「ピッピー!ピッピー!」


ベルを鳴らしているのでは無い。


口で言っているのだ。


此処はピピ島のメイン通り。


土産物屋、カフェ、ダイビング・ショップが立ち並ぶ観光地らしい賑やかさがある。


建物はコンクリートで新しい。


メイン通りを離れた建物は、復旧の途中か、壊れたままに放置されている。


「ピッピー!ピッピー!」


観光客の注意を促しながら手押し車が進む。


褐色の肌に流れる汗が光る。


手押し車には復旧用の資材が山盛りに搭載されている。



被害者数14万人を越えるとも言われるスマトラ沖地震での津波。


その中でも被害の大きかったピピ島。


不幸があった場所に行くのには若干の躊躇があった。


しかし、沖縄を始め、今までにもそんな場所を通り過ぎて来た。


いつも通り、その地で食事をして、その地の部屋を借り、その地の生活を見せてもらう。


俺は俺の旅をすれば良いのではないのか。



借りた部屋の窓から見える風景は以下。



「V-SHOP OPEN 24 HOURS」と書かれた看板。


欧米資本のコンビニを模したカラーリング。


椰子の木の電柱に取り付けられたその看板はグニャグニャにひしゃげている。


その下にはおそらくコンビニエンス・ストアがあったのだろう。


今あるのは四隅に立てた木に屋根としてブルーのビニール・シートを張っただけの店。


そこではクーラーボックスに入れた飲み物と簡単なハンバーガーが売られている。



道を挟んで斜め前には半壊した家がある。


屋根のトタンは剥がれ、残った上にはレンガが置かれている。


ガラスが張られていたであろう窓には板が打ちつけられている。


コンクリートで作られた壁は基本的に残っているが、表面は剥がれヒビが入りまくっている。


「Laundly Service 1kg 40B HERE」


ヒビだらけの剥き出しの壁に赤いペンキで無造作に書かれている。


壊れた家を直しながら、僅かでも収入が必要なのだろう。



半壊した家の隣は空き地になっている。


木の板が立てられ、そこに張られた写真から、以前はそこにレストランがあったことが分る。


欧米人のグループが笑顔でビア・ジョッキを掲げている写真。


旅行者と従業員が肩を組んだ楽しそうな店内の写真。


ブーゲンビリアに囲まれた幸せそうな写真。


それらの笑顔が溢れた写真の中に一枚だけ異質な写真がある。


瓦礫の山の前に中年の女性が立っている。


この場で写されたものだ。


ピントの合っていない写真が生々しい。


リュックサックを背負った彼女の顔には表情がない。


手に持ったダンボール紙には、かつてあったレストランの名前と電話番号が書かれている。


その電話番号は現在身を寄せている場所への連絡先なのだろう。


今でも血を流し続ける津波の傷跡。



この場所から200mほど先に海がある。


一瞬で奪っていった海。


20mから30mほどの高さがある椰子の木の先端の葉が全てない。


点在する椰子の木の間には南の島ならではの素朴なバンガローがあったのではないか。


今は瓦礫が取り除かれた空間があるだけ。



海にたたずむ。


エメラルド・ブルーに輝く美しい海。


白い砂浜。


静かな波が寄せては返す。



歩いてきた女性が砂浜に荷物を降ろした。


彼女は大きな黒いビニール袋を取り出すと海岸のゴミを拾い始めた。


金髪で赤いビキニの若い女性。


彼女の行為は唐突だったが自然であった。


ただそこにゴミが落ちているから拾ってるといった気負いの無い自然さ。


彼女がゴミを拾う海岸に寝そべっている観光客達。


ゴミを拾う彼女に全く気が付かないか、何も見てないといった視線でやり過ごしている。



自分は海に入っていった。


先ほど泳いだ時に、海の中にもたくさんのゴミがあるのに気が付いていたのだ。


スナック菓子のビニール袋やペットボトルが持ちきれなくなると、彼女のビニールに入れた。


「サンキュー」


穏やかで小さな彼女の声が聞こえた。


「サンキュー」と俺も繰り返した。


彼女の行為に対して「ありがとう」と言いたかった。



産業のほぼ100%が観光であるピピ島。


この島に多くの観光客が戻ってくるのが何よりの復旧なのだろう。


ゴミを拾っていた彼女とは「サンキュー」の言葉以外は交わさなかった。


お互い黙々と1時間ほど集めた。


その行為は災害のあった島に来ることに対して、


若干の後ろめたさのあった自分への、ささやかな慰めとなった。



時として無差別に奪ってゆく自然。


悲しむ暇さえなく復旧作業を続ける人々。


亡くなった多くの人々。


その家族や恋人や友人達。


起きてしまった現実さえも未だに受け入れがたい思いなのではないだろうか。


計り知れない自然の前で人々は言葉を失くす。


美しくもあれば、脅威でもある自然。


どうやら宇宙の意志は人間の小さな善悪を超えたものであるようだ。



3泊4日の時を過ごし、島を去った。


旅立つ際に感じる高揚感よりも、未だやるせなさの方が優っていた。


この業は何処まで行くのだろう。


生まれたことが業なのか。


生きてることが業なのか。


生きている者は生き続けなくてはならない。


生き続ける者は楽しみを失ってはいけない。


それで良いじゃないのかと自分自身に問うていた。







































              2005年8月11日 ピピ島