ルイ・アームストロングはニューオリンズの出身である。
そのことはニューオリンズへのエアチケットを手配するまで知らなかった。
空港名に彼の名前が付けられていて初めて気がついたのだ。
ニューオリンズへはアトランタでトランジットをして向かった。
まもなくルイ・アームストロング空港。
ニューオーリンズ!
機体が大きく揺れ、ドリンクが倒れた。
シット!
なぜだか自分のドリンクだけが倒れ、びしょぬれになった。
隣のおっちゃんが紙ナプキンを渡してくれた。
大丈夫か。
What a wonderful world!(なんて素晴らしい世界なんだ)
ルイ・アームストロングの代表曲で答えた。
敬意を込めたジョークのつもりだったが、返ってきたのは苦笑いだった。
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ニューオリンズがあるのはアメリカ南部のルイジアナ州。
メキシコ湾からミシシッピ川を170キロほど遡る。
以前、この地はフランス領であった。
アメリカ合衆国が独立をして間もない頃、第三代大統領ジェファーソンが
当時苦境にあったフランス・ナポレオンから買い取った土地なのだ。
旧市街地であるフレンチ・クォーターから川沿いに遡ると
今でもフランス語しかしゃべれない人がいるそうだ。
文化的には、かつての統治国フランス文化と、黒人奴隷として連れてこられた
アフリカ文化が融合し、独特な文化を形成している。
この地で生まれたジャズの起源とも言われるディキシーランド・ジャズ。
植民地当時、フランス政府の発行した10ドル札には「テン」の代わりに
フランス語で「ディックス」と表示されていた。
そんなことから、この地方は「ディキシーランド」と呼ばれていた。
ディキシーランドは、ヨーロッパへのコットン供給のため
広大なプランテーションが広がっていた。
その労働力を確保するために、大量の黒人奴隷がアフリカから連れてこられた。
このアフリカ人のリズム感に、フランスのハーモニーが混ざりあってジャズが生まれたのだ。
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ほとんどの観光客はニューオリンズといえばジャズを思い浮かべるようだが
個人的には、まずブルースだ。
マディ・ウォータース。
ミシシッピ・ジョン・ハート。
ジョン・リー・フッカー。
スリーピー・ジョン・エステス。
そしてクロスロードで悪魔と取引をしたロバート・ジョンソン。
やはり奴隷の子孫達から生まれた、生きるための音楽だ。
ミーターズ。
ドクター・ジョン。
ワイルド・マグノリアス。
プロフェッサー・ロングヘアー。
ネヴィル・ブラザース。
ダーティー・ダズン・ブラスバンド。
ブルースに限らず好きなニューオリンズのアーティストを挙げるときりがない。
ファットなリズム、どろどろのタフなグルーヴ、転がるピアノ。
ミシシッピの肥沃なデルタのように豊潤でバラエティに富んだ音楽達。
日本からニューオリンズにやってきてボー・ディドリーをゲストに録音された
ボ・ガンボスのファースト・アルバムも大好きだ。
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ダウンタウンを歩く。
旧市街地、フレンチクォーターにはフランス領時代のヨーロッパ風の街並みが続き
ジャズ、カントリー、ソウル、ザディコなど様々な音楽があふれている。
もはやオールディーズと化した「ホンキートンク・ウーマン」などのロックも聞こえてきた。
街には思いのほか観光客然としたアメリカ人が多く
彼らの喜びそうなアッパー・アメリカンな店が賑やかに建ち並ぶ。
そんな店から聞こえてくる当たり障りの無いアミューズメント・ミュージックよりも
ストリートに落ちている微かな煌めきが嬉しい。
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光が見えた。
空間が開けた。
ジャクソン広場を抜けると、そこはミシシッピだった。
そうかそうか。
この川をハックルベリーとトムソーヤが下ったのか。
「mississippii」
綴りがおもしろくて、中学の頃、机に何度か落書きした。
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かつてニューオリンズは港町だった。
(現在、主に通るのは観光船)
河口から170キロも遡った所に港があったのは
ミシシッピの流れがもたらした広大なデルタがあったせいだろう。
デルタでは世界のほとんどが空のようだ
ユードラ・ウェルティ「デルタの結婚」
ジム・ジャームッシュの映画「ダウン・バイ・ロー」を思い出す。
