「ツーリスティック(観光的)」
旅行者がこの言葉を使う時は、明らかに否定的なニュアンスが込められている。
観光客だらけ。
土産物屋ばかり。
古き良き時代の生活は、もうそこには無い。
チチカカ湖に浮かぶウロス島。
自分が出会った旅行者のほとんどが、この言葉を使って島を表現した。
空が湖面に映し出される。
凛とした湖が真っ青だ。
きらきらと光が踊っている。
30名ほどの観光客を乗せたボート。
少しづつウロス島へ近づいてゆく。
生い茂る黄金色の葦(あし)の向こうに生活の気配がある。
ウロス島は、チチカカ湖に浮かぶフローティング・ランドだ。
葦で作られた浮き島の上で、人々の生活が営まれている。
大小40ほどの浮き島の上で、約700人の生活が営まれている。
島は周囲10メートルほどの小さなものから、学校や教会がある大きなものまで。
そんな場所を、多くの人が訪れてみたいと思うのだろう。
そんな場所に生きる人々の生活を、多くの人が見てみたいと思うのだろう。
昔ながらの素朴な生活を営む島に、多くの観光客が押し寄せるようになった。
人々の生活は、きっと変わった。
青い空に浮かんだかのような島に、そっと足を下ろす。
思っていた以上にしっかりしている。
標高3890M、日本の何処よりも高い場所に位置するチチカカ湖。
広さは琵琶湖の12倍だそうだ。
そこに浮かぶ小さな島。
今、その上に立っているのだと思うと、不思議な感じがした。
多くの「ツーリスティック」という意見から、島に着いた途端、
土産売りが群がり、子供達には飴や小遣いを要求されるのだと思っていた。
確かに土産物を広げたおばさん達は多いが、
観光地にありがちなぎらぎらした感じは全くない。
ゆっくりと穏やかな空気が流れている。
30分ほど前にいたプーノの町とは全く違う時間が流れている。
物静かな人々が、ひっそりと生きていた。
葦で作られた小さな家。
石で穀物を磨り潰すおばあさん。
釜戸の番をするおじさん。
赤いほっぺたの鼻たれ小僧たち。
葦の地面に直接干された洗濯物。
その近くを雛鳥がちょこちょこと歩き回る。
空を映した青い湖面には手漕ぎの素朴な船が滑る。
島には次々とモーターボートが横付けされる。
次々と観光客達が降り立つ。
物静かな島民とは対照的な騒々しい人々。
一方的な視点で「ツーリスティック」と審判を下す人々。
島の奥にはトタンで出来た屋根が見えた。
寝泊りはそこで行う人の方が多いのだろう。
時代と共に変わってゆく生活。
そういった側面も確かにある。
しかし、ウロス島に関しては、間違いなく観光客が変えたのだ。
(変わらないことを要求したとも言える)
毎日、毎日、数百人もの見ず知らずの人間がやってくる。
庭を歩き回り、家の中を覗き込む。
パシャパシャと写真を写す。
彼らは見たこともない目の色、髪の色をして、聞いたこともない言葉を話す。
食べたこともない甘い食べ物を持ち、見たこともない服を着ている。
そして、たくさんの金を持ち、昔ながらの生活を見たがる。
それは、俺のことでもある。
いろいろな土地を訪ね、美しい風景を見て、歴史や未来に思いを馳せる。
そんな日々の中で感動するのは、やはりここにも今、人が生きているという事実だ。
どんな形であれ、そこに人が生きていて、それぞれの生活があるということに感動するのだ。
自分が見てみたいと、思い描くもの以上に
そこに生きている人がいるということを忘れないようにしたいと思う。
人々が生活している場所にお邪魔させてもらっているという視点だけは
無くさないようにしたいと思う。
かつて、チチカカ湖は、「パカリナ」と呼ばれていた。
「すべてが生まれた場所」という意味なのだそうだ。
青い空に浮かぶ小さな島。
すべてが生まれた場所で、ゆらぎながら生きる物静かな人々。
島を離れるボートに立ち、今一度、浮き島を見渡す。
ひとりのおばさんが手を振ってくれていた。
おしゃべりに忙しい観光客達は、それに気付かない。
大きく手を振り返す。
笑顔が返ってきた。
だんだん小さくなって
消えていった。
2004年7月25日 ウロス島