1日だけのデート

 

とある休日。その日は梅雨の日にふさわしいというのか
土砂降りの雨だった。

彼は約束の時間に少し遅れて待ち合わせの場所にやってきた。
遅れて着たにもかかわらず、彼女が着ていないのに「ホッ」とした
気分になっていた。
(彼女が着たらこう言うんだ15分前に着たよって)

1週間前に彼宛に彼女から突然メールがあった。
「デートしよう。9時に○○で待ってるね」って。
この一言だけで理由もなにもない。

彼と彼女は2年前まで仕事の同僚だった。
しかし、彼女は何の前触れもなく会社を退社した。
それからの彼は、ごく普通に彼女を誘った。
「ドライブに行こう」とか
「映画に行こう」とか「食事」「飲み」・・・・。
彼は、彼女に特別な感情は持っていない。
しかし、突然の退職に心配したのも事実なのだ。
だが、彼女の答えは全て「NO」なのだ。
感情を持っていれば、追いかけたり、引いてみたりと恋愛の
駆け引きを仕掛けるのだが、そんなこともしないまま
ただ時間だけが過ぎ去っていたのだ。

彼は、彼女との話す内容を色々と考えていた。
この2年間のこと。どうして会社を辞めたのか。
2年の時間が経てば、堂々と聞けるだろう。
そして、その2年の時間が彼女と普通に会えるのか。
彼女が変わっていたらどうしよう。
彼はこの2年で何の成長もない自分が急に恥ずかしくなっていた。

約束の時間から1時間が過ぎた。

「タイムリミットだな」
彼はそんなに辛抱強い人間ではない。彼女との思い出を思い出して
いるだけで時間を忘れていたのだ。
「やっぱり冗談か」
彼はそうつぶやくと帰路につくのだった。

自宅に帰るとPCの電源を入れた。
昨日、仕事で遅くなり、自宅のメールチェックをしていなかったのだ。

彼は彼女から改めてメールが着ているのに気がついた。
「明日は雨が強いようなので、待ち合わせを○○から駅前の××喫茶店に
変更したいのですが・・・」
彼は、自分を恨んだ。携帯を持っていない彼の唯一の外部とのツール
なのである。1日足り共チェックを欠かしたことがなかった。
それが、昨日の帰りが遅かったこと、そして、週末で疲れきっていたこと
等が、邪魔させたのだ。

彼は無心で出かけた。そして、雨も関係なく走った。
彼女がいるとは思っていない。
それでも走った。諦めることはなかった。いやできなかったのだ。

♪カランカラン♪

彼は喫茶店のドアを思いっきり開けた。
ドアに着いている鈴は店内の誰もが振り向く位大きく響いた。

彼は自分の目を疑った。
彼女が目の前に座っていた。何も無かったかのように
小さい文庫本を読んでいたのだ。
2年前と何も変わりがない。その彼女が座っていたのだ。
「何時だと思っているんだ」
彼女の前に来るなり彼は彼女に言った。
遅れてきた彼だが、怒っていた。自分への怒りがまだ
収まっていないのだ。
「12時20分」
彼女は彼とは対照的に冷静に答えた。
「電話くらいすれば良いだろ」
「携帯もってないでしょ。それに仕事が遅いとか言ってたでしょ」
彼は彼女のその言葉に、ふと思い出した。
誘いのメールを出している時に、仕事の愚痴を
こぼしていたのだ。
彼は、うれしかった。メールの答えはいつも「No」だったが、
自分のことを少しでも気にしてくれていたんだって・・・。
「だったらもっと遅い時間にすれば良いだろ」
少しトーンの下がった彼を前にして彼女は読みかけの
文庫本を閉じ、そっとテーブルの上に置いて切り返した。
「待つのもデートのうちだよ。デートの時間は長い方が良いでしょ」
彼はびしょ濡れのまま静かに席に座った。

