガンジーの言葉ですべて説明がつくのでしょう。

 どなたかのメールで、戦時中の生体実験をしていた部隊が言われていましたね。
 私も、動物実験(特に「悪趣味なトリビア」のような実験)の実態を知ったとき、故遠藤周作氏の「海と毒薬」を思い出しました。
 それを知って何がどうなるの?という胸くそわるさです。
 日本の学府などには、あのような悪趣味な好奇心を満足させるために代替法の開発を阻むなにかがあるのでしょうか。

 長くなってしまって申し訳ありません。
 最後に研究機関などで実際に実験などに携わっている方、学生さんで実験なさっている方々に申し上げたいです。
 あなた方の明晰な頭脳は動物の血でこの大地を汚すために授けられたのではなく、無駄に殺される命がなくなるために神様が与えたんだよ、と。
 それが使命ってことなんでしょうと。
 勝手な言い分だとお感じになるかもしれませんが、私には私にできることをするように、と生かされています。
 特に突出した才能も技能も、それらを得るための努力するという才能もない私は、日々この小ささで何ができるかと模索、実行しています。

 読んで下さってありがとうございました。
 これからも応援しています。

      (32歳・女性・モモさん)


44)誰の意見が正しくて誰の意見が正しくないのか…(2006.2.2.)

このHPをはじめて見たのは一週間ほど前です。
それから、毎日読み続け「動物実験と私」すべてを読みました。

メールを送るには無知な自分が恥ずかしく、
これを読むのと同時にインターネットで動物実験のことを調べました。
しかし、動物が好きだからこそ画像からは目をそむけ続けました。
けど、知ることが動物たちへのせめてもの償いだと私は思っているので
決心し、今日初めて見ました。虚しくて今言葉もありません。
今までこの動物実験と私を読んで思っていたことも全て吹き飛んで、
頭が真っ白です。

さっき写真を見るまでは、
動物実験反対という人は
動物実験をしている製品を、医療行為を使用すべきではない!
というのはおかしいと思っていました。
だって、いまさら過去を振り返っても実験で亡くなってしまった命は
かえってこないじゃないですか。。。
それならば、その命たちを使うべきではありませんか?
動物実験している製品は使わない、という考えは
初めて聞いたときすごく共感できました。
しかし、よく考えてみてください!
もう、命はなくなってしまったのです。
もうかえってこないのです。
それで私たちがその製品を使わなくなったら
その命は無意味の上に無意味ではないでしょうか。

動物実験をするのは人間です。
けど、動物を助けることができるのは人間だけです。
人間しか助けられないのです。

日本の食物連鎖の過程に、今、なぜ犬、猫が入っていないのでしょうか?
生類憐みの令が関係しているのか、
人間が道具としてつかっているからなのか、
ここは、最大の疑問です。

今ある医療は動物実験の賜物かもしれません。
人間のためになくなっていった動物たちの命の結晶です。
それを、動物実験反対だからって
自分の意思とかいって薬を使わないとかは間違っていませんか?
ひどい実験かもしれませんが、それがあって今の社会があるのです。
今までしてきたことを悔やんでも何も進みません。
これから、すこしでも動物実験がなくなるように努力することが先決ではないでしょうか?
動物実験をしているこういを利用しないのも大切なことかもしれません。
けど、あなたが健康ならばもっと動物は助かるはずです!
動物の力を借りでもいいのではないですか?
これからのこと、いま、現在を変えるために!
優しい心を持ったあなたが動物実験反対だからといって
医療行為を受けず亡くなってしまったら、、、動物たちは救われません。

それならば、動物たちに感謝の気持ちを持って、体を治すべきです。
そしてまた元気に動物たちを助けるべきです。
今まで行ってきたことはゼロにはできません。
大きな罪です。隠すことのできない罪です。
戦争や迫害などと同じことです。
今悔やんでも命はかえってこない。
反省して、もうしないと誓う・・・。
動物実験もそうなればいいです。

そして、これまでのことから目をそむけず全てを知ることが
せめてもの償いです。

と思っていたけど、今はまた考えがよくわかりません。
自分の意見が正しいと思えればいいのに。。。
誰の意見が正しくて誰の意見が正しくないのか。。。??
いま、混乱中です。

            (大分県 高校3年生 Nさん)


43)動物たちには幸せになってもらいたい…(2005.9.6.)

以前より、こちらのHPは、お気に入りに追加しておりましたが、久しぶりにページを開いて、
海外からのレクイエム、現場からのレクイエムなど一通り読ませていただきました。

動物実験に関しては、私も数ある他の方同様あまりに無知で、
このようなメールを差し上げるのも、恥ずかしい気がして成らないのですが、
42番の「可哀想だと思う気持ちは愛情と同じくらい大事」という
この方の意見を読み進むうち、私の中にある、漠然としている、不確かな、
どっちつかずな気持ちが、少し晴れてきたような気がして、思わずメールしてしまいました。

今までは、動物実験は可哀想すぎる。残酷すぎる。人間のエゴで殺してはいけない。
でも、医学に携わる人から、必要悪だと言われたら、どうしようもない事なのか、
と、納得してしまう。納得いかないけど、納得するフリをして、考えないようにしてきた、
と言った方が正解だと思うけれど。こんな優柔不断な考えしかできない自分が情けなくて、
正面から向き合う事を辞めてしまう。そんな人生でした。

本心では反対です。きっと多くの人はそうだと思います。
でも賛成する人に反論できるだけの知識を持っていないから、それ以上深入りして論じる事がない。

でも、42番の方の、実際に経験をされた上での、豊富な知識の上に立った
反対意見を読んで、私でもこれからは胸を張って堂々と言えるような気がします。

やっぱり動物実験はどんな場合に置いても必要なんかないのだと言う事を。

今、私の隣では、2匹の愛犬が静かに寝息を立てて眠っています。
全ての生き物に優しい国でありたいと、切に思います。そして、
もっともっと多くの人に、今の現状を知ってもらいたいと思います。

以前私の経営している居酒屋に、動物保護シェルター開設のための募金箱を設置していたときの事です。
最近よく通ってくる男性のお客様に、ぜひ募金するように呼びかけたところ、彼は快く募金してくれました。
でも、その後彼はこういったのです。
「実際、シェルター出来ちゃうと、実験用のがいなくなって困るんだけどね」
彼は、歯医者さんでした。
私はしばらく呆然としてしまいました。
身近な人で、動物実験の経験者がいる事に、驚いたのでしょうか?
それとも、そんな事実も知らずにいた事に愕然としたのでしょうか?
それを聴くまで、「善」の存在であった人が、「悪」に思えてしまった瞬間でした。

こんな普通の日常的な人間関係の中にも、
「善」と「悪」がすぐそばに存在している事に、何で気付かなかったんだろう。
そして、形は違えど、誰の中にも存在している事にも。

あれからずいぶん経ちますが、またしても私はそれを胸の片隅に置いて
、忘れた振りをしていたようです。あれほど衝撃を受けたのにもかかわらず。
あの時は、その先生の言葉を鵜呑みにして、最低限必要な事だと思う事にしていたのです。

私は、口べたでその時同席していたもう1人の人に、
シェルターの是非を問われて思わず言葉に窮してしまいました。
その人は、お坊さんだと言っていました。シェルター基金は、実際どう使われるかわからないとか、
コレで全ての犬猫が救われるわけではないじゃないかとか、
だったらシェルターに保護されなかった犬達には、何もしないのかとか、
矢継ぎ早にまくし立てられ、これ以上言い合っても、
募金はあくまでも進んでするものだから、もう結構ですって言ってしまった自分が情けないです。

どうしてもっと上手に説明できないんだろう、
何故あんな人1人の説得、いや納得してもらう事が出来ないんだろうと、哀しくて泣きました。
自分には、募金箱を設置するほどの情熱が足りないのではないか、自分に救える命はないのか。

話がずれてきてしまいました。動物実験と言う言葉で、
どうしても忘れられない経験でしたので、ついメールしてしまいました。

こんな私でも、動物たちには幸せになってもらいたいのです。


42)削除(2005.8.23.)

こちらの投稿は、ご本人のご希望により2005年10月22日に削除させて頂きました。


41)最低限のバランスを保ち、感謝して生きる(2005.5.26.)

「動物実験と私」を読ませて頂きました。
素朴な疑問なのですが
人間には「死に至るような実験」はしませんよね。
凄く高額な謝礼を貰っての治験はありますが。
人間は謝礼をもらい、動物は殺される。
なんてひどい世の中なのでしょうか?
しかし、動物実験の上で私達の生活が成り立っている。
いえ、生命さえ維持されている(させてもらっている)
と言っても過言ではありません。
やはりまったく必要じゃないとは言い切れません。
人間のエゴでしょう。
でもエゴなくして生きていけません。

実験でなくとも、私は肉も魚も食べます。
一つ思うのは「実験」だけにこだわっても意味が無いという事です。
片手落ちな気がします。

私が考えるのは、バランスです。
「必要以上の実験をしない」という事。

「必要性のない無駄な実験」はしないという事。

こんな最低限のバランスを保てれば今よりは
少しはマシになると思います。

感謝して日々生活を送る。

私はそうして生活して行きます。

          (yuzurumamaさん 34歳)


40)まずは問題意識を持つことが大切(2005.3.26.)

児玉さんのホームページにてたくさんの方々の意見を拝見させていただいておりまし
た。動物実験に関するご意見、人間として動物に対する反省の念等、またリンク先で
は7年前の蒸し暑い夏の夜に苦しみながら死んでしまった我が家のジョンとそっくり
なシェルティーを溺愛する方のホームページなどを見つけたりと、現在ではあまりに
も少なくなってしまった心の温かい人達の存在を知り、少しほっとしております。

私は長年アメリカにて過ごして参りましたが、我が国に帰国するたびに人間が冷た
く、あまりにも自分が得をすること以外念頭にない人が増えていることに不安を抱い
ておりました。これは私の友人も例外ではなく、2年ほど前にとうとうこれら小学校
時代以来の友人とも意思の疎通が全く図れなくなり、現在では仕事で出会った2人の
方を除いて日本で付き合いのある人はおりません。そんなことが背景にあったため、
児玉さんのホームページで久しぶりにまっとうな考え方をする人達の存在を知り、少
しほっとしました。

動物実験に関していろいろな意見を拝見させていただきましたが、私は頭から動物実
験に反対している人はそんなに間違っていないんじゃないかなあと思います。私自身
は医療面や健康面、自分の命を支えるという点で知らず知らずに動物実験の恩恵を受
けているでしょうから、一概に「いい・悪い」とは言えません。実験により消えて
いった命のおかげでこちらの命が支えられているのでしょう。ただ、野良になってし
まった動物をゴミと同じく処分することについては二重に罪が重いといわざるを得ま
せん(仕事として仕方なく処理にあたっている方々ではなく、捨てる馬鹿者を指して
います。私は無宗教なので来世という概念は持っておりませんが、もしあるとすれば
こういう人間は間違いなく永久楽園追放でしょう)。

私がなぜ動物実験を真っ向から否定する人がまともであるかと考える理由について
は、それらの方々はまだ問題意識を持っているから、ということがあります。こうい
う人達はきちんと話し合えば動物実験の是非、両面について理解してくれると思いま
す。

というのは、現在の我が国は無関心層が多数派を占めており、「別にいいじゃん、そ
んなこと考えても仕方ないよ」というように考えている人が圧倒的に多いからです。
これは動物実験に限ったことではなく、何かに真剣に取り組む、真面目であるという
ことが馬鹿にされている現代日本を象徴しています。結局自分の事しか頭にない、自
分さえ良ければそれでいいというのはどこにいようが誰といようが携帯電話を優先す
るマナーのかけらもない行動や、他人の迷惑も考えず煙草に火を点ける、というよう
なごく小さなことに表れていると思います。そこには他の人に対する配慮は微塵も存
在しない、いい大人がこのざまですから、「現代の若者は」などと言う権利は誰にも
ないでしょう。

一人ひとりが考えを変えなければ、この日本という恐ろしい国の現実は変わりませ
ん。そんな中、児玉さんのホームページで少ないながらも人間らしい人達の存在を知
り、まだ我が国は腐りきってはいないと分かり、少し安心しました。

                       (米国在住 K・Kさん)


39)もっと実験現場からの声を聞かせて下さい(2005.3.4.)

 『動物実験と私』をよみました。色々考えさせられる事が沢山あって、これらの問題
は一筋縄ではいかないなと改めて実感させられました。私の気持ちとしては動物実験
反対です。しかし、現代医療や私たちの衣食住に関して動物実験の恩恵を受けている
のもまた事実です。このタイプの実験に関してはもっと両者、実験反対派と実験に携
わっている側との議論が成され妥協案、例えば代替え法とか欧米や欧州諸国との違い
・取り入れ等を議論するべきだと思いますが、私がここで言いたいのは実験という名
の下の動物虐待。日本に居る頃、そのての資料や写真を取り寄せて色々見ましたが、
とても私たちの生活に役に立てるためにしている行為とは思えないものばかりでし
た。例えば、脳に電極をさされているサルとか瞼を縫い付けられて目の全く見えない
暗闇の中での愛情の実験等・・・、私には???。それどころか怒りが湧いてきま
す。それらをまず厳しく規制するのがまずは必要なのではないでしょうか?勿論、
今、その類いの実験反対の現場にたたれてる方は沢山おられます。
<動物実験に携わられている方々へ>
 もっと自分たちの声を外へと出す必要があると思います。少なくとも私はこのペー
ジを読んで、初めて教育現場での実験の実情やそれをしている人の心情を知る事がで
きました。私も専攻上、いずれしなければいけないのでしょうが、外にいる人間には
何が成されているのか全く解らないのです。だから、一方の情報だけを鵜呑みにして
しまう。もっと声を聞かせてください、『動物愛誤』にならない様に、おねがいしま
す。

※P・S:殺処分された犬達を実験用に『愛護の精神』上活用できなくなった・・・
・というのは『動物愛誤』だと思います。わざわざまた新しい命を殺すことを考えな
かった結果でしょう。この事に関してはまた改正が必要なのではないかなと思いま
す。


38)人間全体が種として背負うべき罪なのでは…(2005.2.25.)

