旅の空からの伝言
2004年11月2日 サルタより
ついつい国境を越えてしまいました。
(タリハには足が向かず)
アルゼンチンに入りました。
ボリビアに75日間(30+45)いたので、とても新鮮に感じます。
初めて見る通貨。
冷えているビール。
時間通り出発する快適なバス。
定価という概念(ぼられないが、まけてもくれない)
時計を1時間進めました。
日本との時差は12時間です。
今いる町はサルタ。
コロンビア・エクアドル・ペルー・ボリビアと続いたアンデス山脈もそろそろ終わりです。
ウユニ(3660m)→トゥピサ(2950m)→サルタ(1187m)
ぐんぐんと標高が下がりました。
岩山が眩しい緑に覆われてきました。
体が楽だなあ(蚊にさされるけど)
標高が高い所では沸点が100度まで行かないのですよね。
ここサルタでは心なしかコーヒーの冷めるのがゆっくりな気がします。
山間の町・村をいくつか巡ってからブエノスアイレスに向かいます。
元気にしています。
■さざ波さんへのレスポンスより
さざ波さんの文章はいつも良いなあ。
本気出したら芥川賞くらい取れるんじゃないでしょうか。
第一回金子賞の候補に挙がってますよ。
サルタの町を歩いていたら、興味深い店がありました。
時間の流れを感じる重厚な店内が細長く奥へ奥へと続いています。
高い天井まで届く棚にはワインがびっしり。
唐突にカウンターがあって渋いオヤジ達が午前中からワインを飲んでいます。
手に入りにくそうな各国の食材も並んでる。
そして、一番奥のレジの横には、なぜか醤油。
キッコーマンのがっしりした逆三角の瓶で赤いキャップが付いた140mlくらいのやつです。
欲しくて欲しくて、不審がられるくらい、店の中を何度も行ったり来たりしてしまいましたよ。
中米から南下してきて、食文化としては、
とうもろこし(トルティージャ)→イモ・豆→小麦(パン)と変化して来ました。
アルゼンチンに入ってガラッと劇的に変化して、此処はパン中心です。
完全にヨーロッパ型の食文化で、今まで旅行者向けの一部のレストランでしか無かった、
エスプレッソやバゲットなどが簡単に手に入ります。
ピザの店がとにかく多く、味もなかなかです。
ステーキもワインも、そこそこの物が、それぞれ1ドルで楽しめます。
昨日はさっそくワイン、生ハム(100g)、サラミ(200g)、ブルーチーズ(120g)、
バゲット、トマト、タマネギを買ってきて一日堪能しました。
(全部で約5ドル)
一番美味しく感じたのは、生で食べたタマネギでしたが。
やはり白米を頬張る快感は、何ものにも変えがたく、日本食を夢見る日々です。
そんなんです。
■あいかさんへのレスポンスより
日本の悲劇を南米は知らない。
南米の悲劇を日本は知らない。
毎日、世界中でいろんなことが起きる。
知ってることなんて、ほんの砂場の一粒。
文明も、東京も、ニューヨークも、人間の一生も、同じようなかりそめ。
でも、その中で精一杯出来ることをやるのが尊いし、ただそれで良いんじゃないかと思う。
あいかが背負えることじゃない。
ひとりで背負おうとすることじゃない。
燃える炎に飛び込む虫のように、金や物に集まるのが人間という自然なのだと思う。
宗教を巡る争いも、経済が絡む争いも、俺は自然の摂理なのだと思っている。
自分の時間と体を使える人、美しいと思います。
俺は頭が下がります。
地震で家が無くなってしまった人、お年寄り、弱ってる人、困ってる人に、元気を分けてあげてきて下さい。
あいかは自己犠牲を存在理由にしないように気をつけて。
楽しく笑顔で生きることは既に平和運動。
愛しいが増えたら国境は無くなる。
■キホさんへのレスポンスより
オラ!アミーゴ!
俺は昭和42年に生まれました。
貧しかった日本の残り香をギリギリ知っている年代なんじゃないかと思っています。
子供の頃は、靴下に穴があいても縫って履いて(履かされて)いましたよ。
物質的に豊かな場所に住む人々は、プリミティブな生活に憧れている。
プリミティブな生活をしている人々は、物や金に溢れた生活に憧れている。
(アーミッシュのように自覚的な人々もいますが)
そして、今の生活を辞めようとしない。
俺はこの時代の日本に生まれたことに感謝しています。
両方を知ることが出来たからです。
物が無くても温かな関係と、物のあることの豊かさ。
俺は両方を謹んで選択&享受してゆきたいと思っています。
「良いよなあ」が口癖の人が満たされることは永遠にありません。
常に隣の青い芝生を求め眺め、同じ場所をぐるぐると廻り続けます。
逆境は逆境。
不自由は不自由。
そのまま受け止め、その上でそんな状況を楽しいものに変えてゆく。
質素の中にも贅沢を見出して、明日を思い煩らわず生きる。
そんなふうになれたら良いなと俺は思っています。
旅は良いレッスンです。
やはり南米で魚が美味いのはチリですね。
チリでは、アナゴを食べる習慣がないそうで、捕れても捨ててしまうそうです。
ただ同然の値段で譲ってもらえるそうです。
漁港へ出向きますよ。
しょう油・白ワイン・砂糖で煮て、どんぶり飯にぶっかけてガシガシ喰いますよ。
ちっくしょー!
