サパティスタ民族解放軍(EZLN)について記す。


彼らのほとんどはメキシコ南部チアパス州に暮らす先住民(マヤ系インディヘナ)であり農民である。




1492年、コロンブスがアメリカ大陸にやってきて以来、彼らは奪われ続けてきた。


搾取され差別され続けてきた。


(先住民という言葉自体、後からやってきた者の傲慢だ)


もともと使っていた言葉、もともと信じていた神。


後からやって来た者により、それらを使うこと、信じることは、罪とされた。


おこなわれてきた風習や着ていた服は、蔑まされ差別の標的となった。


彼らは後からやって来た者により、虫けらのように奴隷として扱われた。







1810年、スペイン支配が終わった後も、状況は変わらない。


われわれに生命を授けた大地は、すべてのひとのもの。


もともとマヤ系インディヘナには土地を所有するという概念がない。


メキシコ独立後、土地・資源の私有化という名目で、更なる略奪が行われた。




その結果は以下の通りである。


彼らの土地は、全国の水力発電エネルギーの55%を生産し、全電力の22%を生産する。


そして、彼らの66%の家庭には電力が届かない。


彼らの土地は、メキシコ最大の天然ガス埋蔵量を保有し、最大の石油鉱床を保有する。


彼らの土地は、トウモロコシ、コーヒーにおいてメキシコ1の生産量を誇る。


そして、彼らの90%はメキシコ国内において最低レベルの収入、あるいは無収入の状態である。


過半数は水道を持たず、3分の2は下水道を持たない。


3分の1の子供が就学できず、出来たとしても100人中72人が小学校すら卒業できない。


多くは家計を補う労働力として必要だからだ。


そのため半数以上の子供は読み書きが出来ない。


数え上げたらキリがない。


持つものと持たざるもの。


凶暴なる資本主義経済の悪循環。




彼らは声を上げ、存在を訴え続けた。


そして、無視され続けた。


メキシコ政府は、自国をメスティーソ(混血)によって形成される国と定義している。


いわば先住民(インディヘナ)は存在しないものとされているのだ。




そんな状況の中でサパティスタ民族解放軍(EZLN)が生まれた。


1984年のことである。


存在を訴え続け、忘れられ続けた彼らは、目出し帽で自らの顔を隠し武装した。









いまわれわれは宣言する。


もうたくさんだ!


1994年1月1日0時0分。


サパティスタ民族解放軍が武装蜂起した。


サンクリストバル・デ・ラスカサスを始め、チアパス州の主要なる4箇所の都市を占拠した。


それに対して、メキシコ政府は軍隊を導入、空爆も行われ12日間の戦闘が続いた。


世界が初めて彼らを見た。




サパティスタは先住民(インディヘナ)の権利・文化の認知、


メキシコ国民の自由・民主主義・正義を政府に対して求めた。




そして、先住民が置かれている不当な現状を、インターネットを使い世界中に配信した。


このことは国連人権委員会でも問題になり、首都メキシコ・シティでは10万人を越える集会が行われた。


さらにサパティスタは、世界に向けて語り続けた。


自分達の目的は、先住民の尊厳の回復とメキシコの本当の民主化であることを。


そのことによりメキシコ政府は今まで行ってきたように一方的な武力による鎮圧が出来なくなった。




12日間の戦闘後、サパティスタは今後一切の武装闘争を行わないことを宣言した。


そして、武装化を維持しながら、いくつかの村を自治区として統治してゆくことを発表した。


その後、サムエル・ルイス司教を仲介役に、メキシコ政府・サパティスタ間で断続的に話し合いが持たれた。




1996年2月。


サンアンドレス・ララインサールにて双方の合意が成立する。(サンアンドレス協定)


政府は、先住民自治権の法制化、先住民の土地散逸を防ぐ措置、


資源の優先権、参政権などを盛り込んだ憲法改正案を提示。


一端は和解が成立したが、政府はこの協定を実行に移さなかった。


その後、サパティスタの闘争は言葉を武器に、サンアンドレス協定の遂行を要求してゆくことになる。


そして、メキシコ政府によるサパティスタ自治区に対する軍隊の包囲は続く。







1997年12月22日。


サパティスタ自治区アクテアルにて45人のサパティスタが虐殺される。


45人は主に子供・女性・老人。


パラミリタール(反サパティスタ民間武装兵)の犯行との見方が濃厚。


メキシコ政府による関与も噂される。


政府は先住民同士の争いと発表。


サパティスタ・メキシコ政府間の緊張、溝が深まる。




2001年3月11日。


サパティスタは先住民の権利・文化の憲法での認知を求めて


チアパス州から首都メキシコ・シティまでの行進を行い、要求を議会に提出。


私たちはここに、私たちであることによって、私たちになるために来た。


私たちは私たちを見つめ、私たちになるための鏡である。


私たちは、私たちを助けてほしいと、


みなさんに慎ましく尊敬の念を持って求めるためにやって来た。


現状は変わらず。




2003年8月。


メキシコ政府との決別を宣言。


カラコールを中心にした自らの自治の強化を発表。




現在も軍隊によるサパティスタ自治区の包囲、検問が続く。


そして、パラミリタール(反サパティスタ民間武装兵)による攻撃が続く。