「こんにちは。お世話になる金子です。よろしく」
そう声をかけると、青いTシャツの男は何も言わず、ただ困った顔をした。
「???」
港に着いて、予約をした宿の旗を持った男がいたので、挨拶をしたのだけど。
するとエプロンとメガネを掛けた別の男が現れた。
「きみが金子くん?これ持ってて」
青いTシャツの男が持っていた宿の旗を、唐突に渡された。
ああ、この人が宿の人なのか。
まあ、別に良いけど。
しばらくすると、今度は、おばあちゃんが現れた。
「すいませんね。持ってもらっちゃって。私が持ちますよ。ホントすいませんね」
「いやいや全然構いません。でも、美人が持ってた方が良いかもしれませんね」
言いながら、おばあちゃんに旗を返す。
礼文島に来るのは二度目だ。
この島の流儀を思い出した。
「そうそう、そうなんだよ」と納得した。
稚内から着いた船に、島を離れる人が乗り込み始める。
先ほどの、民宿なぎさの人が近寄ってきた。
「金子くんも、一緒に見送ろう!」
幼稚園のお兄さんのような口調だ。
「さあ、こっちに」
船の甲板に、なぎさに泊まったらしき人達が並んでいる。
港には、なぎさに泊まっているらしき人達が並んでいる。
「それでは、旅立つ人に、言葉をかけよう!」
港に並んだ人達が、ひとりひとり船に向かって声をかける。
かなり距離があるので大声だ。
順番が回ってきた。
「良い旅を」
見ず知らずの人達に、ひとこと告げた。
「では、出発する人、感想をお願いします!」
今度は甲板の人達が、順番に大声を出した。
「来月、また来まーす」
なぎさの旗を持っていた例の男は、裏返る声でそう言った。
今度は、歌詞カードが手渡された。
「それじゃあ、みんなも声を出して歌ってください!」
うーん強引だ。
いったい、どんな歌なんだろう。
なぎさの人は手拍子をとりながら大声で歌い始めた。
忘れないで 忘れないで この島のことを
巡り会えた旅人たちの 子供のような目を
野山をかざる花よりも 美しいものがある
それは花に囲まれた かざらない君の笑顔
忘れないで 忘れないで 忘れないでおくれ
初めて聞いた歌だった。
昔のフォークソングのようだった。
後で聞くと、30年前に礼文島を訪れた旅人が残した歌なのだそうだ。
他の宿の見送りも、フォークギターを弾きながら、この歌を歌っている。
太鼓を叩いている人もいる。
今度は、紙テープが配られた。
先端が甲板にいる旅人達と繋がっている。
やがて汽笛が鳴り、船が少しずつ港を離れる。
たくさんのテープが伸びてゆく。
色とりどりのテープが、大きな曲線となり伸びてゆく。
旅人と島を繋ぐ最後のライン。
切れないようにと、持った手を高く掲げ、船を追う。
自分の手から伸びる赤い紙テープを、目でたどる。
あああ、なんと、まあ。
赤い糸は、あの男と繋がっていた。
なぎさの旗を持っていた男が、困った顔をしてこちらを見ていた。
まあ、とにかく、元気でな。
何だかよく分からない縁だけど。
男は、相変わらず、困った顔をしていた。
目が泳いでいた。
船が遠ざかる。
伸びきったテープが次々と切れてゆく。
見送りの人達が、船を追って、バラバラと港を走り出す。
手を振り、声をかけながら、港の先端まで走ってゆく。
「いってらっしゃーい!いってらっしゃーい!」
港の先端では、なぎさの人が旗を振り、声の限りに叫んでいた。
船が小さくなってゆく。
「いってらっしゃーい!」
彼は最後まで叫んでいた。
唐突で強引だけど 、彼の旅人を送るまっすぐな気持ちにジーンときた。
きれいだなあと思った。
その横で、あのおばあちゃんも、ずっと手を振っていた。
この島では「いってらっしゃい!」と旅人を送り出す。
2003年8月16日 礼文島