旅の空からの伝言
2004年2月19日 東京より
本日、202日目の長い旅の途中。
トーキョーからオキナワに飛びます。
伊江島、古宇利島、伊平屋島、久高島、粟国島。
沖縄本島周辺の島へ行く予定です。
自分の中で東京がトーキョー、沖縄がオキナワに変わってきています。
初めてのオキナワはまた別の表情を見せてくれそうです。
みなさんも良い日々の旅を!
2004年2月21日 伊江島より
伊江島に来ています。
気持ち良い風が吹いています。
明日は戦争体験者のお話を聞かせていただく予定です。
オキナワの太陽は元気です。
■EMMAさんへのレスポンスより
働いてる人。
生活している人。
毎日いろんな人に出会うけど、全ての人が旅の途中なんだと思うよ。
お互い大きくなってまた会おう!
■kazueさんへのレスポンスより
那覇では農連市場に連れていってもらいました。
当然、モーニングステーションで、お粥です。
(ゆし豆腐セットのご飯をお粥にしてもらいました)
天ぷらもたっぷり。
食事だけでなく、たくさんのきれいなものをいただきました。
宿の看板がモーニングステーション前に出ていて気になっていたのです。
しかも「徒歩50歩」の表記。
kazueさんは泊まったのかあ。
ホントに市場の中にあるのですね。
優しくまっすぐに生きている人々を見て自分もそうありたいといつも思います。
2004年2月25日 伊平屋島より
伊平屋島に来ています。
此処はオキナワ本島からずっと北にある細長い島。
身体の力がふっと抜けるのんびりとした海と山の島です。
昨日、一緒に食事をしたオッちゃん達は不発弾探知の仕事で島に来ている方々でした。
不発弾の撤去にはあと50年以上の歳月がかかる。
オキナワの戦後は終わっていない。
久しぶりにメールをチェックしました。
たくさんの思いをいただき感激しています。
少しずつお返事しますね。
伊平屋村歴史民族資料館のパソコンを使わせてもらっての書き込みでした。
■ライター浅野智哉さんへのレスポンスより
闘ってみてつくづくわかったが、米軍といわず、すべて軍隊というものが、
どこであろうと存在し、さらにそれを認めるような体制があるかぎり、
この闘いは終わらない。
伊江島で米軍から土地を守る農民による平和闘争を続けてきた阿波根さんの言葉です。
彼が中心になって設立した反戦平和資料館は、
誰が戦争を作り出すのかを生々しく問いかけていました。
原爆を落とした国より、落とさせた国の罪は重い。
行動してきた人の想いから学ぶことは多かったです。
同じ道をたどらぬように、繰り返さぬように、
何度でも出会って語って肝(ちむ)にとどめないと。
浅野君が書いてくれたことも決して忘れることのないよう肝に命じたいです。
どうもありがとう。
誰ひとりとして不幸にしてはいけない闘いです。
2004年2月28日 コザより
♪一銭二銭の 葉書さえ
千里万里と 旅をする
同じコザ市に 住みながら
逢えぬ我が身の せつなさよ♪
コザ(沖縄市)にやってきました。
オキナワの心臓です。
着いた途端、登川誠仁さんに会いました。
びっくり。
一緒にコーヒーを飲み、いろいろなお話をうかがいました。
2月19日:東京→那覇
2月20日:那覇→伊江島
2月21日:伊江島
2月22日:伊江島
2月23日:伊江島→名護
