旅をする。
毎日、違う人と出会う。
同じ時間を過ごし
同じ空間を過ごし
通り過ぎる刹那。
「こんにちは」
道ゆく人に、すれ違う人に、親愛の気持ちを込める。
ひと言の挨拶。
ひと時の儀式。
それは、ここにいる自分の存在を伝えること。
それは、そこにいる相手の存在を認めること。
「こんにちは」
そのひと言が返ってくるだけでも嬉しい。
一番多くの挨拶が返ってきた場所。
それは、間違いなく多良間島だ。
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頭にタオルを巻いたおっちゃんは
数年来の知り合いと錯覚するくらいの勢いで
「イヨッス!」と右手を上げた。
自転車に乗ったおじいは
花が開いたような笑顔でニカッとして
大きく頭を下げた勢いでフラフラとよろけた。
多良間島では車を運転している人でさえ
スピードを緩め会釈をしてくれる。
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竹富島ではミーハイユー
与那国島ではフガラッサー
宮古島ではタンディガータンディ
多良間島ではスディガプー
全て土地の言葉で「ありがとう」を意味する。
「こんにちは」は何て言うのですか。
多良間島の「ふるさと歴史学習館」にて聞いてみた。
係員の垣花さんは、しばらく悩んだ。
「うーん、多良間にはこんにちはに相当する言葉は無いです」
垣花さん曰く、おじいに会えば「おじい」と声をかけ
おばあに会えば「おばあ」と声をかけるのだそうだ。
(知っていれば名前)
そして「どこの畑に行くのですか」とか
「きびの育ちはどうですか」とか聞くのだそうだ。
なるほど、そうだ。
「こんにちは」は簡略であり形式だ。
垣花さんの話にコミュニケーションの原点を見る思いがした。
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草刈りをしている老夫婦に会った。
「おじい、おばあ、それ牛のですか」
「ヤギのさあ。にーにーは何処から?」
「ずっーと北東にある大きな島から来ました」
「ああ、大和ね」
「この人は東京に行ったよ。戦争で」
おばあが言い、おじいが続ける。
「軍艦に乗ってたから・・・
でも東京に行ったら餓死寸前だった。みんな
地獄だった・・・」
おばあが続ける。
「今はこんな島にも食べるものがいっぱいあって。
でも、手や足が無い人が今もいるさあ。ここも空襲があって」
二人の顔には無数の皺が刻まれている。
いろいろな話を聞かせてもらいながら、その皺から目が離せない。
喜びだけじゃないはずだ。
悲しみ。
怒り。
嘆き。
許し。
さまざまな思い。
飲み込んできた全てが刻まれている。
飲み込み働き生活してきた二人の時間がそこに見える。
「これ、食べて」
おばあが黒糖が入った袋を差し出した。
「いただきます」
ひとつ摘んで口に入れると「全部持って行きなさい」と袋ごと渡された。
「ありがとうございます」
食べる物のない時代を生き抜いてきた夫婦。
あなたがたのお陰で今の生活があります。
そんな思いは言葉にならず、何度も「ありがとう」を繰り返した。
黒糖は素朴な味がした。
ひだまりのような匂いがした。
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2003年12月09日 多良間島
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