旅の空からの伝言
2006年5月7日 東京より
本日、ミラノ経由でイスタンブールまで飛びます。
ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、スロバキア、ポーランド。
初夏の東欧を北上してゆく予定です。
ひさびさの日本滞在からオン・ザ・ロードへ。
2006年、春。
みなさんのおかげで最高のバカンスを過ごすことが出来ました。
一緒に過ごした時間。
笑顔とおしゃべり。
写真とジャズとバーボン。
温かい空間。
言葉。
気持ち。
全てが大切な宝物です。
どうもありがとうございました!
行って来ます!
旅を続けます!
2006年5月8日 イスタンブールより
てっちゃんひこうきでもどこでも春はスタートダッシュのじきだぞー
出発前に甥がプレゼントしてくれたのは、俺が風に乗っている絵でした。
飛んで飛んでイスタンブールにいます。
機内でビールとワインを同時に頼んだら2本づつ渡された。
スキン・ヘッドの巨漢イタリア人スチュワードが急須を持ってうろつく姿はカワイイ。
日本人スチュワーデスからなぜかイタリア語で話しかけられた。
オン・ザ・ロード・アゲイン。
旅は続きます。
いづかたなりとも風にまかすべし。
2006年5月24日 ブダペストより
散切り頭を叩いてみれば どんな音がするのだろう。
衝動的に髪を切りました。
一年半ぶりです。
安宿のシャワー室で鷲掴みにしてジョキジョキと自分で切りました。
2回鋏を入れただけなので、ものの五分で終了。
30センチほど切ったので、今まで重みで落ち着いていた天パがイッキに横に膨張。
かなりイケテナイ髪型で旅をしています。
ブルガリアでは一箇所にじっとしていましたが、ルーマニアでは動きまくり。
マラムレシュという田舎を中心に廻ってきました。
1721年に建てられた木製の教会や中世の町並みを見ました。
たまたま訪れたアルチィータという村は、まさに陸の孤島。
(1日3、4本停車する列車だけが外界との接点)
車も舗装された道(他の村へと繋がった道さえ)も一切ない村でした。
泥道が交差した村の中心にあるのは、馬の水飲み場。
馬に牽かれた荷車が走り、一軒だけあるバーが唯一の店でした。
ブダペストまで来ました。
ハンガリーに入った途端、ヘヴィーな花粉症が始まりました。
鼻水。
こちらは現在、24日の午後10時、曇り。
数日間滞在してからブラチスラバかウィーンへ向かう予定です。
目かゆい。
■キホさんへのレスポンスより
ロマ(ジプシーは蔑称。以前自分のサイトでは分りやすさを選び、敢えて使いましたが)の音楽に
直接触れることは出来ませんでしたが、彼らには何度か会うことが出来ました。
聞いていた通り、ルーマニアが多かったです。
上手く言葉に出来ないのですが、オーストラリアで会ったアボリジニと同じように
社会から疎外されている(切り離されている)ような感じを受けました。
違いとしては(自分が会った範囲では)その社会からの扱われ方に対して、
アボリジニは戸惑っているように感じましたが、ロマからは諦めと逞しさを感じました。
通り過ぎるだけの自分がとやかくは言えないのですが、見たことを書いてみます。
ひとりで座っていた列車のコパートメントにロマの家族が入ってきました。
貧しそうな身なりをして、今までに見たこともないくらいに目と顔立ちが綺麗な人たちでした。
ヨーロッパでは有り得ないくらいに気さくに明るく(きっと下品に)接してくれ、
色々な(お決まりの)話をしました。
通路を通り過ぎる人たちは、ぎょっとした表情で、こちらを見ていました。
自分としては何が起きてるのだと不思議になるくらいの様子で人々は覗き込んで
(もしくは見ないふりで)通り過ぎてゆきます。
楽しく話している合い間に、ロマ達は突然、表情も声色も変えて、「金を出せ」と凄みました。
自分は「何言ってんだ、そんなのあげねーよ」と平然と(いつものように)言い返しました。
