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2002年度セタイタリア最優秀スポーツ選手大賞が発表!!!
大賞は3大ツウ(痛)を制したJ.セタの手に!!


 2003年、公式ホームページを立ち上げたことからセタイタリア記念日に認定された1月20日、東京都八王子市のセタイタリアクラブハウスで2002年度セタイタリア最優秀スポーツ大賞が発表された。このセタイタリアスポーツ大賞とは1年間を通じて最も活躍したセタイタリア所属の選手に送られるG.Sセタイタリア内では最高の栄誉なのだ。
 2001年度は見事マンションに引っ越す事に成功した若きエースY.スズキが、2000年はPSゲームの「ときめもメモリアル2」の全員のキャラクターを攻略したダウンヒルチームのご意見番、T.サトーが、それぞれ受賞している。今年はいったい誰がこの栄冠を手にするのか?クラブハウスの特設記者会見場は溢れんばかりの記者団に埋め尽くされていた。そしてついに発表のときが来た。
「2002年度のセタイタリア最優秀スポーツ選手大賞は・・・・・・1日で3大ツウを制したJ.セタ!!」
 その瞬間、会場から割れんばかりの歓声があがった。誰もが納得の様子だ。昨年3勝をあげて、さらに3大ツウまで制してしまったJ.セタ。これには転職を果たしたY.スズキや車を買い換えたT.サトーら、過去の受賞者も納得の様子。

 大歓声を浴びながらJ.セタがステージに上がる。今回の受賞の理由は1日で3大ツウを制したこと。そのことをステージ上で振り返ってもらった。
「あれは9月の残暑の暑い午後だった。僕はヤビツ峠に練習にいったんだ。ただその日はスタートするのが午後からで日暮れまで時間が4時間しかなかった。自宅からヤビツ峠往復は約4時間。もはや1回のミスも許されない状況に追い込まれてのスタートだったんだ。
 その日は快調な走りだった。城山湖を巻いてるヒルクライム、宮ヶ瀬ダムにいたるだらだらとした平坦地、まるで羽が生えてみたいに走れたんだ、自分でも信じられないぐらいね。でもそんな走りもヤビツ峠に入ってからはぱったりとなりを潜めてしまった。

 まずヤビツ峠に入る伝統の右コーナーで痛恨のパンク。この修理で無駄な体力とタイムのロスをしてしまった。だがそれ以上に痛かったのは手が汚れてしまったこと。普段からバイクを掃除してなかったからホイールはブレーキシューの煤だらけ。汚れた手を見ながらこの時ほど自分のだらしない性格を悔やんだことはないよ。

 しかし精神を集中しなおして走り始めたんだ。この程度の遅れなら日暮れまでに帰宅できるってね。その後は好調な走りを取り戻せたんだ。そう次のトラブルが襲い掛かるまではね。次は落車だった。薄暗いコーナーで前輪を滑らせてしまったんだ。あれは痛かった。右手の親指は皮が剥け血があふれ出る。あまりの激痛に顔をしかめて、もう帰ろうかと真剣に悩んだよ。でももう一度やってみようと思ったんだ。怪我は指と大腿部の擦過傷だけ、バイクのほうはSTIレバーのカバーが割れてしまったが変速には問題はなかったしね。

 そこからはできるだけ安全走行を心がけて走ることにしたんだ。指の痛みもひいてきたし、無事にヤビツ峠から下山した。日暮れと同時に帰宅できそうな試算が立った。そんな考えが頭に浮かんだとき3度目のトラブルがやってきた。突然、対向車がこっちに向かってきたのだ。度重なるトラブルで疲れきっていた僕はブレーキングが精一杯。車にSTIぶつかり、うまくクッションになってくれて落車せずに止まれたんだ。このとき僕のトレーニングは終わったんだ。もう日暮れなんて考えずにコーラを飲んでゆっくり歩道を走って帰ったよ。
 まったくとんでもない一日だった。パンク、落車、事故・・・たった4時間の間にこんなに痛いこと『ツウ』を3つも体験するなんて!!」

 その後は記者からの質問攻めになったJ.セタ。「パンク、落車、事故、どれが最も印象的でしたか?」という質問にこう答えている。
「パンクをしても悔しい思いは修理をすればすぐ忘れる。落車をしても1週間で怪我も治り悔しい思いも忘れる。でも事故は特別なんだ。クラッシュしたパーツがバイクについている限り忘れることはないんだから・・・」


セタイタリア度チェックテスト

下の質問に当てはまれば一点。全問答えて合計点数を一番下のチェックシートで当てはめてみよう。

質問1 ヨーロッパのプロ選手のバイクが好きなのに、自分のバイクのポジションはイチカーワになっている。
質問2 過去にバルトリを真似てハンドルとサドル間の落差の激しいポジションにしたことがある。
質問3 でかいギア比が正義だ。
質問4 レース中に自分がでかいギア比を踏んでいれば、軽いギア比の選手に抜かれても後悔はない。
質問5 39*15のギア比よりも53*23のギア比のほうが偉い。
質問6 レース中の苦しいときに頭の中にT−ス○エアの演奏するフ○TV局のツールのテーマソングが流れてきて、さらに外人女性の「Le Tour de FRANCE!!」という掛け声も聞こえたことがあり、「自分のイメージしてるレースの音楽はこんなのではない」と首を振ったことがある。
質問7 ツール ド フランドルのビデオで一番楽しいのはレース前のスタートサインを書きにくる強豪選手を見ることだ。
質問8 さらにフランドルのスタートサインを書きにサイン台にきた選手がみんな自転車に乗って現れてるのに、たまに歩いてサイン台に現れる選手をかっこいいと思う。
質問9 ミラノサンレモのポッジオとチプレッサ以外の丘の名前を言える。
質問10 クラシックレースが好きだがその前に行われるセミクラシックの結果でクラシックレースに向けての選手の仕上がり具合を見るのも好きだ。
質問11 「レオナルド」といえば「ピエポリ」だ。
質問12 デダチャイのパイプの名前をすべて言える。
質問13 J.ムセウのいうことは絶対である。
質問14 99年ツールでD.エチャバリアが区間優勝したときにした手刀を上下に何度も動かすガッツポーズを真似したことがある。
質問15 レースでよくない成績が続くと「自分はステージレース向きなのでは?」と、何の根拠もない妄想を抱くことがある。
質問16 サングラスを結構持っているがレース中はかけない。
質問17 C.ボードマンが以前L-B-Lに参加したとき、バイクにサドルバックがついていたのを知っている。
質問18 ロードレースでゴールスプリントになると勝った選手のガッツポーズよりも負けた選手の悔しいポーズのほうが気になる。
質問19 P.ヴァンペテゲムは外人はかっこいいという定説を覆したと思う。
質問20 ヨーロッパのロードレースを見始めてから、ハゲがかっこよく思えるようになった。
質問21 ヨーロッパのロードレースを見始めてから、胸毛が濃いのがかっこよく思えるようになった。
質問22 ヨーロッパのロードレースを見始めてから、腕毛の濃さと足のツルツル度のアンバランスがかっこよく思えるようになった。
質問23 サイス○の菊○が書く文章が嫌いだ。
質問24 サイ○ポの○地がよく着ていたカステリのシルバーのレーパンが嫌いだ。
質問25 サ○スポのインプレで菊○とプロロードマンが二人で行った場合、プロロードマンのコメントしか読まない。
質問26 と、思っていながら○地のコメントだけを読むのが最高に楽しかったりする。
質問27 オメガ909オイルやオメガ77グリスがどこで売っているのかサーチエンジンで探したがまったくヒットしなかったことがある。
質問28 集合写真をとるときプロロードマンのように足を肩幅に開いて腕を背中に組んでしまう。
質問29 イマナーカがポルティのジャージをいつまで着ているのか心配していた。
質問30 ロードレースが好きなのに年間を通じてMTBレースのほうが多く参加していた。

何点だったかな?

30点満点・・・GSセタイタリアに入れます。
29〜20点・・かなりのオタクです。ビチ.スポルトを読んで勉強しましょう。
19〜10点・・ヨーロッパロード好きですね。このまままっとうな道を歩んでください。
9〜1点・・・・たぶん純粋な自転車好きなのでしょう。深みにはまらないように注意です。
0点・・・・・・・○トリエ・ドゥ・○ャファの方でしょうか?


J.セタは本当に帰ってきたのか
 
アワーレコードにチャレンジ!!
 
 梅雨をあけると日本列島は夏に突入する。夏に突入して2週間後の7月14日、G.S.セタイタリアのエースは遂に復活の狼煙を上げた。秋田県田沢湖で開催されたJシリーズのXCエキスパートクラス、豪雨の中を2位に10分近い差をつけての優勝。この今期2勝目によりJ.セタはエリートクラスへのシーズン途中での昇格を決めたのだ。この勝利で会場は一時大パニック、J.セタのファンがゴール地点に警備員の静止も振り切りなだれ込んでしまったい、会場は”J.セタ”コールで埋め尽くされ、マスコミ各社は一斉に”J.セタ完全復活”を世界中に配信した。
 しかしJ.セタ本人はそんな騒ぎをまるで他人事のように落ち着いて見ていた。レース後の記者会見も時折笑顔を見せるものの口数は少なく「まだエリートクラスで走れる精神的自信がない」とコメントを残して、マスコミを振り払うように田沢湖を後にした。
 
 その勝利からわずか3週間後、長野県さのさかのJシリーズXC会場にJ.セタは現れた。うわさでは田沢湖のレース直後からファンやマスコミ関係者から携帯電話が毎日鳴り止まず、また地元のファンクラブのイベントなどに引っ張りだこで、とてもではないがプライベートな時間が取れなかったらしい。それでも親しいものに「MTBレースでの2連勝を狙う」と公言していたところをみるとこの短い間にだいぶ練習し自信をつけたようだ。
 だがエリートクラスは3週間の練習で簡単に2連勝させてくれるほど甘いものではなかった。終わってみればタイムオーバーの35位。優勝どころか完走すらできない結果にJ.セタが満足するはずない。それどころかあれだけ自信を持って挑んでこの結果で精神的なダメージは相当なもの。また活動停止をしてしまうのでは・・・そんな心配を回りの者がしてしまうほどレース後の彼の表情は硬く、そして瞳は輝きを失っていた。
 しかしレース後に緊急記者会見を開いたJ.セタは緊張した面持ちでこう発言した。
 
「アワーレコードに挑戦する。しかもマキシシングルで」
 
この発言に会場は大きくざわめき、失笑の渦が起こった。「エリートクラスを完走できないものがあのアワーレコードに成功するわけがない」これが大多数の意見であり、正論であった。
 アワーレコード(Our Record)直訳すれば「私たちのレコード」となる。レース後の車での移動を一人で行い、出発から帰宅まで一枚のCD(=レコード)を交換することなく、かつ一度も停止させることなく聞きつづけること。レース後の肉体的に、精神的に疲れきった体で運転を一人で続けて、さらに渋滞などの精神的プレッシャーや睡魔と戦うという耐久レース。これこそ真の耐久レースという者も多い。時には死の危険性もあるこのアワーレコードにJ.セタは挑戦するというのだ!!このチャレンジを聞いたチームメイトのT.サトーはこうコメントを残している。
「彼は起死回生の一発にかけたんだ。田沢湖で優勝してからJ.セタは一年前の自分を取り戻したと考えたのであろう。しかしさのさかのレースで惨敗。このショックを打つ消すにはアワーレコードしかない。さらにマキシシングルで挑戦なんて・・・なんてことを考えてるんだ!あいつは性格的に難しいやつだけど、これはあまりにも無謀な行為だ!」
 
 レース終了から約3時間後の午後6時、遂にJ.セタがアワーレコードを開始した。愛車のスターレットが白馬を出発すると観客から歓声が沸きあがった。スターレットは快調に走っていく。
 「速い、速過ぎる!!」アワーレコードに挑戦しているJ.セタを写す巨大な野外モニターを見ていた観客が声をあげる。そう、マキシシングルは4曲しか入ってないので一周がわずか15分満たないで終わってしうのだ。しかしそんな声も孤独な挑戦を続けるJ.セタの耳には入らない。眠気と戦いながら必死の形相でハンドルを握るJ.セタ。白馬からJ.セタの自宅があるトキオ、ハチオウジシティまでは約4時間。一周約15分のマキシシングルはいったい何周するのであろうか?そんなことを考えるだけで気が滅入るほどこのチャレンジ、アワーレコードはそれほど偉大で、何者も寄せ付けないほど孤高な存在なのだ。
 
 J.セタは快調に車を飛ばし中央道に入る。はじめは疲労の色を見せていたが、この頃にはJ.セタもペースを掴んだ様で時々歌詞を口ずさむなど余裕を見せてくる。しかしそんな余裕も忍び寄る間の手によって打ち消されてしまう、甲府盆地に入ったころから渋滞し始めたのだ。この精神的プレッシャーにペースを乱し始めるJ.セタ。渋滞による精神的ダメージは気に入らない曲に対するいらつきを増大させ、次第にCDを早送りしてお気に入りの曲にする回数が増え始める。こうなると悪循環、同じ曲が流れる回数が増えてしまい逆に精神的にダメージが大きくなってしまう。野外モニターを見守るスタッフから「落ち着けJ!」の言葉が出るがJ.セタには届かない。もうすでに彼の体力、精神力は限界にきていたのだ。
 談合坂手前で彼の挑戦は終わった。渋滞によるストレス、極度の眠気、そして同じ曲を聴きつづけることによる精神の衰弱により彼は違うCDを聞き始めてしまったのだ。ハチオウジシティまであと50kmを切ってのリタイアであった。
 
 アワーレコードに失敗したJ.セタの表情は意外にもサバサバとしていた。記者会見で今回の挑戦についてこうコメントしている。
「今回のチャレンジにマキシシングルを使ったのはよりレベルの高い記録を目指したから。でもセレクトしたCDは失敗だったよ。4曲入りだったのだがその内2曲はカラオケバージョン。だから実質的に曲は2曲でしかも気に入ってるのはその内の1曲だけだから、僕はその約4分の一曲だけでチャレンジしてたことになるね。レースもだめでアワーレコードも失敗、でも落胆はしてない。どちらもベストを尽くせたから。」
 
 1日でのMTBレースとアワーレコードの挑戦は疲れたのかこのコメントだけで記者会見を打ち切ったJ.セタ。「アワーレコードに使用したマキシシングルはキンキキッズだというのは本当?」「本当は来週行われるカラオケ大会の練習のためにチャレンジしたのでは?」そんな無責任な質問を無視するように記者会見会場を後にするJ.セタの表情は一見サバサバしていたがその瞳の奥は輝いているような気がした。
 
 成功した者の笑顔は美しい。しかし挑戦者の明日を見据える瞳の輝きはもっと美しい。失敗はしたが今回のアワーレコードへの挑戦で彼は精神的自信を取り戻したに違いない。チャレンジはまだ終わらない。


