「まず三角に2回折ってから四角を作ります」


薄暗く天井の低い典型的なチベタン家屋


中央のストーブではヤクの糞が燃えている


独特の香ばしさがバター茶の匂いに交ざる


3人の子供たちが覗き込む


幼く押さえきれない興味は瞳の輝きとなり俺たちの手元を見つめる


鶴の折り方を教わっていた


出発前にふと思い立った


そしてこれだけは確実にしておきたかった


子供の頃は難無く折れたのだけど


ゆっくりと実演しながら教えてもらいおぼろげながら蘇ってくる


ああ そういえばこんな感じだったな


かなり不恰好だが完成


子供たちの目の前で折り鶴を羽ばたかせる


「この鳥は平和のシンボルなんだ」


英語の通じない子供たちはきょとんとしている


俺は更に続ける


「フリー・チベット!」


出来上がった鶴を手渡す


子供たちは「わーっ」と歓声をあげ表へと走って行った


9月9日、午前9時55分


俺はリュックを背負い歩き始める







カイラスという山の存在を初めて知ったのはいつのことだろう


数年前までは自分にとってチベット=ラサだった


旅の途中でラサへの鉄道開通が間近であることを知り


グローバリゼーションの均一化に飲まれる前にと思い足を向けたのだ


その頃には既にカイラスの存在は知っていたものの、


自分が彼の地を踏むことになるとは思いもよらなかった


ラサに行ってみてチベットに魅了された


チベット仏教の奥深さ


チベタンたちの信仰の厚さ


そしてチベット仏教にとって最高の聖地であるカイラス


カイラスは標高6714mの聖山


その姿は仏陀そのものであり


チベット仏教の宇宙観がそのまま地上に現れた曼荼羅世界


神の領域に現れた天空の曼荼羅


行ってみたいと思ったものの時すでに遅し11月半ば


カイラスへの道は雪で閉ざされていた







そして今


俺は歩いている


2年越しの喜びと共に歩いている


この場にいることに大きな喜びを感じている


「タシデレ!」


挨拶も笑みも自然にこぼれる


巡礼路はカイラスをぐるっと巡る52キロ


最高地点は標高5668m


前になり横になり後になり歩いてゆくチベタン巡礼者


誰もが着飾って晴々とした幸せそうな表情を浮かべている


同じ喜びを共有出来ることを嬉しく思う


俺たちは漆黒の宇宙に浮かぶひとつひとつの星


月の窓辺に座り


乾き求め


約束の場所に辿り着いた


風は緩やかに豊穣にうねる


微笑が口笛のようにこぼれ


世界に広がってゆく


祝福の光に溢れる浅黒い顔


俺は生まれたての輝きの中に立つ


ありのままにある幸せを感じている



























吹いてゆく風


大地にへばりつく微かな緑


無数に転がる石


荒野に伸びた巡礼路


永遠に向かって歩く


やがてカイラスが姿を現した


追いついたイエティにその存在を告げる


茶色のサングラスをかけた若い僧侶は両手を合わせ深々と頭をたれた


道沿いには夥しい数の石が積まれている


「あの石には何の意味があるんですか」


ある若い旅行者の言葉が蘇った


意味はあるのだろうか


あるのは意味ではなく思いなのだと思う


積み上げられた石の数だけ人々の思いがある


自分も石を拾い何度か積み重ねた


そんな時に思っていたのは亡くなった祖母のことだった


無数に積み上げられた石


込められた思い


どうか届きますように


チベット寺院は切り立った岩山の上に建つ


そして寺院を中心に町が形成される


寺院も家屋もより高い場所へと作られる


宇宙に近く


神に近く


そんな神への憧れがチベタンを厳しい土地に住まわせている


積まれた石は神へと差し伸べられた手だ


少しでも近づきたい


そんな神への憧れだ


祈りも願いも青空へと溶けてゆく







真実とは「空」である


空とは


満たされていることを意味し


自然の法則の一切が


空の中に含まれる


人間の生命と同じく


宇宙もまた


始まりも終わりもない


あるのは輪のような営みだ


「ダライラマ・14世の言葉」より







巡礼路は右回り


カイラスを中心に輪を描く


空が青い


宇宙に近い


西へ伸びていた進路が緩やかに北へと向かう


手前にあった岩山からカイラスが徐々に全貌を現してゆく


その存在感


思わずため息が出る







巡礼路の西側


崖の中腹にはチェク・ゴンパ(寺)がある


ゴロゴロと岩が転がった急な道をよじ登る


空気の薄さが胸に迫る


チベタンはゴンパの周りもぐるぐるとコルラ(巡礼)する


手に持ったマニ車も数珠も全てが右回りに輪を描く


始まりも終わりもない


ダライラマ・14世は74回の輪廻を経てきた観世音菩薩の化身だと言う


インドの輪廻思想では生は苦行で、


84万回の生を繰り返さなければならないとも言われる


ガンジスに葬られた場合は特別に6回の輪廻の後、


浄土へと召されるのだそうだ


チベタンに交ざりゴンパの廻りをコルラする


