□■□ 現場からのレクイエム □■□

このコーナーでは、保健所など、飼い主に見捨てられた犬や猫を保護管理している施設の職員の方、あるいは元職員の方から寄せられたメールをご紹介します。無責任な飼い主の犠牲になっているのは、犬猫ばかりではありません。飼い主の身勝手によって、罪のない犬猫を「殺処分」しなければならない立場にある方たちの声に耳を傾け、犬猫を捨てるという行為、保健所に持ち込むという行為の先にあるものは一体何なのか、今一度、真摯に考えてみていただければ幸いです。このコーナーへの投書はこちら(写真展事務局)までお願いします→site_animal1122@yahoo.co.jp(メールの件名を「現場からのレクイエム」としてお送り下さい)

※青字タイトル=現場で働いた経験をお持ちの方からの投稿文  
※ピンク字タイトル=現場で働いた経験をお持ちでない方からの読後感想文 


(6) 根深い悲しみが少しわかった気がします…(2005.9.6.)

“元保健所勤務薬剤師さん”の文面(No.2・No.4)を読んでメールしました。
文面から、イリノイ州在住さん(No.3)と同じ感想、
「勇気ある」という印象をおぼえました。
もし私が同じ立場におかれ、失意のうちに退職しても、
このページにはやって来れなかったと思うのです。
怖くて仕方がない。動物の生き死にには目を塞ぎたい。
つまりはそのままうやむやになり、なんの重大な告白もなく、
ただ見ない振りをして、罪の意識を背負いながらも
自分を守って行きていくと思うのです。
もしかしたら日常化して感覚が麻痺し、
日々保健所の仕事を淡々とこなしていたのかもしれません。
気持ち次第で辞める事も辞めずに働き続けることも勇気になると思います。
辞めても辞めなくてもその人なりの、その後の「できること」が
あるんだって言うことを教えてもらったのかもしれません。
元〜さんの感情はどの場面も真っ当なものだったと思います。
この文からある意味多くの勇気を貰った人は沢山いると思います。
また、貴重な話が聞けたとも思います。
実際に保健所の体験談を聞くようなことはなかなかできないし、
保健所上司の方の様な振る舞いをされる方がきっと多いと思います。
というか、保健所のイメージはそんなものでした。
「殺したくて殺す訳がない」とはぼんやり思っていても、です。
そうじゃないんだってことが。保健所の人たちの横柄な?態度の裏の、
根深い悲しみも少し分かった気がします。人間不信になることも。
動物たちを助けたいという気持ちはみんな一緒ですね。
支離滅裂ですが、何が言いたいかというと、“元保健所勤務薬剤師さん”にしか
できないことを、してくれている、ということだと思います。
それは“元保健所勤務薬剤師さん”の犠牲の上に成り立つ悲しいことだけれども。
麻痺してしまった保健所の職員さんや、
諦めてしまった関係者の方々にはできないことだと思います。
ただ、最近は保健所の心ある方々が自ら訓練所へ赴き、犬の訓練をし、
成犬も貰われていくよう努力されている方もいらっしゃると聞いたので、
変な人ばかりじゃない、捨てたものじゃない、と思いますが。
とにかくへんてこな文章で、頭と文面と一致していない様な変な感じですが、
“元保健所勤務薬剤師さん”には元気を出して欲しいと祈るばかりです。