初めまして、ユウと申します。サイトの方、興味深く拝見致しました。
特に「動物実験と私」の投稿を拝読し、獣医学科の学生として動物実験を行っている者の立場から、私なりに思う所をお伝えできればと思いメールさせて頂きました。
結論から申しますと、私は動物実験に対しある程度の必要性を認めざるを得ません。
決して動物実験に諸手を挙げて賛成するわけでも、自分達の行っていることを弁解するわけでもありませんが。
投稿を拝読して、また普段から折に触れ感じることは、実験に関し多くの誤解や矛盾があるということです。
獣医学科の学生や教授が、皆当然のように動物実験を行っているようにお思いの方もいらっしゃるようです。
そしてそれをご自分が無関係のように批判される方も。
仔犬や仔猫の時から毎日、雨の日も風の日も言葉をかけ世話をして育ててきた仔達に致死的なウイルスを投与する時の気持ちをご存知ですか?
その時は何気ない顔をしていても、夜中に独りでこっそり流す涙の味を?
獣医になろうという人間の殆どは人並み以上に動物が好きな人達です。
ウチの大学は田舎にあるので、殆どの学生が自分でも犬猫を飼っています。
毎日世話をする実験用の猫と、自分の飼っている猫、そんな明確な区別が本当にできるとお思いですか?
皆割り切ったふりをしているだけです。
長年研究を続けてきた教授だってそれは同じなんです。
確かに慣れはあります。
けれど独りになった時、お気に入りだった仔をこの手にかけた時、命の重さと罪深さをどうしようもなく感じる瞬間はいくらでも転がっています。
私達は自分の罪を認識しています。
弁解するつもりはありません。
明日ワクチンができようと、新薬が認可されようと、今日殺される命にはそんなことは関係ないんですから。
けれど明日限りない命を救える薬を今日10匹殺して作れるならそちらを選ぶ、そういう道を私は選択してしまいました。
人間のお医者さんは、人間の命を救うのがお仕事です。
獣医は動物の命を救うのが仕事なのに、救えるようになるまでに当の動物の命を何百・何千と背負わねばならない。
けれどその覚悟のない人間は少なくとも私の周りにはいないし、それは口に出して確認するようなことでもない当然の決意です。
私達の流す涙なんか殺される動物達の恐怖に比べたら何の意味もありません。
私達が批判されるのは当然のことでしょう。
しかしその罪が研究者のみにあるという考えは、絶対に間違っています。
大学や研究所で行われていること全て、人間全体が種として背負うべき罪なのではないでしょうか。
食品、化粧品、薬品、紙、あらゆるものを日用品として利用している限り、一人としてその罪から開放される者はいない筈です。
そして私達のような立場にある人間も、動物の権利の向上の為、動物実験縮小や野良犬猫の保護・里親探しなどで内外部問わず日々闘っていることを知って頂きたいのです。

離れた場所から見ている人間は、いくらでも非難できます。
やめろって言うのは簡単ですから。
ですが私達が日頃使っている薬品は、化粧品は、どうやって開発されているか考えてみましたか?
動物を飼っていらっしゃる方、貴方の家族を診ている先生や治してくれるワクチンは、他の命の犠牲の上に創られたものなんです。
どう思われようとそれは不変の事実です。
標本で勉強できる?そうでしょうか。
皮膚の硬さ、臓器の脆さ、細かな血管や神経の走行、そういったものが全て再現された標本なんてありますか?
血管を切っても血の流れない模型にしかメスを入れたことのない医者に大切な家族の身体を任せられますか?
また、ウイルスなどの病原菌はそう単純なものばかりではありません。
感染する動物もいればしない動物もいる、いくつもの型がある、試験管中の培養細胞内と生体内では増殖の仕方の違うウイルスだってあるんです。
身体の中のウイルスに効くか解らないのに、試験管試験では効果が出たからと言って渡された薬を飲むことができますか?
私は医者側としてそんな薬をオーナーさんに勧めるわけにはいきません。
二次的な便利さだけ甘受しておいてその大元を非難するのは卑怯者のやることです。
そして、どこからどこまでが「動物」なんでしょうか。
哺乳類まで?鳥類まで?それとも脊椎動物まで?
哺乳類は駄目で、昆虫ならいいんでしょうか?
生理的に受け付けないという理由で虫は殺してもいいのに、薬を開発する為にマウスで実験するのは駄目なんですか?
こういう矛盾に目を瞑ってする主張は子供の駄々と同じです。

動物実験に反対するのは尤もなことだと思います。
多くの人がこの問題に関心を持ち真剣に考えるようになることは、大きな進歩だと思うし喜ぶべきことだと思います。
それで私達のカリキュラムから本物の動物を使った解剖実験や外科実習がなくなって、代わりにバーチャルのスクリーンを使った実習が導入されるならそれもいいでしょう。
自分達の要求が通って全面的に実験動物の使用が禁止された時に、自分達の生活にどんな影響が出るかまで考え(例えば世の中の医療機関の質が落ちるだとか医薬品の信用度が低くなるだとか)その上でそれでも自分は一向に構わない、むしろそういうリスクの中で人間は生きていくべきだと思うのなら、きっとそれは正しいことです。

私が獣医の学生として他の方に願うことは、とにかく知って欲しいということです。
一側面だけでなく、最初に抱いた考えに凝り固まらず、あらゆる方向からの様々な情報を得て、その上で判断して頂きたいのです。
安楽死の方法ひとつとっても、感情論での批判が多すぎます。
例えば断頭は一見残酷ですが、延髄を一瞬で破壊するので他の方法に比べて安楽だと言われています。
そういうことを知識として知らずに、ただ血がいっぱい出る、頭を切るなんて残酷、そういう理由で批判するのは無責任以外の何物でもありません。
動物愛護の活動が高まり、もうじき保健所で殺処分に「なった」犬の「死体」ですら獣医大には提供されなくなります。
けれど現実として、今の段階ではまだ生体を使わない勉強方法は確立されていませんから、犬は使わなければなりません。
そこで大学は犬を自家繁殖させて殺し、使うことになります。
保健所の犬達は今まで通りのペースで殺されていきます。
こんなおかしな話があるでしょうか。
結果的に創らなくてもいい、「殺すための命」が創られているんです。
確かに無駄な実験は多く行われています。
そういうものを排除していくのは必要なことです。
しかし、実際に我々が恩恵に与っているものも沢山あります。
動物実験を全廃して専門家を育てるには、教育制度を根本から変えねばならない。
それは確かに必要なことでしょう。
より多くの人が動物の権利を思うようになれば、いずれ現状を変えることもできると思います。
その時に、何を捨てて何を続けるべきなのか、今の体制を変えていくならその順番はどうしたらいいのか、それを見誤らないで頂きたいのです。
動物愛「誤」活動にならないように。

一番好きな猫達を多く実験動物として飼っていて、毎日精神的につらいですが、卒業まで弱音を吐かずに頑張っていきます。
何より今ウチの研究室で行っている研究が実れば、今まで100%の致死率だったウイルスから無数の命を守ることができるそうなのです。
それで動物実験が正当化されるとは微塵も思っていませんが、誰かがやらなければならないことなら自分で向き合いたいんです。
動物が、好きだからです。
長くなりましたがここまで読んで下さって有難うございました。



37)どちらか一方を全面批判することの矛盾(2004.11.17.)

私は動物実験自体は賛成でもないですし、反対でもないです。
ですが、好みはしません。(私の考えでは動物実験に人体実験も含みます、人は動物
ですから)
私は問いたいです、どうして頭ごなしに賛成したり反対したりするんだ?と。
生き物というのは、食べ物にいろ道具にしろ、経験して身に付けます。
それはある意味、自分を犠牲にした動物実験です。
本能と言われる機能があります、そのことに関しては私は全く知識をもちません
どうして、あるのか、いつ形成されたものなのかなんて。
ですが、少なくとも私達の食生活は動物実験からなりたっています。
先人達は、どの食べ物が毒がないと知っていたでしょうか
一説によると、なんでも食べてみたそうです、ですから毒で死ぬ人もいました
それは無知故にです、ですが一度誰かが食べて死んだものは基本的には
他の人は口にしませんよね。これは一種の動物実験を自らで行っていると
認識することができるのではないでしょうか。
(この際自ら進んで食べない人もいました、他者を実験に使うことにあたります)

それに私達の医療もそうです。
先人達の生活の知恵とされる、漢方や色々な薬(天然のもの)
は、誰かが使い、効果があるかないかを判断したでしょう。
それが積み重なって、本当に効果のあるものを見つけ出せたのではないでしょうか。
それも動物実験とは言えませんか?
今現在の薬もそうです、ラットや色々な動物(人間に近いとされている)を使い
色々な実験を行います、その時もちろん動物達は悲惨にも沢山の命を失うことや
沢山の苦しみを強いられることがあると思います。
ですが、もし実験をせず、どの化学薬品が動物に対して有毒かどうかを検証せず
私達人間に対して薬だとだされた時に貴方はその薬を飲めるでしょうか?
もしかすると、その中身は硫酸や苛性ソーダ等の危険な薬品かもしれません。
薬剤師の免許を持っている方(赤の他人)が、名称のついた病院や薬局にある薬を
身開封で手渡してくださいました、飲めますよね?
では、何も名称のない、薬剤師さんが調合したと言っている薬を
貴方はなんのためらいもなく、飲むことができるでしょうか?
正直私は飲めません、飲むとどうなるか保障がありませんから。
じゃあ、どうして今薬を安心して飲むことができるのでしょうか?
明確ですよね、動物実験によって…その後の人体実験(臨床実験)において大丈夫と
保障されたものだからじゃないでしょうか?

動物実験で安全と証明されたものが、本当に安全なのかどうかは私にはわかりません。

それでも沢山の有害物質と呼ばれるものは含まれていますし
沢山の被害者がでているのもまた、事実だと思います。
ですが、動物実験という経路がなく、人体に使用していたら、どうなっていたでしょ
うか。

現在、獣医というものもいます、これも動物実験があり
その動物にあった、傷の治し方というものを模索したのではないでしょうか。

新薬もそうです。
今現在、結核にかかっても治療法があります、ですが一昔前は結核は死の病でした。
どうして、今は治療法がある?となると、それは動物実験の賜物です。
動物実験がなければ、結核の治療法はいつ見つかっていたでしょうか。
今現在、そういった病気は沢山あります、どうしましょうか…
実際に病気になっている人で色々と実験して、治療方法を模索してみますか?
家族や社会はどれだけ批難するでしょう…
許可をもらっても、実験内容は限られます…人体に影響がないとされる
他の薬や成分を試してみるくらい…死の危険のある実験なんてほぼ無理です。
治療法や薬を提供してもらい提供してもらっているのに、見つけた人や探した人には
批難ですか?そんなのおかしいじゃないですか。
住環境においても、色々な有害物質を壁に塗りこんだり、使ったりしないようにしま
すよね。
その成分も動物実験されているのではないでしょうか?
一時期問題になった、ホルムアルデヒトでしたか…シックハウス症候群になるといわ
れる成分は、動物実験の段階では症例がでなかった、もしくは気付かなかった、実験しなかっ
たその3つではないでしょうか。その為、私達人間に被害をもたらしました。

色々考えていくと、衣食住といわれる
私達の生活は命の犠牲があって、なりたっているのではないでしょうか。
ですから、動物実験を頭から批判したり、反対というのはいかがなものでしょうか
私が動物実験、賛成と思う部分はこんなところです。

反対と思う部分もあります、それは
無駄に動物実験を行っていることです、学校等でのカエル等の解剖もそうです。
子供達にカエルの解剖の仕方を教えてどうするのでしょうか(減ってきているらしい
ですね)
そんなもの解剖せずとも図や写真でいいはず。

個人的趣味や理由での動物実験もそう…必要性がないはず。
新しい化粧品や、洗剤、薬等もろもろ、今で十分じゃないか…
新しい化粧品を出す必要はない…それは会社の利益だけの為…
洗剤もそう…薬は効果を高めたりとか言っているけど、それも結局会社の利益の為…
そういったものの為の動物実験はするべきじゃない。
上記を考えて、賛成もするし反対もするということです。

単に、「人間の薬は動物のおかげだ」という人や、「動物実験のおかげで○○があ
る」という人、
単に、動物実験は、「動物が可愛そう」「命は尊い」「動物虐待だ」「命の価値は動
物も人間も同じ」という人、
少し考えてほしいと思う。

動物のおかげだという人…ペットを飼っているだろうか…もし自分のペットが動物実
験につかわれたら?
と考えることができるだろうか…実際に動物実験等の写真を見た時平気で居られるだ
ろうか…
それを踏まえて、本当に動物実験は全てが許されていいのだろうか?
それはあまりにも残酷ではないだろうか…仮に宇宙人と呼ばれる人達が本当にいて、
あなたをさらっていき人体実験されたらどうだろうか?苦痛じゃないだろうか、宇宙人と呼ばれる人達をあなたは許せるだろうか?。
動物実験につかわれている動物達からするとそういった状況です。

動物が可愛そうだという人…風邪でも熱でもガンでもどんな体調不良でも病気でも薬
を使わないでください
それは貴方が可愛そうと言っている動物達の命の犠牲によって、人間が安全と認識し
て、服用できるのです。
動物実験を反対したり可愛そうだとなげくわりに、動物実験された製品や行為を利用
するなんて、勝手な話しはないのではないか…。
ペットを飼うことも許されません、どうしてか?
それは明確ですよね、犬の場合首輪をして、決まった範囲に拘束されます
散歩と言っても、飼い主の見張りつき…飼い主の時間の都合…自由はありません
どれだけ広い庭だとしても、それは自由ではなく、拘束です。
本当の自由というのは、柵や首輪もなく、犬が自由に動き回れる状態です
100m先、1km先、10km先、100km先、柵がどれだけ遠くても
その人の飼い犬だという拘束があれば、犬は自由ではありません。
猫もそうです、多くの猫は家の中で生活をします、決まった範囲でしか動けない
爪とぎも好きなところでできない…トイレもそう。
金魚や熱帯魚、ペットと呼ばれるものは全部同じです。
自由を奪われ、飼い主と勝手に名乗る人間に拘束される。
中には、犬のように忠誠心があるとされ、人間になついているようにみえます
ですが、本当に犬はそう思っているのですか?ただ人間になついているように思わせ
れば可愛がってもらえる、エサをもらえると思っているかもしれない、もしくは
人間に媚を売らないと、エサをもらえない、イジメられると内心はおびえてないだろ
うか?
他の動物ももちろん同じです。金魚はエサをあげようと手をだすと、水面で口をパク
パクさせます。
どうしてでしょうか?エサがほしいからです、人間という生き物の手から以外はエサ
がこないからです、野生の魚の上に手をかざしてもパクパクしないはずです。
これは可愛そうではないだろうか?首輪をしたり狭い室内に閉じ込めたり、小さな水
槽や小さな巣箱や籠という限られた空間に拘束するのは虐待ではないのだろうか?
あなたは、ある一室やもしくは家から外にでるな、外にでれるのは私がお前を散歩に
つれて行くときだけだ、エサは何時にこれだけだ、水はこれだけだといわれたらどう
ですか?
飼い主が元気ですかぁ〜?(ペットに質問したりしますよね)と尋ねてきたらどうだ?

