「オーストラリアに来た目的は?」


入国審査官との会話はお決まりの質問で始まった。


簡単に入れてもらえないであろうことは事前に分っていた。


この日は、1時間でも2時間でも対話をしてやろうと思っていた。


とにかくトライするしか方法はないのだ。



彼の質問に答える前に、はっきりしておきたいことがあった。


「キャン・ユー・スピーク・ジャパニーズ?」


逆に質問を受けた入国審査官は一瞬驚いたような顔をした。


「ノー」と首を横に振った。


「じゃあ、スペイン語かフランス語は話せますか?


もしくは中国語かイタリア語ならどうですか?」


彼はちょっとした苛立ちを隠せなかった。


「ノー」


「それでは仕方がない。俺がイングリッシュで話しましょう。英語は苦手なんですけど。


入国の目的は観光です」




「何処から来ましたか?」


「オーストラリア訪問は何度目ですか?」


「何日くらい滞在しますか?」


「泊まるのは何処ですか?」


「オーストラリアに知り合いはいますか?」


お決まりの質問が続き、簡単な英語で回答していった。


体の大きな真面目そうな男だった。


このまま、すんなりスタンプを押してくれるのかと思った。




「出国する際のエアチケットを見せてください」


ああ、来てしまった。


いよいよだ。


チケットは持っていなかった。


ありのままを話すしかない。


「ダーウィンまで行き、そこでインドネシアへのチケットを探そうと思っています。


ただ、オーストラリアは大きな国なのであまり厳密な予定は組めません。


だから出国のチケットは用意できませんでした」




「オーストラリアは出国チケット無しに入国は出来ないのです」




この国に限らず、実際は多くの国で、そのような決まりがある。


しかし、厳密にチェックしているのは、先進国と言われる一部の国だけだ。


出国チケットなど関係ない陸路での国境越えを続けていたので、


なんとかなるだろうと、チケット購入時には、のんきに構えていた。


オーストラリアの入国審査が厳しくなっている事を聞いたのは南米を離れる数日前だった。


実際、ニュージーランドへ向かうタヒチのカウンターでさえ、


オーストラリアの出国チケットを持っていないことを理由に搭乗拒否に合いそうになっていた。


この国が入国者のチェックを厳しくしてきている証拠を突きつけられた思いがした。




なにも悪いことをしようとしているのではないのだ。


オーストラリアという国を旅したいだけだ。


話せば分ってもらえるだろう。


ゆっくりと。


堂々と。




「サンチャゴのオーストラリア大使館でヴィザをいただいています。


3ヶ月以内の滞在は許可されていると思うのですが」


「あなたの持ってるのは観光ヴィザですよね。


そのヴィザには出国チケットを持っている者という条件がついています。


出国チケットを持ってない者の入国は出来ないのです」


「それは、あくまで決まりの話ですよね、マーク」


彼の名前を敢えて呼んでから続ける。


「あなたは全ての旅行者にチケットの提示を求めていますか?


現に自分の知り合いで出国チケットの提示無しに入国した者が何人もいます。


ということは、俺がオーストラリアに入れるかどうか・・・


それは・・・あなた次第ということですよね、マーク。


俺はエアーズ・ロックが、どうしても見たいのです。


そのために此処まで来ました」


彼は軽いため息をつくと続けた。


「あなたは仕事を持っていますか」









「大学教授です」


どう見てもそうは見えないだろうと思いながらも答えてみる。


もちろん出まかせだ。


単なる風来坊であるよりも、社会的に信用のある職業の方が、入国させてもらえる可能性は間違いなく高い。


「何を教えているのですか」


「音楽史。主にジャパニーズ・ミュージック・ヒストリーです」


入国審査官は俺のパスポートをめくりながら続ける。


「それにしては南米に長いこと居たようだけど」


「ミュージック・カンパニーで12年間働いていました。


大学の仕事は来年の春からです。


ブラジルのサンバ、ボサノヴァ。


アフロ・ブラジリアンのパーカッション。


アルゼンチンのタンゴ。


アンデスの旋律。


実際に現地で鳴っている音を体験することは、とても大切です」




「所持金はいくらありますか」


こういう時に現金を見せてはいけない。


キャッシュ・カード2枚、クレジット・カード、トラベラーズ・チェック。


カウンターに並べる。


「それから・・・これも」


数千ドル残っている銀行の残高証明書も見せる。


彼らは入国者の不法滞在を防ぐためにも厳しくしているのだ。


所持金は大きく見せた方が良いに決まっている。




入国審査官はまだ釈然としない顔をしている。


後ろに列を作る者達が苛立っているのが気配で分る。


すまないけど俺は何時間でも粘らせてもらうよ。




「マーク、あなたはオーストラリアという国をどう思いますか?」


一方的な質問が続いたので、こちらからも質問してみる。


思いがけない質問を受けた入国審査官は、すぐに答えることが出来ない。


「俺はオーストラリアは偉大な国だと思っています。


なぜなら食糧大国だから。


日本の食物自給率は30%にも満たない。


テクノロジーがあっても基盤がない。


危ない国だ。


それに比べてオーストラリアの自給率は307%だ。


そんな国は世界にも類がない。


オーストラリアは世界に向けて大切な食糧を供給している。


オーストラリアは偉大な国だ。


偉大な国は世界に向けて開かれているべきだ。


世界に向けて」


そして、入国審査官の目を強く見据えてから静かに言った。




「アイ・アム・ザ・ワールド」




俺が世界だ。


I am in the World.


You are in the World.


マーク・・・ You know・・・


ウィ・アー・ザ・ワールドなんだぜ!




入国審査官の口から大きく息が漏れた。


彼は両手を広げて天を仰いだ。


苦笑いと共にマークの白い歯が初めて見えた。












           2005年6月20日 シドニー空港