児玉さんの著作「どうぶつたちへのレクイエム」には
少し前にであって、切なさで一杯になりました。
18年前に父が一匹の雑種の子犬を愛護センターから譲り受けて来たのですが、
小学生だった私は、かなり大きくなるまで
「愛護センター」の「愛」の字に騙されていました。
まだまだ多くの日本人が誤解している事でしょう。
その施設の本当の意味を知ったのは中学生になってからだと思います。
保健所に連れて行かれた犬がまとめて愛護センターに送られ、
そこで世話をされる・・・そんなイメージを持っていました。
児玉さんのHPを拝見すると、小学生たちが、
真剣に問題と向き合っている文面から、本当に大切で必要な事を学んでいること、
伝えようと奔走している先生方がいらっしゃることに深く感動しました。
話が戻りますが、愛護センターで貰ったその子犬は、
16年半ともに生活し、去年の夏に腎不全の為亡くなりました。
犬が去年生まれてはじめて入院することになった日、
私は生まれて初めて犬を拾って飼う事になりました。
迷子の、おそらく10歳はゆうに越えている雑種です。
死に間際の犬が、「この家には犬が必要だ」と、連れて来た
としか思えないタイミングでした。丸18年近く、
我が家には犬のいなかった日が一日もない、ということになったのです。
話が長くなってしまいましたが、私も微力ながら不幸な犬や猫が
いなくなるように努力して行きたいと思います。
児玉さんもお体に気をつけて、無理をせず頑張ってください。


(5) 真実が文ににじみ出ています(2005.8.5.)

昨晩、児玉さんのHPの「現場からのレクイエム」に
投稿 <(4) 7月9日> されている方の文を読み、胸が一杯になり、
涙が出ました。お陰で翌日は一日中、目が充血していました。
この方の文を読んでいて、以前に「私が見送った子たちの肖像」
と言うタイトルのHPを思い出しました。そのHPは何故か削除されて
しまいましたが、そのHPを見つけたのは児玉さんの写真と出会う前で、
本当に強い感動を受け、何度も繰り返し読みました。
同じ人ではないかも知れませんが、児玉さんのHPで、この人の文と又出会った
と感じています(考え過ぎ?)。本当に真実が文に滲み出ています。素晴らしい
投稿文だと思います。
この方も、きっと児玉さんの活動に感動し投稿されたのでしょうね。

                      (丹下光枝さん)


(4) 辞職を決意した、あの出来事…(2005.7.9.)

 あらためて御挨拶いたします。私は6月3日に拙文を送信した元保健所勤務薬剤師です((2)で紹介)。私は文章を書くという作業に不慣れなため、あのような駄文で現場職員の葛藤がお伝えできるか不安でしたが、児玉様が見事に体裁を整えてくださったお陰で、少しは目的が達成されたような気がします。ありがとうございました。

 顧みると、児玉様との出会いは二度目です。と言うのは、書店で著書を拝見したことがあるからです。ただ、その時は、表紙の写真で保健所勤務時代を想起してしまい、とても内容に目を通す心の余裕が無かったというのが正直なところです。それ故、お名前を失念したままになっていました。しかし偶然HPにたどりつき、さまざまな人の御意見を拝読する機会に恵まれ、「ここなら理解してもらえる。書いてみよう。」という気持ちになり、投稿文掲載に至ったというわけです。まさに人生は奇縁です。

 前回の投稿文には書き切れませんでしたが、私がいた職場の雰囲気は殺伐としていました。仕事に対するモチベーションは完全に失われ、どうしたら人事に取り入って異動させてもらえるか、などという低次元な議論ばかりしている方が多かったです。ストレスの反動からでしょうか、陰湿なイジメも蔓延していました。世間では公務員は気楽で良いと言いますが、それはごく一部です。税滞納者に対しての督促訪問や福祉のケースワーカーなどの職種になると、日常的危険を伴います。保健所では検査技師などは専ら検体相手ですから比較的安全と言えますが、私がいた部署には当てはまりません。当時2〜3年の間に5人ほど獣医師や薬剤師が辞めました。考えてみれば異常な離職率です。これは職員の年齢構成に影響し30代の層がほぼ空洞になっていました。そこに運悪く(?)投入されたのが私だったようです。薬剤師のような資格職は辞めてもなんとかなりますが、農学部や水産学部出身者などになると転職先は簡単に見つかりません。その意味に於いて私は幸運な卑怯者なのです。