2002年 3DAYS熊野参戦記 その5

 まだまだ無意味なドライブは続く。車はどんどん山奥に入っていく。渓谷の横を走る山岳コース。なかなかも景色が広がる。そんな景色を見ていたB.Bが口を開く。「綺麗な川だ。俺こういうの好きなんだよなあ。」どうやら話を聞くとB.Bは自転車、菓子パンの次にきれいな川が好きだという川フェチだということが発覚。どうせしばらく下北山には着かないから少し休むかということで、車を路肩に止め小さな滝があったので見学がてら休息した。
 その滝は小さいながら力強く優雅であった。「やはり自然は美しい・・。」なんて思っていると誰かが「マイナスイオンが・・」なんて話をしている。どうやらこういった滝とか水が落っこちているところにはマイナスイオンが出るらしく、それが健康にいいそうだ。「こんなとこまできてヘルシーな話題か。」全くみんな健全なアスリートだ。

 すっかり全身にマイナスイオンを浴び、ヘルシーになったチームガッタのドライブはさらに山奥へ。美しい渓谷を抜ける道がいつからか足尾銅山みたいな禿山を抜ける道になってきた。どうやら伐採をしてるらしい。しかしそんな景色の変化などは疲れきった我々の心を動かすほどのことではない。
 疲れきったB.Bに「こんなに長いヒルクライムじゃ練習コースにしたくなくなったんじゃないですか?」と聞くと「絶対来たくないね。ハンガーノックになったらどうしようもないよ。途中で帰ろうにもこの長さじゃ。」と弱気なB.B。だから私はB.Bに「大丈夫です。山菜がいっぱい生えてますから、それでしのげます。」と勇気付けた。「腹が減ってるときに生野菜か・・。どれだけ食べれば満腹になるんだ?」そんな疑問が頭をよぎったが言わなかった。

 禿山を走っていると道の横に木造の小さな小屋が見えた。「コンビニか?」チームガッタのみんなが目を輝かす!!小屋の横で減速してみる。小屋の窓ガラスは割れたおり、廃墟のようだ。壁にはカラフルなラッカーでどう読んだら良いのか分からない漢字が羅列してあった。どうやら地元のヤンキーの仕業らしい。
 こんなところまでヤンキーは来るのか・・・。ここまで1時間以上かかるのに・・。しかもこの全く人気のない山奥にだ。そもそもヤンキーは目立ちたいからやってるんじゃないの?こんな山奥で暴走行為をしても誰も気づかないし、大体近所迷惑にならないからいい奴じゃないか!!いったい彼らは何のために存在してるんだ?
 「この辺のヤンキーは偉いなー。」などと感心しながらドライブはまだ続く。

2002年 3DAYS熊野参戦記 その4

 午前11時前になんとか国道425号に入った私たちは驚いた。何しろ道幅が狭い。車1台分しかない。しかも民家の間を抜けるので細かく曲がっている。「これやばいよ、田舎過ぎる道だ。引き返す?」なんて話しながら進んでいくと道は民家を抜け、山を登り始めた。どうするものかと考えていると、上からゴミ収集車が3台連続で降りてきた。これを見て我々は考えて一つの結論を導き出した。「この山の上にはゴミ収集車が必要なぐらな繁栄した町があり、下北山はかなり栄えている。」この無責任な何の根拠もない考えが間違ってることはその後30分もしないうちにわかる。
 下北山が栄えてることを勝手に考え、我々は山道をかっ飛ばす。「早く下北山に着いてファミレスで食事をしよう。」それがみんなの意見だった。正午まで後1時間なのだ。山道は民家を過ぎてから急に険しくなった。完全に森の中に入り人の気配はまったく無くなり、アスファルトは所々はげている。多分この国道には一回税金が使われただけで、その後税金が投資されたことはないのだろう。年度末になると意味の無い道路工事に税金が使われて腹が立つが、この国道425号には税金を使ってもいいと思う。それほど寂しい道だ。

 木々のトンネルの中をひたすら走り、山を登りつづける。完全にドライブだ。こういった林道を走るのは楽しい。自転車大好きなB.Bが「こんなところが自宅のそばだったら毎日自転車で行っちゃうよ」何て言ってるのを聞いて、私が「僕は週2回で満腹ですよ」なんて答えて軽い笑いが車の中にこだまする。そう、このころまでは・・・。
 それからしばらく進むが景色が森の中から変わらない。いったいどこに下北山はあるんだ?このカーブを曲がったらいきなりコンビニが・・・。あの坂を登るといきなりガストが・・・。なんて思っていてもそんなのは現れない。もしかしたらあの山頂に理想郷のような繁華街が・・・。なんて思って山の上を見るが木がぼうぼう生えてるだけで何も見えない。国道425号に入り30分が過ぎて、我々も焦りを感じてきた。「あまりにも人の気配がなさ過ぎる」

 よく考えてみるとゴミ収集車から他の車にすれ違ってない。おかしい・・・。みんな笑っているが、相当あせっているはずだ。そんなことを考えているとどうやら山を登りきりそうになってきた。山頂が近い。私はホッとしたところでB.Bが突然大声をあげた。「俺見ちゃったよー!!」なんだ?熊か?死体か?それとも地元民のGIANT ARTのキョーシが自転車で登ってきたのか?私の疑問に答えるべくB.Bはさらに叫んだ。「向こうの尾根にガードレールが見えた・・・。」ガードレールが存在するということは、道も存在するということだ。
 「何言ってるんですか。もう山も登りきりますから、きっとちょっと下ったところに盆地があってそこにはパラダイスが・・。」と、言おうとしたところで道が急にカーブして隣の尾根に向かい始めた。「なんてこった!!」山頂はすぐそこに見えてるんだぞ!!みんな口々に汚いスラングを発する。どんどん我々の車は山奥へ入っていく。だめだ!!360度見えるものはすべて緑の自然だ。どこにも人のすんでる気配がなくなった。まったく緑がまぶしいぜ、とほほほ・・・。

 完全に文明から遮断された道を走りつづける。どうやら下北山はまだまだつかなそうだ。半ば諦めが入ったメンバーはまた落ち着きを取り戻し、軽口をたたきながら山岳ドライブを楽しみ始めた。国道425号に入って1時間ほどした所で路肩に車が止まっていた。それもただのセダンだ。中には人はいない。みんな不思議に思う。「死体を捨ててる」とか「ごみの不法投棄」とか「自殺」なんて意見も出た。何だろうとみんなで考えてると、同じような車が何台も止まっている。よく見ると山の斜面におばさんがへばりついてるではないか。どうやら山菜を取ってるらしかった。「たぶん地元民にとってはこれぐらいの山は庭みたいなものなんだろう。」なんて考えつつ車を走らせる。道はまだまだ続くのだ。

2002年 3DAYS熊野参戦記 その3

 ふと目を覚ますと車が路肩に止まってる。どうやら運転していたB.Bが眠たいので交代を要求したいらしい。今まで散々眠っていた私が運転を買って出る事にした。三重県は田舎だと思っていたが、意外に栄えている。道は広いしところどころにコンビニ(やたらサークルKが多い。異常に駐車場が広いのが特徴。多分、都内ならその駐車場内にもう一戸コンビニが立つぐらいの広さだ。)も在るし、民家も多い。しかも道の横はすぐ海で潮風が気持ちいい。

 海岸線を朝からドライブとは楽しいではないか。はじめは眠たかったが、すぐに目が覚めて楽しくなってきた。しかし目がさめてきた私とは逆にB.Bとシノヤマ氏はまた眠りについていった。まあ、朝飯食って満腹のところに太陽が昇って気温が上がってくれば眠くなるのは当然だ。また一人で運転となってしまった。「まあ、道は一本だしナビの必要もないからいいか。」と思いつつ運転してると突然道が狭くなる。しかも美しい海岸線の道から突然山岳へ向かう道になり、民家はなくなり道幅も車一台分になってしまった。「なぜみんな寝るといきなり道が変わるんだ・・・」そんなことをつぶやきながら進むと、ついに山をのぼり始めた。

 その山がものすごい急勾配。多分平均9%は超えるんじゃないか?それでいて道幅が車一台分。対向車が来たらこの慣れないラルゴではすれ違えないだろう。かといって「道が狭くてびびったので運転変わってください。」なんて寝てるみんなを起こせるわけがない。もう半べそを掻きながらラルゴをかっ飛ばす。こんなに私が苦しんでいるのに、みんな首を横に傾け、口を半開きにして気持ちよさそうに寝ている。「何で俺だけこんな目に・・・」と理不尽な怒りが込み上げてきたが押さえ込む。そう、私は大人でありアシストなのだ・・。
 何度か対向車が来たが運良く道幅の広いとこですれ違うことができた。早くこの道を終わらせたいのでかっ飛ばし上ること15分ほど、最後は本当に車の幅しかないトンネルで終わった。まったくこの恐ろしいトンネル。長さは100Mはゆうに有るのに、電気なし。もし対向車が着たらどうするのかなんて考えたくもないトンネルだ。このトンネルだけでもみんなに見せたいと思ったが、起こしたところで二言三言文句を言われて、また寝てしまうだろうと止めた。
 その後の下りは大して勾配もなく、道幅はだいぶ広がり快適だった。下りきったところで大きな道に合流して、また快適ドライブとなった。しばらくするとみんな起き始め、「催眠術でもかかってたんじゃないの?」と思ったのは内緒だ。

 さて第一ステージは奈良県の下北山で行われる。どうやら山岳地帯にあるスポーツ公園がレースコースらしい。隔離されたところで行う日本のレースコースに相応しい場所だ。この下北山に行く方法が2つありひとつは、このまま熊野まで南下してそこから下北山に登る方法。もうひとつが熊野へ行く手前にあるとある町(名前を忘れた)から国道425号で下北山に登る方法だ。地図で見る限り熊野に行くルートより国道425号からのルートが近いので我々はなんの躊躇いもなく国道425号を選んだ。
 この国道425号の入り口が分かりにくい。国道の癖にやけに細くて民家の路地みたいな道なのだ。「これ本当に国道?」なんてB.Bと笑っていたが、このとき引き返していれば・・・。この道がとんでもないことはすぐにわかるのであった。


2002年 3DAYS熊野参戦記 その2

 さっそく運転をはじめた。正直言うと今回運転するラルゴのようなワンボックスを運転するのは初めてなのだ。しかしそんな言い訳をB.Bは聞き入れてくれない事はわかっていた。彼はアシストを求めていたのだ。午前1時半ごろ、一番眠たい時間帯に私は運転をはじめた。
 運転をはじめてしばらくは話をしていたB.Bが静かになった。どうやら寝てしまったようだ。やはり監督のシノヤマ氏も寝ているようだ。次の休息地点は浜名湖。そこまでの我慢だ。このラルゴはB.Bの愛車のひとつですでに10万キロは走っている年代物だ。残念ながらこのラルゴにはCDデッキはついてない。本当はついていたら眠気覚ましに音楽をかけたいとこだが、みんなも寝てることだしラジオも我慢しよう。

 みんなは寝てるのですることは運転だけ。暇だ・・・。周りの景色は夜なので何も見えない。見えるのは反対車線を疾走するトラックばかり。このトラックの上についてる緑色のライトが曲者だ。みんなおんなじライトで大体等間隔で走っている。暗闇の中から緑の光がチラチラと等間隔で俺の目の中に入ってくるのである。まるでドラッグビデオのようだ。眠気覚ましに景色を見ているのに、この光のせいでトリップしそうになってしまう。いかんいかん、居眠りよりたちが悪いではないか。もう反対車線も見ることができなくなってしまった。
 暇だ・・。やることがないので運転に変化を持たせよう。B.Bはラルゴが*00キロぐらいしかスピードが出ないといっていた。本当にそうか試してみることにした。アクセルを踏みつけると・・・。なんだ*20キロぐらいは出るじゃないか。くだりなら*40キロは出るぞ。しかしその日はかなりの強風だった。すぐハンドルを取られる。このラルゴという車、怖い。これは眠気覚ましになる。手に汗握りながら走りつづける。

 この時間帯になると走ってるのはトラックばかりだ。このトラックの間を走り抜ける。そこで車線変更をするわけだがこのラルゴのルームミラーとサイドミラーも怖い。ルームミラーは普通なのだが、サイドミラーが湾曲してるらしく映ってる車がやたら遠くに見えるのだ。はじめはそれに気がつかず、サイドミラーを見ながら車の前に車線変更して、ルームミラーを見るとやたら車が接近していてびっくりしたのだが、だんだんその理由がわかってきた。しかし、それがわかっても眠たい私の頭では瞬時にルームミラーとサイドミラーのどちらを信じていいのか判断できない。まったくB.Bはとんでもない車を持っているものだ。
 反対車線のトラックのランプ、眠気、そしてラルゴのミラーと格闘しながらなんとか浜名湖に3時過ぎに到着したのであった。

 ここで運転を交代して、私はやっとこ睡眠をとることができた。みんなには申し訳なかったがこの睡眠は朝7時近くまで続くのであった。そしていつも間にか三重県に突入。朝飯をコンビニで取る。我々は休みだが世間では平日。学生が自転車で通学している。なかなか微笑ましい景色だ。ほとんどの学生が通過したあと一人の学生が自転車を押しながら走ってくる。どうやらチェーンが外れたようだ。我々7人の集団の中にサイクルショップ勤務経験者が3人。しかし誰も彼を助けようとはせず笑ってるだけ。酷いのう。まあ私も助けに行かなかったのだが・・。

三重の道は広くてきれいだ。それに回りの自然もすばらしい。それを見てるうちに朝飯を食べたこともありまた寝てしまったのだ。

2002年 3DAYS熊野参戦記 その1

 今年の2月ごろだったか、私が所属しているチーム「TEAM Gatta」(チーム ガッタと読む)が3DAYS熊野に参加することが決定した。当初私は参加メンバーに入ってないと思っていたのだが、スドーマンが参加を辞退したことで私に参加要請がきた。
 本当のことを言うと今年はハードな練習をしてなかったのでBR−1クラスのレースは参加するつもりはなかったのだが、チームキャプテンのB.Bが今年で引退するので、「B.Bがいなんじゃあ3DAYS熊野に参加できるのも今年が最後だろう。じゃあせっかくだから出るか。」と軽い気持ちで参加を受諾した。
 そこから私は3DAYS熊野に向けて練習をはじめた。去年は救済処置に引っかかり何とか最終ステージまで行ったので、今年は何とか自力で最終ステージに行きたい。そして第2ステージの山岳コースで納得のいく走りをしたいと考えていた。そこで時間があれば近くの峠に走りに行って山岳コースをイメージして練習をはじめたのであった。

 そして4月17日。3DAYS熊野へ出発の日がきた。去年と同じく深夜にKbyn宅へ愛車をかっ飛ばす。今年の参加メンバーは兵ぞろいだ。
 まず絶対的エース、「B.B」。念願の大量の練習時間を無理やり手に入れ、春先から好調のようだ。チーム内でも好成績を期待されてる。が、集合日前日になぜか4時間しか睡眠をとらないという暴挙に出る。「大量の練習時間はあるが睡眠時間はないのだろうか?」という疑問に駆られる。
 次が「kbyn」。B.Bと互角に走れる数少ないチームメンバー。しかしGatta自体のメンバーが少ないという突っ込みは厳禁だ。こないだのCCRR(チャレンジサイクルロードレースの略だ!!)から風邪っぽいらしく体調はいまいちのようだ。
 そして「A.Nii」。去年も参加したがどうしても抜けられない結婚式がレースとバッティングして一人第1ステージ終了後帰宅した悲しい過去を持つ男である。今年は特に用事もなく全ステージ参加できるのだが、kbynと同じく体調が悪いらしく咳に悩まされている。
 さらに秘密兵器の「エスパー」。私は今年初めて会ったのだがあたりのよい好青年だ。チーム最年少ながらBR−1にランクされ、TEAM Gattaの3DAYS熊野参加を決定させた兵だ。買値2万5千円のフレームに乗ったり、練習に誘うと断る理由が「どうしても抜けられないバイトがある」と言い、そのバイトがファミレスの調理係という「本当に抜けられないの?」と、多数の疑問を抱かせる謎の多い男だ。
 そして監督のシノヤマ氏。毎年監督に悩ませられるが、今年助けていただくのがシノヤマ氏だ。さらにシノヤマ氏のお子さんも一緒に参加。
 今回は私を含む総勢7名という大所帯だ。ちなみに昨年監督だったTY(去年の3DAYS熊野日記を参照してくれ)は以前から用事があり監督として不参加と表明。みんな苦笑いをしながら「残念だなあ」口々にしていたが、出発当日、Kbynから「第1ステージからTYが合流する」と言う爆弾発言!!みんな一瞬動きが止まるが、覚悟を決めたのかそそくさと出発の準備をはじめたのであった。

 さて各自、車から荷物を移す。今回は参加者が多いので車2台で移動だ。車種は昨年と同じくレガシーとラルゴ。振り分け的にはレガシーにはKbyn、A.Nii、エスパー。ラルゴにはB.B、シノヤマ親子、J.セタ(私だ)。この分け方で固定でいくことになった。
 夜の0時、準備も整い出発。まず東名にのり、とりあえず近くの休憩所で軽いミーティングをした。時間は1時過ぎになっていた。だいぶ眠い。本当は寝たかったが、B.Bの一声で私が運転をすることになった。どうやらB.Bも寝たいらしい。こういうときのエースの権力は絶対で逆らうことはできない。多分レース中より強力だと思われる圧力を私にかけてきた。私は蛇ににらまれた蛙のごとく身動きひとつできず車のキーを掴まされたのであった。

02/02/24
再びJ.セタのロードレース出場に赤信号点滅
今度は何がJ.セタの身におきたのか?

