スピードは10・5ノット。
ちいさな赤いフェリーは瀬戸内海をゆっくりと進む。
高松港を出港して40分。
男木島(おぎしま)に着く。
「こんにちは」
すれ違う人と挨拶を交す。
子供のいる島は活気がある。
とはいうものの、時々、人影を見かけるくらいの静かなものだ。
急な石段を上がってゆく。
家々が斜面にへばり付いている。
振り返るたびに海が広がる。
所々に朽ちかけた空家がある。
門柱だけが残り、その向こうが小さな畑になっていた。
「きれいな畑ですね」
おばあさんに話しかける。
海の向こうにいる孫達に、おいしい野菜を食べさせるのが、生きがいなのだそうだ。
おばあさんは戦争の話もしてくれた。
高松に空襲があり、逃げてきた人達で、島は一杯になった。
納屋に人を住ませ、畑で採れたものを分け合って、何とか生き延びてきた。
当時のことは、今でも夜中に目が覚めると思い出す。
今は極楽じゃ。
こんな良い時代に生きられるなんて思わなかった。
物がある。捨てるほどある。
罰が当たるかと思うことがあるよ。
頭が下がる。
罰が当たるべきは当然と思い込んでる者達の極楽。
座り込んでたくさんの話を聞いた。
ちょっと涙が出た。
息子さんがやって来た。
おばあさんの友人が11時の船で、豊島(てしま)から来ることになったのだそうだ。
「灯台に行ってみなさい」
おばあさんは灯台への行き方を教えてくれた。
片道約20分の一本道。
緑が生きている。
花の濃い匂いがする。
海に向かって蜜柑の木が植えてある。
根元には剥いた皮が落ちていた。
収穫しながら食べたのだろう。
「良い写真が撮れましたか」
後ろから来た車が止まった。
フェリーで見かけた高松から来た電気屋さんだった。
「良かったら車に乗りませんか」
「ありがとうございます。でも歩きたいんで。嬉しいです。どうも」
集落に戻ってきた。
迷路のような路地を歩く。
同じ道を何度か通っている。
開けた空間に出た。
頬かぶりをしたおばあさんが双眼鏡で海を見ている。
「何が見えるんですか」
「漁に出とるん」
ああ、そうか。
おじいさんの船を見ていたんだ。
こうやって毎日、ふたりの時間が刻まれて来たのだろうな。
寄り添いながらも、それぞれの世界を持っている。
そんな夫婦であることが感じられた。
「凪が良いからな」
輝く海におばあさんの気持ちを見たような気がした。
おばさんの明るい声が聞こえる。
港の近くのお好み焼き屋に入る。
おばさんの人柄に惹かれて人が集まる店のようだ。
ちょうど豊島からの友人と食事をした、あのおばあさんが出るところだった。
「たんと食べてゆきなさい」
「ばあちゃん、いつまでも元気でね」
「豊島からの人は93歳。あんたが話してたおばあさんは88歳。
もう二人が会えるのは最後かもしれないと思ってね。息子を走らせたの」
ふたりが出てゆくと、お好み焼き屋のおばさんは言った。
93歳と88歳。
子供の頃から仲の良い友人と会う。
もう会えるのは最後かもしれない。
そんな時、どんな話をするのだろう。
ふたりはごくごく淡々といつも通りのように見えた。
もう何度か通り過ぎて来た道なのかもしれない。
「こんな地図にもない島によく来たなあ。灯台には行ったのか」
この島の人は話しかけてくれる。
ちょっとした公園になっている灯台が、この島唯一とも言える見る場所のようだ。
自分にとっては、灯台に行くよりも、ここで生活する人々と会ったことが大切だ。
あても無くぶらぶらと島で過ごす。
ひと時出会い、別れる。
ほんの一瞬すれ違った、二度と会うこともないであろう人々。
通り過ぎる存在。
それでも、いつまでも元気でいて欲しいと思う。
島を離れる時は、いつもちょっと切ない。
2003年11月17日 男木島