 辞職を決意した前夜のことを今でも鮮明に覚えています。私的な話で申しわけないのですが、当時、私は一匹のオス猫と暮らしていました。猫というより弟のような存在でした。保健所に異動してからの私の異変を彼なりに察知したのでしょうか、毎日、暗い顔をして帰宅する私を気遣うように、しきりに寄り添うような仕草を見せるのです。その姿が収容された動物達と重なって見えました。「も〜駄目だ!」頭の中で何かが弾け飛んだ瞬間でした。

 保健所を辞め現在に至るまで、多少の辛酸は舐めました。世の中の不条理を嘆き、ごく短期間ではありますが、ひきこもり予備軍のような生活を送りました。そんな時、常に傍らにいて心を癒してくれたのが愛猫でした。仕事とは言え、動物の殺処分に加担し、ダメージを受けた人間が、その動物によって救われたのです。皮肉なものです。人間というものは本当に罪深い生き物であることを思い知らされました。

 その後の転職の面接では「どうして公務員を辞めたのか?」と必ず尋ねられました。質問者の頭の中は容易に想像できます。安定した地位を捨てるというのは、何か問題を起こしたのではないか、金銭問題or異性問題?というところでしょうか。世間一般の認識はそんなものです。

 今回、お便りするのは、ひとつのお願いを思いついたからです。愚案ですが何かの参考になるかも知れません。児玉様は写真展や講演などで多くの動物愛護団体の方々と会われることが多いと推察します。もし機会があったら、こういう助言をしてあげて欲しいのです。私の経験からして次の二点です。

1)行政に働きかける場合は、保健所や動物管理所の現場担当者だけに言っても効果は無い。働きかける場合は行政組織の上層部から始めなければ効果は期待できない

 個人や団体を問わず、動物愛護運動に関わる人々の中には、熱心さのあまり過激な言動に及ぶ方がいます。譲渡の可否の例で言うと、「何でそんなことが簡単にできない。あなたはそれでも血の通った人間か!」などの暴言を吐く人もいます。投稿で触れたように、個人的心情としては応じたいと思っても、役所というのは末端職員の権限ではどうにもならないことが多いのです。現場から伺い書を上奏しても全てが通る保証はありません。そんな状況で非難の矢先に立たされると、無力感から彼らは貝のように心を閉ざしてしまいます。(かつての私がそうでした)

 陳情などをする場合は、首長や部長クラスにも面談を求めた方が効果的です。また、その際は動物愛護に理解のある議員に随行してもらうのもひとつの方法かもしれません。ただ医療や福祉以外の分野になると、直接的な“票”につながらないことから、曖昧な対応をされる可能性もあります。こればかりはやってみないとわかりません。

2)役所の予算は年度単位なので、性急な結果を求めない。現場への影響に配慮を

 仮に譲渡実施を毎週平日にする場合、業務量の増大に伴い職員の増員が不可欠です。行政組織では、職員配置数や人件費などに関する予算案は議会の承認手続きが必要で、全て年度計画で動きますから、承認されても執行されるのは翌年度です。つまり今日議決されたから明日から実施というわけにはいきません。ここで性急な要求を突きつけると、最悪の場合、業務が末端に丸投げになり、現場職員に過重な負担がかかるということになり、かえって逆効果です。

 さて、前回の投稿文の最後で触れた投書の真相については、色々な受け止め方があると思います。米国イリノイ州在住 K.K.様(2005.7.5)のように、私の真意を理解してくださる方もいらっしゃるでしょうし、逆に、これを読んだ行政関係者の一部からは、「自分だけ安全地帯に逃避して今更なんだ」「それは投稿者の職場環境が異常だったからだ」「しょせん負け犬の遠吠え」などとという御意見も出でくるでしょう。それはやむを得ないことです。あくまで私の個人的体験ですから。

 今になって考えると、私自身、保健所勤務をしなかったら動物愛護について深く考えることもなく、所詮“他人事”だったのかも知れません。その意味では、在職中に私に不快な言葉を浴びせた一部の方々となんら変わりません。人間はそもそもエゴイズムの固まりですから同罪です。たまたま異なる立場で対峙してしまったということです。