 GSセタイタリアのエースJ.セタがレース復活に向けてトレーニングを開始したという噂が流れたのが’01年の8月であった。5月の怪我から約3ヶ月の闘病生活を経てJ.セタはまたこの世界に返ってきた。当初は10月の秋の岩岳に間に合わせるというJ.セタ本人の表明もあったが思った以上にリハビリに時間がかかり結局’01年はレースに復帰はなかった。
 
 しかし’02年のお正月早々に2月の都ロードをレース復帰第一戦にするという発表がありファンを喜ばせたが、その都ロードよりも早い1月のCWS3時間耐久レースに突然エントリーし、しかも優勝してしまった。これにはもはや我慢の臨界点に達していたファンも大満足。このレースについてJ.セタは
「いままでの経験からたまたま勝つことができた。まだ右足の筋肉が完全じゃないね。今日は勝つために3回ペースアップをしたけど、走りはレース中一緒に走ったT.ヤマグチ(MX)の方が数段いいね。この調子では4月に参加予定の3DAYS熊野でいい走りができるか心配だ。」
 このコメントからもJ.セタがまだ本調子ではなく、さらに今年の目標を4月開催の3DAYS熊野にあわせてきているのがわかるが、シーズン頭の4月に今年の目標がきてしまったらその後はどうするのだろうか?そんな疑問も感じないぐらいJ.セタは燃えているのだ。

 ここまでは順調な滑り出しを見せたJ.セタだったが2月に入り自転車以外のことで多忙を極めることになっていた。シーズン前の2月の走りこみは今シーズンを左右しかねない重要なファクター。それを知りつつ、焦りを感じながら限られた時間の中トレーニングを続けるが自分の思ったようなトレーニングができない。そんなJ.セタにさらなる試練が襲い掛かる。
 
 先日開かれた緊急記者会見でJ.セタは眼の下にクマを作り、疲れ切った表情でコメントした。
「自宅から1時間もしないところに大垂水峠という小さな峠があるんだ。そこに走りにいって峠の上り口に入ったところでシッティングからダンシングに切り替えたらどうも右足を引き上げるときにリズムがワンテンポずれるんだ。
 はじめはまだ右足が完治してないのかと思っていたが、そのうち右足を引き上げたときに一瞬減速するようになった。そこでよく見ると後輪がチェーンステーにすってるではないか。俺は後輪のハブシャフトが緩んでるので、手でできるだけ閉めようと思い道端に停車。おもむろに後輪のクイックレバーをゆるめたんだ。
 そしたら、エンドがボロッと落ちたんだ。もう一度いうぜ、エンドがボロッだ。しかもリアメカをくっつけたオマケ付きな。
 もう笑うしかなったよ。とにかくそのときは家に無事に帰ることを第一に考えていた。だってそこは家から1時間ほど離れた峠道の途中だったから。」
 このとんでもないアクシデントによってJ.セタはロードレーサーを失った。このことは予備バイクを持たないJ.セタにとってロードレースに参加できないことを意味している。昨年は肉体的にロードレースに参加できなかったが、今年は物質的にロードレースに参加できないのだ!!

 GSセタイタリアのエースは、まだ次に乗るロードレーサーが決まっていない。次のレース予定は3月中旬の都ロードだ。残された時間は少ない。
 しかしJ.セタは決してあきらめない。すでにサイスポを入手して通販ショップに電話を掛け捲ってると言う未確認情報も飛び交っているほどだ。さらにターゲットはスローピングでアルミかチタンというまことしやかな情報までも当局では入手している。いったいJ.セタがどんなバイクを入手するのか?さらに3月の都ロードにそれは間に合うのか?今年もJ.セタから目が離せない!!



02/01/23
遂にG.Sセタイタリアが2002年度のチーム体制を発表!!
J.セタ自ら今年度のチームを語る。


 大幅なメンバーの補強から昨年度は活躍をシーズン開幕前から期待されながらも、全くと言っていいほど成績を残せなかったG.Sセタイタリア。その前兆はシーズン開幕直前からあった。
 J.セタがMTBレースでの将来性を期待してリクルートしてきたS.ヤマダがMTBのJCFレース開幕戦直前に突然のチーム移籍。この突然の事件によってJ.セタのMTBレース完全攻略の野望はすでに終わっていたといえる。
 さらにキャプテンのJ.セタも春先から調子が上がらないままシーズンに突入。ロードレースに6レース出場して完走はわずかに1つ。それもTTだけという始末。さらに5月に怪我を負い、彼のシーズンは終わった。
 また都民大会とJCRCのレースでの活躍が期待されたYI.スズキもプライベートの問題を引きずったままシーズンに突入。期待されたJCRCのレースにはほとんど参加できず、チームの首脳陣を悩ませた。しかし2連覇のかかった都民大会では見事優勝。かろうじて面目を保つことになった。
 2001年より新設されたDH部門としてJ.セタがつれてきたのがT.サトー。ほとんどレースに参加しなかったJ.セタとYI.スズキに代わり精力的に日本中のレースに参加し、クラシックレースのひとつに数えられるCSAカップのサブイベント”ドリフト君”で見事3位にはいるなどチーム内で一人気を吐いていた。

 昨年の活躍を振り返るともはや「活躍」という単語を使っていいのかと疑問を持たざるおえないG.Sセタイタリア。しかしGSセタイタリアの飽くなき勝利への挑戦は続く。02年1月17日にCWS846カップの会場脇の河川敷特設会場でG.Sセタイタリアの02年度のチームプレゼンテーションが行われた。このプレゼンテーションにはJ.セタも現れ、今年度のチームメンバーについて感想を語ってくれた。

Q:昨年は散々な結果だったね。これはチーム体制に問題があったの?
A:特にチーム体制に問題はなかったと思うよ。確かにS.ヤマダがシーズン直前にチームを辞めていってしまったのには怒りを感じた。彼がいれば結果は変わっただろう。あとのメンバーは期待通りのパフォーマンスを見せてくれた。YI.スズキは昨年も都民チャンピョンになったし、T.サトーにいたってはCSAカップで3位だけでなく、「ときめきメモリアル2」で全員の女の子を攻略したんだ。いいかい全員の女の子をだよ。これは大変な快挙だ。ただYK.スズキは残念だった。彼女はすばらしい素質を持っているが去年は開花させられなく今年はチームを出て行くことになってしまった。

Q:今年のメンバー一人一人についてコメントをもらえないかな?まずはYI.スズキから。
A:彼は私の輪界生活の中で知る一番のおしゃべりな男だ。彼を黙らせるのは困難だけれども、彼をクロスマンとして走らせるのは困難ではない。去年の9月に膝にシビアな怪我をしてけれど、それを克服して11月・12月のシクロクロスで勝利を挙げた。見ててごらんかなり先だが今年の11月からのシクロクロスを、きっとすばらしい走りを見せてくれるはずさ。

Q:じゃあ次はT.サトーについて。
A:30歳も過ぎて勝利量産というわけにはいかないだろう。しかし大きなレースには必ずエントリーして参加している。今年もビッグレースでの彼の参加を期待してるし、もちろん「ときめきメモリアル3」も全員を攻略してくれるはずさ。彼は本当に自転車と「ときメモ」を愛しているんだ。その姿勢は尊敬に値するよ。

Q:最後は新メンバーのK.スズキについて頼むよ。
A:私は以前から彼に注目していたんだ。彼は10年近くもレースを続けているから、その経験を生かしてチームをひっぱていってもらう予定さ。またバイクに対する姿勢も気に入っている。彼だけだよ、いまだにUブレーキのMTBにのってレースに出場してるのは!!きっとDH部門でT.サトーとツートップ体制で暴れてくれるだろう。

Q:今季のG.Sセタイタリアの活躍を期待してるよ。ところでJ.セタ自身の今年の目標は?
A:大きな声じゃ言えないが、レースで完走できれば満足さ。


01/11/19
感覚と現実のギャップ・・・・J・セタの苦悩
スーパーアシストYI・スズキの告白


 私のチームメイトにJ・セタという男がいて、彼は事情によりレースからしばらくはなれていた。しかしそのJ・セタが最近活発に自転車活動を起こしていて、彼の復活は本物だと確信していた。その彼がロードバイクのために新しいシートクランプを購入することが決まり、それもカンパニョーロのシートクランプだと知ったとき、私の胸は高鳴り、いっそうJ・セタのことが好きになった。
 彼とはチームのクラブハウスで一緒に過ごす時間が多く、自転車に乗らない時もよくいっしょに談笑したり、時には私の家族と夕食を共にすることがあった。
GSセタイタリアを発足させる前はバイクショップで働いていたという経歴を持つ男だから自分のバイクを調整してしまうぐらいの腕は持っていた。しかしカンパニョーロのシートクランプを買ってから、J・セタ愛用のロードレーサーのプリンスにそのシートクランプがついているのを見ることはなかった。

 11月のある日、私はクラブハウスの椅子に座り、読めもしないイタリアのバイク雑誌にかじりつくJ・セタを眺めていた。その時も彼はカンパニョーロ社の広告を熱心に見ていたが、なぜカンパニョーロのシートクランプをつけないのか私には理解できなかった。
バイクショップに4年も働いた男が、辞めてから自分のバイクをいじれなくなるはずがない。辞めてから3年で足らずでシートクランプでさえ自分で付けられなくなるはずがないと、私は自分のいらだつ気持ちを抑えようと必死だった。
 私が率直な質問をJ・セタにぶつけたとき、雑誌をながめる彼の背中が一瞬、ショックでぴくりと動いたのを覚えている。あれほどイタリアパーツ、特にカンパニョーロが大好きなJ・セタがなぜカンパニョーロのシートクランプをつけないのかと、しぶとく質問を浴びせる私に、J・セタはやっと重い口を開いた。
「YI・スズキ、君は自分のバイクのシートクランプをまだ交換したことがなかったね。自分で交換したら、君にも理解できるときがくるよ。」
 すぐにそれから、私はひらめいたとばかりに、J・セタのプリンスのシートクランプを見に行った。そこにはメイド イン タイワンのUNOクランプがついていた。その後もプリンスにカンパニョーロのクランプはつくことはなく、私のクランプへの興味も薄らいでいった。
 それから数日後、J・セタが私に説明できなかった秘密の、そのすべてを知ることができた。J・セタは私に恥ずかしくていうことができなかったのだ。すべてを知って笑い転げるチームメイトを、きっと彼は見たくなかったのだろう。
シートクランプにはいろんなサイズがありカンパニョーロのクランプは31・8しかサイズがなく、プリンスのシートクランプのサイズは34・9だということ。つまりサイズの合わないシートクランプを買ってもつけることができずに無駄な買い物になってしまう。この事を知り、私は自分がずいぶんと、大人になったように感じた。

 さらに数日後、彼は来シーズン用にシダスのインソールを購入してきた。けして安いとはいえないこのインソールはレンジで暖めることにより自分の足型に変形させることができるという特性を持っている。このすばらしい特性を知ってこのインソールを求める自転車選手は多く、J・セタもそのうちの一人だ。しかし前述のカンパニョーロのシートクランプ同様、彼のシューズに新しいシダスのインソールが入ることはなかった。
 彼はレンジの温度を高温に設定したままインソールを入れて、テレビに見入ってしまった。そのためグレーの真新しいインソールは2分後にはピンポン玉大の炭素の固まりに姿を変えていた。定価5000円以上もする靴の中敷きがたった2分で1円の価値もなくなったのだ。
 カンパニョーロの件、そして今回のインソールの件と立て続けに起きるアクシデントにさすがのJ・セタも瞳から流れる熱いものを隠そうとしなかった。その雫はクラブハウスに差し込む夕焼けの光に反射して悲しく輝いていた。

 今まで10年近くJ・セタと行動を共にしてきたが、立て続けにこんなミスを犯すことはなかった。どうやら6ヶ月のレースのブランクが彼の感覚を麻痺させてしまったらしい。彼も自分の行動と現実とのギャップを歯がゆく感じているだろう。
「来年に向けて気分転換のつもりでシートクランプや、インソールを買っているのに、何といっていいか分らない。シートクランプの件を知人にこの事を話すと『おまえはもう終わっている』なんていわれたよ。とても不思議なことだ。自分の自転車買い物歴の中でこんなに失敗したことはない。もうこれ以上この件に関することを話すのは無意味だ。」
 クラブハウスでインソールを炭素にしてしまった後のJ・セタのコメントは今思い出しても痛々しい。

 何も変えることができずに終わってしまった気分転換の買い物。それでも私は彼を待っている。もう一度彼が嬉しそうに新しく装着したバイクパーツを自慢しにくることを。麻痺してしまった感覚を取り戻し、理想と現実のギャップを埋める日がくるだろうか。
 ある日J・セタの失敗がおかしくないのかと問われて、私は答えた。
「私が笑うわけがないじゃないか。私はJ・セタ率いるGSセタイタリアのチームメンバーなんだ。J・セタの笑顔が見るのがなによりうれしいのさ」


01/10/17
J.セタは空白の150日を取り戻せるのか!?


