拝啓 ハヤシ コウジさま
その後、無事、元気で旅を続けていますか。
前回メールをくれたのがエクアドルからだったから、今はペルーあたりかな。
最終目的地であるブラジルまでは辿り着けそうかな。
こちらはグアテマラのサンペドロ・ララグーナです。
標高1500m、山に囲まれた湖畔のカフェでこれを書いています。
ひだまりで猫が毛繕いをしています。
目が合うと、まっすぐこちらにやって来て、膝の上に飛び乗ってきました。
もぞもぞと体を動かし落ち着ける場所を確保すると、すやすやと寝てしまいました。
身ごもってるらしき、膨らんだお腹が、ゆっくり収縮を繰り返しています。
小さな命が永遠の時を刻んでいます。
前回のメールにあった、おじいさんの死。
そして死目に会えなかった事。
さぞかし悲しかったと思う。
無念だったと思う。
いろいろ複雑な思いが旅先で入り混じったと思う。
無責任な意見かもしれないけど、
おじいさんは、コウジ君が旅を続けることを望んでいたのだと俺は思うんだ。
きっと良かったんだよ。
俺は、一昨年、祖母を亡くしてね。
そのことは俺が旅に出た理由のひとつでもある。
祖母が亡くなった時、命に限りがあることが身に沁みた。
人は、いつかは死んでしまうということ。
それは、いつなのか分からないということ。(明日かもしれない)
そして、両親も歳をとってゆくという当たり前の事実が重さとして残った。
今、やりたいこと。
今、やれること。
今、やるべきこと。
先送りにするのは辞めようと思った。
今、旅立っていなかったら、俺は一生旅に出ることはなかったと思う。
きっと旅立たなかった自分に言い訳をしながら生きた。
もう二ヶ月ほど経つかな。
コウジ君と最後に話したキューバの夜。
その時のことを良く覚えている。
「テツさん、くれぐれも体には気をつけて下さい」
「そうだね。ホント旅は健康と安全だ」
「あとは、やさしさですね」
コウジ君らしい言葉だなと思った。
あの時から、やさしさについて、よく考えるよ。
その時、決まって浮かび上がってくる風景がある。
それは、午後の病室。
祖母の体を、いたわるように何度も何度も擦る父。
祖母の髪を、慈しむように何度も何度も撫でつける母。
切なく、やるせない風景だが、そこには紛れも無い、やさしさがあった。
俺は、この二人の優しさに包まれて育ったのだと思った。
そして、その優しさは祖母達から受け継がれてきたものだ。
俺はコウジ君と旅をしていて、優しいなあと何度も思った。
家族や友人達から受け継がれてきた優しさを感じた。
俺はたくさんの優しさを貰いながら、時に優しくない自分に気がついていたよ。
ひとつでも何か得るものがあれば良いじゃないか。
少しでも自分に自信がつけばそれで良いじゃないか。
出発前に父親から、そう言われました。
俺は自分に自信の無い人です。
でも、今回の旅で少しだけ自信がつきましたよ。
そう言えるコウジ君の素直さが良いなあと思った。
そう言える旅は素晴らしい。
コウジ君の持つ優しさは、この旅で得た自信を、強さへと繋いでゆく。
優しさの欠けた自信は、視界を曇らせるからね。
今、膝の上の猫が急にびくっと起きた。
怖い夢でも見たのだろうか、鼓動が早くなっている。
背中をゆっくり撫でると、また、すぐに寝てしまった。
誰もが、安心できる場所を必要としている。
ひとは、完成されていない、欠けた部分を持つ存在だと思う。
俺は自分に足りない欠片が、たくさんあることを知っている。
足りない欠片を、少しづつ拾い集めながら、旅をしている。
さまざまな視点。
さまざまな価値観。
さまざまな生き方。
それらを同時に持てたら俺は優しくなれるかもしれない。
「名残惜しさは温かさですよ」とも言ってくれたね。
俺もそう思える時間を一緒に過ごせたこと、感謝しているよ。
また会える未来も含めて温かい。
やさしさ。
たくさんのやさしさに包まれて旅をしている。
やさしさ。
それは俺にとって時々立ち止まって、還ってゆく場所なんだ。
どうか、元気で旅を続けて下さい。
また会おう!
金子 鉄朗
2004年6月6日 サンペドロ・ララグーナにて