 最近、加齢のせいでしょうか、あの体験でひとつだけ得をしたと思うようになったことがあります。あらゆる事象を捉える時に、いろいろな視点から考えるという習慣ができました。これは件の獣医さんが言われた「人の話はあてにならない」という一節のニュアンスに近いものがあります。日常業務はもちろん新聞記事やニュースなどに接する時に少しは役立っています。

 元来、私は人前で話しをするのが下手で、児玉様のように優れた著作を世に出すような能力もありません。どちらかと言うと時代劇に出てくる昔の偏屈な職人風の男です。持って生まれた性格もあり共同作業が苦手で、ボランティアとして動物愛護運動に取り組むようなこともしていません。しかしHPのリンク先などを拝見していると、さまざまな人達がそれぞれの立場で地道に活動していることを知るに至り、事態は少しずつ良くなっていくと確信するようになりました。本当に感謝しています。

 最後になりますが、『虹の橋』という有名な話がありますね。何十年後(もっと早いかも知れませんが)に私がそこに行った時に、かつて一緒に暮らした愛猫や愛犬に会えるかも知れません。ずっと遅れて児玉様が橋の袂に来られた時には、下足番の老爺としてお出迎えいたします。拙文の“投書の真相”については、その時に正直に全てお話します(笑)。

 そして一緒に不幸な過去を持つ動物達のお世話係をしましょうか…。

 児玉様、くれぐれもお体に気をつけて崇高なお仕事を続けてください。私も残った人生をなんらかの方法で微力ながら世間に発信していくつもりです。またこちらのHPに寄らせていただきます。


(3) 勇気のある人でなければ…(2005.7.5.)

「現場からのレクイエム」にあったお二方のメール((1) (2))を拝読させていただきました。
目を通していくうちに、いわゆる地獄の仕事だという印象を受けました。
よほど図太い神経の持ち主か、心臓に毛が生えているような人でなければ
精神的におかしくならないほうがおかしいと思われるような状況と思われました。
「卑怯者の戯言でした」との結びがありましたがとんでもない、
勇気のある人でなければこういう事実を世間に知らせることはできないと思います。
このお二方のような人達が増えれば我が国はもっと人間にも動物にも
住みやすい場所になったと思います。残念ながら現実はその逆、
こういう正しいことをする人達ほど目をつけられ、
排除されるおかげでいずれは誰にとっても住みにくい、
陰湿極まりない社会が待っていることでしょう。
そんな社会になっても幸せでいられるのは
国会中に鼻提灯の議員や天下りの一部の高級官僚だけでしょう。
もっとも議員に関しては選挙権を持つ我々国民にも責任はありますが。
ここのところ「勝ち組」「負け組み」といった妙ちくりんな概念が蔓延したせいか、
日本社会がこれまで以上に「カネ・カネ・カネ」となっていきているように思われます。
その一方で、これから飼い主の心を大事にしようとする
若手獣医師の卵も存在することが唯一救われる点ですね。
このような若者が増えてくれれば、我が国はまず
動物医療の世界から変わっていけるのではないかと思います。                             
                  (米国イリノイ州在住 K.K.さん)


               

(2) 『トラウマ』…保健所勤務回想(2005.6.3.)

 はじめまして。私は昔、地方公務員をしていた薬剤師です。

 動物関係のHPを閲覧していたところ、ここにたどり着きました。元保健所勤務の獣医さんの投稿(2005.4.20)を拝読し、職種は違いますが似たような経験を持つ者として、当時のことを想い出し大変胸が痛みました。

 私の場合、保健所を辞職してから長い年月が経過していますので、その記憶の断片をうまく文章化できるかどうかは甚だ疑問です。さらに、昔と今では業務実態もかなり変わってきているようですので、その辺りを差し引いてお読みください。