 J.セタが5月のMTBレースで怪我を負ってから早くも5ヶ月が経とうとしている。その間J.セタは公の場に姿をあらわしたことは一回もなかった。レースに現れないJ.セタを口の悪いマスコミや心無い一部のファンは「彼はレースの拠点をイタリアに移したから最近姿を見せないのさ」「J.セタ?あいつは全身火傷で、さらに傷口に塩を塗ってしまったんだってよ。再起は無理だよ」などと陰口をたたき放題。
しかしJ.セタはそんな中傷を受けようとも一言も反論せずに耐えてきた。このセタイタリアのかつてのエースは知っているのだ。そんなに口で反論するよりも、走りで表現する方がどんなに効果的かを。

 そしてその日は突然やってきた。10月の秋の岩岳。MTBシーズンを締めくくるビッグレース。日本中からシーズン最後の栄冠を狙った猛者どもが現れる岩岳にJ.セタが突然現れたのだ。今回のレースのスタートリストにはJ.セタの名前はないのに何しに現れたのか?XCレースの2日前、J.セタは緊急記者会見を開いてとんでもないチャレンジを発表したのだ。
「私はこの岩岳のXCコースを一日に4周することに挑戦する。期間は今日と明日の2日間、合計2回のチャレンジ。このチャレンジは今シーズンのレース活動の自分自身へのけじめをつける意味と来シーズンへのレース活動への復帰への足がかりの意味の2つがある。」
 5ヶ月ぶりにマスコミの前に姿をあらわしたJ.セタは少々早い口調でいっきに話し終わると質問を一切受けずに記者会見を終えてしまった。
 今回の岩岳のコースは一周10KM。しかしこれは大会側の発表であり、噂では12、3KMはあるのではないかというのが大方の意見であった。それを1日で4周も走るなんてことは並大抵のことではない。ましてやJ.セタは5月のレース以来一回もMTBに乗っていないという。まったくといっていいほど無謀な挑戦だ。
 この記者会見を聞いていた東京から来たという小柄なサイクリストはこんな事を言っていた。
「彼は来シーズンのレース活動復活をこの岩岳にすべてを懸けたんだ。彼の練習環境なら来年、ただのレース活動復帰はできるよ。でもより高いレベルでの復活を狙うにはやはりレースコースを使って高度なトレーニングが必要だ。なんてことを考えてるんだ!!アイツは性格的には難しいやつだけど、これはあまりにも無謀な行為だ。」

 記者会見が終わるとJ.セタはすぐにもチャレンジを開始した。午後2時過ぎ、一回目のチャレンジの為にJ.セタが5ヶ月ぶりにジャージ姿で現れる。青と黄色のジャージ姿は5月からまったく変わっていない。しかしあれだけこだわっていたルディプロジェクトのヘルメットはリッチーにかわり、また輪界一のこだわりを見せていたサングラスはなくモロフェイスになっていた。またシーズン閉幕を知らせる秋の岩岳に敬意を表するのかごとく、バイクにはなぜか今年の春の岩岳のゼッケンを装着してあった。他の選手がこんなパフォーマンスをすれば浮いてしまうとこだが、様になってしまうところがJ.セタ。役者が違うのだ。
 J.セタは大勢の観客が見守る中、サドルにまたがった。
「遅すぎる!」トライを見守るスタッフから声が上がる。一周10KMのコースを回るのに約50分を費やしていたのだ。そして3時間後、うめき声のような落胆の声に岩岳は揺れていた。クールダウンのためゆっくりとローラー台に乗るJ.セタ。彼と電工掲示板に点灯する数字だけが冷静だった。3周。日暮れによりコースが見えなくなり3周でJ.セタはチャレンジを終えなくてはならなかったのだ。彼は時と戦い、負けたのだ。
 
 翌日、J.セタは再び岩岳XCコースに姿を現わした。それも前日より2時間も早い12時に!彼に残された時間は今日だけ。昨日のような時間切れという失敗は許さないという意思の現われだろう。ハンドルバーをきしませ、あらん限りのパワーをたたきつけるセタ。22*34のスモールギア。激坂登りの極端な前乗りに顔が歪む。やはり1周50分ペースだがそれでも計算上、4周回る頃には4時過ぎ。十分日暮れには余裕があった。いや、あるはずだった。前日の日暮れによる失敗が頭をよぎったのか、それとも2日連続のチャレンジが予想以上の疲労を生んだのか3周回目にまさかのパンク。予備チューブを持たないJ.セタは穴の開いたチューブにパッチを張って修理。水の入ったバケツを使わなくてパンクの穴を見つけてしまうのはさすがだったが、暗いシングルトラックでのこのリカバリーは予想以上に時間を浪費してしまった。
 それでも驚異的な追い上げを見せるJ.セタはなんとか4時過ぎには4周目に突入。もはやチャレンジ成功は時間の問題と見られていた矢先の出来事であった。ちょっとした油断からか、果てまた夕暮れと共に降りてきた露によるものなのか時速20km/hを超える高速のシングルトラックの左コーナーでマックススピードで落車。左コーナーで落車したのになぜか右ひざを強打してしまった。苦痛に顔を歪めるJ.セタ。激しい流血を続ける右ひざ。彼のチャレンジはここで終了となった。
 
 激しく泣きじゃくるJ.セタ。チャレンジ成功まで後たったの4KMほどであった。この成功が来年のレース復帰へつながる物と信じていたJ.セタにとってはこの失敗はどんなに苦しい物か我々には想像が出来ない。落胆しきって生気を失った表情でスタッフに囲まれながら岩岳を後にしようとするJ.セタ。それを取り巻く大勢のマスコミから容赦無い質問が飛び交う。そこに取り巻きの人々を潜り抜けてJ.セタに近づき、やさしく背中をたたきながら語り掛ける老サイクリストがいた。
「J,今日のことは忘れろ。また来年があるじゃないか。」


01/07/25
BIG BOSS'S BIG DREAM!!
M.ニシタニがついに都ロードを制す!!!


例年どおり,長く,険しい山岳コース
食らいつくホカリ、粘る日大
ビッグタイトルが欲しい二人の前に
穏やかな"B.B"は大きく立ちはだかり続けた
初タイトルを手に入れたのは埼玉県民、M.ニシタニ
運を凌駕し,実力で都ロードのタイトルを手に入れた男だ


 今回の都ロードは,いつもと何かが違った。毎回恒例の修善寺CSCのスタート地点には多くの選手が並んでいるが,都ロードの盛り上がりは今一つだ。それというのもファンが声をそろえて大声援を送るはずだったBSやその他の有力チームの姿がないからである。海外遠征に行ったり,暑くてオフを取るのも良いが,ファンとしては面白くない。小さな山村でおこなわれるレースには、選手たちの走りを心待ちにしている人々がいることを忘れないでもらいたい。

 レース前の選手紹介に姿を見せた各チームの面々。いるぞ,いるぞ,昨年大活躍のリュウゴウ(ニッポ)も精悍さを増して良い顔だし,学連最強の名を欲しいままにしてる日大も気合十分といったところだ。また明治,慶応といった学連も侮れない。春先にはあまり活躍が見れなかったM.ニシタニ(CWS)もスタート20分前に到着。取材陣に囲まれたくないのかM.ニシタニはレース開始ギリギリに会場入り。相当ナーバスになっているようだが,その瞳の輝きは何かを狙っているハンターの目だ。一発見せてくれるに違いない。

 レースはまず日大のアタックから始まった。これにニッポがすぐ反応。レースは1周目から高速で展開されることになった。2周目に入ったところでM.ニシタニがたった一人で果敢にアタック,これに日大の選手がすかさず反応し2人で逃げる。しかし4周目に入ったところでこの逃げが大集団に吸収され,すかさずカウンターアタックが入る。このアタックに約10人ほどが反応し逃げ集団が形成される。この逃げ集団から少しずつ遅れる選手が出始める。この中に優勝候補筆頭のリュウゴウが入っていたのは驚きだった。
 この逃げも結局日大の選手,ホカリ(クラブアングル)、M.ニシタニの3人に絞られた。残り4周となったレースは一気に活性化。日大の選手がスプリントポイントでアタックを掛ければ、ホカリが12%の勾配を利用して信じられないスピードでアタックする。しかし,それらもビッグボスことM.ニシタニの野望を砕くにはいたらなかった。まずは日大の選手,そしてホカリの順番でビッグボスのアタックは決まり残り1周で単独の首位になる。この勢いは衰えることなく大勢の観衆が待ちうけるゴールに向かって激走。後ろを振り返ることなく,気が狂わんばかりに腕を振りまわしながらゴールラインに飛びこんだ。

 「教えてくれ,俺がなんという名のレースに勝ったか教えてくれ!!」ゴールしたM.ニシタニは駆け寄ったスタッフに大声で叫ぶ。
「B.B。君は都ロードに勝ったんだよ」スタッフが答えるとM.ニシタニは感情が押さえられないのか叫び続ける「もう一度そのレースの名を言ってくれ!!」

 今年前半の不調を一気に吹き払うような会心の勝利。まるで「これがB.Bの勝ち方だ!」と言わんがばかりの走りだった。去年の活躍から活躍を期待され、今年は更に気合を入れて練習に取り組んだという話しだったB.Bだが春先は不運が重なり目立った成績は残してなかった。しかしそんな不調もこの一勝で吹き飛ばしてしまった。
 「今年の目標は国体と都道府県対抗ロードだけ」と以前から語っていたB.B。今年の春先の成績から出場権獲得が危ぶまれていたが、今回の勝利で出場へのチケットを手に入れたといえる。

 気の早いファンから国体と都道府県対抗ロードの制覇に期待が集まる。そのファンの思いを素直にM.ニシタニにぶつけてみた。「 国体と都道府県対抗ロードで勝つ?それは夢だよ。でも夢はいつか実現すると思っている」静かな趣の中に秘められた闘志を感じるM.ニシタニ。彼のビッグドリームはまだ始まったばかりだ。



J.セタが全身火傷!!
社会復帰に黄色信号!!レース復帰はもちろん5月から赤信号中!!


 彼ほどついてない男はいないのではないだろうか?今年のJ.セタを見ているとそんな言葉が自然と口から漏れてくる。
 冬,シクロクロスで全コース中1%にも満たないコンクリート路面の下りで単独で落車。両膝,両肘を削られるだけならともかく愛車コルナゴクロスについていた自慢のITMのハンドルバーを微妙に曲げてしまった。
「完全に曲がっていたら諦めがつくが,よく見ると曲がってるのが分かるというレベル。交換したくはないが,事実を知ってしまった以上交換しないと気分が悪い。」と,レース後その悔しさをコメントした。
 そして5月のMTBレースでブヨに刺されて発熱し,レースをリタイア。更に帰宅してから現在まで右足に痛みを抱えることになったのは記憶に新しいところ。この謎の症状のおかげで彼はレースを3つキャンセルせざるおわなかった。
 更にこの3つのレースの為に6万円もする高級軽量ホイールを買っていたが、それはレースで日の目を見ることはなかったどころではなく,実際まだ3回しか使ったことがない(実走50KM未満)という本当に日の目を見ていない状態になってしまった。ちなみにこのホイールは今もJ.セタの家の玄関で埃をかぶりながら持ち主の復活を気長に待っている。
 
 そんなついてない彼がリハビリとして腹筋をはじめたのは6月のこと。まだレースを諦めてはいないぞと言わんばかりのこの行動にファンも納得。マスコミはJ.セタの復活がある程度見えてきたものと解釈。さらに足の症状がよくなってきたのか7月下旬に海に行き,ボディボードで更なるリハビリを開始。J.セタがレースに真剣に復帰を考えてることをアピール。レース復活は近いと思われていた。
 しかし夏の海でのボディボードは10年以上自転車の上でしか夏を過ごしたことのないJ.セタにとってはまったくの未知の世界。彼の夏の海に対する知識の無さはそのまま身体に悲劇として振りかかってきた。
 節約家としても有名な彼は日焼け止めクリームを本当に,本当に軽くしか塗らずにボディボードをはじめ,やがて疲れて気温37度を記録した猛暑の中浜辺で直射日光を浴びながら1時間ほど寝てしまった。
 この愚かな行為によって彼の全身は真っ赤に日焼けした。
「とてもファンタスティックな体験。けして自転車では味わえない。」と,ビーチまでJ.セタを追っかけにきたマスコミに全身日焼けした身体を自慢していた。
 上機嫌なJ.セタだがそれもここまで。次の日から地獄を見ることになる。急に日焼けしたために全身が火傷状態になり水ぶくれが出来てしまった。

 それから3日が過ぎ緊急記者会見を開いたJ.セタだが、身体中水ぶくれのその姿は痛々しかった。
「一瞬何が起こったのかわからなかったよ。朝起きると体中が熱く,そして痛いんだ。はじめは熱があるのかと思ったがすぐにそれが日焼けによるものだとわかった。もう何をしても激痛が伴う。歩いていても痛い。寝っ転がっても痛い。服を着るだけで痛い。朝から服を着替えるのに痛みのために叫び声をあげながらTシャツを脱がなくてはいけないんだ。なんて事をしてしまったんだ・・・あの時日焼け止めクリームをたっぷり塗っとけば・・・」
 後悔にも似たこのセタイタリアの愚か者のコメントは続く。
「もうレースに復帰どころではないよ。毎日生き延びるのに精一杯さ。とりあえずの目標は社会復帰かな?何と言っても朝起きてから寝るまで僕は日焼けの痛みと戦っているからね。職場に行っても椅子に座ってクーラーにあたりながらサイダーを飲むのが精一杯。生きていくのがこんなに大変な事だなんて・・・」
 レースの復帰がさらに遠ざかったことを暗にコメントするJ.セタ。しかし一部の情報通によるとリハビリでおこなっていた腹筋は海に行って引き締まった身体を見せるためにおこなっていたわけで、本当にリハビリでおこなっていたわけではない。彼は真剣にレース復帰は考えていないという厳しい情報もあると言う。
 
 レース復帰の意思が有るか無いかはさておき、またしても体調が悪化していくJ.セタ。緊急記者会見の最後にこんなコメントを残した。
「海は難しい。たった1日ですべてが変わってしまう。」自転車しか知らない男が初めて体験した海の恐ろしさ。やはりJ.セタにはボディボードより自転車の方がよく似合う。


01/06/20
J.セタ3DAYS熊野参戦日記 その七
 またしても中切れしてしまった私は今回のは本当にヤバイということを今までのレースからの経験から瞬時に感じ取った。常にレースで集団の後ろでヒラヒラしている私はこういう集団から千切れるか千切れないかの判断が他人より以上に発達していると自負している。その私がほんのコンマ何秒かで感じ取った「ヤバイ!」という感触。「こういうピンチを身体で感じるとは俺にも野生の感があるんだ・・・」と無駄な思考回路が働きつつ、集団に戻るべくフルもがきをするが,一行に追いつく気配がない。

 なんといっても切れた場所が良くなかった。強烈な向かい風が吹くストレート。集団でペースをあげてるのに,それから千切れた個人が追いつくわけがない。「もう追いつけない・・・」諦めかけた瞬間後ろを見るとまだ選手が一人いる。首を傾けながら必死の形相でもがくその男は桑沢君。かわいそうに新宮ファイヤードラゴンからエントリーだ。
 「たぶん彼は集団のハイペースだけでなく,チーム名による精神的ダメージもあって千切れたのだろう・・・」と,またもや無駄な思考回路が炸裂しつつ彼とローテーションを組んで集団を追うことにした。だがそんな悲惨なチーム名でのエントリーの彼からもあっさり私は切れてしまった。
 もう足がない・・・。独りぼっちになってしまった私は考えた「もう降りようかな。」しかしここまで命がけでドライブして来たことや,1ヶ月の給料の半分近い交通費,それにサポートしてくれてるCWSのことを考えると止められなかった。「とりあえず行けるとこまでいこう。」そう考え一人で走りつづけた。