サバ味噌煮!
刺身!
ブリ照り焼き!
ひで佳さん、相変わらずお美しいですね。
花も雪も 払えば清き 袂かな。
いやいや、払っても、払っても、集まってくるでしょう。
晩秋の空気はキホさんのドゥカティと赤い革ジャンにバッチリ合うことでしょう。
■ひさの(宇宙人)へのレスポンスより
京都からの書き込みありがとう!
ゼミにも出ないで京都に行ってるのか。
良いことだ。
それは「アイ・ラブ・ミー」ってことだ。
「アイ・ラブ・ユー」とも言う。
縁結びの神様にお祈りかあ。
今、俺が一番旅してみたい国は日本、場所は京都。
原風景という訳ではないのだけど、日本を思うとき、京都の風景が思い浮かぶよ。
ちょうど、嵐山や清水の夕暮れ。
俺が京都で好きなのは「光明院」
このレスを見る頃は東京に戻ってるだろうから次回是非。
最寄駅は伏見稲荷だったかな。
東福寺の近くです。
滋賀にも興味があって渡岸寺(高月町)、石道寺(木之本町)にも行ってみたい。
奈良の古墳がボコボコしてる辺りも歩いてみたい。
当麻寺とか浄瑠璃寺とか百済観音とか月光菩薩(三月堂)とかもまた行きたい。
以前、偶然出会ってしまった空也像にも会いに行きたいな(三十三間堂の辺りだったか?)
高山病の心配をしているという事は、既に心は卒業旅行(南米)か。
まあ、こればかりは、ゆっくり、苦しんで慣らすしかないね。
ボリビアは見どころたくさんで人々はペルー以上にのんびり素朴。
物価も安くてセーターなど御土産物はペルーの半分で買える。
やはり誰にでも薦められるのはウユニ塩湖(塩のホテルに宿泊)
ちょうど、卒業旅行の時期は、雨季で最高じゃないかなあ。
塩湖に溜まった水に青空が反射して、空の上にいるように感じるらしい。
ポトシ(鉱山)も近いので是非(ツアー面白いよ)
個人的に良かったのは、サハマ、ソラタ、コパカバーナ&イスラ・デ・ラ・ソル、
ルレナバケ、トゥピサ、タラブコ。
短期の旅行だと残念ながら難しいけど。
あなたは誰と結びますか。
■Masaくんへのレスポンスより
Masaくん、日本語タイプの情報をありがとう!
サンクリストバルで悩んでたことを憶えていてくれたんだね。
でも最近は日本語が打てなくても良いんだ。
ネット屋で文章を書くというのがどうもダメだ。
最近は全て宿で自分のPCで作ったデータを使っている。
以前は話すようにぱぱっとその場で文章を書ける人が羨ましくもあったが、どうでも良い。
書き込みもメールも、その人を思い浮かべながら何度か読み返す。
そして、要点を紙にメモして、宿に帰ってから返事を書く。
ちょっと言えないくらいの莫大な時間がかかる。
話すのではなく、書く(時間をかけて・時間をおいて)からこその何かが
そのコミュニケーションの中には絶対あると俺は思っている。
うれしさも ちゅうぐらいなり おらが春
一茶じゃないけど、俺には、100%の便利さは必要ない。
ホント機械やコンピューターは苦手。
(自転車のパンクなら直せる)
「分かろうとしてないからだ」と言ってくれる親切なありがたい人もいるのだけど、
「放っておいてくれ、これが俺のチャームポイントだ」と言いたい。
今、ブダベストには、つとむ君という旅人がいる。
以前ムエタイ・ボクサーだったナイスな男(リング・ネーム:味の素)
きっと会うと思うな。
静かな振動の「旅人・その1」でお会いしましたね。と声をかけてみて。
Masaくんと同じように話し出したら止まらないから、お互い譲り合って仲良くね。
■姫さんへのレスポンスより
思い出してくれてありがとう!
遊びに来てくれてありがとう!
以前、姫が此処で教えてくれた京都の宝泉院も、いつか行こうと思っている。
誰だってショックを受けないわけが無い。
闇を見つめ続ける夜も過ごす。
でも歩みを止めるわけにはいかないし、バトンを離すわけにはいかない。
楽しみを求めることは罪でもなんでもない。
旅を終えて日本で働き始めた友人からメールが来ていた。
「踏んだり蹴ったり、毎日、すべてが旅!がんばりますよ!」
俺もがんばるよ!
嘆くより俯くより祈るより俺は愛しいを表明したい。
「皆さん、すみませんでした。どうか助けてください」
そう言いながら殺された旅人がいたことを忘れずに俺は俺の旅を続けます。