 また、勤務していた地方や年代などに触れると、個人名やその勤務地が特定される恐れがありますので詳しくは言えません。ある薬剤師の個人的体験として取り扱ってください。

 私は大学卒業後、某地方自治体の採用試験を受け、病院薬剤師として採用され30代半ばまで普通に勤務していました。あのまま何もなければ定年まで勤務していたと思います。あの異動があるまでは…。

 ある年、人事交流という名目で保健所に配置替えになりました。辞令を見ると「食品衛生監視員、環境衛生監視員」とありましたが、上司から渡された保健所発行の身分証明書に、もうひとつの業務内容が書かれていました。それが「狂犬病予防員」でした。

 ここで、当時、私が在籍していた保健所の業務体系について少し補足しておきます。一般に大都市の保健所では「食品、環境、犬」の三部門を独立した「係」として区分けをしているようですが、私の職場では予算人員の制約があり明確な区分けをしていませんでした。わかりやすく言うと「なんでも屋」です。さらに「犬」の業務範囲については、獣医さんが述べられたように、各自治体ごとに微妙に違いがありました。私がいた保健所では犬の登録、苦情処理、狂犬病予防注射の立会いのほかに、世間一般で言う「野犬狩り」、つまり犬の捕獲業務も含まれていました。当然、業務としての「殺処分」にも立ち会うこともありました。

 保健所に異動直後の私は完全にパニック状態だったと思います。

 病院で調剤過誤や対人トラブルを起こした覚えもないのに、「何故、畑違いの保健所勤務?」「何故、三部門を一緒にやらせるの?無理だよ。」「何故、薬剤師が狂犬病予防員?」

 人事に不満はあっても、任命権者(地方公務員の場合は知事や市長)の業務命令は絶対です。最初のうちは保健所薬剤師に成り切ろうと努力を続けました。しかし実際に現場を体験していくと、理想と現実のギャップに悩むことになります。

 例えば犬の場合、迷い犬の通報があれば保健所には捕獲の義務があります。首輪の鑑札などで確認できれば飼い主に連絡して引き取ってもらえますが、現実には首輪もしていないような場合が殆どです。その場合、行政機関の掲示板などに公示した上で、所定日数経過後に「殺処分」することになります。また諸般の事情により不要犬を持ち込む人に対しては、保健所としては新規の飼い主を探すように説得するなどの方策しか取れません。法的には引き取り義務がありますから…。猫に関して言えば、いわゆる野良猫の捕獲義務はありませんが、幼猫などが持ち込まれた場合は、犬の場合と同様に扱います。

 人間というのは醜いものです。保健所にかかってくる苦情電話でそれを嫌というほど知りました。食品関係、環境関係の現場も酷いものでしたが、犬関係については獣医さんの投稿内容と同じようなものが多かったですね。最終的には全て行政側で何とかしろの論理です。

例えばこんな電話のやり取り。

「近所のゴミ収集所にダンボールに入った捨て猫(幼猫)がいるからなんとかしてくれ!」

「あの…保健所としては持ち込み以外には猫の引き取りはしていないのです。」

「何!この野郎!お前ら税金で飯を喰わせてもらっている公僕だろ!上司に替われ!しっかり取り締まらないから、こんなことになるんだろーが!この野犬狩りが!」

上司に取り次ごうとすると、またかという感じで、直接受話器を取らずこう言いました。

「ゴミ収集所は公道だから、公共機関からの申し出と拡大解釈して、特例で受け取りに行ってよ。法律に疎い議員にタレこまれると面倒なことになるからさ…しょーがないんだよ。」

「……」

「だけど業務日誌には負傷動物収容と書いといてね。書類上、引っかかるからさ。」

 おわかりいただけますでしょうか?一事が万事こんな調子でした。このような状況で職員の中には心因性の病になる人もいました。私が在職していた当時でも、まだ20代の獣医が次々に辞めていきました。多くを語らずに…。