 一人で走るこのコースはまったくペースが上がらない。集団の差はドンドン開き、いつ追いつかれてもおかしくない状態だ。疲労で薄れつつある意識の中、会場のアナウンスが耳に入ってくる。「さてレースは19周目に突入・・」なに!!まだ半分もレースは進んでなかったのか!!弱い!弱すぎる!!あまりに弱い自分にがっかりしつつとにかく走る。しかしそれもすぐ終わりを告げた。審判にとめられてしまったのだ。

 「終わった・・・終わちまったよコーキ」ツールでのハンバーガーの台詞が頭をよぎり私の3DAYS熊野は終わりをつげた。レースの集団を見るとまだ私以外のCWSのメンバーは全員走ってる。まったく情けない。冬から自分が遅いとは思っていたが,ここまで遅いとは・・・。とてもレースを観戦できる心境ではない。クールダウンがてら南紀の海を見にサイクリングに出かけた。
 そこはまさに南国だった。南国のシダ植物が生え,山と山の間に突然現れる港町。そして強烈な日差し。すべてが新鮮で美しかった。私はハワイやグアムなどの南国に行ったことはないが,たぶんこんな感じだろうと思った。「美しい・・・」掛け値なくそう思った私はレースをリタイアした悔しさを忘れて,新しいことを考えていた。「明日からレースに出れないのだからサイクリングしよう。レース中は南国ウキウキサイクリングして,飯はみんなでドンチャン騒ぎ。サイコーに楽しそうだ!!こんなこと考えちゃうって,俺って天才!!!」

 そうと決めると急いで会場に引き返して明日からの準備をしなくては!!。きた道をヒコヒコ引き返して会場に戻るとレースは終盤を迎えていた。


01/05/28
J.セタ FOREVER!?
レース活動再開に赤信号

 レースシーズンもそろそろ中盤に差し掛かり選手たちもエンジンがかかり始めたこのごろ、突然J.セタがレース活動再開に時間がかかることを発表した。J.セタと言えばここ1年は低迷していたが、GWにおこなわれた春の岩岳で復活の狼煙をあげたばかり。しかし5月におこなわれた菅平のMTBのレースは体調不良を訴えて早々にリタイア。それから約1週間後に活動を停止を発表。彼の身に何が起こったのだろうか?

 「菅平のレースをリタイアしたのは発熱が原因だったんだ。だからしばらく練習は止めていて四日程ぶりに練習を再開をしたんだ。しかし乗り始めてすぐ右足股関節に痛みを感じたんだ。しばらくは我慢できたんだけど1時間もしないうちに乗れないぐらいに耐えきれなくなってしまったんだ。」
 さばさばとした表情でコメントするJ.セタ。更にコメントは続く。
 「次の日も痛みが引かずドクターに診察を受けると右足の付け根のリンパ腺が肥大してるのが原因とだと分かった。どうやら菅平のレースでブヨに刺されたときに右足に細菌が入ってしまったらしい。その日のうちに自転車はストップさ。それだけじゃない,この暑いのに風呂にも入れないし,自棄酒を飲もうにもドクターにとめられ酒も飲めない。もう私は何もすることが無くなってしまったのさ。」

 J.セタは菅平のレース前日の試走中に右足をブヨに刺されるというトラブルにあっている。次の日のレースでのリタイアは発熱が原因で,ブヨはリタイアの直接の原因ではないと思われていたが,どうやら発熱はブヨに刺されたことにより細菌が進入したのが原因かもしれない。

 「ドクターに自転車を止められたときは焦っていたよ。だって2週間後に栂池ロードレースがあるからね。でも僕にはどうしようもないんだ,リンパ腺が引かない限り。だって痛くてペダリングできないからね。菅平のレースから1週間以上たつけど,もうほとんど自転車に乗ってないよ。いまではもう自転車から離れた生活をしている。毎日に剃っていたスネゲは伸び放題だし,あれだけ気にしていた脂肪分を考えずにハンバーガーを食べてる。平日はマクドナルドで平日半額バーガー。休日はロッテリアで休日半額バーガー。まさにハンバーガー完全方位網さ。後2週間もしたら僕のことを見てJ.セタだと気づく人はいなくなるだろうね。」
 
 少し寂しそうな顔をしながらも今の生活に満足だというJ.セタ。彼は本当にレースから足を洗ってしまったのだろうか?彼が所属するCWSチームのビッグボスことM.ニシタニはJ.セタに対してこんなコメントを語ってくれた。
 「6月の栂池のCWSチームスタートリストにはいまでもJ.セタの名前があるし,今後も外すつもりも無い。彼は今まで数々の困難にぶつかり,それに打ち勝ってきた。そして今回もJ.セタはこの困難に打ち勝つ。絶対にね。」

 今期のJ.セタの成績はロードレースは完走無し。MTBレースは岩岳の23位が最高。得意のシクロクロスでも4位。唯一の記録は練習で自分に対して3勝。たしかにここ数年では物足りない成績だ。しかしこのまま終わってしまう男にはJ.セタは見えない。とにかく彼が病んでいるのは事実だ。一部マスコミによると全治1週間の軽傷と言う者もいるが,それならわざわざ今回にようなコメントを述べるはずが無い。果たしてJ.セタのレース活動はどうなってしまうのだろうか?


01/05/22
He is the MAN!
 レースの裏にあるもう一つのレース”the MAN

 4月にMTBのJシリーズが九州の熊本で開幕し,本当の意味でMTBレースシーズンが開幕した。この開幕戦を制したのは元全日本チャンピョンT.ヤマグチ(CWS)だった。人々は彼の勝利に驚くと同時に,復活を心から祝福した。
 それから2週間後の長野県岩岳。ここで毎年おこなわれるクラシックレース”春岩”に熊本で苦汁をなめた多くの戦士たちが復讐のために乗り込んできた。春岩はJシリーズには組みこまれていないものの厳しいコースとその伝統から選手なら誰もが一度は勝ちたいと思うレース。誰もがこれを目指して参加しているように見えるがその裏に別の争いがある事を知るものは少ない。それが”the MAN”だ。

 男なら誰もが愛称”ニックネーム”を欲しがるもの。ましてや独占欲の強いレーサーという人種なればそれはなおさらのこと。「他の奴にはついてないニックネームで自分のことを誰もが呼んでくれる。」そんな望みをレーサーは持っており,それをファンたちも知ってる。だからファンはお気に入りの選手をニックネームで呼ぶ。
 ”ビッグボス”,”スパイダー”,”MTBアヤ”・・・ 色々なニックネームがあるが,本当のニックネームはただ一つ、”苗字+MAN”だけだ。ここ数年はこのパーフェクトニックネームを使うことを許されていたのは”ミヤギマン”ただ一人。もちろん元祖マン付けに”スドウマン”がいるのはみんなが知っているが彼は別格。スドウマンだけは今までの活躍から永久マン付けの資格を得ている。よってこのミヤギマンのマン付けの資格を狙って春岩で壮絶な戦い”the MAN”が繰り広げられることになった。

 この”the MAN”にエントリーしてきたのは現在最強の名高い”ギョウマン”、低迷ではなく実力”セタマン”、人間だがアルコールで走る”アリイマン”、永久マン付けまであと少し”ミヤギマン”の四人。誰がマン付けになっても意義の無い顔ぶれである。
 ”the MAN”のルールはMTBレースの逆。つまりこの”the MAN”にエントリーしたメンバーの中で一番遅くゴールしたものが勝ちという事。このレースに勝ちたいが,”the MAN”にも勝ちたいという矛盾と葛藤が選手達を苦しめることとなる。

 レースは定刻どおりにスタート。まずはセタマンが一気に集団の後方に下がる。これに対してギョウマンは先頭集団についていく。どうやらギョウマンは”the MAN”は諦めたようだ。アリイマンもジワジワと先頭のほうに上がっていく。それに対してミヤギマンはセタマンをマーク。どうやら”the MAN”はセタマンとミヤギマンの争いとなりそうだ。ミヤギマンが登りで遅れれば,セタマンも負けじと下りで遅れる。まさに一進一退の攻防、どちらが勝ってもおかしくない状態だった。
 しかし予想外のことが残り2周で起こる。なんと今まで姿を見せていなかったアリイマンが急減速。セタマンとミヤギマンからものすごい勢いで遅れて単独トップとなったのだ。この急激な減速にセタマンとミヤギマンは反応できない。単独トップになったアリイマンはこの差を保ちつつ今年度の”the MAN”の勝者となった。

 1年前の3月,浅川河川敷でおこなわれた2時間耐久レース。アリイマンは残り15分まで単独トップを走っていた。しかしここで思わぬトラブルに巻き込まれトップから脱落し,ほぼ手中にしてたビッグタイトルを逃がした。彼はここで巻き込まれたトラブルに関して一切口にすることは無かった。その静かな男の口が”the MAN”に勝ったこの日開かれた。
 「私はきっとこんな日が来ることを信じていた。去年の浅川耐久レースから私はずっと耐えていた。どんなに苦しい日々が続こうともいつかチャンスがくると。そしてその日が訪れた。」

 この新たなるマン付けの資格を持つ男”アリイマン”の誕生を祝い、岩岳に来ていたすべての人たちが「アリイマン」と大合唱を続ける。新婚のチエ婦人と寄り添い、静かに自分の成し遂げた偉業を味わう男の背中にそれはいつまでも鳴り響いていた。



01/05/07
J.セタ3DAYS熊野参戦日記 その六
 スポーツマンはオレンジジュースが好きだ。良く分からんが,オレンジジュースには疲れを取る成分が入ってるらしい。たしかそんなことを聞いたことがある。夕飯のバイキングでダートという聞いたことのないオレンジジュースが置いてあった。いまどき珍しい砂糖ベースの甘いオレンジジュースだ。最近は天然果汁入りなどのジュースがもてはやされてるのに,このダートというジュースは20年前のようなジュースだ。A.Nii曰く和歌山県民はこのジュースで俺たちを試そうとしているのではないかとこと。たしかにジュース担当のエプロン姿のおばさんがダートを飲んでる我々を見ながらずっと微笑んでるような気がする・・・。
 ダートは色はオレンジ色だが,たぶん果汁は限りなく0で着色料120%ぐらい入っていそうだ。私はいかにもジュースジュースしてるこのダートが気に入ったが他のメンバーは気にいらなかった様だった。なんてヘルシーな奴らだ・・・。この辺からもCWSチームがいかに気合が入っているかが窺い知れ,私もみならわなくてはと感心しつつダートを3杯ほどおかわりしてごちそうさまとなった。

 さて食事の後はミーティング,と思いきやみんなさっさと鞄から携帯電話を取りだしピコピコとメールを開始。Kbynは好きなのは知っていたが,まさかB.Bまで・・・。さらにチーム最年長のB.Bが「アンテナが立ってない!!」と携帯シンドロームのコギャルみたいに騒ぎ出す始末。それに対し「ガハハ,Kbynはバリ5だぜ!!」とアンテナ自慢で答えるのはチーム2番目の年長者Kbyn。B.BもKbynもみんな携帯電話が好きなんだ。監督とA.Niiは携帯メールに興味がないらしく,テレビを見たりパンフレットを見たりしている。
 大の大人が5人もいるのに誰も喋らず部屋にはテレビのおとが寂しく流れるだけ。まったく静かな夜になった。そして夜がふけていき,みんな布団の中に消えていくのである。

 さて夜があけ朝となった。天気は快晴。絶好のレース日和だ。補給食を作り,ジャージに着替えて監督の運転するレガシーで昨日と同じ白浜空港跡地へ向かう。ここが第1ステージの会場だ。コースに向かう途中監督の運転を見ていたがやはり怖い。今まで見てきた監督の運転は幻ではなかったようだ。今日もブラインドコーナーで反対車線に飛び出すなどの小技を見せつけながらなんとか会場入り。今日のレースはこの空港跡地1周3kmのオーバルコースを42周する128kmのクリテリウムだ。計算はあってないがたしか42周だと思う。
 今日が私にとっての最大の関門。ここを完走するのが目標だ。だいたい今まで128kmのレースなんて走ったことがない。せいぜい60Kmぐらいだ。しかし私は昭和記念公園のクリテリウム(実業団が参加した)に何度か出場したことがあり,また今回は集団が大きい(82人出走)ので,無駄な動きをせづにエネルギーを後半にとっておければ、もしかしたら完走できるのではないかと思っていた。それより問題は強風だと思っていた。スタート・ゴール地点に向かってものすごい向かい風が吹いている。試走でゆっくり走っていると軽く15Km/hに落とされてしまうほどだ。だから中切れだけはしてはいけないと心に誓った。
 
 そして9時30分レーススタート。CWSチームは集団の一番後ろに並んだ。まずはものすごい向かい風のためスローペース。しかしコーナーを曲がるといきなり強い追い風になりハイペース。「速い!!」なんとか集団のかなり後ろの方で耐えてコーナーを曲がると,またスタート・ゴール地点に向かって強い向かい風だ。ここで集団は強い向かい風のためにスピードが落ち・・,と思っていたのにハイペースで走りつづける!!やばい!!1周もしないうちに中切れだ!!15mほど差が開き,それを全力で詰める。1周もしないで終わるわけにはいかない。全力でもがきつづけ,程なく集団に合流。これはヤバイかもしれない。まだ1周しかしてないのに全力で走らないと集団に残ることすらできない。もはや後半にエネルギー温存なんて考えは捨てて,1周,1周全力でいくことを誓い,早くも2周目から集団内にいるにもかかわらずハンドルバーの下を握ることにした。
 毎周コーナーを曲がるたびに120%のパワーでフルもがきだ。明らかに自分のレベルが低すぎる。とにかく苦しい。もうどうしようもない。「こうなったら集団の前で走って,展開に早く対応しよう。」そう考え集団の前の方ヘ移動。すると意外に楽ではないか。ダッシュも早めに反応できるし,ペースが落ちるのもよく分かる。「こりゃ楽だ」なんて思いながら走っていたが,ちょっとしたタイミングで集団の後ろに下がってしまってから,前にあがることができなくなってしまった。どうやら実際はかなりパワーを使っていたようだ。またしても集団の後ろに下がってしまい苦しい。しかもレースが進むにつれ向かい風でもペースが落ちなくなってきた。今まで向かい風でペースが落ちてきたときに休んでいたからなんとかなったのに,それがなくなったのは私には致命的だった。ついに,またしても中切れをしてしまったのだ。

01/05/02
J.セタ3DAYS熊野参戦日記 その五
 遂にCWSチームが誇るTTスペシャリストA.Niiの出番だ。彼が我々とは別に単独でこの白浜に乗り込んだのは,明日のクリテリウムが終わったあと結婚式に参加するため一人で帰宅する為ではなく,実はTTバイクを持ちこみたかったからだという噂があったほどだ。
 彼のTTバイクはコルナゴモノチタン+カーボンDHバー+トレカ3バトンホイールというオタクバイク。この年に一回乗るか乗らないかというバイクがオタクなイタ車なのに,年に300回以上は乗ってると思われるマスドロードバイクは100%ピュア国産車のパナソニックチタン(しかもノーマルパイプ)というギャップ。この辺からもTTに懸けるA.Niiの意気込みが尋常ではないことが窺い知れるというもんだ。

