8月8日、大東町から169キロ走り、宮古へ着いた。
「いやいや、どうも、どうも」
差し出した手を、小川さんは両手で包んでくれた。
「ホントに来ましたね」
握手で再会した小川さんと会うのは、今回が二度目だ。
6年ぶり?7年ぶり?8年ぶり?
偶然に辿り着いた宮古。
「ミーちゃんちがなくなっちゃうよー」
隣座席で泣きじゃくる女の子。
「大丈夫だよ」と彼女の手を握りながら、目の前で起こった現実が信じられずにいた。
偶然、特別休暇が残っていた。
偶然、休めるタイミングだった。
何処へ行こうかな。
偶然、思いついた人気の温泉宿の予約が、偶然、当日取れた。
それなら。
新幹線で一路いきなり秋田県へ。
ゆっくり露天風呂を楽しみ、囲炉裏で岩魚を焼き、翌日は別の温泉へ。
偶然、バスを待っていた停留所の目の前にスキー場があり
「あんちゃん、スキーやんねーか」
偶然、レンタル・スキー屋のおっちゃんに声をかけられ
スキーを借り、リフト半日券を買い、平日ガラガラのスキー場で滑りまくる。
体を動かしたら、温泉でゆっくりという気分じゃなくなってしまった。
海が見たい。
日本海より太平洋だ。
行ってしまえ。
半日、在来線に揺られ、偶然、着いた海沿いの町が岩手県の宮古。
すでに夜9時半、駅前の公衆電話から宿を探し、チェック・イン。
もう夕飯は出る訳も無く、開いてる店を探し、やっと見つかったのが「船場の茶屋」
そこが、小川さんの店。
小川さんは、地元のおいしい魚を気前良くサービスしてくれ、車で宿まで送ってくれた。
「良かったら、明日、宮古を案内しますよ」
遠慮なく御言葉に甘える。
翌日10時、小川さんは、約束通り、宿の前まで迎えに来てくれた。
春休みに入った娘さんも一緒だ。
浄土ヶ浜や山王岩など、三陸の景勝地に案内してくれた。
車を湾岸内に止めて、宮古について詳しい話を聞かせてくれた。
その時だ。
サイレンが鳴り出した。
続いて何かアナウンスされる。
小川さんの顔色が変わった。
車のエンジンを切って、もう一度、放送を聴きなおす。
「金子さん、すいません、車に乗ってもらっていいですか」
自分自身を落ち着かせるようにそう言うと、猛スピードで走り出した。
その放送は、小川さんの住所からの出火を知らせるものだった。
あちこちからサイレンが鳴り響く。
遠くに立ち上る黒い煙に向かって車を飛ばす。
あぜ道を100キロで走る。
パトカーを追い抜く。
「ミーちゃんちがなくなっちゃうよー」
隣で小川さんの娘さんが泣きじゃくる。
黒く立ち上っていた煙は、だんだん白くなっていった。
たくさんの消防車やパトカーが停まっている。
家のすぐ近くに着いたらしい。
「金子さん、ここで娘を見ていて下さい」
しばらくして、小川さんが戻ってきた。
「家は大丈夫でした。隣が全焼でした」
(「あー良かった」と言ったミーちゃんに対して
「そんなこと言っちゃダメだよ。
隣の家は無くなっちゃったんだから」と小川さんは言った)
その後、年賀状のやりとりが続いたり途切れたり。
「船場の茶屋」は残念ながら閉店した。
小川さんの仕事は、まちの便利屋さん?
初めて会った時から、たくさんの職業を持っていた。
居酒屋の他に、内装工事、お弁当の宅配サービス、コンサートの音響
カメラマン、映像製作、船舶操縦の講師、などなど。
頼まれたら何でもやるといった感じだ。
その小川さんが、ビニール・ハウスを建て、百合の栽培を始めた。
静かな振動には「百姓見習い@おがわ」と書き残されるようになった。
隣の座席で泣きじゃくっていたミーちゃんは中学生に。
そして、今年の7月には男の子が誕生した。
8月9日、大型の台風が近づいてきた。
ニュースは各地の被害を告げている。
宮古にも雨が降り始めた。
夕方になると小川さんが仕事から戻ってきて、百合を切りに行くと言う。
連れていってもらった。
百合を出荷するためには厳しい基準がある。
出荷の基準に満たないものを切り出し、お盆前ということもあり、知り合いに配って回った。
いずれも、売り物にならないのが、信じられないくらい立派なものだ。
みんな、とても喜んでいた。
その陰には、小川さんの大変な手間と努力がある。
小川さんに向けられる、知り合いの方々の温かい眼差しを見ていると
彼がどうやって宮古で生きているかがダイレクトに伝わってくる。
人の繋がりを大切にしながら生きる。
人の繋がりの中から仕事が生まれる。
働き、家族を養う。
たくさんの花を咲かせる。
台風が近づいてくる。
一段と強まった雨がビニールハウスを叩く。
働かざる男は何を思う。
2003年8月9日 宮古