また、ある時はこんな電話がありました。

「犬を飼いたいのですが、保健所にいる子犬を譲っていただけませんか?」

「はい。上司に聞いてみます。少々お待ちください。」

上司の答は…。

「うちでは犬の譲渡はしていないと答えて。」

「それは…でも…昨日持ち込まれた子犬がいたでしょ?」

「キミの気持ちはわかるけど…そう答えなさい。これは業務命令だよ。」

 このような日々を送るうちに、ストレスにより体重は激減し不眠や消化器系の症状が出始めました。毎日の通勤電車の中で自問自答。薬学部を卒業し病院で働きたくて母校の大学病院に残り研修もしてきたのに、ずっと「どうぞお大事に」の世界にいたのに。何でこんなことになってしまったのか。動物愛護っていったい何?実際の仕事は捕獲と殺処分じゃないか。どこが動物愛護だよ?確かにこの仕事は誰かがやらなければいけないかも知れないが、よりによって何故俺なんだ?

 以上のような経緯があり、ある日、とうとう精神的限界を超えてしまい、上司に退職する旨を告げました。上司は「また退職者か」という感じでした。

「何か不満でもあるのか?あったら言ってみろ。」

「辞める人間が不満を言ってもどうにもなりません。それに残っている他の職員に失礼になります。あえて理由は言いたくありません。」

「およその察しはつくが、これからは薬剤師と言えども何でもやらなきゃいけない時代なんだ。考え直せ!せっかく公務員になったのに勿体無いぞ!最初からずっと保健所勤務の薬剤師だっているじゃないか!自分だけ特別扱いするのか?」

「仰ることはわかりますが、考え抜いて決めたことです。社会人失格と言われてもかまいません。卑怯者呼ばわりされてもかまいません。もう限界です。辞めさせていただきます。」

お世話になったある先輩からはこう言われました。

「キミが羨ましい。薬剤師としてのキャリアがあるからな。俺も辞めたいんだよ…。」

 歳月は流れ、現在、私は郷里に帰り某所で勤務しています。給与水準も下がりました。窓口では患者さんからの理不尽な暴言を浴びることもあります。しかしそれなりに充実した生活をしています。これが天職ですから。

 ただ、街を歩いていて、狂犬病予防注射のポスターを見かけたり、近所の飼い犬の鳴き声を耳にすると、当時の記憶が一種のトラウマとしてよみがえることがあります。そして考えます。あの時、もう少し自分に忍耐力があったら、行政組織の末端職員として譲渡制度の実現などを内部から働きかけたりできたのではないか…などと。しかし、人生は過去に遡れません。長い駄文を書き連ねてしまいました。どうか御容赦ください。                        

<追伸 >
最近、某自治体のHPを覗いたら、「保健所での犬猫の譲渡」についての案内がありました。一部では改善の動きがあるようです。仄聞によると、マスコミ関係や動物愛護団体への投書が発端だったという話もあります。その発信源には、なんとなく思い当たる方が複数いらっしゃいますが、これ以上言及しません。仮に知っていたとしても、その事実は墓場まで持っていきます。

卑怯者の戯言でした。それでは失礼いたします。

               (匿名希望・元保健所勤務薬剤師さん)



(1) 一番嫌な仕事…「犬」の仕事です(2005.4.20.)