 A.Niiがスタート台に上がる。すでにA.Niiの顔に笑みは無い。その緊張した顔からこのレースにかける意気込みというか,パワー(砂田流に言うとフォルツァ)が感じられる。もし,今A.Niiに声を掛けようモノならそのパワーで吹き飛ばされてしまいそうな雰囲気だ。そしてスタート前のカウントダウンが始まる。3.2.1.スタート!!
 「ドカーン!!」と音こそしなかったが,爆発音が聞こえそうな勢いでA.Niiはコースに飛び出した。「速い!!速すぎる!!」コース脇で観戦していたB.BとKbyn,そして私が同時に声をあげる。A.Niiの後ろから追いかけるスタッフカーの助手席に載る監督が窓から体を乗り出しメガホンで激を飛ばす。
 力強くコースを駆抜けるA.Niiのフォームは美しかった。まるで精密機械のように回転を繰り返す足。空気抵抗を最小限に減らすべく地面と水平になった背中。たぶんこの背中に並々とワインを注いだグラスを置いても一滴もこぼれなかっただろう。完璧なフォームで1周目を終えたA.Niiだが,顔には苦しみが浮かび始めていた。2周目は心なしかギアが軽くなったような気がした。しかしあの美しいフォームは崩れない。スタッフカーからの監督の激がより声をあげてA.Niiを押し上げる。そしてゴール前で最後の一もがき。53*14のビッグギア。深いクラウチングに顔が歪む。しかしなぜかゴール前5mでもがくのを止めゴール。タイムは約7分30秒!!私より1分速かった。A.Niiの顔に笑みが戻る。今日の走りに満足したようだった。そして最後に我らがエースB.Bの登場だ。

 B.Bのバイクはロードレーサー+スピナッチという今回のTTではスタンダードな組み合わせだ。しかしB.Bはメカオタクであった。ただのスピナッチなのに自分でドリルを使って穴を開け「なんちゃってスピナッチライト」を作ってしまったのだ。遠目で見ると軽量化の穴が開けられたスピナッチはかなりカッコイイ。しかし近くで見ると左右のバーで微妙に穴の開いてる位置がずれていて、涙をそそるB.Bの力作だ。
 今回B.Bはこの3DAYS熊野に懸けていてレース前かなり緊張していた様子だった。A.Niiと同様スタート台の上で笑顔は無い。そしてB.Bもスタート。しかしいまいちスピードに乗れて無いように見えるというのが一緒に見ていたKbynとの意見だった。なんか1分後からスタートした選手に追いつかれそうに見える。なんかB.Bも苦しそうだ。2周目もペースはそのままでゴール。誰も測ってなかったのでタイムは不明だった。

 これで我々のプロローグは終了した。どうやらトップはスペイン人らしい。なんでも二年連続スペインのTTチャンピョンらしい。これは手ごわい。なんでこんな日本のレースにビッグな選手が来ているのだろうか?明日からのレースがスピードアップする要因を一つ知ってしまった。明日もしスピードの無い私が集団からちぎれたら,その理由の10%はこいつのせいだろう。
 さて今日のリザルトの正式発表は宿で配られるというので宿に帰る事にした。みんなバイクを車に積むついでにスピナッチを外す。さらについでに私が配ったセタイタリアステッカーとカーボンスペーサーをみんな装着し始めた。みんなこれでもかこれでもかとフレームやホイールにステッカーを貼りまくる。こんなにセタイタリアグッズが受け入れられたのは初めてだった。あまりのうれしさに涙が込み上げてきた私の横で,ただ一人セタイタリアグッズに興味を示さなかったA.Niiが「みんな宗教に取りつかれたみたいだよ・・。」とボソッと呟いていた。

 ステッカー貼りが忙しかった我々は結局ビリの方で会場を後にして,宿に急いだ。みんな疲れていたので運転は監督がおこなったが,やはり監督の運転にKbynが「赤信号だから止まる!!青信号になったらしゃきっと加速する!!」と当たり前のことを注意していた。そして道に迷いながらもなんとか宿に到着。荷物を部屋に持ち込んで早速風呂に入って疲れを癒す。一風呂浴びて部屋に戻ると今日のリザルトが届いた。
 なんとCWSチームで一番良い成績はKbynで2,30番だった。次がA.NiiでKbynとはほんとにちょっとした差であった。そしてそこからちょっと遅れてB.Bで,私がビリから3番目という結果だった。私のタイムはトップから1分30秒近くも遅れていた。6kmのTTで1分30秒のタイム差・・・。まあ,手を抜いていたとはいえ異次元のタイム差だ。ちなみにビリはあの安原選手(キナン)でタイムは確か10分台。平均時速はなんと28Km/hだ(私でも43km/h)。実は安原選手は喘息がひどくてレースどころではなかったらしい。プロは大変だねー。目の前でB.Bががっくりしている。どうやら自分より高梨選手(ヴィテス)が速かったことが気に食わない様だ。

 散々リザルトを見てアーダ,コーダとみんなで論議をしたあと夕飯を食べに行った。今日は宿で食べ放題のバイキングだ。ここで私は「ダート」というブランドのオレンジジュースを見つけた。

01/04/30
J.セタ3DAYS熊野参戦日記 その四
 レースまで時間があったのでみんなで受付でもらったレースのプログラムを読んで時間つぶしをした。このプログラムにはコースマップと参加チームの紹介があり,かなり充実した内容でレース最終日まで活躍したのはいうまでもない。レースに懸けてる人にはコースマップのほうが重要だったかもしれないが,私にとっては参加チーム紹介のほうが楽しめた。

 今回の参加チームは強豪ではブリジストンを除く実業団が来ていた。シマノ,ミヤタ,愛三、ニッポ,キナン,ラバネロ、といったところだ。その他は有名クラブチーム,チェブロ,ナカガワ,クラブアングル,テスタッチ,変わったところでヴィテス,ナルシマが来ていた。その他は韓国代表実業団選抜とチームジャイアント。韓国にも実業団があったのかとみんなで驚いた。さらにチームジャイアントは台湾のチームらしいのだが,みんな茶パツでヒョロヒョロしていてMTBの後藤クローンのようであった。しかし参加チームで一番の目玉はやはり4つの地域選抜チームだろう。名前は地域選抜だが,中身は他のチームで参加できなかった選手の寄せ集めだ。しかし寄せ集めとはいえみんな強豪選手の集まりで実力は侮れない。さらに侮れないのがそのチーム名だ。

 チーム名を地域選抜1号とでもしとけば良いのに誰が考えたのか知らないがハイセンスな名前をつけてくれた。まずは「太地スタートライン」。太地というのは第3ステージのおこなわれる土地の名だが,なぜかスタートラインという名前がついてしまっている。自分の配属されたチーム名が「太地スタートライン」だとしたらもはや戦闘意欲はなくなっていただろうと思うと共に,CWSチームで参加できた自分が恵まれているとは思わずにはいられなかった。
 そして「田辺ベンケイ」。さらに「熊野オレンジ」。このどこから出てきたのか不明なチーム名。チーム名を考えた人は真剣に所属した選手のことを考えてるのだろうか?
 最後が「新宮ファイヤードラゴン」だ。いまどきファイヤードラゴンは無いだろうと言うのがCWSチームの統一した意見だった。このチームにはスペイン選手が所属していたのだが,彼が日本のネームセンスをこの程度かと勘違いして帰らなかったかが心配である。だいたいこの4つのチーム名は「地名+カタカナ」で統一されいる。この日本の野球やサッカーの名前の作り方はロードレースには似合わない。地名をつけたいのはなんとなく分かるがその後ろにつくカタカナはなんなんだ?日本のロードレースがヨーロッパに追いつくのはまだまだ時間がかかるとこのパンフレットからも感じてしまったのであった。

 さてなんとかレース会場である白浜空港跡地に4時前に到着。レースが4時開始なので急いで準備をする。ここは空港跡地なのだが,あるのは短い滑走路が一つと二階建てのロビーと思われる小さな建物が一つ。たぶん面積は成田空港の1000分の1の大きさだろう。今日はこの寂れた空港跡地を2周する6Kmのプロローグタイムトライアルがおこなわれる。
 TTバイクを持ちこんだのは各チームのエース級の限られた選手+我らがA.Niiだけだ。ほとんどの選手はノーマルバイクにスピナッチといういでたちだ。たぶんみんな3DAYS熊野でTTがおこなわれるのを知って,一生懸命昔間違って買ってしまったスピナッチを探したのだろう。今日ほどスピナッチが輝いて見えた日は無かった。私はと言うとまったくのノーマルバイクで望んだ。別にスピナッチを昔買い損なって持っていなかったと言うわけが無いわけでもないが,理由は別にあった。
 
この3DAYS熊野はステージレースだ。各ステージを完走していき,タイムを合計して順位を出す。と,言うことは各ステージを完走しないとそこでレースはストップ,終了なのだ。今日のTTは誰でもゴールできる。しかし明日はクリテリウム。集団から切れたらまずゴールはできない。もし明日のクリテリウムでゴールできなかったら,残りの二日の間俺は何をすれば良いのだ?サポート?そんなのはご免だ!職場に迷惑をかけて無理して取った有休だ。この有休を活用できずに俺は職場にもどるわけには行かないのだ!絶対明日のクリテリウムを完走して次の山岳レースまでは行ってやるというのが俺の目標だった。だから私はこのTTで体力を浪費するつもりは無かったのでスピナッチを持ってこなかった。つまり全力で走る気ははなから無かったのだ。

 レースは午後4時を少しすぎて始まった。1分間隔で一人一人スタートしていく。CWSチームはKbyn,私,A.Nii,B.Bの順番で走ることになった。まずはKbyn。ノーマルバイクにスピナッチライトというオタクなパーツセレクトで出走。相変わらずの低いフォルムで風を切り裂き6kmを走り抜けた。残念ながらサイクルコンピューターが電池切れでタイムは分からなかったが,なかなかのタイムらしい。そして私の番。やる気ゼロなので気楽なもんだった。相変わらずのアップライトなポジションで明日のクリテリウムを意識して少し軽めのギア比で回す事を意識して走った。タイムは約8分30秒。そしてTTにすべてをかける男,A.Niiの出番がきた。

01/04/29
J.セタ3DAYS熊野参戦日記 その三
 4人で監督のレガシーに乗り込み出発したCWSチームはプロローグの開催される和歌山県の紀伊半島にある白浜に向かった。次の日からレースを控える男三人は仮眠を取るため運転は監督がおこなうことになった。

 しかしこの監督の運転が怖い。この恐怖は冗談ではなく,1歩間違えば大惨事になる可能性を秘めてる恐怖なのだ。まず赤信号に突っ込んでいこうとする。これは怖い。監督はどう思ってるのか知らないが,私は今までの人生の中ではじめて死を意識した。さらに信号で止まっても停止線をかなり越えたところで止まる。これも怖い。監督はどう思ってるかしらないが,私は車が突っ込んでこないか祈らずにいられなかった。
 それでも環七を越えてなんとか東名に入った。さすがに高速なら大丈夫だろうと仮眠を取ることにした。私がやっと高速に入って仮眠が取れると思っていたのにB.Bはすでに監督邸を出たところから寝ていた。あの恐怖の瞬間に動じることなく寝れるとはさすがB.Bの異名を取るだけのことがある。ラグビーで鍛えられた何事にも同じない精神力と,トライアスロンで養われた無限の忍耐力。まさにB.BがB.Bたる所以だと再認識せずにはいられなかった。
 
 途中で私とB.Bが運転を交代して大阪のほうから白浜に向かってひた走った。しかしレガシーはパワフルだ。バイク三台を屋根に積み,さらに人を4人乗せて荷物もルームミラーが見れないほど満載。それでも120km/hで走れるのだから凄い。私のスターレットで来たらこうは行かなかっただろう。さすがはツーリングワゴンだ。
 途中大阪で事故渋滞で1時間足止めを食らいB.Bの膀胱が爆裂するというアクシデントもあったがなんとか12時30分ぐらいに白浜に到着。ほぼ12時間かかった計算だ。まあ,途中で休憩したり,渋滞に巻き込まれたから実質は10時間ぐらいだろう。

 まずは受付がおこなわれる白浜のホテルに向かい,一人でやってきたA.Niiと合流する。A.Niiはすでにブリコのサングラスをかけて気合十分,TT専用バイクに乗ってさわやかな笑顔で我々を出迎えてくれた。まずはお互いの無事を称えあい記念撮影。今回は4人が4人とも全員カメラを持っていて写真を撮るにも4回ずつ取ることになるのでかなり大変だ。
 レース(TT)は午後4時からだったのでこれと言ってやる事もなくA.NiiのTTバイクをみんなで観察。そこでA.Niiのバイクが車検で引っかかる可能性があることが分かった。レース開始三時間前なのにいきなりポジション変更をよぎされなくなったA.Niiはアーレンキーをもって大慌て。車検でTTバイクが引っかかって使えなくなるぐらいならレース直前でもポジンションを変えるA.NiiのTTに賭ける意気込み。我々はその意気込みを目の当たりにして,また新たにこのレースに対する姿勢を再確認し,A.Niiのガッツを受け継いで全力で3DAYS熊野を駆け抜けることを4人で誓い合った。ちなみにこのあと車検が厳しくないことが分かりA.Niiはポジションを元に戻してました。

 そして受付と監督会議が終了し,CWSチーム全員でレース会場である白浜空港跡地に向かったのはすでに夕日が赤くなりかけた午後4時前であった。

01/04/27
J.セタ3DAYS熊野参戦日記 その二
 レースは4月19日からだったが,レース会場が遠いので18日の夜に出発することになった。18日の夜11時にKbynさんの家に集合になっていた。ちなみに今回レースに一緒に行くのは,ビッグボスとKbynさん,そしてKbynさんの彼女の監督と私。そして現地集合でA.Niiさんも来ることになっている。まさにCWS全員集合といった感じの最強メンバーが集まったわけだ。

 さて18日にいつもどうり定時に仕事を上がった私は,このレースにかける意気込みをあらわすために床屋に行って髪をバッサリ切った。今まで七三分けができるぐらいのセミロングだったのだが、ここはタフィみたいにカッコイイスポーツ刈りにしようと思ったのだ。しかし1時間かけてできた髪形はゴルゴ松本(TIM)並の角刈りだった。涙目で床屋を出た私は悲しみを紛らわすために帰り道に有る中古ゲーム店に入った。これが失敗だった。ばったり友達に会ってしまったのだ。せっかく早く帰って仮眠してから出ようと思ってたのにすっかり1時間ほど話し込んでしまい,帰宅したときには出発予定時間ギリギリだった。

 なんとか家から出発してひたすら国道20号をかっ飛ばす。久しぶりに愛車スターレットを運転する。やはり自分の車は良いもんだと思いながらハンドルを握っていると雨が降り出した。じきにやむと思っていたが,ドンドン雨が強くなる。幸先の悪いスタートだ。道に迷いながら悪戦苦闘し、なんとかB.Bと合流してKbynさんの家に着いた。後で分かるのだがここは監督の家だった。