はじめは暴れるか、すぐに諦めるかですよね。
暴れると、エサを貰えなくなります、唯一外に出られる散歩にも連れて行ってもらえ
ません。
仕方がないので、暴れるのをいつしかやめます…
すぐに諦めた場合、それは暴れても、損をするのが目に見えているからです
でも内心は苦しいはずです、辛いはずです。
犬もどんな動物も同じだと考えられませんか?時が経ち、慣れれば平気になりますが

それまではきっと苦痛でしょう。
あなたを誰かが飼いはじめます、はじめは苦痛でしかたありません、死にたいと思う
こともあると思います、ですが時間が経つにつれ、今までの心が崩壊し、あなたはペットと
して生活することが普通になってしまい、苦痛に感じなくなり、優しくされると嬉しいと
思うようになり犬と同じように、幸せに見えてきます。
ペットを飼うというのは、ペットにとってそういう状況であると考えることもできる
ということです。

結局私が言いたいのは、矛盾したことをするなよ。ということです
動物実験賛成というなら、誰かにペットを動物実験につかうと連れて行かれても
自分自身や自分の肉親、親族、思い人を人体実験だと称して連れて行かれても
拒否はできないし、悲しむべきじゃない。
その繰り返しによって、薬や安心、色々なものを得ているのだから
自分のペットや自分自身や肉親、親族、思い人は世の中の役に立てるんだと
思うべき。

動物実験反対なら、動物実験を介して存在している、全ての製品、行為(医療技術等)
を利用するべきじゃない。ペットを飼うべきじゃない。
動物実験を行ってできたものの恩恵は受けるというのは勝手すぎる
ペットは可愛そうじゃない、そんな考え方も勝手すぎる。
動物は決して、人間の癒しの道具ではないんだ。

私は賛成でもあるし、反対でもある理由はこういったことからです。
一概にどっちかなんて言えません、一概にどっちだと決め付け
もう一方を全面批判することは、上記の状態になることだからです。

そういったことをよく考えてほしい…こういった物事の答えはどちらか一方じゃない
んだという事、
どちらか一方で固めてしまうと、矛盾ができること…。
矛盾を持ったまま推し進めるのは人の悪い特徴です、その結果今の世の中があるのだ
からこういった話をするときは、矛盾しないようにしてくださいと私は言いたいです。

そう思いメールさせていただきました。

動物実験に対しては、必要以上には行わないでほしいと思います。
それと同時に数々と動物実験によって犠牲になった、動物達に
謝罪の気持ちと感謝の気持ちを伝えたいです。

文中にある貴方は誰か個人というわけでなく、読み進めてくださっている方
もしくは、動物実験賛成派の方・反対派の方をさしています。
(ここでいう賛成、反対はどちらか一方を全面批判する事です)

この文章は決して、正しいわけではありません、同時に間違っているわけでもありま
せん。
答えは人それぞれだと思います、故、この文章は私個人の考え方、感情、願いであり
誰かにこれを強制するものではありません。その旨あしからずご了承いただきますようお願い致します。

                      (雫さん 20歳・女性)


36)動物実験は立派な動物虐待だと思います(2004.11.9.)

はじめまして、中学1年です。このコーナーをみて「同じ考えの人がいてよかった」と思いました。 
私の学校では友達に話しても「しょうがない」などの言葉しかいわれませんでした。しかし、なぜ動物で試さなければいけないのか、それほど危険なものなら作らなければいいのに・・・「動物だったらいじめたり研究に使ったりしてもいいのですか、同じ生き物なのに」と言ってやりたいです。この動物実験は立派な動物虐待だと思います。


35)需要があるから供給されるシステムを変えなければ…(2004.10.6)

動物達のレクイエムで動物実験の事拝見しました。
実験者には倫理観が無いと言う事です。
実験所で闇の中で多くの動物達が犠牲に成り死ぬ為に生まれて来たのでは無いのに苦しみながら物のように捨てられ消耗される命
動物達を使わず代替え法の実験が進めばいいですね!!
需要があるから供給されると言うシステムを変えなくてはと思います
化粧品や洗剤にも動物実験がされている事も多くの人達に伝えて下さい。
そしてそれらを使わない消費者が増える事を祈っています。


34)アメリカの獣医学生の宣誓文(2004.6.22.)

アメリカの大学に留学中のK.Kです。
自分にできることとして、アメリカの獣医学部に我が国の状況を伝え、
アメリカにおいて野良犬、野良猫等はどう扱われているか、
獣医関連の教育機関では実際にどのような教育哲学を持っているのか、
など問い合わせてみたところ、本日ミネソタ大学獣医学部の方より
「そういった内容のことであれば適切な機関がありますよ」ということで、
The Humane Society of the United States、
いわゆる米国の動物愛護団体の中でも最有力機関のひとつだと思われますが、
そちらのHPを紹介していただきました。以下にURLを記しておきます。
http://www.hsus.org/ace/352
私自身も該当HPを少し閲覧しましたが、かなりの規模の機関のようです
(アメリカのHPのため、内容は全て英文の点ご容赦ください)。
またある学校からは獣医学部の学生に対し、
動物を正しく扱う旨を謳った宣誓をさせるということで、
宣誓文を紹介してもらいましたので、原文とともに日本語にしたものを添付します。
ある特定の獣医学校の宣誓文と思ったのですが、返信を再度読むと、
どうやらイリノイ州全体、または全米の獣医学部の学生に卒業時に
この誓いを立てさせるようです。また、返信には「将来獣医師となる者には
倫理感を持ち、人間と動物双方の役に立つため自分の専門知識および技術を使うよう、
また獣医師としての誓いを守るようアメリカの獣医学部では教育している」とありました。
その他、迷子になったペットが戻ってくるよう、獣医師は飼い主にタグ、
何らかの認識証(ライセンス)、またはマイクロチップをペットに
付けておくよう勧めているようです。以下、宣誓文です。

原文:
「Veterinarian's Oath」

Being admitted to the profession of veterinary medicine, I solemnly swear
to
use my scientific knowledge and skills for the benefit of society through
the protection of animal health, the relief of animal suffering, the
conservation of animal resources,
the promotion of public health, and the advancement of medical knowledge

I will practice my profession conscientiously, with dignity, and in keeping
with the principles of veterinary medical ethics.

I accept as a lifelong obligation the continual improvement of my
professional knowledge and competence.

和訳文:
「獣医師の誓い」

獣医師という職業に就くにあたり、私は社会に役立つため、
自分の専門知識および技術を動物達の健康を守ることのため、
動物達を苦しみから救うことのため、動物達の資源保存のため、
市民の健康促進のため、また専門知識の向上のために使います。

私は獣医師という職業に良心および尊厳(誇り)をもって臨むこと、
また獣医学倫理の教義を守りつつ取り組みます。

私は獣医師として、生涯にわたる専門知識および適性の向上を
義務として受け入れます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

…以上の宣誓を、アメリカの獣医学部の学生は卒業時に誓うようです。



33)あの実験が本当に意義深かったのか…(2004.6.16)

私は大学で教育学部の家政科を専攻していました。在学中、栄養学の講義でラットを使った実験を行いました。医学や獣医学ではなく家政学でです。実験の内容は、ラットを高栄養食、貧血食、高脂肪食、砂糖過多食の4群に分けて数ヶ月飼育し、最後に麻酔で眠らせた後解剖して、肝臓など脂肪組織など内臓に現れる変化を観察するというものでした。1群各3匹のラットを用い、学生を4グループに分けましたので3匹×4群×4グループで計48匹のラットが犠牲になったということになります。例年学生自らメスを入れることは皆嫌がるし、その技術については範囲外ということで、年配の女性教授が各班を渡り歩いて次々に解剖をしては「ね、脂肪肝になってるでしょう?」という具合に見せていました。当時は、可哀相だなとは思いましたが、必修単位であったし、「必要な勉強のために」「実験用に仕入れたラットを用い」「有意義な学習をする」と教授に言われて、情報もなくあまり深く考えませんでした。ただ次々に切り刻まれて廃棄されていくラットを見ながら「これで終わりなの?」と呆気にとられた記憶があります。数日後に慰霊祭を開き、線香と花をたむけて手を合わせ、最後に葬式饅頭まで出ました。

例えば高脂肪食を続けると肥満になるなんてことは、実験をするまでもなく世間一般に知れ渡っています。果たしてあの実験が本当に意義深かったのかと問われれば「既知のことを確認したにすぎないため、意味がない」と今なら答えます。

私が動物実験の実状について知ったのはごく最近のことです。もともと犬が大好きで、もし飼うならこういう子達だな、と里親探しサイトに立ち寄るうちに保健所で殺処分される犬猫たちを知り、その経緯で動物実験の現状を知りました。非常に衝撃を受け、何度も涙を流しました。そして自分の無知と浅はかさを恥ずかしく思ったと同時に、理不尽に弄ばれ絶たれた命に対して、同じ人間として詫びきれないほどの申し訳なさを感じました。でも、何も知らずにただただ「動物可愛い」で過ごすよりは余程良かったと思っています。

今は、自分にできることを少しずつですが始めています。まず、積極的に情報収集をし正しい情報を知ること、そして動物実験を行っていない会社の製品を使うこと(行っている会社の製品は購入しないという静かなレジスタンスです)、あるいは安全性が確認されている原料や石鹸由来の洗剤を使用することなどです。甚だ微力ではありますが、何かの力になれたらと思っています。世の中から無意味に奪われる命がなくなる日が訪れることを心から願っています。
                       (26歳 女性 匿名希望さん)


32)現状がほとんど知られていません(2004.5.19.)

はじめまして。大学生です。
動物実験の現状を聞き、興味を持ったのはつい最近です。
殺処分についてはずっと前から廃止を望み、本を読んだりしていましたが、実験動物については普段から話題になることがありません。
動物福祉のサークルに入って、先輩に薦められた本を読んでいます。
ハンス・リューシュの「現代の蛮行」と「罪なきものの虐殺」です。
この二冊を読んだだけで見えるものが変わりました。
著者とまったく同じ意見だというわけではない部分もあるけれど、現実を知るには十分です。
ほかの人にも知ってほしくて、友達に薦めたりしました。

私の大学にも犬の解剖の時間がこれからあります。
先輩達の働きで代替法でもいいことになっているようですが、日本では優れた教材がないそうです。
それでも、実験に使われるために誕生させられ、苦しみしか知らないまま死んで行く動物達がこれ以上増えてはいけないと思います。

高校の生物の授業で、背中から人の耳を生えさせられたラットを見て「おもしろい」などと言っていた自分達が怖い、と最近考えます。
現状を知るまで、人は動物実験を当たり前のことととらえているからだと思います。
賛成・反対意見の表示を求める前に、多くの人に現実を知ってもらえるようにしたいです。


31)研究者のみならず一般の人々が倫理的な意識を高めるべき(2004.5.7.)

