あれが本島(ほんじま)や。
何年か前に火事になったんやで。
ニュースになったやろ。
ほれ、あそこ木がずっとない。
右のちっさいのが牛島や。
丸亀港から手島へ渡る。
船は瀬戸内海に浮かぶ島々を縫うように進む。
広島、小手島(おてしま)を経由して約一時間。
1日3便の定期船。
朝晩の2便はフェリーで、それだと一時間半かかる。
もうすぐ広島や。
ここは、ようけ石切り出しよるんやで。
そうそ。あそこなあ。でこぼこやろ。
小手島にはなあ学校があるんやで。
漁師が多いからなあ。
若い人が多いんや。
手島は、死ぬばっかりや。
そやけど今の季節は良いなあ。
夏はハミが出よる。
うーん、毒の蛇や。何て言いよるんかいなあ。
わたしらハミゆうてるんやけど。
夏は蚊もようけいる。
冬は風冷とうて良いことない。
せやけど、わたしら住めば都やけどな。
前の席に座ったおばさんがいろいろな話をしてくれた。
ただモーターの音や、前を向いたままなので、なかなか聞こえない。
乗り出すようにして相槌を打った。
港は定期船が着いた時だけ一瞬華やぐ。
数人の乗客と数人の出迎えがそれぞれに散ると静寂が戻る。
集落には人影がない。
かつて開いていた二軒の商店も埃を被っている。
曲がりくねった細い路地。
丸瓦。
なまこ壁。
朽ち始めた空き家も目立つ。
学校だった場所に出る。
立派な建物と広い校庭がそのままに在る。
今は自然観察センターとして泊まる事が出来るようだ。
「夏には5年生が来よるんや」
おばさんの話を思い出した。
丸亀市の小学5年生は、夏になると、この島に林間学校に訪れる。
この島にとって子供の姿は珍しい。
廃校になった島では60代が若者だ。
だんだん民家が疎らになってゆく。
頬かぶりの老人が畑で草を取る。
湿地にガマの穂が伸びている。
道端で懐かしい命に出会った。
子供の頃、これらの実で良く遊んだなあ。
オオオナモミ。
小指の先くらいのギザギザの実を、友達の背中に付けた。
ジュズダマ。
筋の入った硬い実を、糸で繋いで数珠にした。
こんな処にいたのかあ。
これら懐かしい友は、空き地が無くなると、いつの間にか姿を消した。
池に出た。
静まり返っている。
トンビのようにゆっくり飛ぶカラスの姿が、水面に映っていた。
池を通り抜ける。
緑のコケがびっしり生えた、まっすぐな道になった。
ひんやりした柔らかい道を、そおっと歩く、振り返る。
道は少しずつ上りはじめ竹林へと入ってゆく。
竹がぶつかり合う。
ざわめきに静けさと風を感じる。
両手も使って急な粘土質の坂を上ると雑木林。
落ち葉が幾重にも重なる。
赤い道。
黄色い道。
木々の種類が変わると道の色も変わる。
歩く。歩く。
蜘蛛の巣をくぐり抜ける。
ここ数日は誰も此処を通ってない。
ごめん。また作ってくれ。
道いっぱいに張ってある蜘蛛の巣には踵落とし。
歩く。歩く。
ちいさなアップダウン。
昼なお暗い道。
歩く。歩く。
どんどん行こう。
海に出た。
上着を脱ぎ、白い浜に座る。
午後の光。
誰もいない瀬戸内の風景が広がる。
視線を落とすと砂浜に一匹のアリがいた。
細かく足を動かし海へと向かってゆく。
おいおい。やばいよ。さらわれるぞ。
指でアリの進行方向を遮り、進路を変える。
しかし、何度遮っても、アリは寄せてくる波に向かってゆく。
もう知らないからな。
波に飲み込まれた。
波が退いてゆく。
あれれ。
アリは砂浜にいた。
ほーっ。大丈夫なのか。
体が軽く浮力が大きいため、波に乗り、寄せてきた地点に着地するのだ。
なんだ、知ってたのかよ。
その後、アリは何度も海に入っては、波乗りを楽しんでいた。
こういう奴もいるんだな。
アリは全てが働き者だと思っていた。
働いている仲間から離れて、波と戯れながら浜辺をほっつき歩いている。
どう見ても働き者には見えない。
どこの世界にもこういう奴がいるんだな。
来た道を集落へと戻る。
山の中腹に神社らしき建物が見える。
息が切れるほどの急な階段を上がる。
神社はきれいに手入れされていた。
お年寄り達が、よくあんな階段を上がれるなあ。
神社の横にある細い道を下りるとお寺に出た。
話し声が聞こえる。
声の聞こえてくる玄関を覗く。
「あああ、こんにちは」
船の中でいろいろと話を聞かせてくれた、あのおばさんがいた。
このお寺の人だったようだ。
「東京から来た人」
おばさんは手前にいる、お客さんらしいおばちゃんに言った。
甘いコーヒーをいただきながら、ふたりの世間話を聞いた。
「そろそろ、わたし行かないと」
そう言いながら、また、世間話が始まる。
ぽっこん(ゲートボール)のこと。
パークゴルフ(なかなか呼び方を思い出せない)のこと。
シロアリ駆除(同じ話4度続く)のこと。
老人会の旅行(丸亀への船をチャーターするかどうか)のこと。
ある人のお墓に供えてある造花(苦笑い)のこと。
何度目かの「行かないと」の後、おばちゃんの腰が上がった。
「わたし、このお兄ちゃんと帰るわ」
お寺の階段を一緒に下りる。
「船は4時50分やからな。10分前には港に行っておくんやで」
おばちゃんは港への道も教えてくれた。
港はすぐそこに見えていたのだけど丁寧に教えてくれた。
「そうや、お兄ちゃんの名前聞いてなかったなあ」
「金子です」
「良い名前や。香川県の前の知事さんが金子さんゆうたんやで」
聞くと、おばちゃんは近藤と名乗った。
お寺のおばさんの名前を聞き忘れていたことに気がついた。
「近藤さん、お元気で」
船の時間には少し早いが、港に行って看板になっている島の地図を見た。
今日一日の動きを辿る。
歩いて行ける処には全て行ったようだ。
おばさんのお寺の名前の横には(参り墓)と書いてある。
この辺りの島には全国的にも珍しい「両墓制」という風習が残っている。
「埋め墓」と「参り墓」
埋め墓は、亡くなった人を土葬にした墓。
故人の名前が刻まれたこじんまりした石が置かれている。
参り墓は、日常的にお参りするための墓。
各地で見られるような石塔で出来た墓の形態を持っている。
この島の埋め墓は、港のすぐ南に、海を向いてあった。
地図では島の北側の山が古代埋葬地となっている。
その更に北が平家の落人が流れ着いた浜。
この場所が島の始まりと言われている。
地図を見ていると、林のおばあちゃんが歩いてきた。
昼間、木戸を開けるのを手伝った、もと林商店のおばあちゃん。
きれいなおばあちゃんだ。
今日、最後の船で丸亀の子供から荷物が届くと言っていた。
手に菊の花を持っている。
「明日が、おっちゃんの命日だからな」
旦那さんが亡くなって明日が20年目。
おばあちゃんの昔話を聞きながら、埋め墓まで一緒に歩いた。
バケツに水を汲んで運び、お参りをするおばあちゃんの後姿を見る。
夕陽に照らされた小さな背中。
だんだん闇に包まれていった。
2003年11月12日 手島