こうして、2人のデートは始まったのだ。

2人は、その喫茶店で時間をつぶしていた。
彼の服はまだ濡れていた・・・。

彼女は彼にいろいろなことを話した。
彼は少し驚いていた。2年前の彼女はもっと
物静かで、自分から進んで話すと言うことはなかったからだ。
仕事中・休み時間、2人は一緒にいることが多かったが、
いつも会話は彼がリードしていた。その話しに彼女が
答えるような感じだったのだ。

「ねぇ。聞いてる?」
彼女は、話しの途中で彼に問い掛けた。
彼は、彼女の話しを半ば半分聞いていない。
久しぶりに彼女を見たときは変わっていないと思っていたが、
2年で彼女は変わっていたのだ。
そう思うと、彼女が1人の女性に見えてきたのだ。
確かにあの時の彼に彼女への感情はなかった。
いまもおそらくないであろう。しかし、何とも言えない気持ちが
彼の気持ちをこみ上げたのだ。
「あぁ聞いているよ」
「そう?なんか考え込んでいるように見えたけど」
彼は彼女の目を見ることが急にできなくなった。
「いや。なんか変わったかなって思ってたんだ」
2年前の彼だったら、『綺麗になって』とか『太ったね』などの
冗談も言えたのだろうが、彼は彼女にそう言うのが精一杯だった。
「そう?どんな風に?」
彼女は彼に聞いた。
彼女は彼に何か1つの答えを言ってもらいたいかのようだったが。
「なんなのかな。雰囲気かな」
彼は、冗談を言うわけでもなく、本気な言葉を言うわけでもなく、
ただ、曖昧な言葉を発するだけだった。2年の月日が、
彼女だけでなく、彼も変えてしまったのだ。

「出ようか」
彼はこの場の雰囲気を変えたかった。
2年前のペースを取り戻したかったのだ。
自分でもわからない。彼女が変わったのは彼にも分かった。
しかし、自分も変わったことに彼は気付いていないのだった。

そして、2人は喫茶店を出た。
彼の服は乾いていたが、まだ雨は降り続いていた。

「あれ傘さしてこなかったの?」
こんな強い雨が降る中で、傘もささずに
出歩くなんて考えられないと言った感じだろうが、
しかし、彼女は彼の事情なんて知る由もなっかたので
当然の言葉である。
「慌てて走ってきたからね。それに、家を出た時はそんなに
 振ってなかったし・・・」
彼は精一杯強気に振舞った。土砂降りの1日で、そんなに
降っていないもあったもんじゃない。彼女はそんな強がりを
察知していたのか・・・。
「変わらないね」
彼女は、チェックのすこし大き目の傘を開いた。
彼女は無言のまま、彼の目の前に傘を差しだし「どうぞ」といわんばかり
に傘の中に入るように促した。
そして、彼も無言のまま、彼女が差し出した傘の中に入り、2人は歩き出した。

彼の1度狂ったペースは簡単に取り戻すことはできないでいた。
何を話せば良いのか分からないでいた。
昨日まで考えていたことが聞けないのだ。
いや、完全に聞くタイミングを失っていたのだ。
駅まではそんに遠くは無かった。しかし、彼にはゴールの無い道を
歩いているようだった。
2人は会話のないまま、駅まで歩いていた。
まったく会話がなかったわけではない。彼女からいくつか話しかけたが、
彼は「あぁ」「うん」などそっけない返事でしか答えていないのだ。

駅に着いた時、彼はこの先どう時間を過ごせば良いのか
考えていた。成り行きに任せれば良いのだが、考えれば考えるほど
普段の彼ではなくなり深みにはまっていった。
その時だ。彼は、彼女が傘をたたみ、自分のバックからハンカチを取り出し、
自分の濡れた右肩を拭いている仕草をみてしまった。
彼は、自分の左肩をそしてその周りを見回したが、濡れているところがないのに
気付いた。
彼は、そんな彼女のやさしさに触れ気付いた。
『俺は彼女が好きだ』
感情を持っていなかったのではなく、彼女の存在に甘えていたのだ。
そのやさしさに甘えていただけだったのだ。
彼は、そう思うと、2年間の時間と今日の数時間が後悔してならなかった
のと同時に全てが吹っ切れた。

