イースター島に初めて人が渡って来たのは4世紀頃と言われる。
それはホツマツア王を中心とした200人ほどの一行。
ポリネシア文化圏にあたる西の海からやってきた。
始めは親族同士で固まって沿岸沿いに暮らしていた。
徐々に農地が耕され島に村が出来てゆく。
王・神官・戦士・農民に分かれた階級社会であったが人々は仲良く暮らしていた。
平和で豊かな島。
モアイが作られ始めたのは800年頃。
亡くなった有力な先祖の姿を現していると言われる。
それ以前から作られていたアフ(プラットホーム状の祭壇)の上に立てられた。
モアイには眼が入れられマナと言われる不思議な力を出して村を守る。
眼を入れるのは神聖で重要な儀式だ。
村ごとに競うようにモアイが作られた。
10mのモアイを作るのには30人で1年がかり。
それを6キロ移動するのに90人で2ヶ月、立てるのに3ヶ月かかると言われる。
10世紀には島の人口が10000人を越える。
11世紀から16世紀にかけては2000体ものモアイが作られ大型化してゆく。
最大のものは20m(7F建てくらい)を越える。
島民のエネルギーはモアイ作りに集中していった。
協力と競合の時代。
やがてモアイの製作が島の経済を圧迫し始める。
人口増加に食糧が追いつかない。
畑の作りすぎによって森林が切り倒され、土が海に流れ土地が痩せた。
限られた資源。
自然破壊。
食糧不足。
飢えが平和な島を変えた。
争いを引き起こした。
部族間による食糧争奪戦争。
食人までが行われる。
モアイの製作は中止。
争いの中で、モアイはその霊力を防ぐため、眼が取り除かれ、下向きに倒された。
全てのモアイが倒されるまで争いは続いた。
現在は900体ほどのモアイが残る。
ほとんどは倒れたまま。
(立っているのは復元された40体ほど)
波打ち際や草原にうつ伏せに倒れ、切り出される前の石の状態に戻りつつある。
ゆっくりと自然に還りつつある。
謎は想像するしかない。
だけどやはり人間の過剰な欲望の行き着いた先を見ているように思う。
現在、島の人口は2000人。
穏やかで優しい人々が静かに住む。
素晴らしい笑顔。
驚くほどに親切。
この世界の向かう先を思っている。
繰り返し島を歩いている。