旅の空からの伝言
雨の日の徒然に
2005年6月18日、オークランドにて記す
イースター島は周囲58キロの南太平洋の孤島。
たっぷり時間をかけて、繰り返し島を歩いた。
(毎日10キロ〜20キロ)
そして良くヒッチハイクをして車に乗せてもらった。
こちらから親指を立てて止まってもらうだけでなく、
歩いているところを「乗りませんか」と声をかけてもらったり。
乗り込んだ途端ビールを渡され車中で乾杯したこともあった。
その人の家にお邪魔したこともあった。
ピックアップ・トラックの荷台で風を切りながら眺めた島の風景が忘れられない。
穏やかな島の人々の優しさが響き繋がってゆくのだろう。
観光で訪れている人の車も良く乗せてくれた。
そのまま彼らの道案内をしながら一緒に島を巡ったり。
5月25日。
この日もヒッチハイク。
そして、ちいさな森を歩く。
島で一番標高の高いラノ・アロイの火口を目指した。
イースター島の天気は変わりやすい。
海に雨を降らせている雲が中腹から見えた。
風が霧雨を運んでくる。
雨雲に追いつかれないように先を急ぐ。
振り返るといつの間にか青空が広がっていた。
草原と死火山と海が広く見渡せた。
5月29日。
イースター島で迎える2度目のドミンゴ。
教会では毎週日曜日、朝9時からミサが行われる。
たくさんの人が着飾って集まってくる。
髪に花を差した人も目立つ。
教会の入り口に立った神父さんが「イオラナ(こんにちは)」とひとりひとりを握手で迎える。
木で彫られたイエス・マリア像や教会の装飾品には島の神々が同居している。
キリスト教が島の文化を侵食せず、尊重しながら溶け合っているのが分かる。
そこで歌われる歌は、もともと島にあった歌が賛美歌に発展していったような素朴さ。
穏やかで大らかで優しい島の人々そのままのような歌だ。
老人も子供も一緒に同じ歌を歌う。
隣のおばさんが手を差し伸べてきた。
みんなで手を繋ぎ祝福の歌を歌った。
周りの人達と握手を交しお互いを讃えあった。
生きる喜び、生きる悲しみ、生きる楽しさ、生きる辛さ。
ひとつになって湧き上がってきた。
自分ひとりのものじゃない。
じーんと来た。
大きなものに包まれている安心感があった。
宗教の本当の姿を見たような気がした。
これで良いんだ。
宗教なんて何でも良いんだ。
どんな神を信じていようが、より良い生を歩んでゆきたいのは誰でも同じこと。
今ここにいること。
お互いに手を繋ぎ、歌い、尊重しあいながら、お互いの生を讃えあう。
それで良いんだ。
ここに生きていて良いんだ。
繋いだ手はいつまでも暖かかった。
世界はひとつの歌だ。
6月2日。
アフ・トンガリキを訪れるのは既に3度目。
15体のモアイが青い海を背に並んでいる姿は絵になる。
(ほとんどのモアイは倒れたまま)
この15体のモアイは日本のTADANOという建設会社の協力で復元されたそうだ。
その時に使われたクレーンは島唯一のものとして今でも活躍しているらしい。
アフ・トンガリキの入り口にもポツンと一体のモアイが立っている。
これは日本に行ったことのあるモアイだ。
大阪で開かれた万国博覧会の時に海を渡った。
9歳の時にこのモアイと対面したことがあるという友人からメールをもらった。
時を越えて交わされた会話は寂しさだったという。
このモアイは苔で覆われ始めている。
ゆっくりと自然に還りつつある。
イースター島の人口は2000人。
人が人を感じながら生きていける距離。
個人が埋没しないと生きにくい都市よりも、ひとりひとりの顔が見える島は優しい。
寂しさの隣には温かさがある。
南の島で良く読んだ本がある。
タイトルは「ノア・ノア」(良い匂いの意)
ゴーギャンがタヒチで過ごした時のことが綴られている。
(その本は「ノア・ノア」という名のラムが好きな人にあげてしまった)
19日間滞在したイースター島からタヒチに飛んだ。
正式な国名は「Polynesie Francaise(ポニネジィ・フランセイズ)」
フレンチ・ポリネシア。
フランス領ポリネシア。
19世紀後半のヨーロッパにおいて最後の楽園と呼ばれた。
文明社会が生み出した物質的な豊かさへの反動として思い描かれた楽園である。
118の島々が日本の10倍(338万5000km2)にも及ぶ海域に広がっている。
人口は26万2000人。
そのうちの18万5000人がパペーテを中心とするタヒチ島に集中している。
1891年、43歳、タヒチにやって来たゴーギャン。
西洋文明に毒され、フランス上流階級が我が物顔で闊歩するパペーテに失望したという。
6月9日。
パペーテからモーレア島へ渡った。
バリハイ聳える古城のようなこの島が自分にとってのタヒチのイメージだ。
そしてゴーギャンの絵。
観光客達はすぐにタクシーで消えた。