2月24日:名護→古宇利島→伊平屋島
2月25日:伊平屋島
2月26日:伊平屋島→今帰仁
2月27日:今帰仁
2月28日:今帰仁→コザ
■こげぱんさんへのレスポンスより
今頃、石垣牛のオーナーになってることと思います。
おいしくいただきましょう。
牛丼何杯喰えるかな。
モーニングステーションはおばちゃんの網タイツにも注目です。
やはり「女であることを忘れるな」だね。
俺だったらスネ毛が飛び出る。
黒島の旅楽しんで下さいね。
ごゆるりと。
オキナワは葉桜です。
2004年3月1日 久高島より
久高島の神様からやっと上陸を許されました。
久高の酋長ともゆんたくしました。
神の島の夜は静かです。
今夜は体育館の舞台に布団を敷いて寝ます。
元気です。
2004年3月3日 久高島より
春は名のみの風の寒さや
全国的に冷え込んでいるようですね。
久高島も昨日から冷たい風と冷たい雨です。
Tシャツを重ね着しました。
みなさんも風邪などひかぬようお気をつけて。
これから那覇を経由して粟国島へ向かいます。
久高島宿泊交流館のパソコンを借りての書き込みでした。
元気です。
■kazueさんへのレスポンスより
久高島に渡る日の朝、目覚めると見る間に雨雲が広がり
激しい雨が降り出し、雷まで鳴りはじめました。
またもや渡れないのかと思いましたが、その後、急に晴れ不思議な天気でした。
久高島はそのままの姿を残そうと、受け入れ可能な人数のバランスをとり
発展よりも現状維持に重点を置いている島です。
気持ちの良い島です。
酋長の所は、一昨日、昨日と遊びに行ったのですが
「金子さんは間が良いなあ」と二度ともお昼御飯をご馳走になってしまいました。
食事にぶつからないようにと二日とも時間をずらして行ったのですけど。
登川さんは元気でしたよ。
「おっぱいのちいさいのもいいもんだよ」とナビィの恋で言ってましたが
実際はどうなんですかと聞いたら、ただ笑っていました。
2004年3月4日 那覇より
本日、海が荒れたため粟国島行きの船が欠航。
沖縄の親爺に会いに行ってきました。
てびちのカメーカメーで迎えていただき、小鳥が集まる庭でのんびりして来ました。
親爺はお孫さんが3人も出来て幸せそうでした。
明日こそ粟国島です。
マハナに立ちたい。
■kiritappuさんへのレスポンスより
昨年12月に石垣島から多良間島にアイランダーで飛んだのですが
波照間島から飛んできた機体がそのまま多良間島に向かうのだそうです。
八重山の天気はどうですか。
■takesi00さんへのレスポンスより
コザにて食べたパパイヤチャンプルがおいしくてその秘密を聞くと
パパイヤを出し汁で軽く湯がいてから炒めたとのこと。
先日、takesi00さんにいただいたチャーハンも
醤油で浸けたニンニクが効いていて最高にうまかった。
こういう、ひと手間ふた手間というか、
手間を手間と思っていない自然な優しさが人を幸せにする。
ささやかな幸せがどんどん膨らんでゆけば良いと思う。
乱波洞、良い店だね。
聞かせてもらった、フォークなんいうてジャンルを軽く超えちゃってる
西岡恭蔵さんの歌もすごく良かった。
旅をしていると、いただいてばかりで通り過ぎてしまう日々で
せめて感謝の気持ちくらいは伝たえてゆければと思う。
どうもありがとう!
