旅の空からの伝言


2005年5月27日 イースター島より


大好きな場所がまたひとつ増えました。

イースター島に来ています。

一番近い島まで1900km。

周囲58キロの南太平洋の孤島。

モアイと海と休火山と草原と穏やかで優しい人々。

38歳になった今日。

海に架かる虹とオーロラのようなオレンジの雲を見ました。

しばらく滞在して島を歩きます。







■あいかさんへのレスポンスより


ラパヌイ語。

スペイン語。

日本語。

英語。

オランダ語。

フランス語。

韓国語。

こんなに色んな言葉でハッピーバースディを歌ってもらったのは初めてだった。

メッセージありがとう!

時差があるからちゃんと誕生日に届いたよ。

読みきれないほどのメールも届いていて俺は何て幸せ者なんだと思った。

両親にも感謝しないとね。

毎日が旅立ちで、毎日が誕生日。







■こげぱんさんへのレスポンスより


今年も追いつきました。

そういえば昨年もようこそと祝ってもらったなあ。

どうもありがとう!

やはり島は、ひとつの国。

イースター島の人々と沖縄の人々の姿は重なる。

埋没しないと生きにくい都市よりも、ひとりひとりの顔が見える島は優しい。

イースター島にも教会があるのだけど、此処がすごく良い。

キリスト教が島の文化を尊重していてお互いが優しく溶け合っている。

木彫りのマリア像の頭には島の守り神がとまっている。

蝋燭台は島の神そのもの。

神父さんの服にも刺繍されている。

日曜日のミサには教会に入りきれないほどの人が集まってきて皆で歌う。

互いが手を繋ぎ祝福しあった時は、じーんとした。

これで良いんだ。

宗教なんて何でも良いんだと心から思った。

ラパ・ヌイ(イースター島)大好きな島です。







2005年6月3日 イースター島より


イースター島に初めて人が渡って来たのは4世紀頃と言われる。

それはホツマツア王を中心とした200人ほどの一行。

ポリネシア文化圏にあたる西の海からやってきた。

始めは親族同士で固まって沿岸沿いに暮らしていた。

徐々に農地が耕され島に村が出来てゆく。

王・神官・戦士・農民に分かれた階級社会であったが人々は仲良く暮らしていた。

平和で豊かな島。

モアイが作られ始めたのは800年頃。

亡くなった有力な先祖の姿を現していると言われる。

それ以前から作られていたアフ(プラットホーム状の祭壇)の上に立てられた。

モアイには眼が入れられマナと言われる不思議な力を出して村を守る。

村ごとに競うようにモアイが作られた。

10mのモアイを作るのに30人で1年がかり

それを6キロ移動するのに90人で2ヶ月、立てるのに3ヶ月かかると言われる。

10世紀には島の人口が10000人を越える。

11世紀から16世紀にかけては2000体ものモアイが作られ大型化してゆく。

最大のものは20m(7F建てくらい)を越える。

島民のエネルギーはモアイ作りに集中していった。

協力と競合の時代。

やがてモアイの製作が島の経済を圧迫し始める。

人口増加に食糧が追いつかない。

畑の作りすぎによって森林が切り倒され、土が海に流れ土地が痩せた。

限られた資源。

自然破壊。

食糧不足。

飢えが平和な島を変えた。

争いを引き起こした。

部族間による食糧争奪戦争。

食人までが行われる。

モアイの製作は中止。

争いの中で、モアイはその霊力を防ぐため、眼が取り除かれ、下向きに倒された。

全てのモアイが倒されるまで争いは続いた。

現在は900体ほどのモアイが残る。

ほとんどは倒れたまま。

(立っているのは復元された40体ほど)

波打ち際や草原にうつ伏せに倒れ、切り出される前の石の状態に戻りつつある。

ゆっくりと自然に還りつつある。

謎は想像するしかない。

だけどやはり人間の過剰な欲望の行き着いた先を見ているように思う。

現在、島の人口は2000人。

穏やかで優しい人々が静かに住む。

素晴らしい笑顔。

驚くほどに親切。

この世界の向かう先を思っている。

繰り返し島を歩いています。







■キホさんへのレスポンスより


イースター島にいると沖縄のことを良く思い出します。

どこに行っても海が見えるということもあるのですが

人々の風貌や文化的な共通点も多く見られます。

彫りの深い端正な顔立ちに伸ばした髪を後ろで束ねた刺青の男。

メルカドでは沖縄の知り合いにハッとするほど良く似た女性を見かけました。

穏やかで大らかで優しいピースフルな笑顔の人々。

粟国島にマハナという地名(一番好きな場所)があるのですが

ラパヌイ(イースター島)特有の言葉にもマハナ(太陽・日々の意)が存在します。

イースター島はミクロネシア・メラネシア・ポリネシアと続く

環太平洋文化圏の東の果てであることを実感しました。

(国としてはチリなのですが、文化・人種としては明らかに違います)