一日に数本しかないバスを待つ。
地元の人々の横顔にゴーギャンが描いたタヒチを感じる。
クックズ・ベイに差し掛かる。
太陽が現れ雲が消えた。
バリハイ。
やっとタヒチに来た。
フランスからの移住者も多い洗練された島。
ついついグラシアスと無意識に言ってしまう自分がいる。
ボンジュールやメルシーには、なかなか馴染めない。
「オラ!アミーゴ!」の気安さが懐かしい。
壊れた桟橋でサンセットを見ていると地元の人とメキシコからの旅行者がやって来た。
フランス語、スペイン語、英語が交ざった簡単な会話を交わした。
「メヒコ、ジャパン、フレンチ・ポリネシア」
メキシコ人がそれぞれを指差し言った。
地元の人は即座に否定した。
「ノー・フレンチ!アイ・アム・ポリネシア!」
イオラナ=こんにちは
マオルル=ありがとう
マヌイヤ=乾杯
タヒチの言葉はイースター島と同じだった。
国としてはそれぞれフランス領、チリではあるが、
どちらも環太平洋文化圏に属する島だ。
「ハウ・アー・ユー?」
陽気なタヒチのおばさんが英語で話しかけてきた。
「ビエン・ビエン」と言いそうになるのを飲み込んで「イエー・ファイン!」
おばさんは「マイタイ、マイタイ」と繰り返す。
「マイタイ・イズ・ベリーグッド」
こうやって少しずつ言葉を覚えてゆく。
「総武線。中央線。伊勢丹。紀伊国屋。アイマックス」
ヒッチハイクで乗った車の中で思いがけず日本語を聞いた。
ジャン・マルクは日仏交流関係の仕事で日本に住んでいたことがあるそうだ。
仕事場は飯田橋と九段下の間。
彼曰く「この島に来る日本人は全て新婚さん」
タヒチの中でもボラボラ島は人気新婚旅行スポット。
着いてしばらくは島を歩き回った。
その間日本人の姿は一度も見なかった。
しかし、シェラトンのビーチに泳ぎに行くといるいる。
きれいな魚と新婚さん。
5組、6組、7組・・・日本人カップルだらけ。
こんな場所にひとりでいるボサボサ頭の髭面は目立つのだろう。
気がつくと日本人カップルが振り向いてジッとこちらを見ていた。
目が合うと慌てて目をそらす。
「オラ!アミーゴ!セルベッサでもおごってくれよ!」
いくつもの青さに輝く海を横目に島を歩き続けた。
生命力に溢れた原色の花。
鮮やかな光に浮かび上がる風景。
絶望、不安、苦悩、退廃。
この地で描かれたゴーギャンの絵は暗く沈んでいる。
14歳の愛人パフラと過ごしながら彼は何を思っていたのだろう。
タヒチにある彼の墓石には刻まれている。
「有名な芸術家、神の道徳の敵である悲痛な男の死」
ブエノスアイレスではゴッホとゴーギャンが向かい合っていた。
ゴッホのアルルとゴーギャンのタヒチが向かい合っていた。
全て求めているのは光だ。
目も眩むような光の中を歩きながら分かるような気がした。
光を求めながらも影しか描けなかったゴーギャンの弱さが分かるような気がした。
6月12日。
歩いて行ける場所へは全て行った。
自転車を借りて島を一周する。
カラカラに喉が乾いた。
それを知るのは遅かった。
タヒチでは日曜日のビール販売は禁止なのだと。
残酷にも商店の冷蔵庫には鎖が巻かれていた。
庭先でパーティーを開いていた人から譲ってもらった。
別の庭先では鶏を闘わせているのを見せてもらった。
両方の足に刃物を付けた鶏は飛び上がりながら相手を攻撃する。
新婚さんが集まるリゾート・ホテルの外ではこんなことが日常的に行われている。
6月15日。
キラキラ光るダイヤモンドに浮かぶ。
眩しい青空を見上げる。
白い雲が形を変えながら移動してゆく。
大きく海を吸い込む。
色とりどりの魚が通り過ぎる。
力強い植物達が光を目指す。
美しい風景に漂い溶けた。
モーレア島を離れる。
こんな風景を生活の場としてシンプルに生きている人々がいる。
風土が人を作り、人が風土を作る。
「我々はどこから来たのだろうか、我々は何者なのだろうか、我々はどこへ行くのだろうか」
愛娘アリーヌを亡くし自殺を図ったゴーギャンがこの地で残した作品のタイトル。
ある時、自分なりの答えを出した。
「我々は宇宙からやってきた。我々は我々という星だ。我々は宇宙へと帰ってゆく」
46億年前のビッグバンにより誕生した地球。
何億年もの間、燃え続け、大量の大気が水蒸気となり蒸発する。
何万年もの間、雨が降り続き、冷やされた地球に海が現れる。
命が生まれる。
多くの生命が絶滅と進化を繰り返す。
やがて膨張を続ける太陽に地球は飲み込まれる。
そして今またその答えを改めて考えてみる。
「我々はどこから来たのだろうか、我々は何者なのだろうか、我々はどこへ行くのだろうか」
この世界の向かう先を思っている。
全てが共振して絶え間なく世界中に鳴り響いている。
無限の宇宙が生み出す奇跡の光。
光のひとつとして歌い続けたい。