初めまして。
「動物実験と私」など、皆さんの投稿を読ませていただきました。
正直、つらかったです。私も獣医学部生として毎日毎日動物実験をする身です。
動物実験を一度でも経験した人の考えと、したことの無い中学生の間には、やはり多
くの距離があります。
「動物がかわいそう」
「人間の価値は動物と同じ」

小中学生のときはそれでもいいと思います。
私は、そうでした。
そうして、多くの動物を助けたいと獣医学部に入りました。

一殺多生。こんな言葉で納得できたら誰も苦労しないんです。

解剖をしました。「君たちは地獄に落ちるね」
これは解剖を担当した先生の本気の言葉です。
きっとそうだろうと私も思う。
でも、地獄に落ちる前に出来る限り多くの命を救える獣医師でありたいと思っていま
す。

「動物実験なんて無い方がよい」
そんなふうにばかり思い自己満足的に行動する人たちがいることや、
いわゆる動物愛護団体の一面的な主張を、
危惧していました。

保健所からの実験施設払い下げが出来ず、
ブリーダーから購入する現状。
それこそおかしなことになっている、
新しいイヌを殺さなくてもよかったはずなのに・・・

だけど・・・
このHPのように、世の中を啓蒙することが
動物愛護団体の役割なんだと
気付きました。
それこそ、私がやりたいと思っていることと同じ。
獣医師をやりながらの地域レベルでの啓蒙が、私が最終的にクリアしたい目標です。
世界中の人が幸せになるのが一番の目的なんですけど。(動物にとっての幸せはわか
らないので)

私は、人間が動物たちにとって有害なだけだと思いたくない。
でも人間のちからは強い。
良い方向に向かい続けることが、きっと何よりも大切だと思います。

長々と書きましたが、読んでくださって有難うございました。

                 (20歳 獣医学部生さん)

<2通目(児玉からのメールに対するお返事です)>

私の考えはまだ、推敲されたものでも洗練されたものでもありません。
でもこうしてメールを書き、不勉強ながらも考えるところを述べたのは、個人がHPや
本から受ける影響の大きさを感じたからです。

本というものが、果たしてどれほどの裏づけの元に書かれているのでしょうか。
HPというものに転載されたものは、不特定多数の人間の目に触れながら、その事実は
確認の仕様も無い。
そのことを知った上でそれらを見、自分の考えを持って、自分のすべきことについて
考えてほしい。そう思ったからメールしました。
以下私が述べるのは、獣医学部生としての私の考えと気持ちだけです。

「今、開業獣医をやってるやつらは、学生時代に実験で殺した動物への罪滅ぼしのた
めに、動物を救っているんだと思う」
という学生さんの言葉について :

当たり前。むしろ罪滅ぼしなんて言葉は使ってほしくない。
私たちは獣医師になるべくして動物を殺した瞬間に、その罪を背負うんです。
きっと、何千何万の動物を救ってもその罪は消えない。だからこそ研究・医療の現場
で多くの命を救っていくべきなんだ。私はそう思っています。

「実際に、無駄な実験が行われている、無駄に命を粗末にしていると感じる場面はあ
りますか? あるいは、どの実験も、必ずしも必要だと感じておられますか?」
という児玉さんのことばについて :

申し訳ないが、今はまだ何とも言えません。ただ、私たちの実験では動物に対する苦
痛を最大限除去し、最後は安楽死させています。

動物実験について :

私は獣医学部生であるだけで、製薬会社・化粧品会社に勤めたことはありません。
したがってそれらの動物実験の事実・真実というものは述べようが無いのでコメント
しません。

学術研究における動物実験ですが、何が必要で何が必要でない研究かを決めるのは誰
でしょう。その研究結果でしょうか、それとも時代の風潮でしょうか?
許される実験・必要な実験というものの境目が、動物に対する残虐性だとは思いませ
ん。

学術研究における動物実験は研究者のモラルに頼っているというのが現状でしょう
が、それを支える研究倫理と呼ばれるものが存在しています。
アメリカ・イギリスには
Animals(Scientific Procedures) Act, Animal Welfare Act 
という法律があり、研究のチェックが行われるそうです。日本でも然りです。


具体的にこれからなされるべきことを、私は前述した研究倫理の徹底であると思いま
す。研究者のモラルはその人間の持つモラルであると私は考えます。一般市民が研究に携
わること、しかもそれが動物を用いたものであるということは、決してめずらしいこ
とではない。理学部・薬学部・水産学部・医学部・獣医学部など理系に進む人の多さ
からわかる通りです。

大学の教養時代、少なくとも学部入学後の徹底した専門授業が必要だと考えていま
す。聞いたところによると、Animals(Scientific Procedures) ActとAnimal Welfare Act
の違いについてアメリカ(うろ覚えですが・・・)では大学入学後1年をかけて徹
底的に教えるそうです。

まだ研究というものは始めていないため、具体的にどのような指導がされるのか私に
はまだ分かりませんが、研究倫理というものは一般市民も常識として持っておくべき
ものだと感じます。少なくとも私は、これを早くに知っていたかった。

そして研究の場は常にチェック機関に監視されているべきだし、命を扱う以上それが
当然のことです。

とはいえ、研究の場が監視されるというのは、諸刃の剣です。少なくとも愛護団体がするような
ことではない。
世論を高めるという意味では愛護団体の活動に意義はありますが、その学術的知識の
無さや研究過程を無為にするような暴力行動は悪でもありうるからです。
研究者のみならず一般の人々が倫理的な意識を高めた結果、世の中が良くなることを
私は願っています。
研究には価値がある。それを忘れないでください。
非難されるべきは動物を不当に扱う人間のモラルであって、研究や動物実験ではあり
ません。

                        (20歳 獣医学部生さん)


30)同じ考えの人がいてよかった(2004.3.4)

初めまして。
私は動物が大好きです。
いつも、人間の薬には動物が犠牲に
なっていると聞いて、
ショックでした・・。誰にいっても、
「人間の薬には、動物のおかげなんだよ。」
としかいってくれません。
だからといって、そういうことをいったら
動物を実験に使っていいんですか?
と思います。動物だって、
幸せになるために生まれてきたんだから
人間の為だけに死んでいくのは、
あんまりじゃないですか??
人間だって、動物だって、おんなじで、
平等だと思います。だから、
法律に「動物は、もの」という法律も
腹がほんとに、ほんとに、ほんとうに、
たっています!!
ここのHPにきておんなじ考えの人がいて
とてもよかったです。
動物が虐待されたテレビを見たり、
本に実験動物に使われています。
などという文字やテレビを見たりすると、
怒れてきて、涙がでてきます。


29)あの光景は忘れられない…(2004.2.27)

私は、子供の頃、一人っ子で可哀想だ・・と言う理由で、
初めて犬と出会いました。その犬と出会ってから、見る見るうちに、
東京の小動物園のように、犬数匹・ネコ数匹・小鳥何百羽・サル・・と、沢山の
動物に囲まれて育ちました。動物という感覚はなく、
友達だ・・と、教わって育ちました。
ひょんな事から、東京衛生試験所で働かないか・・と、言われ、仕事をしていなかった
私は、東京都でやっている試験所だから・・と言う事と、動物の世話という簡単
な理由で働く事を決めました。
働いて何日もしないうちに、どういう場所なのか・・知る事になりました。
色々話を聞き、薬1つにしても、例えば、口紅1つにしても、動物のお陰で
成り立っている・・と言う現実を始めて知りました。
ショックでしたが、きちんと、世話をする事で・・と、気持ちを抑えていました。
実験用には、犬・サル・ラットといましたが、動物が大好き・・と、言う理由で、
犬の所には、入れえもらえませんでした。見ない方が良い・・・情がわくから、と。
試験所の中は広いので、月によって、色々な場所に行かされました。
殆ど、私はラット専門でした。ラットが怖い・・と言う理由で、
情がわかないから・・と言う理由だそうです。
最初・・ラットは相当怖かった。麻薬を打たれ、目が
トロンとしたラットがいたりで、苦手で、恐々していましたが、
慣れると可愛い・・と思えるようになりました。
ラットは、研究のためだけに産まれてきた・・・研究所の中しか知らない・・と言う
子達ばかりで外に出すと、免疫がついていないから、死ぬという事でした。
無菌室で産まれ、無菌室で育ち、時間に暗くなり、明るくなり、適温で・・・と、
産まれて育って、色々試しをさせられて死ぬ・・・。
このラット達は、この研究用・・と、分けられていて、その研究が終わると、
例え、何もされていない子たちも、研究で弄られた子達も、一緒に、大きなゴミ袋に
入れて、薬を一滴垂らして殺します。殺されても、まだ、冷凍して、研究される子も
いれば、埋葬業者に引きとらる子もいます。様々でした。
袋をなるべく、私には見せないように、周りの人たちが、配慮してくれていたのですが、
やはり、我慢の限界が、自分でも知らないうちに、あったようです。
絶えられなかった・・・例え、人のため・・と、割り切っていたつもりでも。
ある時に、薬をたらす役目の人が、何時ものように、殺していました。
殺して数分してから、もう1匹残っていた・・と、持ってきました。
その1匹を、その人は、薬が勿体無いと言う理由で、尻尾を持って、
塀にぶつけて殺そうとしました。それでも、死なないので、水の中に入れようと
しました。
私は、離れていた所で、まさかそんな事はしないだろう・・と、思っていたので、
呆然としてしまい、ハッと気付いた時には、その人を張り倒してしまっていました。
冗談でやったんだよ・・と言っていましたが、人間のすることではない・・と、
ここは、まともな人間はいられない・・と悟り、研究所から、逃げ帰っていました。
あの光景は忘れられない・・と。
結局、次の日に、会社から、お詫びの電話で、また、研究所に働きに行き、
掃除専門になりましたが、その掃除場所で、全く同じ場面がきてしまいました。
また、同じように、ラットが1匹だけ、残され・・と言う場面になり、
耐えられなくて、そのラットを家に持ち帰ってきてしまいました。
研究所のラットは、外に持ち出してはいけない・・と言う規則でしたが、
あの光景を思い出してしまい、隠して持ち帰ってきてしまいました。
会社の人にいちを、危険な菌を持っていないことを確認し、家から外に
出さない・・と言う約束で飼いました。
最初は、時間通りに電気は消えない・・適温ではない・・環境に、ラットも、
凶暴になっていましたが、自然になつくようになりました。ラットといっても、
ねずみなので、抱っこして・・は出来ませんでしたが、撫でれるようにはなりました。
持って帰って来てから、ラットがやっと、慣れるようになって・・2週間。
私は、会社を辞めました。
頭の中では、人が生きていくには・・と、理解はしていても、
数十年経った、今だに、私は受け入れられません。
その後、ラットは、3年しか生きられませんでしたし、これで良かったのかも、
分りません。研究所しか知らないラットにとって・・・と考えると、
どうかも分りませんが、私は今だに、間違った事はしていないと思っています。
人として、殺さなくてはいけないとあっても、やってはいけない事はあります。
安楽死もそうですが、少しでも苦しむ事があるのなら・・・。
結局、人間が生死を決めるのなら、最後くらいは、安らかに・・と、思います。
娘がいますが、人と、動物は同じだと、教えています。犬にぶつ・・と、
娘をぶちます。ぶたれて痛いでしょ?と。
何時か、人間も、動物と対等だという事が、分る日が来る事を願っています。
殺す重さは、人間も、小さな動物も、全く同じだという事が、何時か、
皆が普通に・・常識の中に、分ってもらえると、本当に良いと思います。
常識のはずの、命の重さが、動物だから・・で、許される事は、
絶対にあってはいけないと思います。
凄く・・悲しい現実に・・痛いです。


28)今の教育体制自体に問題があったのでは…(2003.11.18.)

36歳、女性です。

まず、私の年齢で動物実験の経験がない人はいないと思います。
義務教育課程の小学校の高学年の時、フナなどの実験をしている
はずなのです。
当時の小学校の中庭には池があり、フナにカエル、アメンボや小さな金魚
などがいました。また、うさぎ小屋などもありました。小学校の低学年の
ころからそこが好きでした。また、小さいころから動物が大好きで大きな
犬い押し倒されたり、間違って噛まれても平気な子でした。本当にバカだと
思いますが、フナの実験をした時、私は最後にフナの切ったおなかをもう
一度先生が縫い合わせるなどして、きちんと池に返すのだと思っていました。
そのくらい理科の授業が好きで、理科の先生を信頼していました。
フナの心臓の動きをみて、様々な器官を生きたまま開いてみて、そして、
先生は最後に、なんとそのフナに熱湯を注いで殺しました。1クラス
40数人、5人から6人が1グループでフナは1匹ずつ。順番に熱湯を
かけられていきます。タンパク質の変質する際の独特の臭気が教室に
たちこめました。
その時まで私は、大きくなったら獣医になりたいと思っていました。
しかし、あのムツゴロウさんでさえ、やはり乗り越えたその道ですが、
私はどうしても動物実験の上に成立している仕事には就けないと
思いました。

動物実験にはひじょうに賛否両論がありますが、それ以前に日本人が
認知しておかないといけないことがあると思うのです。
今の教育体制自体、第2次大戦後に確立されたものだと思いますが、
第2次世界大戦中、人体実験を行ったとされる代表的な731部隊
の将校たちがその後どうなったかをご存じでしょうか。みな戦犯
を免れ、免れただけではなく、日本各地の有名大学や研究所の
教授や所長として迎え入れられているのです。そして戦後の
日本教育の礎は培われていったわけです。

人間を含み、生体での実験はある意味必要なのかもしれません。
しかし、あまりに不必要な実験が多いのではないかと思えて
なりません。その不必要さを生んだ根源的なものは、一体何なの
でしょうか。

                  (匿名希望さん)


27)教授の口から出た言葉に、思わず……(2003.11.5.)

