「j i h y o
u」
ワープロに打ち込み変換する。
モニターの正しい漢字を確かめながら、和紙に筆を入れる。
じんわりと墨が染み渡ってゆく。
ちょっと一方的かな。
思い直して「退職願」と書き改める。
新卒で入社して12年勤めた会社だ。
セールスを2年、ディレクターを5年、プロモーターを5年。
レコード会社の主だった業務は、ひと通り経験した。
出来る出来ないは別として、だいたいどうなるのか想像が出来る。
わくわくどきどきは無いが、楽しく働いている。
特に不満はない。
両親には1月1日に話した。
会社を辞めること。
住んでいる部屋を引き払うこと。
長い旅に出ること。
「良い」とも「だめ」とも言われていない。
ありがたく「良い」と解釈させていただいている。
言葉を重ねて説明するより、自分の好きな風景を見てもらった。
親知らずは全て抜いた。
(虫歯ではないのだが)
辺境で痛むことのないように。
儀式として。
決意表明として。
時は満ちた。
世界中を旅したい。
ずっと以前からあった思い。
今だ。
行動する時が来た。
ある映画のシーンを思い出す。
砂埃が上がる。
履き潰れたブーツの先で荒野にラインを引く。
「いつまでこちら側にいるんだよ。俺は向こう側に行くぜ」
6月3日、ラインを引く。
用意した「退職届」を部長に渡す。
「どうしたんだよ」
「環境を変えたいと思いまして」
「もし、引き留めたとしたら・・・」
「もう、決めてますので」
デスクに戻る。
いつも鳴っているFMから懐かしい曲が流れてきた。
ピアノによるシンプルな演奏。
突然、鋭いエレキギターが割り込んでくる。
ジャージャッジャジャー!
♪LIVE AND LET DIE
緊迫した分厚いオーケストラが奏でられ、登りつめてゆく。
何というタイミングなんだ。
♪LIVE AND LET DIE ♪LIVE AND LET DIE
そうだよ。
生きるんだ。
俺は死ぬまで生きるんだ。
きっと思ってるほど甘くはないだろうが、思ってるほど厳しくもないだろう。
6月5日
「退職願」が会社に受理された。
ラインを越えた。
さあ、口笛吹いて旅に出よう。
2003年6月5日 東京