46億年(4600000000年)続いてきた地球の旅。

アフリカで誕生したアウストラロピテクスを起源とするなら、

ヒトの歴史なんてたかだか7万年(700000年)。

地球上に存在する3千万種(30000000種)の生命のひとつ。

何処までゆくのでしょうか。

ヒトという種の行き着く先を見てみたいです。







■プリマヴェラさんへのレスポンスより


イースター島は畑も森林も極端に少ない島です。

採れるのはイモ類くらいのものでしょうか。

食糧のほとんどを5時間半かかるチリ本土からの飛行機(週2便)に頼っている現状です。

物価は2倍ほどになります。

食べることの出来るものにも限りがあります。

船便が着くのは年に一度。

そのため建設資材の不足により作りかけの家がたくさんあります。

物質面を見たらとても豊かとは言えません。

でも人々は穏やかで優しくて素晴らしく親切。

素晴らしい笑顔。

プリマヴェラさんのおっしゃるように人間は悲しい動物です。

かつてのイースター島の例のように自然を破壊し破滅に向かう自らを止められない。

現在の世界の様子は、かつてのイースター島に重なります。

ただ悲しい面にばかり焦点を当ててもいられない。

その先に行かなくてはならない。

現在の世界は自らが作ってきたもの。

悲しい歴史から学び、それを身近な生活の中でどう生かしてゆくか。

未来は自分達で選べると思うのです。

同じ道を歩んでいるようにも思える世界の行き着く先。

この島の笑顔のようであればと願わずにはいられないのと同時に

自分の出来ることを実践しようと自戒と共に思っています。







2005年6月5日 イースター島より


キューバ、ミャンマー、沖縄。

「どこの国が好きですか」

そう聞かれた時の回答に、これからはイースター島(ラパヌイ)が加わるでしょう。

最高に気持ちの良い島(国)

ラパヌイはチリに属していますが全く別の国のようです。

人々の気質や容姿、言葉の響きからは沖縄との共通点も多く感じ

環太平洋というひと繋がりの大きな文化圏の端に位置する島のように思います。

イオラナ=こんにちは

マオルル=ありがとう

カイネネ=おいしい

チリ領になる以前の独自の言葉も生きています。

道を歩いていると地元の人々が笑顔で声をかけてくれます。

今日も良く歩きました。

イースター島で迎えた3度目のドミンゴ(日曜日)です。







■Jさんへのレスポンスより


イオラナ!

ラパヌイ最高でした。

キャンピング・ミヒノアもすごく良かった。

ラパヌイで誕生日を迎えたのだけど、ロジェと一緒にお祝いをしてもらった。

(ロジェと誕生日が3日違い、しかも同い年)

マルタからはJさんの話を良く聞いたよ。

ヒロはスペイン語が話せずに「マルタ、マルタ」(舌足らずの巻き舌で)ばかり言っていた。

ヒロは何処へも行かず此処(宿)にばかりいた。

ヒロはロジェと釣りに行ったけど全然釣れなかった。

ヒロは踊りの練習について来てすごく変な踊りを踊った。

このように書くと否定的なことばかりだけど、(実際はスペイン語ももっと話せただろうし)

マルタはいつもJさんのこと話す時、すごく嬉しそうだったよ。

こうやって人は誰かの記憶に残ってゆく。

自分が生きた時間を誰かが憶えていてくれる。

そう思うと人の記憶というのは何だか生きてゆくための勇気に変わる。

素敵なことだね。

ラパヌイでJさんが書いた日記も改めて、その地で読んでみた。

旅を始めたばかりの初々しいJさんとラパヌイで会ったような気がしたな。

日本での新しい日々も、良い旅を!







2005年6月8日 イースター島より


世界はひとつの歌だ。

命と年月と風土が折り重なった歌だ。

全てが共振して絶え間なく世界中に鳴り響いている。

肯定と対話と寛容だけがある歌だ。

何が勇気なのかを知っている歌だ。

エゴが描き出した現実を追い越す歌だ。

好きな時に好きなように歌う歌だ。

子供達が笑いながら裸足で走り回る。

それぞれがそれぞれの命を生きてひとつのハーモニーが生まれる。

生きている喜びに叫びだしたくなる祝福の歌だ。

世界はひとつの歌だ。


イースター島ではキャンピング・ミヒノアにお世話になりました。

マルタ、ロジェ、ミヒノア、どうもありがとう!

マオルル!

とても素敵な家族です。

(イースター島にお越しの際は是非!)

島の人達の笑顔と親切も忘れられない。

何度ヒッチハイクさせてもらったことやら(きっと30回近い)

ずいぶん御馳走もしてもらった。

歌も歌ってもらった。

ナンシー、イマイカ、トゥートゥーノア、ラパヌイの皆さん、マオルル!