 始めまして。私は23歳の女性です。

このHPを拝見した時、動物実験の実態が書かれていたのを知り、苦しくて、正直知らないほうがましだと思ってそれ以上読み進められませんでした。

私は動物が本当に好きです。かわいいというよりも、彼らの罪のない目が愛しくてなりません。でも、現実は愛しいと思う瞬間よりも胸が張り裂けそうな現実がテレビからもたくさんです。それを知りながら、実態を全て知る事を避けるのは余りに好都合だと思い、現在少しずつですがこのページを読ませて頂いてます。

実は、最近偶然私はある研究所から秘書として呼ばれて働くことになりました。仕事自体は全く研究とは関わりがなく、経理面ばかりしか目に当たりませんでした。

でも・・最近私の教授の口から出た言葉に仕事も手につかず頭が真っ白になりました。帰ったらすぐにこのページを読まないとって思いました。それは(詳しく公表すべきことではないと思うのですが)簡潔に言えば次の言葉です。

「○○先生はすごいよ。マウスの尾を麻酔なしで切ってそのまま尻尾も実験するしねー。」

そこからその人の非難の会話が始まるのかと思えば、もう一人の秘書の人はこう言いました。

「まあ、実験費の意味では素晴らしいことですね!」

初めて、私のいる空間というものを実感・理解しました。同時に自分のいまいる場が苦しみと変わりました。私は、麻酔なんて大前提、いかに平穏にという姿勢で動物実験がされていると思っていました。みんな立派な大人なんだから。悲しみと怒りが溢れてきました。まだ始まってばかりの職場を、いま立場上かなわないけれど叶うならやめたい気持ちで一杯です。

私に出来ることはなんでしょう。私は動物管理保護法の署名活動に協力しても、もうぜんぜん届かない場所があるのを知って、この世の中に、毎日毎日怖くて恐怖から逃げられずに殺されていく罪のない動物達がいるのを胸に思うと悔しさと苦しい気持ちでなりません。

病院や国家機関の研究所ってそんなに権力が強いのですか?獣医学科や医療において、動物実験は必要だとは思います。でもせめて、始めの一歩は胸を痛めて始めてほしい。そして感謝の気持ちを失わなければ、もっと沢山の動物達は余計な苦しみから救われるのではないでしょうか。命ではなく、経費の計算だけで判断するならそんな人達に1円も委ねたくない。

このページで、実際に動物実験に携わっておられる方の沢山の意見を読ませていただきました。苦しんで実験と葛藤しながら自分の夢と戦っておられる方、 その中での思いを聞かせて下さってありがとうございます。

世の中にはどうしようもないことがあるでしょう。でもあきらめたらどこまでも脱落して行く気がしてなりません。悲しんでばかりいるのも何も変わらないです。

今、私は何ができるのかな・・・。

長い文章になってしまいました。お読み頂きありがとうございます


26)実験に使われたラットの里親になりました(2003.6.23)

 こんにちは。私は千葉県に住む26歳の主婦です。
このHPを見て涙が止まりません……
私は小さいころから動物が大好きでした。
近所の犬と遊んでいて噛まれ、大怪我をしても次の日にはその犬とまた遊んでいるく
らい動物が大好きな子でした。
最初に飼ったのは茶トラの猫でした。
3匹の子猫が道端に捨てられていて、まだ小学生だった私は親に飼うことを反対され、
子猫たちを連れて近所中を歩き回り、飼ってくれる人を一日中探しまわりました。
結果、2匹は引き取られ、残った1匹を私は家に連れて帰りました。
母も動物が好きだったので父や祖父を説得してくれてその子猫を飼えることになった
んです。
茶トラの猫は8年生きました。短い一生でした。
猫の白血病にかかってしまったんです。飼うのを反対した父も泣いていました。
父は動物が嫌いなんじゃなくて、別れが来るのが嫌なんだそうです。
茶トラの猫を失って、しばらくして今度は里親を探していた黒猫に出会いました。
小さな黒い子猫がうちに来て、大切な子を失った心を少しずつ癒してくれました。
その黒猫は今12歳。立派なおじいちゃんです(笑)私の実家で平和に暮らしていま
す。
私は結婚して約1年たちました。
今の家には旦那様が前から飼っている犬と私が飼いはじめた猫とハムスターがいます。
犬は子犬のころに捨てられてさまよっているところを拾われたそうです。
猫は保健所に連れていかれる寸前の子猫をひきとりました。
ハムスターも売れ残ってしまって処分されそうだった子をひきとりました。

こんなにも世の中には飼い主を必要としている動物たちがいます。
私も雑種でないちゃんとした種類の犬や猫を飼いたいって思うこともあります。
でも私は絶対に買わない。もしも買ってしまったとして、
その後に本当に飼い主を必要としている捨て犬や捨て猫がいたとして自分が助けてあ
げられなかったら嫌だから。
やっぱり、いくら動物好きでも助けたいって思っても飼える頭数には限界があります
から。
他にも私は、短大で悲しいことに動物実験をしなくてはならなくて、殺してしまうよ
うな実験ではなかったので、
その実験に使われたラット6匹を引き取り親を絶句させたり……しました。
父は「ねずみだ……」とつぶやいて固まってました(^^;
他にもたくさん、野良猫にも出会ったし、野良猫たちはなかなか慣れてくれなくて大
変でしたが、
慣れてくれたら捕まえて避妊・去勢手術をしました。母の友人達も資金援助をしてく
れたそうです。
実家の周りには手術済の猫たちがいっぱいです……。
私の親戚のお兄さんは市役所に勤めていて、ある日上司に真っ白な成犬を渡されて保
健所につれていってくれと言われ、
どうしても連れて行くことができずそのまま飼ってしまいました。。。
その犬は去年亡くなり、今はまた拾われてきた犬が1匹飼われています。
その家には猫もいて、その猫も保健所から引き取った猫です。

世の中にはまだまだ、不幸な動物たちがたくさんいます。
そして、そういうことに無関心な人、動物を道具としか見ない人、虐待する人などひ
どい人もたくさんいます。
ニュースなどで見るたびに心が痛みます。
唯一の救いは私の周りにはそういう人がいないということくらいです。
これからも私は私にできる限りのことをしていきたいと思います。
1匹でも多くの動物が幸せになれるように、自分にできることをしていきたいです。

<追伸> 実験に使われたラットたちは、1匹は母の友人に、2匹は従姉妹にもらわれていき大切にしてもらったみたいです。
残った3匹は私が最後まで面倒をみました。
一番長生きした子は3年くらい生きました。
母も「このしっぽがなければ可愛いのに……」って言いながら、
レタスやキャベツを少しちぎって持ってきてあげたり、
ブロッコリーをわざわざゆでてあげたりと世話をしてくれました。
ときどき、ゆでたとうもろこしが丸ごとケージの中に入ってたりして驚きましたが
(^^;ラットたちはとても喜んで食べていました。
文句を言っていても母も動物が好きなんです(^^)

                                 更紗より


25)実験の現場を目の当たりにして……(2003.3.10.)

 はじめまして。突然のメールで大変失礼します。
以前から動物たちのレクイエムを訪問させて頂いていたのです
が、是非、私のHPのリンク集に登録して、私のHPに来て頂
いた方にも紹介したく、リンクのお願いでメールしました。

私は医学生なのですが、HPで議論されている動物実験につい
て、本当に心を痛めております・・・。もっともっと、多くの
人の考えを聞いてみたと思っています。

私も、動物は大好きで、児玉さんのように生ま
れたときからずっと動物に囲まれて育ってきたので、本当に生
き物を愛しています。
でも、医学を学ぶという立場になって、どうしてもやらざるを
えない状況・・・薬の開発、臨床実験の前試験・・・これらの
どうしても必要とされる場面を目の当たりにして、涙を流して
います。実際、学生の実習でも多くのラットや食用ガエル・・
・私がペットとして飼っていたハムスターのような小動物を殺
さなければならないとき、ずるいことに友達に頼んでしまいま
した・・・。命を重さに触れるためにも自らが動物たちに謝っ
て、自ら殺すべきだったと今でも思っています・・・。

どこかの高校が、自分たちが育てた鶏を最後、殺して調理する
という実習をして、反響を呼んでいましたが、人間が生きてい
く中で、多くの犠牲によって成り立っているということを少し
でも知りたいし、他の人にも知って欲しいです。

以前、私の街にあるドッグ&キャット レスキューという、捨
てられた犬ネコを保護しているボランティア団体でお手伝いさ
せて頂いたことがあるのですが、悲惨でした。目を背けたくな
りました。犬たちの人間に対する不信感とか、なんとかしてか
わいがってもらおうとする哀願の目・・・。最初行ったとき、
ショックで、涙が出ました。

一匹でも多くの動物が救われることを願ってやみません。
これからの児玉さんのご活躍を心から応援させて頂きます。私
も自分ができそうなことを見つけていきたいと思います。
http://dreamcity.gaiax.com/home/rieda


24)私は割り切ることもできないダメな人間?(2003.1.27.)

 こんにちわ。初めてメールします。
 
 現在、私は農学部に通っています。今初めてこのHPをみて「動物実験と私」をみて、同じような考えの人がいたことをとてもうれしく感じています。私の学科でもラットを使った動物実験が行われています。私は生物が好きでそのような分野の勉強ができればと思い今の農学部に入ったのですが、動物実験をするなんて全く考えていませんでした。2年生の学生実験から動物実験が行われました。本当につらくて1回目は先生に泣いて頼んで実験室から離れて終わるのを待っていました。その次はなんとか実験室にはいようと思い、泣きながら先生に代わりにやってもらいました。
 
 今まで勉強してきて、やはり今の世の中では動物実験は必要不可欠のことであるということは思います。しかし、私はある本の中で多くの必要ではないと考えられる実験が行われていると知りました。また学生実験で二人に一匹もラットを使う必要性は全くわかりません。またただ血が必要なだけのために何匹もラットを殺す意味がわかりません。    
 私が今までの実験で感じたことは、少なくとも私の学科の中で私のような考えの人はほとんどいなく、みんなためらいもなく動物実験を行っているという現実です。私は割り切ることもできないだめな人間だと悩みました。しかし、今日このHPを見て同じ考えの人がいてとても安心しました。私はやはり平気で実験ができる人の気持ちは理解できません。そういった人たちが動物実験を行うのはとても恐ろしいことだと思います。ただ一つ救われたことといえば、一回目の実験のときの先生は動物の命を軽くは考えていず、実験がおわるとビニール袋にラットを放り込んでいく先生もいますが、この先生は新聞紙でくるんでお線香を慰霊碑にあげにいったり、実験ができなかった私に「人は多くの命の上になりたっています。ご飯を食べるときのいただきますは命をいただくという意味もあるのです」といってくださったことです。
 
 長くなりましたが、今の私の思うところを書いてみました。
                                  (匿名希望)


23)虐待なんて絶対やめさせよう…(2003.1.7)

こんにちは。「動物実験と私」読みました。
うちも、いろんな動物を飼っています。
動物が好きと言うより、生物全般って感じです。
「動物実験と私」の感想ですが、当然「動物実験」は、反対!!
でも、(←でもじゃないけど)もっとひどいのは、「動物虐待」!
もし、虐待を、してるところを、見たら、(ネットなどにも有)絶対に、
止めさせよう。それで、ひとつのいのちが救われるのだから。
P/N:イグノ


22)麻痺した感情にメスを入れ直してほしい…(2002.12.21)

私のうちは小さいころから犬や猫、鳥、リスなど
ずっと動物がなにかしらいてる家でした。
今も、結婚し女の子の雑種の犬と家族同然にくらしています。
それ以前も、自他共に認める動物好きでしたが、
それに、二重、三重に輪を掛けて好きというレベルでなく、
とても、大切なかけがえない存在です。
自分の犬がほとんど私たちと同じ暮らしをしていて一方的ですが、幸せだと思います。
異常な飼い方なのかもしれないけど、
それだから、余計に他の動物にある現状に耳を傾けてしまいます。
私が、保健所に捕らえられてきた殺処分予定の犬たちを、
あらゆる動物実験として払い下げられること、また、
わざわざ、実験用としてビーグルなどが繁殖させられていることなど知れたのは、
ある一冊の本とその著者との係わりでAVA-netという団体に知り合えたことが始まりでした。
実際、こういった事を知っている人なんて殆どの方もそうだろうし、
また周りの方でも知っているという状態のほうが極めて少ないと思います。
私の周りも親も皆、動物好きですが、保健所に捕らえられたら=安楽死
の考えが常識で、私もそうでした。事実を知ってから、
できるだけあらゆることを知って多くの人に知ってもらうべきだと
「本当はこうなんだ」とはなすようにしています。
あまりにも、暗く深いところに置いてある、隠しているようなできごとなので、
知らない人が多いというのも問題の一つのように思えます。
確かに皆が皆、不必要な実験ではないかもしれませんが、
発展にゴールもないかもしれません。
でも、何百通り何万通りもっと、もっとたくさんの実験をこなして、
いい加減判りつくせたのではないかと思えるほどおこなって
きたのではないのかなと思えますし、だから、
代替法やコンピューターなどでのシュミレーションを唱える方も
でてきたのではないのでしょうか?
化粧品などの実験でも同じような薬品を新製品の開発のたび
おぞましい実験を繰り返し、もうやる前から大体の結果も
わかりそうなものまで何十何百の尊い体や命を犠牲にする必要があるのでしょうか?
私達も動物、彼らもこの世に性を受けた動物、
怒ったり、喜んだり、悲しんだりもするし、感情も神経も勿論あるのです、
小さい命だから、罪にならないからっと言って
絶対、非感情的なことは、本当は許されません。
100歩譲って、最低限の実験はできても、
最初から最後まで命を消す前に感情や感覚まで
強制的に無視したことはしてほしくないです。
尊い一つの命を犠牲にするのだから、
お金がかかろうと、時間がかかろうとストレスがなるべくかからないように、
痛みのないようにしていただきたい。
たまたま、私たちが人として姓をうけてきたけど、
動物にしたらたまったもんじゃない!命に対して
麻痺した感覚の人こそ自分に感情のメスを入れなおしていただきたいと思います。
                                (匿名希望)


21)感謝の気持ちと、死を無駄にしない意思が大切では?(2002.11.11)

 私は現在高3で、獣医学部志望です。まだ実際に実験を行った経験はありませんが、今動物実験について考えている事を書かせてもらいます。私が動物実験についてのある本を読んだのは、高1の頃です。その前から動物実験については知っていましたが、どのような方法で実験が行われているかは知りませんでした。実験現場の写真を見た時、無惨な動物の姿に涙がでました。獣医学部でも実験が行われていることはもちろんわかっていましたが、自分にこのような事が実際にできるのか・・と思いました。ある先生にも、「獣医は、動物を殺すのも仕事ですよ。」と言われ、改めて自分がその立場にたった時、動物実験についてどう向かい合うべきか考えました。 
 私は、「動物を犠牲にするのが嫌だから獣医になるのをやめよう。」とは思いません。また、「どんどん実験しよう!」とも思いません。現在の医療技術の進歩や生物学の進歩は、全て動物の犠牲がなければあり得ません。昔は助からなかった病気が現在治療可能なのは、その裏に動物の犠牲があるからです。ですから、動物実験廃止するのは不可能だと思うのです。代替法もだいぶ進歩しているので、使用動物を削減することはもちろんやるべきです。しかし、今の段階では動物実験の廃止をすれば私達にとって有益な物、例えば病気の治療は進歩しません。動物実験は絶対反対と言う方は、もし自分の家族が現在の医学では治療不可能と言われたら、どう思うのでしょうか。動物実験をしてでも研究して、助けてほしいと言う方は必ずいると思います。
 実験を重ねるうちに、慣れてしまうのは仕方のないことです。しかし、悲鳴をあげる動物を前に笑いながら実験をしたり、興味本位で無駄に動物を殺す実験者は、実験やそのような方面の仕事につくべきではありません。一番大切なのは、実験をする時に犠牲になるものに感謝し、その死を絶対無駄にしないという意思ではないでしょうか。まだ経験もしていないのに、いろいろと書いてしまいましたが、以上が私の感想です。  (匿名希望)