 レースに行くのに監督のレガシーを使うことになっていた。この車に自転車4台とホイールが6ペア。それに4人の荷物だから半端ではない。この荷物では私のスターレットではとてもつめないし,ましてやB.Bのなんだか分からない車ではなおさら難しかっただろう。

 ここで問題が出てくる。監督のレガシーが駐車場から出るからここに1台の車は置ける。しかしここにはB.Bの車と私の車の二台は置けない。そこでB.Bの車を駐車場において,私の車を監督の家(アパート)の横の私道に路駐する事になった。Kbynさんに誘導されアパートの横に回る。監督のアパートは久我山にあり,かなり住宅が密集したところだ。周りは家,家,家。なのにKbynさんに聞いた路地を入るといきなり道は地道になり、まわりが竹林に。そして道に横には怪しげな倉庫が・・。いきなりゲゲゲの鬼太郎の世界に入ってしまったようだ。雨でぬかるんだ地道をゆっくり進みなんとかアパートの横に到着。ここでアパートギリギリに幅寄せするのだが,アパートが道より50cmほど土の土手で高くなっている。この土手に乗り上げるように駐車。車がかなり傾いている。どこか子供がやってきて上から車を押したら簡単に横に倒れそうな傾き方だ。普段ならこんなとこには絶対に駐車しないのだが,今回は断腸の思いで止めた。今日2回目の涙目になりながらレガシーに荷物に移す。そしてなんとか0時には出発することができたのであった。

01/04/26
J.セタ3DAYS熊野参戦日記 その一
 3月の初め,仕事中に1本のメールがCWSチームのビッグボス(BB)から送られてきた。その内容は「3DAYS熊野に参加しないか?」というものであった。3DAYS熊野・・・数少ない日本のロードレースの中でもさらに少ない天然記念物級と呼ばれるステージレース。そのステージレースの中でも私が勝手に日本5大ステージレースと呼んでるうちの一つだ。

 こんなビッグなレースに参加できるチャンスはもしかしたら2度とないかもしれない。ぜひ参加しようと思った矢先,開催日が私の瞳に飛び込んできた。「開催日4月19日〜4月22日」ダメだ・・・、これと同時期に開催されるMTBJシリーズのレースを誘われていたのを4月21日休日出勤があるので断ったばかりだったのだ。しかしぜひ出たい。仕事は休めないし,たとえ休んでも最初に誘ってくれたMTBレースを断って3DAYS熊野にいくのは気がひける・・・。迷うこと3分後。私は仕事のボスの前にいき4月18日から4月22日まで休暇を取る申請をしていた。もちろん3DAYS熊野に参加するためだ。有休はなんとか取ることができたが,それから現在にいたるまでこの長期休暇についてブツブツと他の職員に文句を何かにつけて言われるようになったのは言うまでも無い。

 レースまであと一月半。はっきりいって去年の10月からまともな練習をして無かった私には時間は足りない。しかしこのビッグなレースでベストな走りをしたいと強く思った私はとにかく練習をすることにした。特に長距離を走ることにした。だいたい1レースの距離がだいたい120KMぐらい。なのに私の休日の練習で走るのは50KM。これでは完走すらできるわけが無い。今までの練習不足を後悔しながら,練習することになった。
 しかし自分では練習してるつもりなのだが,3月のCWSクロス,4月初めのCCRRでは惨敗。恐ろしくあせってきたが,とにかく自分を信じるしかなく4月17日の出発前日まで練習を続けたのであった。・・・つづく

01/04/01
シーズン開幕!!
J.セタが壮絶な野望を発表!!


 3月26日のCWSアーバンシクロクロスの閉幕と同時にレース界にも春がやってきた。シーズン中の活躍を占う上でシクロクロスでの走りは多いに役に立つことはレースを知るものなら誰もが承知していること。現に’00シーズンのCWSアーバンシクロクロスを総合優勝したK.タケヤ(スペシャライズド)は見事MTBの全日本チャンピョンになっている。
 そのことを考えると今年のG.S.セタイタリアのプリンス、J.セタのCWSクロスでの活躍は物足りないものだった。全5戦を3,3,4,4,6位で終え,かろうじて総合3位に滑り込んだが、かつての走りを知るファンはこれでは物足りない。この成績に意地の悪いマスコミの中には引退説を唱えるものもいる。
 しかし4月1日におこなわれたチャレンジサイクルロードレース(CCRR)の会場で遂にJ.セタの重い口が開いた。それはなんとJ.セタは今シーズン4月19日からおこなわれるステージレースの3DAYS熊野にすべてを賭けるという内容だった。

 「今年はすべてのパワーをこの3DAYS熊野に賭けるつもりだ。だから練習も3月の始めからステージレースを想定したものになっている。とてもハードな練習をしてきたつもりだ。以前はヒルクライムで5秒ももがけば私の心臓はレッドゾーンに達してしまっていたが,今では10秒はOKさ。単純計算で2倍は強くなっているというのが私の数学的理論から導き出された結論だ。」
 自信に満ち溢れんばかりのJ.セタの話は終わらない。
 「CWSシクロ最終戦を6位で終えた時マスコミはもう私が引退するのではないかと騒いでいたが,そんなことは待ったく気にならなかったよ。逆にレース中に先頭集団からちぎれた時,自分の体が完全にステージレース向きに変わっている事を確信したよ。そのときは思わず笑みがこぼれてしまったけどね。とにかく3DAYS熊野が今シーズンの最大の目標であることには違いない。見ててくれよ,何かやらかすつもりだから。」

 どうやらJ.セタにとって3DAYS熊野以外のレースは調整レースにすぎないらしい。その証拠にこのCCRRをJ.セタは6周目でタイムアウトで終えている。これもすべては3DAYS熊野のためということなのだろう。しかし全10周のCCRRで6周で終わると言うことはJ.セタの数学的理論を使うと他の選手の約半分の強さしかないという結論だが,大丈夫なのだろうか?


S.ヤマダが2重契約。レース活動が今後どうなる?

 3月20日世界中に衝撃が走った。インターネットから配信された一本のニュースがその原因だった。それはteam SY-Nak SPECIALIZED(チーム シーナック スペシャライズド)という新生チームが発足したニュースだったのだが,このチームの下にはClub SY-Nakというクラブが存在しておりそこにS.ヤマダが在籍するという。
 しかしS.ヤマダは今年度G.S.セタイタリアとすでに契約しておりチームの2重契約となってしまったのだ。S.ヤマダはこのことに関してはコメントをしておらず,今後どのような行動に出るか世界中が注目している。

 この2重契約に関してG.S.セタイタリアのエースJ.セタはこのようなコメントを残している。
 「彼がどう考えているか分からないが,すでに昨年のCSAカップで今年度の契約をしており,契約料のステッカーも供給済みだ。いち早く彼から真実のコメントを聞きたいと思っている。」
 またteam SY-Nak SPECIALIZEDの名将S.ナカゴメは冷静に事を捉えてるようだ。
 「今回の2重契約に関してS.ヤマダがどのような反応をするのか。セタイタリアとteam SY-Nak SPECIALIZEDは静かに動向を見る必要があるようだ。」

 S.ヤマダといえば今年からMTBのXCでエリートクラスに昇格したホープ。近年話題性にかけるMTBXC界で注目されてる選手である。このような有力選手を獲得したがるチームは多いが,今回のような事件に発展するとは本人も思ってもみなかったのであろう。
 一部の事情通によるとS.ヤマダはセタイタリアからのワッペンの供給が遅いのに腹をたてClub SY-Nakと契約したと言う。この問題がどのような結論を迎えるのか?シーズン開幕と同時に大変な事件が起きたものである。


01/03/25
Mr.CWS!!
T.ヤマグチの完全復活


 
3月になった埼玉県はすっかり春の陽気であった。小春日和の中で兵達が最後のCWSクロスでどのような戦いを見せるのか?誰もが思っていたが,当日の江戸川河川敷特設クロスコースは雨がぱらつく肌寒い1日となった。しかしレースというものを知るファンは小雨など気にはしない。それどころか泥レースこそクロスの醍醐味と悪天候を心待ちにしていただけに,最終戦のこの天気にご機嫌のようだ。

 今回のCWSクロスの参加者は最終戦にしては寂しいものだった。往年の名選手,H.サソー(西相模狂走会)とCWSクロスオリジンT.フルヤ(CWSクラブ)は他のレースに参戦のため不参加。またビッグボスの愛称で慕われているM.ニシタニ(CWSクラブ)は参加こそ表明してるものの体調がかなり悪いようだ。
 しかしいつも笑顔のT.ヤマグチ,つのだ★ひろ張りの髭を蓄えたK.タケヤ(スペシャライズド)はもちろん健在。さらに小雨が降ってるのに輪行で来てしまったと笑顔で語るのはJ.セタ。これもCWSクロスには欠かせない顔だ。第4戦で復活を遂げたS.ナカヤマも今回参戦。さらにフロム埼玉!S.トツイ(スコット)も急きょ参戦。参加人数は少ないながらもレース存在感はいつも以上。サンショは小粒でも辛いといったところか?勝負の行方はこの5人が握ってるといえるだろう。

 コースは一周3分ほどのショートコースでおこなわれた。このコースで注意すべきは2箇所。雨で滑りやすくなったS字コーナーのコンクリート路面の土手下りと深さ1メートルほどの溝越えをいかにスムーズに越えるかがこのコースのキーポイントだというのが関係者の共通した意見だった。このコースレアウトにT.ヤマグチ,K.タケヤ,そしてS.トツイがMTBをセレクト。J.セタとS.ナカヤマがクロスバイクという選択をした。土手下りで安全策を取るならMTB。平地で加速を取るならクロスバイクといったところか?どちらが正しいかはレース後にわかることだ。

 レースは悪天候から1時間ほど遅れて12時スタート。スタートしてすぐの土手下りでクロスバイクのS.ナカヤマとJ.セタが遅れてしまう。しかしその後の平地で集団に復帰する。先頭集団はT.ヤマグチ,K.タケヤ,S.トツイ,S.ナカヤマ,J.セタの5人。しかし次の周でも土手の下りでもJ.セタが遅れをとる。なんとか平地で復帰するが,先頭の5人の中で下りの遅さは群を抜いている。この遅さに観衆からもため息にも声が漏れている。下りの苦手なJ.セタにとってこの下りはきついのだろう。結局5周ほどでJ.セタは先頭集団から切れてしまった。
 先頭の4人はお互いにアタックを繰り返してペースを上げていく。この4人のランデブーが最後まで続くかと思われたが、40分経過したところでS.トツイが遅れ始める。昨年1年間アメリカで武者修業をしていた彼だが,このハイペースな展開にはまいったようだ。さらに残り2周でS.ナカヤマが土手下りで痛恨の落車。一気に戦意を喪失したS.ナカヤマはペースを落としてしまう。
 勝負はT.ヤマグチとK.タケヤの二人に絞られたが,最終周回にT.ヤマグチがK.タケヤを突き放すことに成功。単独でゴールで飛び込んだ。2位はK.タケヤ,3位はなんとかS.ナカヤマが入った。

 ゴール後T.ヤマグチは顔をしかめながら、
「今までのCWSクロスで一番きついレースだった。」と振りかえった。「レース直前にバイクをMTBにかえたんだ。これが大正解!テクニカルなところはまったく気を使わず行けるんだ。逆にクロスバイクの二人は大変だったんじゃないかな?」と,MTBが有利だったことを明らかにした。
 1位が4回に,2位が1回。ほぼパーフェクトなリザルトをたたき出したT.ヤマグチ。今年CWSクロスはあまりの強さに”T.ヤマグチ・ショー”とマスコミが見出しに使うほど圧倒的な強さを見せたレースだった。この勢いで今シーズンもMTBレースで快進撃を見せるのか?そして最終戦で最後までレースを争ったK.タケヤも見逃せない。J.セタの大胆予想だとかなりMTBシーズン開幕に向けて調子を上げてきたと見ている。

 5ヶ月の長い戦いを終えて総合優勝はT.ヤマグチが勝ち取った。しかしレースは優勝者だけを称えてるわけではない。T.ヤマグチに最後まで立ち向かっていったK.タケヤにもT.ヤマグチに劣らない拍手が送られた。そして序盤戦に果敢なコマンドーぶりで観衆を沸かせたイワサキ(XARU)も忘れてはいけない。最後までJ.セタのサポートに徹したY.アリイ(ペルジタ・セタイタリア)の姿も瞼に焼き付いている。またレースを開催してくれたCWSスタッフの皆さんに感謝の気持ちを抱かずにはいられない。このようなすべてのファクターが奏でる美しいハーモニーがCWSアーバンシクロクロスそのものなのだ。VIVA!!CWSアーバンシクロクロス!!また来年あいましょう。

 
●参加選手のコメント

 ●「たった15mの下りで5秒以上は離されていったよ。」(結局その下りで落車してハンドルバーを曲げたJ.セタ)

 ●「ここだけの話だよ。MTBに代えたのは本当はクロスバイクのタイヤがスタート直前にパンクしたからなのさ。」(総合優勝の賞金20万円にご満喫なT.ヤマグチ)

 ●「あと少しでJ.セタを抜けたのに!そしたらGSアリイイタリアにチーム名を変えるつもりだったのに・・・」(残り2周でやはり土手下りで落車してしまい不甲斐ないエース,J.セタに逃げられて悔しがるY.アリイ)

 ●「ジャンジャンバラバラ,ジャンジャンバラバラ26番台スタートしました。ジャンジャンバラバラ・・・」(パチンコに行くことはあるのですか?とマスコミに聞かれて,いかないと答えながら呟き始めたS.トツイ)


●CWSアーバンシクロクロス第5戦リザルト

1位 T.ヤマグチ
2位 K.タケヤ(スペシャライズド)
3位 S.ナカヤマ(CWSクラブ)

●最終総合成績

1位 T.ヤマグチ
2位 K.タケヤ(スペシャライズド)
3位 J.セタ(G.S.セタイタリア)


01/03/24

T、ヤマグチの完全なる勝利!!

