「ミリオテ」(君、ここにいるね)
「ミリオネ」(うん、ここにいるよ)
「バターン」(やあ)
「ペシャロン」(またね)
「クシャエアラン」(元気ですか?)
「レコヨン」(元気です)
「コロバル」(ありがとう)
「ムシュルカンティッキ」(どういたしまして)
「オコンティッキ」(また、あした)
「フン・チン・オシン」(1・2・3)
トツィル語の響きは素朴で可愛い。
高台になっている村の中心から坂道を降りてゆく。
「ミリオネ」
はにかみながら応えてくれた女の子。
「バターン、バターン」
洗濯の手を止めて嬉しそうに繰り返したおばあちゃん。
「ペシャロン」
すれ違いざま声をかけてくれた薪を担いだおじさん。
「フン・チン・オシン」(1・2・3)
元気ですか?(クシャエアラン)が出てこなくて、訳もなく言って笑われる。
ちいさな男の子が何度も、こちらを振り返る。
手を振ると硬かった表情が弛む。
もう一度、手を振る。
男の子は恥ずかしそうに手を振り返すと、前を歩くお母さんの所へ走っていった。
お母さんの腕に絡みついて、なにやら笑いながら報告している。
片言の言葉で挨拶しながら歩く。
「君、ここにいるね」と存在を認めてもらえるのが嬉しい。
この村に来て良かったなあ。
山羊を追う男の子。
子守をする女の子。
山を切り開く青年。
織物をするお母さん。
火をおこすお父さん。
裁縫をするおばあさん。
豆を干すおじいさん。
犬、ニワトリ、豚、牛、アヒル、馬。
大地に生まれ。
大地に生き。
大地に帰ってゆく人たち。
食物自給率が30%を下回る国に育った自分。
もはや大地との繋がりは断ち切れているだろう。
落ちているゴミを拾う。
立ち止まると、ほんの少しだが生活が垣間見えてくる。
人間みんな同じなんて軽々しくは言えない。
しかし、人が生きてゆくという点では、きっと何ら変わりが無い。
でこぼこ山道に立ち、彼らの過去を眺め、未来に思いを馳せる。
緑広がる丘に立ち、彼らの過去を眺め、未来に思いを馳せる。
湧きあがるのは怒り。
湧きあがるのはやるせなさ。
湧き上がるのは未来に希望を見る人への希望。
流した汗を思い。
食卓を思い。
家族の団欒を思う。
「フォト」
振り返ると、ふたりの女の子がいた。
先ほど、話しかけようと近づいたら逃げてしまった姉妹だ。
「撮って良いの」
カメラと女の子を交互に指差し聞いてみる。
人の写真は撮らないように言われていたし、
もう、彼らを撮ろうという気持ちも無くなっていた。
でも、嬉しかった。
「ホントに撮って良いの」
ふたりは恥ずかしそうに頷いた。
ファインダーの中には、どこにでもいる少女の笑顔があった。