20)生物学科に進もうと考えていました(2002.9.9)

こんばんわ。私は高校3年生で、受験勉強に励んでいる最中です。進路は生物科を考えていました。それは、生物に興味があったのと、訓練士となったとき知識が役に立つと思ったからです。ずっと前から訓練士になりたいと思っており、聴導犬について調べていたとき、たまたまこのHPを発見しました。聴導犬の訓練士になりたかったのは、少しでも多くの命が救えると思ったからです。しかし、このHPを見て自分の考えが矛盾しているように感じました。命を救いたいと考えているものの、実際生物科では動物実験が行われており、多くの動物の命に終止符をうたなければならないからです。今私は、大学に進み勉強するよりも、行動に移すほうがいいのではないかという考えが少なからずあります。高3のこの時期にこんなふうに思うなんて…。もっと早く児玉さんに出会っていたかったです。将来の夢については、小さい頃から考えていたはずなのに、自分の知識のなさを改めて感じました。進路まだどうなるかわかりませんが、もう1度自分がしたいことを考えなおしたいと思います。その機会を与えてくださった、児玉さんには感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございます。
                       (PN.新菜さん)


19)まずは“発想の転換”から始めませんか?(2002.9.6)

「動物実験と私」を拝見し、やるせない思いでした。私も学生時
に動物実験を行った一人です。まさか鍼灸の学校で動物実験やる
とは思いもせず、非常にショックでしたが、避けることは単位が
取れないことを意味し、何百万がパーになることを意味し、
避ける勇気を持てませんでした(T T) その後学校に抗議文を
提出したことだけが、唯一私の抵抗と懺悔でした。

私もとても動物好きです。
猫の生まれ変わりではないかと思うほどです(^ ^)
実験に携わっておられる方々からの色々な想いが寄せられて
いますね。人間って、不思議な生物だと思います、人間が生物界
の頂点に立っていると思いこんでるんですよ。「致し方ない」
ってのはまさにこの思いこみから来ているセリフ、なんですね。
まずは“発想の転換”から始めてみませんか?

速やかな気づきが要求されています。自分で自分の足を撃ち抜いて
いることに気づかないと。


18)人間が創ったものなら、なくすのも人間の仕事(2002.7.25)

こんばんは。HN〈ゆん〉です。
「動物実験と私」を読ませていただきました。
他にも実験の犠牲になった猫、犬、ウサギ・・・・達の写真も拝見させていただきました。
もう涙が止まりませんでした。本当にこれが人間のやる事なのかと。
無惨にも切り刻まれ、電気を流され、長い間苦しみ人間の道具として『最期』を迎える。
本当なら動物は、生まれて人間と人間の家族の一員として共に生きて、
愛し愛されて人間の温かい腕に抱かれ幸せを感じて日々を過ごしたりするのでは?
冷たい人の温もりをも感じられない鉄格子の中で、
もしくは冷たい実験台の上で、愛することも愛されることも知らないで
死んでいってしまう動物が存在してはならないと思う。
本来、動物たちは人間の良きパートナーのはず。
動物実験などして、かけがえのないパートナーを無惨な最期を迎えさせていいのか。
動物実験を人間が創ったものなら、無くすのも人間の仕事。
ここまで発達した科学があるのなら、動物実験の必要性のなさも判るだろう。
今、すぐに全ての実験を止めて欲しいと言ってるんじゃなくて、
少しずつ減らしてもらいたいのだ。     
                     (高校二年、ゆん)


17)将来動物の役に立つ仕事がしたい(2002.7.9)

私は中1の時に動物実験を知り、
その事についていつも考えています。
実験された動物の写真を初めて見たのは
ある動物関係の雑誌でした。
その写真はストレスの実験のため
下半身を繰り返しハンマーで打ち砕かれた犬の写真でした。
その写真を見た時の気持ちは可愛そうと言うより
人間に対する怒りの気持ちでいっぱいでした。
そして写真の横に、実験の期間は麻酔も
なにも手当されていないのです。と、書いてありました。
日本の大抵の研究者は実験に使う動物に麻酔を行いませんが、
それは絶対に間違っています。
動物も私達と同様に痛みを感じる命ある[生き物]なのです。
きっと動物に麻酔をかけずに実験を行う研究者は
動物を<物>としてしか扱っていない冷徹な人間です。
ましてや化粧品などの為の動物実験なんてもってのほかです。
どっちにしろ人間の医療研究の為でも
[動物実験]という方法絶対には間違っています。
代替法の研究を先にするべきです。
長くなりましたが、私はまだ中学二年生です。
これから動物をめぐる問題について
もっともっと勉強して
将来動物の役に立つ仕事がしたいと思っています。
               (倉岡香奈さん)



16)もしも動物が言葉を話せたら……?(2002.6.18.)

なんか今までのお便り、ず〜っと読んで思いましたけど。 
動物実験の事です。ほんま人間って残酷過ぎますね。 
未来のためなんか知らないですけど。それ専門の人らは、
それがあたりまえの事なんでしょうね。 
動物は、人間みたいに言葉で話すこと出来ないですからね。 
仮にその動物が、実験の時に 
「たすけて〜」 とか 「死にたくないー!!」って
言ってるのが分かったら、やめるんですか? 
これが人間の場合、絶対、命乞いするでしょ? 
違いますか・・・? 
血も涙もない。いうのは、この事ちゃいますか・・・?
                (ネコのまろんさん)


  

15)無意味な実験をなくすために……(2002.6.4.)

私は去年初めて動物実験の残酷さを知り、ものすごいショックを受けました。

今の日本では実験を規制する法律どころか、実験をするという届出さえもされていないので、
いつでもどこでもやろうと思えば誰でもできます。
そしてどんなに不必要な実験であろうとどんなに残虐な実験であろうとできるのです。
なぜなら誰もそれを止める人がいないから。

個人的には、人間はもう十分延命の方法を知っているのだから薬やら移植方法やら
クローンやら、それに化学物質も有り余るほど作っているのだから
これ以上つくる必要はないと思うけど、それでもどこかできっと必要なのでしょうね。
皆さんには実験が必要だっていう方も多いし、私も全廃できるはずもないとは思うけど、
それでも無意味な実験が本当に多いのです。

獣医師や人間の医師になるため、必要になってくるものもあるでしょう。
でも学生が臓器の配置や動きを観察するための実験(つまり教科書に書いてあることの
再確認)は、ビデオでも模型でもできること。

だけどそんなのはまだマシな方で、世の中には本当に無意味な実験を長期的に
繰り返し続けている人達が大勢います。
例えば猿や猫などの脳を切り開いて直接電極を埋め込んで刺激を与え、反応を見る。
その動物が右手を挙げる。
それでどうだというんだろう??
それが人間の、動物の、どんな役に立つんだろう??
そんな実験はそこら中にあります。
でも日本では実験を届出制にしていないためどこでどんな実験が行われるか
さっぱりわからない。
全て闇の中に隠されているのです。

無意味な実験には電気ショック系のものなんか典型的ですね。
多くの動物に様々な方法でショックを与え、反応を見る。
それでその結果がどんなことに役立つというんだろう??
しかも「結論」とは程遠いような言葉で研究者は論を締める。
只の好奇心を満たすための道具でしかない動物たち。。。

そして世界中で同じ実験が複数重複するのは普通のこと。
論文になるものはまだしも、結果を記録さえされずに放置されるのも普通のこと。
麻酔をすると結果が狂うという理由でしないのも普通のこと。

少しでも意味のある実験ならまだしも、無意味な実験をなくすために
実験を届出制にすることが必要だと私は思っています。
更に実験者は実験動物の苦痛を最小限に抑える努力をすることを
義務付けることが必要だと思います。

動物を「実験対象」つまり「モノ」としてしか見なくなった、命に対して感覚の麻痺した人間が
医者になって、人間や動物を本当に救っていけるのでしょうか??
そんなふうに感覚の麻痺した人間に命を預けることが出来るでしょうか??
誰でもそんな心のない人間に命を預けるのは怖いと思うでしょう。

動物実験を行う過程で、倫理的な問題に毎日頭を悩ませ、ものすごい葛藤に苦しむような人は、
命の大切さを知っているということ。
せめて実験を行う人はそうであってほしいと願っています。
                         (じゅんさん・23歳)


14)命を実験材料と割り切るなんて……(2002.5.29)

「命を奪うこと」「命を傷付けること」……
考えなくても解ることです。許されないことです。

動物実験をして助かる人達がいる。
だったらしていいんですか!?理屈じゃありません。
命を奪うことに理屈なんてないと思います!!生きるために皆産まれてくるんです。
長生きをするため、殺されるために産まれてきたんじゃないんです。

皆が協力し合ったら出来ないことはありません。
私は子供ですが絶対「命を粗末に扱う今の世の名」は許せません!!

実験を今現在している人、やりたくなくて出なくなった人……
その学校にその考えを話してみたりしましたか!?
命を実験材料と割り切る時点でおかしいと思います!!

                       (POORさん・16歳)


13)学生実習における動物実験に疑問(2002.4.12)

突然のメール失礼致します。
私は薬学部の大学生です。
動物実験は常々考えていることだったので、今日偶然このHP
を見つけ、メールさせて頂きました。
ハンドルネームはKAIです。

非常につらい事ではありますが、医薬品に関して、動物実験は必要です。
動物実験無くしては、いかなる医薬品も市場に出せません。
医薬品開発に関しては、酷ではありますが、仕方ないというよりないと思います。
化粧品においても然りです。
 それよりも、私が常々疑問を感じているのは、
大学での学生実習における動物実験です。獣医学部は必要性がやはり大きい
のかもしれませんが、それ以外の理系学部も大抵がやってるものだと思います。
普通の理系学部で使うのは、カエル、ラット、マウス、モルモット、ウサギなどが
主ですが、それでもやはりかなり辛いのです。
特に毒物学の実験では、その名の通り”毒”ですからその苦しみ様は凄まじい
ものがあります。
また、ほんの数センチの腸管のみを実験材料として欲しいがために、一匹、それだけのために
殺されることもあります。その数センチの腸管を取り出してあとは捨てられるのです。
せめて、他の臓器も使いまわして欲しいのです。
その殺し方も、かなり残忍です。薬物作用を見たいために、他の薬が
体内に入っては困るので、麻酔を使うことのできないものが殆どです。
ですから、麻酔をかけずにいきなりはさみで切ります。そして目当ての(たとえば)腸管を
取り出し、内臓が垂れ下がる死体をビニール袋に捨てます。この時まだ生きているものも多くいます。
 あとは断頭、ハンマーで殴り殺す、などです。
私が何よりも恐いと思うのは、学生達の意識です。
最初はやはり皆、かなり戸惑うのですが、もうあとは「慣れ」なのです。
倫理問題に悩むような学生は私の知る限り他にいませんでした。
 たかが学生実習でこれらの事が必ずしも必要だとは、私には思えないのです。
医薬品開発においてはともかく、この学生実習においての実態は、変えようと思えば
できないことではないと思います。

<以下は、KAIさんからの2通目です>

こんばんは。

私は現在学部の4年生です。
いわゆる”学生実習”を行うのは3年次までで、
4年生になると、それぞれ選択した専門の研究室に配属されます。
内容は各研究室によって様々で、中でも動物実験が主なのは薬理学や毒物学の研究室です。
これらの研究室は動物実験なくしては成り立たないところです。
やはり動物実験が苦手な人達はそういった、動物実験の有無も考慮
したりして研究室を選ぶこともあります。
しかしここでいう”苦手”とは単に動物(カエルやネズミなので)触れないとか
気持ち悪いとか血を見るのが苦手とかそういうレベルです。
  しかし、実際に研究室に入ってみて、大きな勘違いに気付きました。
動物実験はなくても、どこの研究室でも実験材料として生体試料はほぼ必ず使います。
具体的に言うと「ラットの肝から抽出した薬物代謝酵素」だとか・・・                それらはもう試験管に入ったサンプルとしてあるので”動物実験”という
言い方はしませんが、それらを取り出すために動物が殺されたことは間違いないのです。
ただ自分が手を下さず、現場も見ていないから実感がないだけで・・・・・・
そういう意味で言ったら、動物実験のない研究室はない、と言っても過言ではないでしょう。
言い換えれば、必要性はやはりある、のです。
ただ、それらのものを取り出す際は深部麻酔のもとで、あるいは断頭などの
方法がとられている筈です。苦痛を与えることはしていない筈です。

学生実習の話に戻りますと、
先日述べたようなことは実際に体験したものです。
あれはごく一部で他にもまだいろいろとありました。
しかし、実際に手を下す部分は大抵先生がやってくれます。
学生だとやはり躊躇してしまい、断頭や、ハンマーで頭を殴打する際に
力を加減してしまうと余計に苦痛を与えるという配慮もあるのかも
知れません。

学生実習に疑問を感じているといいましたが、
実際とても有意義な面は確かにあるのです。
ただ、動物に酷な面もある以上、その犠牲は最小限に抑えたい
と思っています。
簡単なことから言えば、その数をもっと少なくしてもいいと思うのです。
1人1体、グループ1体でなく、全体で1体。見学というかたちでも
十分学べると思われるものについてはそういうかたちを
取るようにするとか。
そんな程度では焼け石に水、とは思いますが・・・

先日メールを送ったこと、実は後悔しています。
動物実験を行っていた去年の間は本当に辛かったです。
毎日が重くて仕方ありませんでした。
そしてそれは自分が今やっていなくても、どこででも行われている
現実です。ちょっとくらい一個人が悩んでみても結局どうしようもない
気もします。
もう考えたくないのです。
安易な逃げですが、今自分の目の前の問題でなければ
正直、知らないフリをしていたい。
それが本当の気持ちです。
・・・自分の整理がつかなくなってきたので、何を言っているか
わからなくなってきました。
かなりの長文になってしまいました。読みづらいだろうと思います。
ごめんなさい。
                          (KAIさん)