ジョン・ルーリー扮するジャック。
トム・ウエイツ扮するザック。
ふたりはニューオリンズの刑務所で出会い、脱獄しデルタ地帯を彷徨う。
ラストシーンが印象的だ。
行き先の知れない分かれ道。
ジャックが差し出す右手を握らず歩き出すザック。
ふと思い出したように歩みを止めて上着の交換を申し出る。
握手もせず上着だけを変えて、それぞれの道を歩いてゆく二人。
やがて光に消えてゆく。
あの二人は何処へ行ったのだろう。
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夜はマーヴァ・ライトのライブに行った。
「クイーン・オブ・ブルース・イン・ニューオーリンズ!」
どこにでも居そうなオバちゃんは、そのように紹介された。
彼女が声を発すると空気がびりびり震えた。
そして、その声を聞くだけで皆の顔がほころんでしまう。
マーヴァ・ライトはバーボン・ストリートにある
「Storyville District」で毎週木曜日にライブを行っている。
ノー・チャージ。
料金は、たったのドリンク一杯。
こんなライブが毎日のように行われているのが、アメリカの音楽シーンの奥行きだ。
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ストリートでは様々なミュージシャン達が演奏をしている。
ジャンルもスタイルも様々だ。
陽気な演奏に足を止めリズムを取っている白人のおとーさん。
奥さんの手をとり一緒に踊りだした。
演奏が終わり遠くからも拍手が聞こえる。
クレーンに乗って四階にペンキを塗っていたオッちゃんが拍手をしていた。
ゆっくり道を歩いてきた爺さんがマイクをとり、ブルースを歌いだした。
バンドも当たり前のように、そのまま演奏を続けている。
こういったおおらかに楽しむアメリカ人の姿勢は、単純に素晴らしいと思う。
チップを置いて行く人も多い。
中には歩いてきて演奏も聞かず、ただチップを入れて立ち去る人もいる。
個人的には、聞かないのにお金を払うのは失礼だとも思うのだが
これも表現者に敬意を払うという国民性の表れなのだろう。
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また別の夜にはジャズを聞きにプレザベーション・ホールを訪ねた。
ここはジャズの殿堂のようなホールだ。
しかし、建物は今にも崩れ落ちそうというか、ほとんど廃墟同然のようだ。
フレンチ・クォーターには、このように修復を重ね、古い形を残す建造物が多い。
過去を捨てず、過去のものが過去のものにならない。
そんなニューオリンズの頑固な気質を良く現していると思う。
プレザベーション・ホール・ジャズ・バンドの演奏も
頑固で古き良き時代が、今に生きていた。
プレザベーション・ホールの良いところは間近で生音が聞けること。
一時間並んだ甲斐あってバンドから2メートルほどの至近距離で聞くことが出来た。
演奏者とのスイングの交換。
全身からポジティブなヴァイブレーションを演奏者に向けて送ると、
ハッキリと演奏が輝きだすのが分かる。
トランペット、アルト・サックス、テナー・サックス、トロンボーン。
だんだんとフロントの4人と目が合うようになる。
ボサボサ頭でスイングする東洋人は目立つのだろう。
彼らがこちらのグルーブを確認しながら演奏をしているのが分かる。
そのうち彼らはソロを吹き終わると「どうだ」とばかりにこちらを見るようになった。
始めは硬かった客席も、徐々にほぐれ揺れ始めた。
幸せなスイングが広がっていった。
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ラフカディオ・ハーンは日本に来る前、ニューオリンズに長く暮らしていた。
自分自身を話し相手に歩き廻るのがニューオリンズの人々の癖だ
ラフカディオ・ハーン「夢の都」
ニューオリンズでは、ただ音楽が聞きたかった。
心が震える音楽が聞きたかった。
それだけで良かった。
染み込めば良いと思った。
そして街を歩き廻った。
話し相手は自分自身だった。
♪流されて 流されて 何処へゆくやら
♪くりかえす くりかえす 良いことも 嫌なことも
歌をくちずさんでいた。
♪明日も何処か祭りを探して
♪この世の向こうへ連れて行っておくれ
かつてこの歌をニューオリンズで歌った男は、もうこの世にはいない。
今日歩いたこの道は何処へ続いてゆくのだろう。
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2004年3月20日 ニューオリンズ
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