ラパヌイ(イースター島)最高でした。

今日の夜の飛行機でタヒチへ飛びます。







2005年6月18日 オークランドより


俺の6月16日は途中でぷっつりと消滅しました。

御無沙汰していました。

オークランド(ニュージーランド)に来ています。

光に溢れたタヒチから南西に6時間のフライト。

日付変更線を越えました。

6月16日の午前中にタヒチから飛行機に乗り、

午後にニュージーランドに着くと6月17日になっているのでした。

今は6月18日の午後4時8分。

ひさしぶりの曇天。

朝から冷たい雨が降っています。

ゆっくりしよう。

ワーキング・ホリディが多いのでしょうか。

オークランドの街は東洋人(日本・韓国・香港・台湾・etc)の若者で一杯です。

街を歩く人の半数は東洋系といった印象を受けます。

都市のスピードと人・物の多さにくらくらしてます。







■やじまくんへのレスポンスより


竹富島ではミーハイユー

与那国島ではフガラッサー

宮古島ではタンディガータンディ

多良間島ではスディガプー

「ありがとう」の言葉だけでもこんなにも違う。

固有なものが残りやすいのだろうね。

やはり島はひとつの国だ。

カラーテレビや自家用車。

人並みである事を懸命に目ざして経済を発達させてきた国に育ってきたけど

(ありがたいことだし感謝もしたい)

これからはそれぞれであることの豊かさにもっと目を向けてゆきたい。

オークランドに来てみて南米の都市とは明らかに何かが違うと思った。

感覚的で上手く言えないのだけど、渋谷に似ている。

丸井ヤング館的というか。

南米では大人が街の主役だった。

ここでは若者が(特に東洋人の)物質的な刹那に時を忘れようと踊ってるように感じた。

街も完全に若者を消費の対象としている。

ここに来て自分が何だか凄く年をとったように感じたよ。

自分が先に行っているとは思わないけど、行き着く先はみな同じ場所。

今はゆっくりゆっくり行きたい。

故郷はこの世界全部。

まだまだ俺は業が深い。

ゲッツ!







■ユイユイへのレスポンスより


ユイユイ!

前回はパリから書き込んでくれたよね。

今は何処にいるのだろう。

相変わらず小浜島に住んでいるのかな。

静かな振動を見てくれて俺は嬉しい。

心が動いたことを伝えてくれて俺は嬉しい。

美しいものを見て感じて自分も美しさに近づきたい。

イースター島の教会のミサで島の人と手を繋いだ時は、俺も涙が出そうになった。

ユイユイが美しさを感じたこと、そして、それを伝えてくれたこと。

それも素晴らしく美しいことだと思う。







■しばちゃんへのレスポンスより


しばちゃん!

元気にしていたかな。

しばちゃんの結婚&出産の事はたまちゃんが教えてくれました。

すぐおめでとう!のメールを出したのだけど戻ってきてしまったよ。

でも本人から教えてもらえて嬉しいな。

改めておめでとう!

泉屋(竹富島)で出会った人と一緒になったと聞きました。

凄いね。

湘南でも泡盛飲んでるのかな。

今度は子供と旦那さんにも会わせてね。







■さやかさんへのレスポンスより


オッス!

さやかちゃん!

ユイユイ、しばちゃん、さやかちゃん。

一体どうしちゃったんだ。

みんなで示し合わせたように。

静かな振動にようこそ!

色々見てくれたようで嬉しいなあ。

この長い旅の途中で竹富島に寄った時は、さやか泉屋最後のタイミングだったね。

夜、離れで飲んだなあ。

さっちゃんもいた。小池ちゃんもいた。もりーもいた。

あの時撮ったたつこさんの写真はサイトにアップしてる(「旅」・「風車祭」)

京子さんから餞別でもらった鶴亀Tシャツは今日も着ている。

楽しいことはバンバンやろう。

そして循環させよう。

抱瓶も行きたいぞ。

俺は悟るより現役でいたい。







2005年6月21日 シドニーより


懸案だったオーストラリア入国をクリア!

片道航空券での入国は拒否されると言われていたのです。

最近この手のチェックが厳しいみたい。

実はタヒチ→NZでさえも搭乗拒否になりそうだった。

それもオーストラリア出国のチケットを持っていないというのが理由です。

しかし!

さすが修羅場に強い。

ポイントは対話。

卒論・ゼミ論さえ書かず、卒業式前日に留年を覆しての大学卒業は伊達じゃない。

シドニーに来ています。

街路樹は紅葉を終えほとんどの葉を落としています。

南米にいる時と比べると精神的にかなり日本が近い。

まずは吉野家を目指します。

つゆだく。