メールありがとう!


浅野くんの光が強くなってきてるの此処にいても良く分かるよ。


存在にありがとうと言いたい。


ラパスで日系沖縄移民についての本を読んできたのだけど


多くの人が気楽な気持ちで移ったみたい。


とにかく海外だみたいなノリ。


(じゃなければ、それだけの行動はとれないのかも)


着いてからの苦労は、もの凄かったようだけど。


船で那覇を出発してシンガポール、ケープタウン(南ア)経由でリオデジャネイロ。


(船で太平洋を越えるのは困難なんだと改めて)


そこから汽車でボリビアへ。


二ヶ月の航海の間に3人の赤ちゃんが生まれたり。


(乗っていた船の名前が付けられた)


第3次移民は女性が中心のお嫁さん部隊で、まだ見ぬ奥さんを駅で待つ男達は


緊張で手が震えてネクタイも結べなかったとか。


何だか微笑ましい話もたくさんあった。


本当に苦しかったことは、あまり語りたくないんじゃないかな。


本当に苦しかったことは、自然と忘れようとする動きが働くように思う。


(生き残れる人は、楽しいことを覚えている)


そうしないと前に進めないというか。


生きていくための回路というか。


伊江島で戦争体験者の話を聞いた時もそう感じたよ。


だから余計切ない。


今を生きる者達が少しでも引き受けてゆかなくてはならないんだよね。


中国とのこと今更ながら色々と考えてしまった。


でも、海外に出て、自分も差別を受けたりもするのだけど、


実際に日本人は国際社会で多くの貢献をしていて感謝もされているというのを感じる。


国民性なのか、そういったことは、あまり国内に伝わっていないように思う。


イラクで日本人が人質になったり、今回の中国とのことが大きく報道されることで


俺が感じるのは、人々の裏側にある恐怖感のようなもの。


日本は、自分達は、自分は、これからどうなってしまうのだろう、というような。


何だか、今は、そこが大きくなりすぎてるような気がする。


人は自分が受けた傷を強く記憶するのかな。


つまらない。


本当の光は、そこを越えて輝くのだと思っています。


カミサゴ、おまえは日系移民のような奴だと伝えてください。


矢田部さんには、やるなあ、素敵です、雇ってくださいと。


日本は生き方の選択がたくさんで素晴らしい。


それを自分で狭めない奴が輝く。


便所に紙があるのも素晴らしい。


きれいも汚いも引き受けて自分でケツを拭く奴が輝く。


浅野君の生きるあれこれも楽しみにしています。


ホントにありがとう!


ではでは。



金子 鉄朗













          2004年8月10日 サンタクルスにて