切符を買ってホームに下りた2人は電車を待っていた。
2人とも黙っていたが、お互いが何かを話すきっかけがほしい
そんな沈黙だった。
「あのね」
「あの〜」
2人同時の発言だった。
彼はドキっとした。彼女も同じ気持ちに違いない、そう思っていた。
「なに?」
彼は始めて駆け引きをした。2年前ではないことだ。
彼女から先に「好きです」と言わせたかったのだ。
「うん」
彼女はなんだか照れくさそうにうなずいた。
彼女もずっとタイミングを計っていたようだった。
彼もそれに気がついた。
それで、彼の知る彼女ではなく、自分のペースで話す彼女がいたのだ。
「どうしたの?」
彼は彼女に言うように促した。
「私ね。結婚するの」
彼女は彼の目を見るのではなく、上を見上げて言った。
言い終わって、彼女もホッとしたような表情を浮かべた。
しかし、彼の顔は見れないでいた。

彼は、驚きを隠しきれなかった。
彼女は、彼を見れないままでいる。
それとは対照的に彼は彼女を見つめたままだった。

この時、彼は初めて気がついた。
彼女は、彼に結婚の報告をするためのタイミングを
計るために、いつもと違う彼女を演じていたのではない。
彼女の彼氏が彼女を変えたんだと・・・。
自分とまったく正反対の彼氏が今の彼女を生んだんだと・・・。
外見はまったく同じであっても2年と言う長くとも短くともない月日が
彼の知らない彼女へと生まれ変わらしたのだ。

「いつ」
彼は冷静を装って聞いた。
「ちょうど1ヶ月後」
彼女も吹っ切れたのか、言葉ににごりも躊躇もなかった。
そして、彼女もようやく彼を見つめることができた。
彼女も心配だったのだ。
難しい顔をしていたら、いっしょに喜んでくれるだろうか。
馬鹿にされるのだろうか。
ゆっくりではあるが、彼女は彼の顔を見つめた。
そこにはいつもと変わらない彼の顔があった。
その顔を見て彼女は、安心して答えられたのだ。
「おめでとう」
彼の精一杯の言葉だった。
その言葉しか頭に浮かばなかったのだ。
彼はいろいろと聞きたかったが、彼の小さなプライドが彼のその言葉を
邪魔していた。
「うん」
彼女も小さくうなずいた。
彼女も彼のことをある程度知っているつもりだった。
彼女の知る彼であれば、彼の「おめでとう」は以外だった、
『どう言う人・何している人・いつから付き合っているの』
このようなことを聞かれると思っていた。
それがないのに、彼女もいつもの彼でないということを
この時気付くのだ。

彼のプライドだけが、彼を邪魔させたのではない。
彼女の左手に婚約指輪をはめていないのが見えていた。
彼は、彼女がマリッチブルーになっているのではないかと思った。
もしそうならば、昔を思い出させるより今を幸せにさせるのが
良いと考えたのだ。
それならば、彼氏のことをいろいろと聞いて自分と比べるより
いま、このとき、この一瞬を大切に過ごさせることを
彼は選択したのだ。

2人は、特別どこに行くなど決めていなかった。
切符も1区間だけの切符を買っていたのだ。
それからの彼も彼女も時間を忘れて話していた。
2年前の思い出・お互いの2年間。
いろいろ話したが、その中にはお互いの恋愛話しだけは
無かったのだ・・・・。

「海へ行こうか?」
彼は何かを思い出したかのように彼女を誘った。
「いいよ」
彼女もその誘いに素直に応じた。

2人を乗せた電車は、海岸線のすぐそばの駅についた。
2人はその駅を降りて、海岸を歩き始めた。
潮風が気持ち良く、2人をさわやかな気分にさせていた。
2人は無言のまま海岸を歩き始めた。
この時の2人には言葉はいらなかったのだ。
手がふれあいそして、自然と手をつないでいた。