寺の周囲に設置されたマニ車を回してゆく


マニ車には経が刻まれている


オーム・マ・ニ・ベ・メ・フーム


祈りの言葉が右回りに世界へと流れ出す


始まりも終わりもない


輪廻がスピンする


あるのは輪のような営みだ


西へ行く日の


果ては東か


神への憧れがぐるぐると輪廻を彷徨う


やがてチャクラ(輪廻)が開く


果てしない輪廻の彼方で天に上るのを夢見る

















上ってきたゴンパへの道を逆に下りる


鳥葬場がある方向へと向かった


どこからか現れた野良犬達が取り囲むように俺の後を付いて来る


錆びたナイフが落ちている


初めて鳥葬を知った時はショックだった


しかし現在の日本で一般的に行われている火葬も


それが初めて行われた奈良時代には大変な衝撃だったそうだ


輪廻という概念に馴染んだ自分にとって今は鳥葬も自然に感じられる


鳥葬も火葬もその本質には違いが無いように思う


死とは古い衣服を着替えるようなものだ


生命そのものは無限の時間を生き続ける


ひとつのステージが幕を閉じる


死者は大空へ飛び立つ







空以外に色のない景色


鋭い鳥の鳴き声が聞こえている


切り立つ岩山


糸のような滝が絵のように落ちる


西の巡礼路は河に沿って伸びる


流れに足を浸しひと休み


これは俺の人生なのだろうか


大地は唱っているのだろうか


光の楽園へと辿り着けるのだろうか


真言を彫った石


突き抜ける成層圏


永遠の草原に落ちた一滴の涙


少しずつカイラスがその姿を変えてゆく


物語を孕んだ風が遠くから吹いてくる

















起点である集落タルチェンを出発して8時間


カイラスの北面に着いた


傾き始めた西日を斜め後ろから浴びるカイラス


神々しく猛々しいその姿


命の力強さを感じる堂々とした存在


世界の中心


仏陀そのもの


北面からはカイラスを取り巻くように三つの峰が見える


左から文殊、観音、金剛を表す


眺めていると何だか解らないが不思議な気持ちになる


標高は5210m


ディラ・プク・ゴンパ(寺)の宿坊に宿を取る


本堂から伸びる階段に腰掛ける


闇に溶けてゆくカイラスをずっと見ていた







9月10日、朝


吐く息が凍るように白い


明け始めた薄闇の中、次々と雲が流れてくる


西からやって来る雲は山頂を包み


カイラスは切れ間無く白雲を被ったままだ


さすがに5000mを越える領域


階段の昇り降り1歩1歩に息が切れる


昨夜は寒さと息苦しさで眠りが浅かった


今日は動かずにカイラスを眺めて過ごすことにした


空が青さを取り戻してゆく


「タシデレ!」


巡礼者が俺の前を通り過ぎる















「形よりも思いの深さ」


かじかんだ手を温めながら折ってゆく平和のシンボル


不器用な俺の手先はなかなかまっすぐに折る事が出来ない


出来上がった鶴はお世辞にも綺麗とは言いがたい


「テクニックは贅肉」


自分に言い聞かせるように呟きながら折り続ける


明日は9月11日


同時多発テロが起きてから既に6年が経つのだ


予定では巡礼路最大の難所ドルマ・ラを越える


チベタンはこの標高5668mの峠でカイラスに向かってルンタ(お札)を撒いて祈る


彼らの真似ではなく自分ならではのことをしたかった


何が出来るだろう


思いついたのが折り鶴だった


「俺にも折らせて下さい」


その思いつきを話すと他の旅行者も賛同してくれた


本堂横の宿坊で鶴を折る


それぞれの思い


ゆっくりと30分ほどかけて一羽の鶴を折ってくれた人もいた


それぞれの祈りが込められる


色とりどりの鶴が出来上がってゆく


2001年9月11日


この世界はどうなってしまうのだろうというヒリヒリした不安に誰もが包まれた


そんな焦げるような危機感は薄れてしまったけれど


平和への強い願いは今も残っている


思いを込めて鶴を折る


俺たちには責任がある


未来は俺たちが作るものだ







午前4時


目が覚めた


咳が止まらなくなった


一時間以上も激しく咳き込む


呼吸を整える暇さえなく咳は続く


これは俺に起こっている出来事なのだろうか


この世界に起こっている出来事なのだろうか


窓の外には既に歩き始めた巡礼者のランプがチラチラと動く


幻のように揺れている


夜明けまではまだ3時間近くある


いくら咳き込み続けても止まらない


体を起こすと少しだけ楽になった


枕元に用意した水で咽を湿らす


毛布を巻きつけるように体を覆い寒さを凌ぐ


マスクをして手袋をつけフードを被る


きっともう眠れないだろう


このまま明るくなるのを待つことにした


闇の中からカイラスの輪郭が浮かび上がってくる


物音を立てないようにイヤ・ホンを付ける


MP3プレイヤーにランダムに放り込んだミュージック・データ


流れてきたのはボブ・ディランだった


どれだけの道を歩いたら、人は人になれるのだろう


