子供達の明るい笑顔を見ていると、ここが軍隊に包囲されているということを忘れてしまう。
サパティスタは今後一切の武装闘争を行わないことを宣言している。
1994年の武装蜂起以後は、常に話し合いによる解決を求めてきたのだ。
しかし、彼らは未だ武装化を解除してはいない。
サパティスタ民族解放軍(EZLN)は山に潜み、自治区を包囲している軍隊を監視しているのだ。
個人的には、どんな理由であれ、武装化には反対だ。
悪意が悪意を呼ぶように、武器は武器を呼ぶ。
憎しみが憎しみを呼ぶように、基地は攻撃を呼ぶ。
暴力の連鎖は、どこかで断ち切らねばならない。
サパティスタの言い分はこうだ。
兵士、それはもはや誰一人として、兵士にならなくてもよい日のための兵士だ。
つまり、戦争をなくすために闘うのである。
武器を取っていなかったら、われわれは忘却と悲惨の中のままであった。
武装闘争が唯一のものではないが、われわれにとって唯一残された方法であった。
われわれの武装闘争は、変化し進化してゆく一連の闘争形態の、ひとつの段階である。
自由・民主主義・正義の不在という問題の提起であり、変革を成し遂げた後には、消滅するのが目的である。
彼らが言うように、武装蜂起をしてなかったら、政府からも世界からも見向きもされなかったというのも事実だろう。
しかし、彼らが武装蜂起したことにより、巻き添えになった民間人がいる。
例え、その死がサパティスタの攻撃ではなく、政府が行った無差別空爆によるものであったとしても
「殺された側」に立てば、その違いが何だと言うのか。
歴史が違うと言ってしまえばそれまでだ。
確かに日本に生まれた俺と彼らの歴史は違う。
武器を捨てて話し合おう。
そして武器を捨て殺された。
そんな繰り返しの歴史が、サパティスタに武器を持たせ続けているのだ。
だけど、俺は日本で生まれた。
俺は多くの命の犠牲の上に成り立つ平和な日本で生まれ育った。
だから平和の良さを伝えてゆく。
争いに繋がる武器の廃絶を、世界に対して求めてゆく。
許すということを、世界に対して伝えてゆく。
それらは日本人の役割だと思うのだ。
世界で唯一、原爆を落とされた国。
世界で唯一、原爆を落とさせた国。
そんな国に生きる者がやらなくてはいけないことだと思うのだ。
現実は、そんなに甘くない。
現実的ではない観念的な理想論だ。
そんな声も聞こえてくる。
しかし、俺はそれでも理想を語りたい。
理想を語り、少しでも理想に近づけるように生きてゆきたい。
そのように思えるのは、たまたま侵略を受けていない日本に生まれたからであることも知っている。
同時に、武器を持たざるを得ない者たちの歴史も知っている。
自分の幸せと他者の幸せは同じで無いことを忘れずに
それで良いのかと自分自身に問いかけながら、理想に近づいてゆきたい。
そして、あの子供達が、武器を持つことがないことを願う。
そして、サパティスタ達が武器を捨てられる日が来ることを願う。