旅の途中で写真のレクチャーを求められる。
「とにかく、たくさん撮ることかなあ」
その度に答えられるのは、この程度のことだ。
写真の撮り方を教わったことはない。
それぞれの撮り方で撮りたいように撮れば良い。
テクニックやスタイルよりも、まずは自分が何をしたいのかが大切だと思っている。
「邪魔にならないようにしてますから。
今日一日は、テツさんの後に距離をおいて付いています。
いつもの通りしていて下さい」
そうは言っても、最近は、それほど写真を撮る訳ではない。
一枚も撮らない日だって結構ある。
それに見ても特別参考になるようなことはないと思うのだが。
しかし、まあ、いろいろ世話になってるマサくんの申し出だ。
いっちょ撮ってみるか。
マサくんは夫婦で世界を巡っている旅人だ。
ここ数日、部屋をシェアし、行動を共にしていた。
彼もサイトを作りながら旅をしている。
写真も好きなようで、自分とは対照的な客観的で親切な写真を撮る。
クエンカからバスに乗り、約1時間の距離にあるグァラセオに向かう。
この村では日曜日にインディヘナの市が立つ。
バスを降り、人の流れに沿って歩くと、セントロに行き着いた。
人々が溢れている。
色彩が溢れている。
店先には鮮やかな熱帯のフルーツが山積みになっている。
教会に向かって更に人の流れがある。
帽子を取り、十字を切って、中に入ってみる。
人々が所狭しと犇めき合い、静かな熱気が充満している。
何かの祭のようだ。
インディヘナ達の祭は、ささやかな宗教儀式が中心で、祭本来の姿が見える。
人々は手に手にローソクを持ち、それで自分の頭や目を撫でている。
そして、それに火を灯し、祭壇に飾られたマリア様に、次々と供えてゆく。
神に救いを求め、両手をさしのべ群がってゆく人々の姿が、そのままそこにあった。
インディヘナ達は、教会の中の撮影を極端に嫌う。
しばらくの間、おとなしく見せてもらってから教会を後にした。
教会を出ると、広場に坐った女の子が、親しそうな笑顔をこちらに向けていた。
「オラ!撮って良い?」
持っているカメラと女の子を交互に指差しながら近づいてゆく。
彼女はお父さんの後ろに隠れてしまった。
「ごめん、ごめん、イヤだったかあ」
しかし、女の子は、すぐに姿を現した。
お父さんの腕にぶら下がると、可愛い笑顔を見せてくれた。
「グラシアス!」
雰囲気のある花屋のおばさんがいた。
接客に気をとられ、こちらの存在に気が付かない。
しばらく、カメラを構えてみる。
ファインダーの中で目が合った。
迷わずシャッターを押す。
「グラシアス!」
人の写真を撮りたいけど、怖くて撮れないという意見を聞く。
その気持ちは良く分かる。
人を撮るには、まず一歩前に踏み出して、その人と向かい合わなくてはならない。
中には、お金を要求してくる人もいるし、怒り出す人もいる。
自分の場合は、お金が必要な人や、イヤがる人は撮らないようにしている。
そして、どんな場合でも堂々としていることが大切だ。
海外では、こちらも常に見られている。
インディヘナの村などでは、外国人は相当珍しい存在のようで、
常に10人以上の好奇の視線が自分に集まっている。
被写体だけでなく、それらの目も意識する。
カメラを向けられた人をからかう者も多い。
撮る側が、おどおど、こそこそしていたら、撮られる側は、更に居心地が悪いだろう。
出来たらカメラもガツッと裸で持って歩きたい。
(中南米は治安の問題でそうもいかない場合が多いのだが)
最初から自分は写真を撮るんだということを人や町に知らせておく。
いざ撮る段階になって、バックからゴソゴソとカメラを出したのでは、相手が構えてしまう。
思いが入らない。
時々、マサくんの位置を確認しながら歩き廻り、立ち止まる。
彼の存在のおかげで、写真を撮る自分が客観的に見えた。
そうなんだよ。
自分なりに人を撮る時に必要なことを再確認した。
こそこそ撮らないこと。
イヤがる人は撮らないこと。
マサくんを見ると、あちこちにカメラを向けたり、インディヘナと話をしたり楽しそうにしている。
そうそう、写真は本来、撮る方も、撮られる方も楽しいものだ。
愛しいものを愛しく撮る。
そんなことを瞬時に伝えられる人間になりたいものだ。
「オラ!」
声のするほうを見ると、先ほど写真を撮らせてもらった女の子がいた。
彼女の家族も、こちらを見て微笑んでいる。
「グラシアスと言いなさい」
お母さんが、女の子に言っている。
「グラシアス!」
嬉しいなあ。
たくさんの「ありがとう」を言える人生を送りたい。
「グラシアス!ありがとう!」
グァラセオの先にあるチョルデレグという村にも行ってみることにする。
明るくて気持ちの良い開放感のあるメルカドがあった。
人々も穏やかでゆったりとしている。
その場にいるだけで気分が良い。
メルカドの一角には食事の出来る屋台が並んでいる。
山高帽を被ったインディヘナのおばさんたちが食事をしている。
手掴みでゆっくり食べるその姿は素晴らしく優雅だ。
ローストした豚が、そのままの姿で一匹まるまるテーブルに乗っている。
店のおばさんは、裂かれた豚の背中から、少しづつ肉を剥がし皿に盛り付ける。
抜群に美味い。
「テツさん、温かそうなの持ってる人がいますよ」
食後のコーヒーを飲める店を探しているとマサくんが教えてくれた。
飲み物を持って歩いてくる人の方へ行ってみると、そこに店はなく、4匹の山羊がいた。
まさかと思ったのだが、そのまさかだった。
山羊から乳を搾り、その場で売っているのだった。
ちいさなコップに直接搾った山羊乳は、そこそこの値段がするのだが、多くの人が飲んでゆく。
パンパンに張っていた山羊の乳は、見る間にしぼんだ。
クエンカに戻るバスの中で、その日撮った写真を見せ合った。
自分の撮った写真はポートレイトのようなものばかりであった。
同じ時に、同じものを撮っているのに、写真は全く違うものになる。
視点の違いの面白さ。
それは、そのまま思いや愛しさの違いであり、人が生きる面白さだ。
「馬7、騎手3」
競馬では勝負の重要度をそのように表現する。
自分の写真を見ながら、被写体の比重は遥かに7を越えているなあと思った。
特別な出来事はなかったが、とても気分の良い一日だった。
出会った全ての人にグラシアスとアディオスを贈りたい。
2004年7月4日 グァラセオ・チョルデレグ