どれだけの海を渡ったら、人は安息の地に辿り着けるのだろう


どれだけの年月を過ごしたら、人は自由であることが許されるのだろう


1962年、ディランは「答えは風の中にある」と歌った


そして今日も同じように歌っている


どれだけのミサイルが飛び交ったら、永遠の平和が訪れるのだろう


どれだけの人が亡くなったら、人は死はもうたくさんだと思うのだろう


人類は未だ答えを見つけていない


答えは風の中にあるらしい


そこにあろうがなかろうが答えは自分で出してゆかねばならない


その責任を放棄せずに探し続けてゆく態度


俺は歩き続ける


ただ歩き続ける


ただ歩いてゆけば良い


やがて朝がやってくる


枕元にはたくさんの折り鶴がある







今日はドルマ・ラを越える


巡礼の最高地点


標高5668mの峠を越える


自分の足でただ歩いてゆけば良い


食糧が減り隙間の出来たリュックに折り鶴をふわっと入れる


コウ君がギターを弾いて、出発する俺を送り出してくれた


オリジナル・ソング「Mt. Kairas, North Side」


カイラス北面を眺めながらエッジの効いたリフを聞く


「よし!」


肌が切れるかのように空気は澄んでいる


今日も良い天気だ


より休憩を多く取り、呼吸を整えながら少しずつ進んでゆく


ドルマ・ラまでは5キロほど


その間に500m近い高度を上げる


急な上りの連続


さまざまな情景が浮かんでは消える


タルチェンでは死体を見た


自分と同い年くらいの男だった


今年になって17人目らしい


ドルマ・ラを越える際、高度順応出来ないまま亡くなった


ゴルムドを列車で発ってすぐの頃には、五体投地で進む男を見た


祈りを捧げながら、誰もいない荒野に全身を投げ出し続ける


神の地ラサ


彼を見た地点からは1000キロ近く離れている


五体投地で進めるのは、せいぜい1日に3キロ


彼の巡礼が成就するのは一年程先になるのだろうか


途方も無い過酷な道のり


中国の侵攻を仕方の無いこととして捉えているチベタンもいた


宗教の甘美さに溺れて自らを守ることを怠ったチベットにも責任があると


ラサに着いた夜には気持ちの悪い夢を見た


人を殺す夢だ


そんな夢は初めてみた


しかも殺す夢は三夜続いた


何だか気味悪くなった


殺す夢には自分の殻を破るという意味があるらしいのだが


登っても登っても坂は続く


1歩踏み出すのに息が切れる


ごろごろと岩が積み重なる坂道


水が欲しい


空気が欲しい


景色が白く霞んでくる


その向こうから立ち上がって来るものがある


光の濃さ


闇の濃さ


そのコアにあるもの


これはこの世の景色なのか


この坂はどこに続いているのだろう


聞こえるのは荒い息と心臓の音


ひたすら足を前に出す


ただ歩いてゆく







圧倒的な生命力が開けた


色が飛び込んでくる


眩しかった


そこは初めての場所であり、懐かしい場所だった


ここが・・・


ドルマ・ラ・・・・・







張り巡らされたタルチョが風になびく


ざわざわと生きているように音を立てる


無数の祈り


全てが震えている


山、、、


空、、、鳥、、、


岩、、、太陽、、、魂、、、


あらゆるものが震えていた


魂が震えながら涙を流し、蝶のように彷徨していた


この地で祈ると、すべての罪は浄化されると言われている


世界の中心の前に立つ


神にもっとも近い場所で祈る


この星には俺の大切な人たちが生きています


俺はこの星で生きてゆきます


折り鶴を一羽ずつ空に放った


そして何時間もそこに腰かけていた







この満ち足りた気持ち


限りない安らぎ


はるか懐かしい思い


胎児のように神の懐へ抱かれていた







人は繰り返す


喜びと悲しみを繰り返す


後悔と自省を繰り返す


俺は親切だっただろうか


俺は謙虚だっただろうか


俺は寛容だっただろうか


俺は朗らかだっただろうか


俺は慈しんでいただろうか


俺は感謝していただろうか


俺はリラックスしていただろうか


人は繰り返す


破壊と再生を繰り返す


ぐるぐると輪廻を彷徨う


果てしない輪廻の彼方で天に上るのを夢見る







神の領域を後にする


1歩、1歩


峠を下りる


徐々に体が楽になってゆくのが分る


どれだけの道を歩いたら、人は人になれるのだろう


どれだけの道を歩いたら、人は安息の地に辿り着けるのだろう


巡ってきた道


巡ってゆく道


当たり前に過ぎる日々


大切にすべき毎日の1日


それでも何気なく過ぎる1日


浮かんでは消える


日々の泡


晴れた日もある


雨の日もある


転ぶこともある


振り返ることもある


重荷を分かち合う


立ち止まることもある


迷うこともある


それでも歩く


巡礼とはいつもと同じように歩き続けることだ



















          2007年9月9日-9月11日 カイラス