初めまして。私はかつて東日本で公務員獣医師として勤務していた者です。
現在も、その地域では同僚が多数勤務していますし、
その一人は動物指導のトップになってしまいました。
ですから、具体的な地名や氏名などは公表できません。ご了承願います。
さて、私が公務員勤務の結果、よくわかったことがあります。
まず、「人の話はあてにならない」。
実際に自分の目と耳で確認しなければ全く信用できません。
これは動物でも、衛生(食品や環境)でも同じことです。
人間不信なのか、と言われればそれまでですが、
残念ながら痛い思いをするとこうなります。
「息子が飼ってた犬を出したい。息子の仕事が忙しく世話できなくなったか」
と言う電話に思いとどまるように言えば「税金払ってるのに、何だその態度は」
と言われる、なんてのは序の口。
「畑の番犬で飼ってたけど、冬になったから用が無いので連れていってくれ」
だのあげくには「野良犬捕まえたから、連れていってくれ」
ということで収容したら、自分の飼い犬。
しかも、子供には「保健所が留守中に勝手に連れていった」と嘘。
(子供達が泣きながら保健所に来ましたね。)
自分の所在地の自治体が「タダで犬を引き取らなくなったから」と、
隣の自治体まで越境して老犬を棄てに行く。何頭もいました。
正月明け直前に保健所の門に犬をつないで飼養放棄していった飼い主。
運良く(?)綱が解け、犬は自力でどこかへ帰宅しました。
犬の飼い主がこんななら、衛生関係も似たようなものでした。
生協に納入してる食品製造業社や有名な「自然食品メーカー」
が違反してたなんてこともありました。
今だったら、マスコミが黙ってないだろうという
一部上場企業の工場ぐるみの違反現場に踏み込んだこともあります。
と言う経験がものをいい(?)自分で確かめなければ信じなくなりました。
都会の人は冷たく、田舎の人は心が温かいと言うのも嘘。
堂々と「無許可製造」(法律による許可が要る業種)をしていて、
こちらに摘発されると議員を使って圧力をかける。
犬をいとも簡単に野山に棄てまくるのは田舎方面でした。
犬屋敷も田舎方面に多かったです。
などということは、ごく日常的な事柄でした。
先日も、自然食や地球に優しい製品をこよなく愛する友人に
「一般メーカーは信じられない」と言われ、「だったら、自分で自給自足しろ」と答えました。
この友人、農学科出身で今は造園農家にいるのです。
でも「食えるもの」にはノータッチ。鶏を裁くのも怖いそうです。
「余ってる土地があるのになぜやらない。
文句があるなら自分の食い扶持ぐらい自分で作れ」と答えたら、沈黙してしまいました。
(その以前にも、「食肉がどうの」と言い出したので、「食肉処理場に連れていったるから、
自分の目で良く見ろ」と言いました。「血が怖い。臭いが」と拒否。)
はっきりいって「頭でっかち」なのですね。文句を言うくせに自分では
「怖い。汚れる。面倒。血を見たくない」と動かない。
保健所時代、よく見かけた人々に似ています。似て欲しくはないんですが。
私は学生時代、自然農法で有名な団体に4週間お世話になったことがありました。
そこでは、その団体の会誌でも否定しているはずの薬や肥料を使用してましたね。
(うかつに信じないことをはじめに教えられたような気がします)
という保健所勤務が嫌で同僚(といってもこの場合は衛生部のみ)
の中には食肉処理場(いわゆると畜場)検査員を希望するものもいます。
毎日、血まみれになります。毎日、殺されて肉になっていく家畜を眺めるのです。
でも、保健所にいるよりも気が楽だそうです。
家畜を連れてくる業者は危ないかもしれません。
虚偽の申請とやらをするかもしれない。
でも、その死体は嘘を付けない。だから・・・
現在、私は「お気楽な」公務員を止め、自営業になりました。
収入は減ったけど、休みも無いけど、ある意味幸せです。
元の同僚達も同じことをしたいようですが、いろんな事情で無理。
したがって、「嬉しくないが、保健所勤務でも
一番嫌な仕事が無ければ我慢する」と言っています。無論、「犬」の仕事です。
(例えば東京都特別区では犬の業務は苦情処理と集合注射の立会いだけ。
捕獲も引き取りも無い。皆羨ましがっています。)
いろいろと取り止めの無いことを書いてしまいました。
私が勤務していた部署は同じ獣医師の中でも一番過酷、と言うか好かれない部署です。
おかげで、物事の裏側をたくさん知ってしまいました。
本当は知らないほうが良かったかもしれない。
今は、多少の波風があっても辞めて良かったと思います。
あのままでは、精神的におかしくなっていたような気がします。

            (元は「気楽な公務員」だった獣医師より)