「あの鉄塔に行こうか」
彼は海岸沿いにある電波塔を指差した。
彼のその言葉は、いかにも彼女を鉄塔に連れて行く
ためにここに来たと言わんばかりの言葉だった。

鉄塔にたどり着いた2人は、当たりを見渡した。
「綺麗・・・」
彼女はその鉄塔から見える海の夜景。そして、街の夜景に
えらく感動していた。
その時だ、彼女は彼から昔聞いていたあることを思い出したのだ。

・・・・・・回想シーン・・・・・・・

数年前の職場の昼休み
「海岸沿いにさ、大っきい鉄塔があって、そこの夜景が綺麗でさ、そこに登ると
落ち着くんだよね。彼女に振られた時とか大学に全部落ちた時とか
ブルーな気分になった時に良く行ったんだ。ただ、夜景を見つめてるだけで、
落ち着くというか、何もかも忘れられるんだよね」
「へぇ〜。今度連れて行ってよ」
「駄目だよ。秘密の場所なんだから」
「なんで・・・良いじゃん」
「ブルーな気分じゃないといけないからいかない」

・・・・・・・終わり・・・・・・・・・

『彼が自分を誘った』
彼女は考えた。自分が昔「連れていけ」といったお願いを聞いてくれているのか。
それとも彼がブルーな気分になっているのか・・・。
彼女も彼に聞けなかった。いや聞く勇気が無かったのだ。
その時、彼を意識し始めた。どこかの記憶にある感覚だった。
彼女は夜景を見ているが、彼のことが気になり、夜景が目に入らなく
なってきた。
その時だった。彼は彼女の後ろに回り彼女のそっと抱きしめた。
彼女は彼に身を任せ、何も言葉を発しなかった。
彼は彼女の左肩に顔を乗せ、ある決意をしたのだ。
『結婚するのやめろよ』
彼はこう言いたかったのだが、言い出せなっかった。
自分が、彼女の幸せを壊す権利はないのだ。
そう思うと言えなかったのだ。
しかし、自分の本当に気持ちに気がついた彼にとって
その一言は非常に重かったのだ。

彼女も待っていた。もし、この時、この場所で、彼に言われたのなら
考えることなく辞める決意をしていた。
彼も彼女も抱きしめ、また抱きしめられ、身体が触れ合うことでお互いの鼓動が
聞き取れていた。
彼はここで1つの賭けをした。
鉄塔から見える夜景の中で、海岸線を走る電車が右から上り電車が
きたら「辞めろよ」といい。左から下り電車がきたら「あきらめる」という
ものだった。
普段、神様などと言うものを信じない彼が、初めて運を天に任せたのだ。

しばらくして、電車が現れた。
左からの下り電車だった。
彼は、何処かで期待している自分がいたので、落ち込んだ。
彼は賭けに負けたのだった。
「帰ろうか」
彼は、彼の運命に従い彼女の耳元でささやいた。
「うん」
彼女も自分の賭けに負けたのだった。
2人は駅まで歩き始めた。2人とも別れの時が来たのだと
思うと自然と歩くペースはゆっくりになっていた。

駅に着いた時
「ここで分かれよう」
彼は立ち止まって前を歩く彼女に言った。
その言葉を聞いて彼女は振りかえった。
「どうして?帰る電車一緒じゃん」
しかし、彼は彼女を見つめたまま軽く首を横に振った。
彼女はそんな彼を見て、彼の気持ちが自分と同じだと、
その時始めて気付くのだ。

彼女は彼の気持ちがわかったのかこの場を立ち去ろうとした時だった。
彼は、彼女に歩み寄り、そして彼女を強く抱きしめた。
「幸せになれよ」
彼は彼女の耳元で囁いた。
『うんうん』
彼女は、言葉を発することができずただうなずくだけだった。
そして、彼の涙が彼女の頬にも伝わってきた。

彼は彼女を見送ることなくその場を立ち去った。

そして、2人は2度と振り向くことはなかった。

おわり

2004年作 SUGAR F