すると彼らは何事もなかったように元に戻りました。
真面目そうな大柄の車掌(女性)がチェックに来た時は、誰もがキップを買っていなかったようで
要求された支払いには応じずに、ジョークを連発して、自分達の赤ちゃんを彼女に無理やり抱かせたりして、
げらげらと笑いころげ、車掌はむっとしながらも、どうしようも無くなって退散してゆきました。
(家族の中の大人しい少年だけが持ってる小銭を払おうとして、皆に止められていました)
「金を出せ」「やだね」のやりとりは話の途中で何度かありましたが、
自分はイヤな感じも危険な感じも受けず、彼らといるのが楽しかったです。
何度目かの自分に対する「金を出せ」が通りかかった例の車掌に聞こえたようで、
(誰かが通報したのかもしれません)
彼女は突然コパートメントに入って来て、強い口調で何か言いました。
別の2人の男性の車掌もやって来ました。
3人から問い詰められ、ロマたちは、笑いながらもホンの僅かなお金を差し出していました。
車掌達は、それ以上は、要求せずに、どうしょうもないといった様子で去りました。
自分が降りる駅に近づくと、2人の車掌が「さあ、着いたよ」とまたやって来て、
ロマたちから引き離すように護衛のように列車の出口まで付き添われ連れて行かれました。
車掌たちは旅行者である自分を守ってくれたのでしょう。
差別しているとばかりも自分には言えません。
「金を出せ」と迫ったり、料金を払わずに列車に乗ったロモたちのことを悪いと言うことも出来ません。
街中で酒を飲んで、煙草を吸っている、7、8歳くらいの子供たちもいました。
着のみ着のままで公園でひっくり返っている子供たちもいました。
ゴミ箱に捨てられたバナナの皮の裏側を齧っている者もいました。
それを無いものとして扱っている多くの人もいました。
殴りつけている人もいました。
血を流す人もいました。
泣き叫ぶ人もいました。
虚ろな目の人もいました。
輝いている人もいました。
世界を知れば知るほど、言葉を失います。
言葉にすると全てが奇麗事のようにも思われます。
歴史や民族や政治や風習や経済や宗教や様々な要因が混ざり合ってのことだというのも簡単です。
ただみんな人間なんだ。
自分は時々そんなことを口にします。
1000年以上昔、北西インドを旅立った、放浪の民
「現実には、迫害もあるし、差別もある」
嘘の中で生きる者は嘘のない文化に感激する
自ら捨てたものをノスタルジーと表現する
ラインを引く
あれは別世界のこと
自己防衛のためにラインを引く
変化を恐れてラインを引く
無意識に、もしくは気づかぬふり
あれは過ぎ去ったこと
問われるべきは非当事者のスタンス
引かれたライン
放浪の民
老婆の重い口が語る
「旅も音楽も取り上げられてしまった」
ナチスによる虐殺
50万人ともいわれる失われた放浪者の魂
刻まれた深い皺
語られることのない痛み
善良なる優しい人々が押し流す
歴史が覆い尽くそうとする
優しくないまま
優しさの本質を理解しないまま
悲しい歴史
明るい音楽
喜び
悲しみ
歌
踊り
悲しい歴史
明るい音楽
アスタルエゴ
2006年5月26日 ブダペストより
ハム+トマト+タマネギ+マヨネーズ
オイル・サーディン+ピクルス+タマネギ
最近の定番メニュー(サンドイッチ)です。
西から来た旅人は、だんだん物が減り、街が汚くなり、物価が安くなったと語ります。
ここはヨーロッパじゃないと語ります。
東から来た自分にとっては、その逆。
まさにヨーロッパ、物価の高さにヒーヒー言ってます。
ただパンは安くて握りこぶし二つ分くらいのものが10円ちょっと。
上記のサンドイッチを2食分作って、300円弱くらい。
ビールを飲んで、ボブ・ディランを聞いて、質素だけど優雅なひとときです。
明日は旅に出て3度目の誕生日。
国境を越えてみます。
今後はブラチスラヴァ、ウィーン、プラハと高速移動の予定です。