一期一会、好きな言葉です。
2004年3月7日 粟国島より
ベルベットアンダーグランドが聞きたいサンデーモーニング。
粟国島に来て3日目になります。
気温が低く、沖縄で初ストーブを体験しました。
剛さんが三線を始めました。
風と波と島酒の日々です。
二年前に島で会った旅人のコースケくんが製糖工場で働いていました。
びっくり。
■永ちゃんへのレスポンスより
相変わらず、仕事に旅に酒に素晴らしい日々ですね。
座間味のクジラには会えましたか。
こちらは粟国に向かうフェリーからとマハナからと
二度チャンスがあったのですが見のがしてしまいました。
■ぴょんちゃんへのレスポンスより
寒いね。
2月(旧暦)でこんなに寒いのは初めてだとおばあも言ってます。
以前、同じ時期に来たときは短パンだったのに
今日は東京を発った時と同じ服装です。
明日には粟国島から那覇に渡ります。
桜坂でギョウザ。
■さざ波さんへのレスポンスより
楽しいことも悲しいことも
自分のことも誰かのことも
旅も生活も
ひとつになって流れてゆきます。
島にいると潮の満ち引きや太陽の位置を意識します。
風は吹き渡ってゆきます。
ゆらゆらと近づいてゆく時の切ない気持ち
少しづつ離れてゆく時の切ない気持ち
どうしてなんだろうといつも思います。
水牛車の島が竹富島で、ナビィの恋の島が粟国島ですよ。
今、粟国島にいて、隣に住む剛さんのパソコンを借りて書き込みをしています。
夢中になってキーボードを打っていて、剛さんがストーブをつけていってくれたことに
気がつきませんでした。
粟国は人生が刻み込まれた優しく良い顔をした人達が住む島です。
2004年3月10日 東京より
オキナワからトーキョーにやってきました。
3月17日にはニューオリンズに飛びます。
ニューオリンズ、メキシコ、キューバ、グアテマラ。
そして南へ南へ。
2月29日:コザ
3月01日:コザ→斎場御嶽→久高島
3月02日:久高島
3月03日:久高島→那覇
3月04日:那覇
3月05日:那覇→粟国島
3月06日:粟国島
3月07日:粟国島
3月08日:粟国島→那覇
3月09日:那覇→東京
3月10日:東京
■ジランバさんへのレスポンスより
お守り、ズボン、ボールペン、手ぬぐい。
バターロール、バナナ、イソジン、ダライラマ。
前向きに楽しんで受け入れて自分を生きる姿勢。
たくさんのものをいただきました
でーじ、ありがとう!
ジランバさん、純くん、空海。
3人と過ごしたあの時空が歪んだ空間はオキナワの旅の中でも印象深い。
歯ブラシとまぶいをひとつ置いてきた。
また世界のどこかで会おう!
アミーゴ!ゴー!ゴー!
■ultramatique_6さんへのレスポンスより
あの絵はビアズレーかあ。
以前、聞かせてもらったアイルランドを旅した話は良く覚えているよ。
こちらは積極的に音楽を旅するといったことはなく、もっぱら聞こえてきたものに耳を澄ます。
好んで聞くのはオキナワ、ブラジル、キューバのものが多いな。
リズムは素晴らしく、メロディは切なく。
生活の中に音楽がある人々の、生きる糧や嘆きが自然に入ってくる。
■かこさんへのレスポンスより
卒業おめでとうございます!
卒業しても卒業じゃない。
同じひとつの旅は終わらない。
やはりリアルなのは今なのですね。
今、自分は自由に好きな時に好きな所に行ける環境を手に入れました。
にもかかわらず先に先にと心が急ぎます。
かこさんの書き込みをみて、改めて今を楽しむことを大切にしようと思いました。
素敵な家族や仲間に恵まれた、かこさんの心の感受を表現していって下さい。
ハッピーが広がりますね。
2004年3月15日 東京より
数日間、実家に帰っていました。
妹からも決して少なくない餞別をもらいました。
少しでも長く、少しでもたくさんの所に行くためのものではない。
疲れた時、病気になった時、少しでもましなベッドや栄養のある食べ物の為に使って下さい。
同封された手紙には、そのように書かれていました。
普段は忘れがちな家族のありがたさ。
まずは、健康と安全。
とにかく無事に帰ってくること。
それが精神的にも負担をかけてしまう家族に対する土産であり義務であると思っています。
両親をはじめ、笑顔で送り出してくれる皆さんに感謝の気持ちを忘れず旅を続けたいと思います。
妹の体には新しい命が宿っています。
拓海も夏の終わりにはお兄ちゃんです。
それぞれお互いどれくらい成長した地点で再会できるのでしょう。
風が吹き、雲が流れ、季節が移ってゆきます。
悪い予感のかけらもないさ。