12)化粧品開発のための実験なんか問題外です(2002.4.9)

初めまして、HN「暁」と申します。
本名を名乗らない無礼、お許しください。

私は現在中1の13歳です。
動物が大好きで、我が家ではたくさんの動物を飼育して来ました。
生物はいつか必ず死にます。
でも、「どうせ死ぬんだからどんな死に方したって一緒」とかいう
人がたまにいますが、私はそれを聞くたびに、激しい怒りに襲われます。

この前、近所の河原に体中にアザを作って、お腹に大きな切り傷を
作って死んでいる犬を見つけました。
内臓が見えていて、動物好きの私には、見るに耐えないものでした。
妹と一緒に、お墓を作ってあげましたが、どんなに怖かっただろう
、どんなに辛かっただろう、どんなに痛かっただろうと思うたび、
涙が出て、嘔吐してしまう日々が続きました。

動物実験、私は反対です。
でも、その実験のおかげで助かっている(医療)人々がいると思う
と、なんともいえない複雑な気持ちになります。
動物の命が、人間より軽いなんて、私は絶対思いません!
動物にだって愛するものがあるはずですし、神経だって通っている
、痛みも感じる、感情もある。
人間の命のために、動物が死んでいく。
本当、どうなのかわかりません。
実験をしなきゃ助からない人だっているかもしれない、でも、動物
はどうなるのでしょう?
ただでさえ短い命を、薬などの実験にされて・・・。
あまりにも残酷すぎます。
化粧品等に実験なんか、問題外でしょう。
人間のエゴのタメに、どうして動物が苦しまなければならないのか・・・。

今、真剣に悩んでます。
人間の命と動物の命の関係。
動物の死が人間を生かす。
人間と動物が、どちらも犠牲にせず、生きていくのは不可能なんでしょうか・・・。


11)自分にできること、やるべき事を…(2002.4.1)

はじめまして、こんにちは。

このHPを見て初めて「動物実験」について
真剣に考えました。
今までTV番組などで見ていたものとはまったく違い
とても残酷なものでした。
皮膚を焼いたり、ハンマーで叩いたり
そんな実験をする目的がわかりません。
もちろん解っても決して許す行為では
無いと思います。

人間と動物、確かに見た目も中身も違います。
動物は言葉も話せません。
だから一部の人間は動物を見下すようなことする
それが「動物実験」だと思います。

人も動物も同じ命を持っていてその命は
対等に扱うべきだと思います。
私は本当に動物実験というのは「誰かの命を奪う」
殺人と同じ行為だと思います。
本当にこんな醜い行為は止めるべきだと思います。

そして、今自分にできる事、やるべき事を見つけ
少しでも行動したいです。

                 (アキさん)


10)命は大切にしたいと思います…(2002.2.14.)

動物実験の問題はとても難しい事だと思います。
むやみに動物の命を実験で奪うのはいけない事です。
でも、その大切な命があるから私達の生活の安全などがあるんじゃないでしょうか。
実験と虐待を勘違いしてはいけないと思います。
そして今私たちに出来ることは、今身近にいる動物達を大切にする事だと思います。
1匹でも幸せに人生を送ってくれれば・・・と思います。
動物実験から1匹でも救ってやりたい。
なんかよく分からない文になってしまってごめんなさい。
私の結論から言うと、動物実験については、是とも否ともいえません。
でも、命は大切にしたいと思います。
実験の必要性、実験と虐待のちがい、これからもよく考えて行きたいと思います。

                    (p.n バンビさん)



9)不幸な実態を知れば共感する人はたくさんいるはず

私は、鹿児島県鹿屋市で89歳の男性が犬3匹に噛み付かれた件について、
動物愛護協会等の情報を知るためにホームページを開いたのがきっかけで
日本の動物に対する不幸な実態(処分や動物実験等)を知りました。
「我国では、こんなひどいことをやっているのか。」と驚き、
怒りでいっぱいになり、この不幸な実態を
今すぐ廃止させなくてはならないと思いました。
動物に対する日本の不幸な実態知らない人々が
まだまだたくさんおり、この不幸な実態を知れば、
私のように共感する人々はたくさんいると思います。
最近は、犬や猫を中心としたペットのテレビ番組が
増えていますので、マスコミ等を通じて もっともっと世の中の
人々に実態を知ってもらえるようになると効果があると思います。
何よりもうれしいことは、明日の日本を背負い立つ
小学生や子供達からの共感が多いことで、
これも児玉さんの努力の成果だと思います。
「イギリスでは、犬をつないで飼っていたら虐待とみなされる。」
−−−日本の狭い住宅事情では難しいですが、犬を思う気持ちがわかります。
「アメリカでは、多くの動物愛護団体が厳しく
動物実験を調査しており、社会的にも力がある。実験関係者ももし
動物に苦痛を与える現状があるならすぐに通報する。
医師になるには学力のほか、人格を厳しくチェックする。
アメリカのある大学では獣医学科生の強い要望により
致死実習が全面的に廃止され代替法が採用されている。」
また、「オーストリアの動物保護センターは、
なんらかの理由で飼い主のいない動物たち、主に犬や猫を
手厚く保護するための施設で、暖房設備が整った清潔な建物、
リハビリ用の運動場まである。」等欧米諸国の
よいお手本を知ることができました。
我々が汗水流して働いた収入から徴収される税金は、
よいお手本であるオーストリアの動物保護のように
使われなくてはならない。
また、日本も今すぐアメリカやイギリス、オーストリア等を
見習って動物に対する扱いを手厚い保護に変えなくてはならないと思います。
                     (東京都 会社員 斉藤さん)


8)動物実験していない化粧品や石鹸を使っています

今日、「動物実験と私」を読みました。
私は、動物実験をするような現場に
入った事がないので、偉そうな事は言えません。
また、知ったかぶりもできません。

動物実験の必要性とか、代替法などの話しも聞いた事があります。
動物実験は、命を守る為にも必要である、と言う方もいれば、
生きた動物の命を使う必要はない、という方もいます。
私も、正直いって、「生きた動物の命を使わずに済むものなら、
動物実験は全面廃止して欲しい」と思います。
しかし、人間だけではなく動物の体の治療を
する為の知識や技術を得る為にも動物実験がどうしても必要だ、
と言われれば納得するしかないのかな・・・と思いました。
それもこれも、私の知識が足りなく
認識が甘い為に、確固たる「考え」がないからです。

確かに、医療関係では、
生きた動物の実験が必要なのかもしれません。
でも、化粧品や家庭用洗剤等の為に
動物実験が行われているのは許せません!
「医療」に関しては、無責任なことは
言えないので「動物実験反対!」とは簡単に言えませんが、
人間の道楽の為の動物実験は全く必要ありません!

ヘアスプレーが目に入ったらどうなるか、
などという実験の為に、多くのうさぎが苦しんでいる写真も見ました。
台所洗剤を子供が飲み込んだらどうなるか、
という実験の為に、多くの子犬が苦しんでいるという話も聞きました。

そんなに不安を感じるようなものは作らなければいいと思います。
台所洗剤の実験では、子犬が100匹用意され、
洗剤を直接胃袋に注入されたのだそうです。
「50匹以上の子犬が死んだら、この製品は改良しなければならない。
50匹以下で済んだら、製品を市場に出す。」のだそうです。
そんな危険な洗剤を使うこと自体間違っていると思います。
そこまでして「油ヨゴレに強い」「殺菌効果がある」
洗剤を作る必要があるのでしょうか。

私は、動物実験を行っていない化粧品会社を探し、
そこの商品ばかりを使っています。
合成洗剤等も一切使っていません。
髪も体も食器も衣類もお風呂場もトイレも車も・・・
石鹸で洗っています。
用途に応じて、固形・液体・粉と選べますから、
石鹸で充分です。
また、石鹸なら、万が一子供が飲み込んでも、
胃酸によって簡単に分解され脂肪酸と食塩・・・
つまり、原料である油と食塩に戻ってしまうのです。

このようにして、動物実験をしていない会社の
化粧品や石鹸等だけを使っていても、
なんら問題なく生活し生きていけます。
それに、動物実験をしていない会社の
製品というのは、やはりナチュラルなものが多いので、
アレルギー体質の私にもぴったりです。
動物実験をしなければ市場に出せないような製品には、
それだけ怖い物質が多く含まれているということなのです。
そんな怖いもの、わざわざ使いたくありません。

話が上手にまとまりませんが、
素人の私には、合成洗剤や化粧品等の為の
動物実験は全く不必要に思えます。
というか、逆に言えば、
動物実験をしなければならないような
合成洗剤・化粧品は人間にとって全く不必要であり、
むしろ「異物」でしかないように思えます。

このように偉そうな事を言っていますが、
自分の気づかないところで、日常的に、
動物実験を行って作られた製品を使用しているかもしれません。
しかし、自分なりに、分る範囲内だけでも、
動物実験をしていない商品を使い続けたいと思います。
これは、小さいながらも固くて強い私の
「動物実験に対する」気持ちです。

素人なのに・・・知識がないのに・・・
偉そうな事を書いてごめんなさいっ!!!
                (みかんさん)


7)犠牲を最小限に抑えることができるのは、私たち人間です

実は動物実験について母と話していたんです。
私は母に「動物たちに苦痛を与えてなんになるの?」といったんです。
そうしたら母は「例えば人間がそれとおんなじ状態に
なった時にどういう精神状態になるかわかるからじゃないの?」
と言ってきて私は「でも人間と動物は違うわけだし・・・」と言い返しました。
でもそのあとに「そういった実験をやっている人達だって
楽しくてやっているわけではないんだから。
その人達もものすごく辛いとおもうよ。
だから一概に否定することはやってはいけない。」と言われ
納得してしまいました。
でも日本は動物実験についての規制が
ほとんどないから私はそういう所をきちんとしてほしい
といったら母は納得してくれました。
私達がいまこうして生活できているのは
たくさんの動物達の犠牲があるからだと思います。
でもその犠牲を最小限抑える事ができるのは
やっぱり私達人間だと思います。
                (゛は菜"さん)


6)アメリカでは動物に苦痛を与えないことを最優先に考えます

はじめまして。ひょんな事から、
このHPの存在を知ることになりました。
前田さん、匿名さん、森下さん、獣医学科生さん(No.1〜5)
のお便りを拝見いたしました。
動物実験の必要性については、賛否両論あり、
ここで簡単に言うことは非常に難しいことだと思いますが、
これらのお便りを読ませていただいた感想や
私の考えも少し記させていただきます。

私は、アメリカの大学で、生物学を学び、
その中でもPre-medicineという(大学院で医学を学ぶ為の
予科とでも言ったらよいでしょうか)コースにいました。
そこでは、もちろん動物の死体解剖も人間の死体解剖も行いました。
また、日本の某医科大学の研究室で動物実験を行う経験もしました。

まず結論から申し上げますと、
現時点において動物実験は必要だと思います。
医学部に限らず、獣医学部においても、医薬品の開発等にも、
もちろんの農学部でも、その他の分野でも動物実験は
非常に重要なことだとおもいます。
ただ一番忘れてはいけないことは、
私たち人間の命を救うために多くの動物の尊い命が
犠牲になっているということです。
獣医学部でしたら多くの動物の命を救うためにです。
やはり動物実験に携わる人々のモラルの問題ではないでしょうか。
不必要な実験のための犠牲は、絶対にしてはいけないことです。
これから技術が進歩し、ヴァーチャルな世界で
解剖や実験のシュミレーションできるようになり、
少しでも尊い命の犠牲を減らしていくことができればと心から願っています。

No.1〜3に書かれていることが実際に行われていることだとしたら、
私は非常に残念におもいます。
このページをお読みになった方が、
すべての実験室でそうだと思わないでいただきたいと思います。
アメリカでは、多くの動物の権利に関する団体(動物愛護団体)が、
厳しく動物実験を調査していますし、社会的にも力があります。
実験関係者ももし動物に苦痛を与える現状があるならば直ぐに、通報することでしょう。

死体の解剖に関しても、まず大切に扱うことを教授から教わります。
動物の時は、私達の学習のためにその命が提供されたことを感謝すること。
人間の場合は、生前に了解を受けている場合が多いので、
その方の意思を大切に思うことなど・・・
そして一礼して始めました。
動物の死を無駄にしない為にも、出来る限り多くのことを
学ばせていただくよう努力いたします。
解剖終了後は、1つの肉片も、皮膚の切れ端も全て返さなければいけません。
遊ぶなんてことは、考える学生はいません。
もしそういう人がいるならば、その人は命を扱う場にふさわしくないでしょう。
これは、獣医師にも研究者、歯科医、看護婦(士)にも言えることです。

余談ですが、アメリカでは、医師になるには、
学力も必要ですが、その人の人間性が問われます。
ですから、大学のPre-med Committeeの推薦状なしに医学部(大学院)に
入学することは出来ません。
大学在学中に教授からいろいろなことについて質問されたり、
ディスカッションしていきます。
例えば妊娠中絶、安楽死、尊厳死など・・・
またPre-med Committeeの面接、医学部入学の際の面接などが
たくさんあります。そのような課程を経て
人間性や医師としての適性をみていきます。

話を戻します。
日本の某医科大学の研究室では、
私の担当教授がアメリカで長く研究していらしたこともあり、
動物実験では、動物に苦痛を与えてはいけない、ということを一番に考えます。
実験の内容により全身麻酔をかけることが出来ない場合は、
皮膚を切開するときも局所麻酔をします。
実験後、苦痛を与えないように、致死量の麻酔注射をします。
その大学では、実験動物の慰霊祭を行っていました。

前田さんがおっしゃっていた様に、ある意味では、
解剖中や実験中は、割り切って考える必要性はありますが、
それがイコール命を軽視するという意味ではないと思います。
このような事に悩んで辞めてしまう学生、
ノイローゼになってしまう学生など私も多く知っています。
完全なベジタリアンになってしまった友人もいます。
彼女は、家族の中でたった一人のベジタリアンでしたが、
彼女の考えに対し家族の方が理解し、尊重してくださり、
今でも立派に意志を貫いています。
日本ではきっと難しいことでしょうね!
(私は、ベジタリアンを薦めているわけではないので、
誤解なさらないでくださいネ!)