総合優勝に王手をかける  

 2月25日に恒例のCWSアーバンシクロクロスが行われた。最近会場となる埼玉県江戸川河川敷は春の兆しを見せはじめているが、レース当日は強烈な北風が吹き荒れて寒い一日になった。
 すでにCWSアーバンシクロクロスも後半戦の第4戦に突入。シクロクロスフリークの間では早くも総合優勝者は誰に決まるかという話題で持ちきりだ。
 総合優勝最有力候補はもちろんシリーズポイントランキング一位を突っ走るT、ヤマグチ。今シーズンの彼は今までの彼とは違うようだ。それが何が違うのかは分からないが今年にかけているということが彼の無言の走りからはヒシヒシと感じることができる。いつも笑顔で我々を迎えてくれる彼だが、レースではそんな笑顔を見せず圧倒的な力を見せつけて今回のレースも勝ってしまうのだろうか?
 そして対抗馬はやはりK、タケヤ(スペシャライズド)を除いていないだろう。彼はT、ヤマグチと真っ正面から対決できる数少ない選手の一人。去年は3勝をあげて総合優勝したが、今年のCWSシクロクロスではまだ勝ち星を挙げることができていない。K、タケヤのファンの我慢もそろそろ臨界点にたっしてる頃。この辺で1勝をあげて春からのMTBレースシーズンインに勢いをつけたいところだ。
 さてランキング3位につけてるJ、セタ(GSセタイタリア)だが今シーズンは勝ち星を挙げるどころか表彰台が精一杯。そろそろ地元マスコミから限界説が流れているが当の本人は気にしてないのか元気いっぱい。得意の輪行パフォーマンスで会場入りした。このパフォーマンスが定着した今、もはや輪行は儀式と呼ぶにふさわしいかもしれない。ただJ、セタが会場入りしただけで歓声が沸くのだからもはや文化として定着しているのだろう。この歓声が彼の成績につながればもっといいのだが・・・
 そして久しぶりにS、ナカヤマ(CWS)がCWSシクロクロスに帰ってきた。昨シーズンは総合2位につけたS、ナカヤマだったが、今年はシーズン前にスポット参戦で参加を表明。第2戦ではいいとこがなかったが、今年の冬は精力的に練習をしているとの噂が流れており、このレースの鍵を握る存在となりそうだ。
 そして第3戦からエントリーし始めたのが”コードネーム KANTOKU”ことH、サソー(西相模狂走会)だ。爆発的なパワーはないものの、熟練したテクニックはそれを補ってあまりあるもの。彼のペースにはまればもしかしたらミラクルが起こるかもしれない。
 最後は”ソープマン”ことS、イケモト(ワコー)が急遽参加。彼はベルギーで昨年末まで武者修業をしていた根っからのクロスマン。ビーチレースのクラス3位に入った彼がこの平地のコースで行われるこのレースを狙ってないわけがない。マスコミはズバリ彼がこのレースの最有力候補だと断言している。

 コースは第3戦とほぼ同じのフラットなコースで行われた。コースでテクニカルなところはほとんどなかったが、強力な北風が吹き荒れていて、集団からちぎれたらアウトだというのが選手たちの統一した意見だった。
 レースは定刻どうり11時半スタート。強風なためスタートダッシュは抑え目。先頭をレースリーダーのT、ヤマグチが引き、選手が棒状一列になって進む。しかしスタートしてすぐのところにある深い溝越えでM,ニシタニ(CWS)が失敗。ここで集団は2つに別れてしまう。先頭に残ったのはT、ヤマグチ、K、タケヤ、S、ナカヤマ、J、セタ、S、イケモトの5人。しかしこの5人は意志疎通がうまくできないのかT、ヤマグチ以外先頭を誰も引かない。これに業を煮やしたのかT、ヤマグチはS、ナカヤマにアタックを指示。どうやら彼ら二人は組んでいたようだ。このアタックで集団は活性化し、これを利用してT、ヤマグチが一人で集団から飛び出すのに成功した。このアタックを見たCWSのスタッフは「アタックにはまだ早い!」と叫んだ。しかしT、ヤマグチは一人で強風の中を走っていった。このアタックを追うべくJ、セタとK、タケヤがローテーションを開始したが、差は詰まるどころか開く一方。この追走でJ.セタが力尽きて追走グループより脱落。こんどはS.ナカヤマがK.タケヤとローテーションを組んで強風の中を必死の追走を開始した。
 強風の中一人で逃げるT.ヤマグチ。それを二人ので追うS.ナカヤマとK.タケヤ。観衆は誰もがT.ヤマグチがいつ追いつかれるかと考えていたが,今日もT.ヤマグチは強かった。差を詰まらせるところか広げる一方。なんとたった一人で強風の中50分を逃げ切って勝利してしまった。2位には最後にS.ナカヤマを振りきったK.タケヤ。3位は復活を印象づける走りを見せたS.ナカヤマが入ってCWSクロス第4戦は幕を閉じた。

 「今日は一発やってやろうと思っていた。」完璧な勝利を手に入れたT.ヤマグチは笑顔でこう語った。
「この勝利で総合優勝がさらに近づてきたよ。」第3戦で逃がした以外は全部1位。今シーズンのT.ヤマグチの強さに他の選手はまさに蛇ににらまれた蛙といった様子だ。しかし’00シーズンのJ.セタの様にたった一回のリタイヤで総合優勝争いから脱落した例もある。それを考えるとT.ヤマグチも気は抜けないのだろう。
 CWSクロスも残すは最終戦のみ。このままT.ヤマグチが逃げ切るのか?それとも今シーズンは苦汁をなめてきた総合2位のK.タケヤが意地を見せるのか?最後にニューホープが現れるのか?最後まで目が離せないのがCWSクロスだということを我々は知っているのだ。

CWSアーバンシクロクロス第4戦リザルト

1位 T.ヤマグチ
2位 K.タケヤ(スペシャライズド)
3位 S.ナカヤマ(CWSクラブ)

第4戦までの総合成績

1位 T.ヤマグチ
2位 K.タケヤ(スペシャライズド)
3位 J.セタ(G.S.セタイタリア)



●参加選手のコメント

●T.ヤマグチと僕とは排気量が違うんだ。もし僕が彼についていったら,エンジンが壊れちゃうよ。(早々にレースから離脱したJ.セタ)

●僕が手榴弾のピンを抜いたんだ。でも逃げようとした瞬間に,僕の手をすり抜けてしまった。(S.ナカヤマ)

●まず呼吸が乱れてきて,次に乳酸が足にたまってきた。すると集団について行けなくなってしまった。私は去年より強くなってきていると思うけど,ビーチレースで3位に入ってから,今年の他のクロスのレースに執着が薄れてしまっている。(わざわざ神奈川から参加したS.イケモト)

●今日は最初から最後までアウターの52Tを使って走った。勝つことはできなかったが,自分の落車でレースが決まったことに満足している。(ビッグボスがすっかり定着したM.ニシタニ)


01/02/12
Avoid The Spike
Y.コダイラが爆発!!T.ヤマグチの連勝がストップ!!


 1月27日の大雪で誰もが不可能だと思っていた28日のシクロクロスの開催をCWSは、それを成し遂げてしまった。今年のCWSのシクロクロスに賭ける意気込みはすごい。ビッグボス率いるCWSの精鋭達は大雪の中完璧なコースを作り上げていたのだ。その意気込みが伝わったのか大雪のあとにもかかわらず多くの選手の参加が見られた。
 いるぞいるぞ,今年のシリーズでは敵なしのT.ヤマグチはスタッフと談笑している。第1戦2戦とも2位に甘んじてるK.タケヤ(スペシャライズド)はシビアなコースにバイクのセッティングに余念が無いようだ。また,大雪で参加が危ぶまれていたJ.セタ(G.S.セタイタリア)も得意の輪行で登場。このガッツに会場はスタンディングオベレーションがおこなわれ,誰もが興奮してるのが分かった。ここまではいつものメンバーだが今回は少し違った。さらなる強豪の参加が見られる。まずは自称監督を名乗るH.サソウ(西相模狂走会)。彼は数年前まで日本を代表するクロスマンとして活躍していたが,ここ数年はシクロクロスから離れていた。そしてY.アリイ(ペジルタ)も参加。彼は昨年結婚してから半年ぶりのレースとあり緊張が隠せないようだ。いつも妻が横に寄り添っており彼の愛妻家ぶりがよく分かる。そして長野からの刺客スワコチームのコサカはあのM.コサカの甥っ子だ。彼の力は未知数だが,油断は出来ない。最後に今年の長野シクロクロスミーティングのチャンピョンのY.コダイラ(スワコ)を忘れるわけには行かない。彼は来週おこなわれるシクロクロスの世界戦へ向けての調整だということで一番の優勝候補であることに間違い無い。
 コースはほぼ長方形の単純なものだったが,コースは雪で埋もれており非常に難易度の高いものになっていた。たとえ雪が解けたとしてもその下からは沼地が出てくるのは明白で誰もがコースの攻略に頭を悩ませていた。このコースに上記の選手の中でK.タケヤとY.アリイがMTBを使用。他はクロスバイクを使用することとなった。MTBの走破性か?それともクロスのスピード性?といったところだろうか。この特殊なコンディションに関係者は優勝候補にY.コダイラとH.サソウを上げていた。コースディレクターのT.フルヤ(CWS)曰く
「この特殊なコンディションをこなすのには経験が必要。今、この2人にはそれがある。」
 レースは定刻より30分遅れてスタート。スワコチームの二人が飛び出し,それを集団で追う展開となった。しかしこの二人が深い沼地を担いでる最中に強引にパワーで沼地をのって越えたT.ヤマグチとJ.セタに抜かれてしまう。このダッシュにMTBのK.タケヤは乗り遅れてしまったようだ。T.ヤマグチとJ.セタのランデブーにすぐY.コダイラはおいつく。その直後J.セタが少しずつ遅れ始める。この時のことをJ.セタはコメントしている。
「あの二人は同じ地球の人間とは思えないスピードだった。とてもついて行けない。」
T.ヤマグチとY.コダイラのランデブーが続き,J.セタは単独になる。その後ろからT.フルヤ(CWS)に引かれたK.タケヤが追いかける。T.フルヤは遅れていったが,K.タケヤはJ.セタに追いつき,そのままスピードを落とさずJ.セタを引き離す。先頭の二人はランデブーを続けていくかに思われたが,Y.コダイラがT.ヤマグチを離すことに成功。その差をジワジワと広げていく。K.タケヤがT.ヤマグチを追いかけるがいまいちスピードが上がらないようだ。その後ろのJ.セタは順位を上げてきたH.サソウに追いつかれそうで追いつかれない。
 そのままY.コダイラは3位までをラップして最強の走りでCWSクロス初優勝。2位には遅れてT.ヤマグチ。3位はMTBで走りきったK.タケヤが入った。それにしてもY.コダイラの走りは美しかった。コーナーごとのスムーズな加速。どこを担いで,どこを乗るかの適切な判断。そして乗り降りの無駄の無い動き。Y.コダイラ一人で奏でる完璧なオーケストラの演奏だった。この美しさに魅せられた者は多く,中でもT.フルヤは自分レースをリタイヤして観戦にまわったほどだった。本場のクロスが関東のクロスを完全に打ちのめしたと言える内容だといえる。
 初優勝したY.コダイラは「この勝利はとてもうれしい。」と言葉少なくコメントした。誰もがY.コダイラの強さを認める勝利だった。

 ●今期初めて表彰台を逃したJ.セタは満足した顔でコメントを残している。
「今日は参加できただけで感謝している。前日H.サソウがこのレースに参加することをメールで送ってきたんだ。だから絶対参加しようと決めたんだ。」

 ●一方最後までJ.セタに追いつけなかったH.サソーはこんなコメントを残していった。
「残念,本当に残念だよ。J.セタを抜きたかったなあ。もしかしたら表彰台に上れるかと考えていたけど,これは苦い思い出が残ったよ。初めは雪で僕向きだったけど,最後は雪が解けて泥でだいぶ苦労してしまった。スタートダッシュで先頭についていたら4位は僕のものだったのに。」

 ●最後に半年ぶりのレースを完走したY.アリイのコメント。
「疑いも無く,Y.コダイラはシクロクロスの主であることを証明しているよ。誰よりも強い。他の選手たちは2位争いだね。」

CWSアーバンシクロクロス第3戦リザルト

1位 Y.コダイラ(スワコレーシング)
2位 T.ヤマグチ
3位 K.タケヤ(スペシャライズド)

第3戦までの総合成績

1位 T.ヤマグチ
2位 K.タケヤ(スペシャライズド)
3位 J.セタ(G.S.セタイタリア)


01/01/22
2001年祐一メモリアルクラシックのコースを発表!!!
山中湖復活!
超過酷な往復路


 YI.スズキ。この名前をご存知な方は多くはないだろう。95,96,97年と連続してシクロクロス世界戦代表となったこの男は現在レースの第1線を離れ,家庭とレースの両立に頭を悩ませている。その彼の偉業を称えるためにおこなわれてるのが祐一メモリアルクラシック。そしてついに2001年度の祐一メモリアルクラシック(以下クラシックと略す)のコースが発表となった。
 高尾からスタートするのは毎年恒例のこと。しかし今年のコースは近年のクラシックと違い,都留市を経由せずに道志道で直接山中湖まで行き,山中湖を一周してから再び道志道を抜けてから高尾に戻るというシンプルなものになった。
 詳しくコースを説明すると,スタート地点は高尾駅前。ここからカラフルなマイヨーに身を包んだレーサーたちは大声援に包まれながらスタートする。その後、城山湖と津久井湖と軽いアップダウンでウォーミングアップをこなし,メインの道志道へと入る。ここからは常にダラダラと上ってくハードコース。ここで選手はふるいにかけられながら最高地点の山伏峠を目指す。ここを越えると後は山中湖までは一気にダウンヒル。
 山中湖ではランチタイムを取り,愛車談議に花が咲くだろう。そのまま集団は山中湖を時計回りに一周まわり,再び山伏峠を越えて道志道を駆け下る。ここでの集団のスピードは50Kmオーバーになるというのに,そこからアタックをかける選手がいるのだから選手のレベルは尋常ではない。その後道志道名物の3段の坂に突入する。ここで勝負がつくのは例年のパターン。しかし今年はそうは行かないかもしれない。なぜなら道志道を抜けたあと,大弛水峠を越えて高尾にゴールするコースだからだ。
 大弛水峠は15分程度の難易度の低い峠だが,150Km近く走ってきた体には十分堪える峠。ここでもしかしたら逆転劇が見られるかもしれない。まさに今回のクラシックコースは最後の最後まで気の抜けないコースとなっているといえるだろう。
 1月19日にクラシックコースの試走会がおこなわれた。参加者は99年度チャンピョンJ.セタ,00年3位のYI.スズキ,00年バトル弱いやるチャンピョンチームのM.ニシタニとA.ニイヌマが参加。前年度チャンピョンのK.タケヤも参加を表明していたが体調不良を理由に不参加となった。残念ながら当日は天候が不順で山中湖までは行かず山伏峠ふもとで引き返してきたが,各選手とも何かをつかんできた様子だった。
 各選手が何をつかんだのかそれぞれのコメントを聞いてみよう。

●M.ニシタニ(00年バトル弱いヤルチャンピョン)
「このコースは好きだよ。一目見て,本当にすばらしいクラシックだ。このクラシックは,僕が主役として走ることが出来るだろうと確信して家に帰ることが出来る。今回気に入ってるのは大弛水峠。あれはすばらしい。そこで勝負をつけたい。」

●YI.スズキ(00年クラシック3位)
「大変華々しいレースになるだろう。M.ニシタニは打ち負かすべき人物でK.タケヤが第一のライバルだろう。僕は彼らに立ち向かえるレベルでありたい。大弛水峠は恐ろしくもあり好ましい。97年にはここで勝ってるしね。」

●A.ニイヌマ(00年バトル弱いヤル リタイア)
「本当に度を越してるよ。いつも知らない道へ,迷子が出るまで遠いところへ行かせる。バトル弱いヤルと同じコースでよかったのでは?このクラシックは地元民のためだけにあるのさ。無理なんだよ,知らないコースでレースをするのは。」

●K.タケヤ(00年クラシック優勝)
「大変きついクラシックだって聞いたよ。今回試走に参加しなかったのは天気の悪化が懸念されたからであって,J.セタやYI.スズキが怖かったからじゃない。もう一度言うよ,J.セタやUI.スズキが怖かったんじゃないからね。」


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