私も多くの動物の命を奪ってきました。
長期にわたる慢性実験の時は、
術後数週間または数ヶ月観察しなければいけません。
私になついてしまう動物もいました。
実験の最後に殺すときに平気でいる人はいないと思います。
前田さんや匿名さんが動物実験に疑問を持ったり、
行いたくないと思おう気持ちは当然のことで、「異端児」ではないと思います。
ただ「いや」と言っているばかりでは、何も解決できないのではないでしょうか。
その気持ちを大切にしながら、
動物実験や解剖の必要性(有意義なところ)は何だろう?
悪いところは何だろう?と考えたり、
クラスメートや教授と話し合ってみるのも良いのではないでしょうか。
実際そういうディスカッションを好む先生は、
日本に非常に少ないのは残念なことです。

実験動物に限らず、動物の命を粗末に扱っている人を見かけたら、
注意する(又は自分の意見をはっきり言う)勇気をもっていただきたいと思います。
見て見ぬふりをせずに、行動にでる勇気が大切だとおもいます。
しかし、日本人はとかく喧嘩ごしになってしまうので、
感情的にならずにディスカッションしていただきたいですね!

まだまだ書きたいことが沢山ありますが、このくらいにしておきましょう!
読んでくださってありがとうございます。

  Y.N.(犬1匹、猫5匹のママをしている動物大好き女性)より


5)「獣医学科生による代替法のすすめ」をご覧下さい

私は獣医学科の3年生です。
学校での動物を使った実習をなんとか減らせないものかと思って
ホームページを作りました。
まだ内容は少ないのですが、ご覧下さい。
http://www4.ocn.ne.jp/~animal/


4)前田さん、匿名希望さんのお便り(No.1〜3)を読んで

生物学科や薬学科等で動物実験が行われているというのは
何となく知っていましたが……。
亡くなった動物を解剖するだけではないんですね。
生きているのに、麻酔なしで行われる実験
残酷すぎてメールでは言えない実験もあるとのこと、大変ショックです。
動物が好きで、関わりたくて入った大学なのに
実験が嫌で中退する人も多いそうですね。

AVA-netの会報に、動物実験をしないで獣医大学を卒業した女性の
体験記が載っていたんです。

どうしても動物実験に手を下せない彼女は、先生に叱られ号泣し、
他の生徒達との疎外感を味わった事もあるそうです。
2年生の時には、EuroNICHEという、動物を犠牲にしない教育を広めよう
という学生、教育者、活動家などのネットワ−クに参加するため
イギリスへ、そしてアメリカへも渡り
それらの国の大学で、「動物を犠牲にする実習に参加しない」選択が
認められている事を知りました。

単位をとるために必要な実習では彼女なりの代替案を実行します。
解剖実習では、動物病院にお願いをし病気で亡くなったワンちゃんを
冷凍保存して頂き、後日その病院内で実習を行ったり、
実習内容に沿ったビデオテープをアメリカから購入し、レポートに
まとめます。(理解ある先生がいたそうです。)
自分の気持ちを各実習担当の先生に率直に話していたんです。

アメリカのある大学では致死実習が全面的に廃止になったそうです。
「動物を犠牲にする実習に参加しない」選択があるにも関わらず
全面廃止になったのは、生徒達の強い要望があったからです。
新しいカリキュラムでは、シェルターに引き取られた犬、ネコの
避妊、去勢手術の実習、また、コンピューターモデルの使用で
必要な知識・技術を学ぶことが出来、それらは実際に実習を行った
学生との間では、技術面で何ら差が見られないそうです。

私には、専門的な知識はないのでよく分かりませんし、
偉そうなことをいう資格はありませんが、、、。
HPのお二人と同じような気持ちの学生が大勢いるはずです。

彼女はこう書いてます。
「今後、どんどん学生が“意思表示”していって下さる事を望みます。
何も言わなければ、何も行動しなければ、何も変わらない!!
現状を変えるカギは、私達一人一人がちょっとずつ、皆もってると
信じているから。」

欧米諸国で動物実験を廃止、代替法に持ち込んできたのは
授業料を払っている学生達ですもん。
日本にもそういう日がいつか来るはずですよね。
今は、自分なりに少しずつ行動してますが、
同じ気持ちの人達で集まり、大きな力となって事実を伝え
未来を変えていきたいです。

                         (森下年美さん)


3)匿名希望さんのお便りを読んで

匿名希望さんのお便りを読んでいて感じたのですが
俺は動物実験自体に問題があるのではなく、
動物実験を行う人間に問題があると思います。
動物たちが犠牲になることで俺たちには得るものがあるのです。
その犠牲の上に今の人間の生活は成り立っています。
すべての実験が不必要であるとは思いません。
でも、せめて犠牲になる動物たちに敬意を払って
そして少しでも苦痛がないやり方でやって欲しいです。

また、論点がずれてしまうかもしれないのですが
ちょっと違う話しを書かせていただきます。

命の価値。いったいどういうものなのでしょう?
と、いうのも21世紀を迎えるにあたって今遺伝子技術が飛躍的に進歩しています。
人間の治療のために他の動物の命が使われるようになります。
近い将来ブタに人間の遺伝子を組みこんで臓器などを作る技術が実用化されると思い
ます。
食品における遺伝子の組替えはもう実用化されてます。
俺ははっきり言ってこのような技術が実際に使われると
どんどん人間の感じる命の価値というものがさがっていくように感じます。
俺はそのような未来がくる事が怖いです。
どんな命でもかけがえのない命です。
大切に扱って欲しいです。
人間は神じゃないんです。
命を奪う権利はありません。

また話は変わります(苦笑)
読みにくくて申し訳ありません。
俺は今まで色々な命を奪ってきました。
食べる事や生活をする上で・・・・・・
その命の上に自分の命は成り立っています。
だから少しでも多くの命を救いたいです。
その為に自分には何ができるのか?
何かをしなければならないとは常に感じています。
でも何ができるのかわからない。
「どうぶつたちへのレクイヘム」を見て「何かやらなきゃ」と思いました。
自分一人では小さな力しかないかもしれないけど
でも、この本を読んだ人はみんな何か感じていると思います。
その力が一つになることができたら一つ一つは小さな力でも
きっと大きな力になることができると思います。
初めの一歩を踏み出す事は大変だけど。
自分は踏み出そうと思います。

                               前田真男


2)命についてもっと知りたくて生物学科に入ったけれど……

はじめてお便りさせていただきます。
こないだ児玉さんが大阪の近鉄百貨店でなさった講演聞きにいきました。
でも、最後まで聞けませんでした。
弱い自分が情けなくなります。

今日、前田さんのお便りを読ませていただきました。
自分と重なって、驚きました。

私も小さい頃から動物が好きで、命というものの不思議さ・尊さを感じていました。
生きていることは、なんてすごいことなんだろうっていつも思っていました。
例えば、高校時代に、生物の授業で体の仕組みを習った時、
「うまいことできてるなあ、すごいなあ」と思いました。
そして、そんな命というものをもっと知りたくて、大学の生物学科に入ったんです。
でも、生物学科でやったことは、本当にひどい動物実験でした。

ここにはとても書けないような事も、実験室の中では行われています。
最初はみんな「かわいそう」とか言っていますが、そのうち感覚がマヒしてくるんです。
というか、マヒしなくちゃやっていけないのかもしれません。

前田さんは、実験対象物として、動物達を見ているのでは・・・と書いておられましたが、
私も、同じように思います。
つらい、殺したくない、と思っていれば、麻酔をかけずに残酷に殺すなんてできないと思うのですが・・・。
でも、そういう人たちを責めるというか、悪く言うのも、なにか違う気もするんです。
うまく言えなくてすみません。

結局、私は、自分で動物達に手をかけることはできませんでした。
それ以上、その空間にいることもできませんでした。
泣きながら実験室から出て行く自分が、何て勝手なんだろうとも思いました。
大学は続けられず、中退しました。

今から考えれば、高校時代に習ったことも全部動物実験の結果なんですよね。
それが分かっていなかった私は、本当に甘い人間だったと思います。

動物実験は、何も生物学科の中でだけ行われているわけではないですよね。
薬学系でも、医学系でも、化粧品会社でもやっています。
獣医学科でだってたくさんの命がなくなっています。
動物の命をとってしまうということで言えば、毎日食べる肉だって命ですよね。
それを思うと、今自分の目の前で行われていなければ平気で、
おいしいと肉も食べるし、少し痛ければ薬も飲むし、という自分は何なのだろう・・・。
だんだん、自分が嫌になります。

なんだか、長々と書いてしまいました。
全く初対面の方に、こんな長い言いたい放題のメールは我ながら失礼だと思います。
本当にすみません。

また、このHP覗かせていただきます。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

                    奈良県 匿名希望  (23歳 女)

教授は、「麻酔なんかしたら血が汚れる」と……

─上記・匿名希望さんからの2通目です─

この間、前田さんのお便りを見て思ったのですが、
「友人達が実験される動物達を使って遊んでいる」
「実験だと割り切ってしまう自分がいる」
と、言っておられましたよね。
わたし、それってよく分かるんです。
実験室という密室で、実験が当たり前の状況に置かれると、
かわいそうだとか、嫌だなんて言えない雰囲気があるんだと思います。
かわいそうなんて言うと、かえって異端児みたいなんです。

特に、教授たちっていうのは、もうずっと実験してるわけだから、
完全にマヒしてしまってるなあと感じました。
たとえば、これは私が目の前で見たわけではないのですが、
動物達は何かされるのって分かるから、暴れたそうなんです。
せめて麻酔をかけるなりして、
つらい思いをしないようにさせてあげれば・・と思うのですが、
教授は「麻酔なんかしたら血が汚れる」と言ったそうなんです。
たしかに、欲しいデータが血液関係のものであれば、
データの値が狂ってしまうかもしれません。
でも、私が思ったのは、
「そういう物の見方しかしてないんだな」ということでした。
動物達に少しでもつらい思いをさせないようにしよう、
というような気持ちがあるとは思えませんでした。
正直なところをいえば、
麻酔にかかるお金がもったいない、いちいちめんどくさい、
なんていう気持ちもあるのでは、と思います。

教授のその発言を聞いたとき、
びっくりもしましたし、ショックも受けました。
価値観の違いといえばそれまでなのかもしれませんが、
動物達だって生きているのに、
どうしてこんなに軽んじられなければならないのか、と思いました。

何がなんだかわからなくなってきちゃいましたけど、
とりあえず今思ったことを書いてみました。
思うことはいっぱいありますが、
なかなかうまくかけないもんですね・・・。
また、ちょっとずつでも書いてみたいです。
しつこくなったらごめんなさい。         (匿名希望)


1)人間は越えてはいけない一線を越えてしまった……

以前テレビで老犬ホームの特集をしているものを見ました。
たしか盲導犬などの年老いて仕事がこなせなくなった犬達の介護施設だったと思います。
でもまだ絶対的な数が足りてないのが現状だという風に聞きました。
いつか、人や犬、猫、その他、地球上に住む生き物達が幸せに過ごせる未来が来ると
いいですね。
と、いうか俺達の世代が努力をしていかないと・・・・・・・・・
自分にももっと何かできることがあるはずです。
俺はやっぱり人間と自然の共生関係について勉強してみたいと思っています。
自分がいる学科(生物学科)ではそういったことができないというよりもむしろ動物
実験をしています。
俺はその実験中に実験動物、これから死んでいく動物を使って遊んでいる
同じ学科の人間が信じられませんでした。
その姿を見て何も注意できなかった自分が情けないです。
そしてそれを見る事がつらく実験に出なくなってしまいました。
「生物学科の人間が一番生物の命を粗末に扱う」
こういう事をよく聞きますが本当にそうだと思います。
俺ははっきり言って動物実験をしている時の自分というものが怖かったです。
この前メールを出したときに俺は生き物の命の価値の差というものをそれほど感じない
というような事を書きました。
普段生活している時は本当にそう思って生活しています。
だから決して無駄に命を奪うという事はしていないと思います。
でも、実験の時の自分は違うんです。
もう一人別の自分がいるんです。
本当に実験であると心から割りきってしまう自分がいるんです。
だから実験中に扱う生き物は本当に「実験対象」になってしまうんです。
そういう自分が怖いです。自分の中にそんな部分があることが怖いです。
だから自分は動物実験はしたくありません。
自分の中のそういう部分を外に出したくないのです。
今は動物実験系の授業はとっていません。
今後もおそらく取らないと思います。

動物実験をしている人達は多かれ少なかれそういう部分を持っているのではないで
しょうか?
完全に実験対象とみているのではないでしょうか?
だから、動物に対してどんな残酷な実験であっても心を痛めることなく
こなしていけるのではないでしょうか?
おそらく、誰しも生き物の命の大切さは感じていると思います。
でも、動物実験をする時、動物は「実験対象物」であるんだと思います。

これから先、人間にとって命はどんどん軽い存在になっていくのではないでしょうか?
遺伝子操作技術がこれから発達すれば「命」も生産され利用される時代が来るでしょう。
人間はもう超えてはいけない一線を超えてしまったように思います。
人間の臓器を作るためだけに生産される動物が近い将来に現われます。
またひとつ命が軽くなるのではないでしょうか?
俺はそんな未来が怖いです。

俺は生き物が小さいころから好きで……
だから生物学科に行けばいいんだと簡単に考えてたんですが現実は違いました。
生き物が好きな人間は農学部に行くべきだと思います。
いまさらそんな事に気づいても遅いんですけどね(苦笑)

                               前田 真男