旅の空からの伝言
2006年7月1日 ハマより
シリアのハマという町に来ています。
イランでは「ありがとう」が「モテシャケラン」
パキスタンでは「シュークリア」
シリアでは「シュクラン」
言葉、服装、食事。
少しづつ変わってゆくイスラム圏のグラデーション。
変わらないのは親切な人々と精神の清潔さ。
イスラム圏はとても気分良く旅が出来ます。
シリアも例外ではない。
道を歩いていると「ウエルカム・トゥ・シリア!」と笑顔で声をかけてくれます。
昨日はイスラムの休息日(金曜日)でした。
町のあちらこちらに輪になって座りのんびりと過ごす家族の姿がありました。
何度、その輪に呼ばれたことか。
ジュース、チキン、すもも、チョコレート。
その度に御馳走になりました。
片言の会話ですが、笑顔が最高のもてなしです。
老人に席を譲る若者たち。
困っている人がいると見過ごすことが出来ない人たち。
彼らにとって親切は当たり前で自然です。
くしゃみをして鼻が出た子供にさっとテッシュを差し出したバスの運転手(運転しながら)に感動。
こういうのが真の底力だと思います。
(この心優しい人々の国を「テロ支援国」などと呼んだ人は何なのでしょうか)
昼間の太陽は痛いほど強いです。
気に入った帽子がいつまでも見つからないのでスークでターバンを買いました。
頭に布を巻いただけでも、ずいぶんと体力の消耗を防ぐことが出来ます。
「ウエルカム!」の声に「シュクラン!ありがとう!」と答えながら歩いています。
2006年7月7日 ダマスカスより
やはり、まず、シチュエーションがシュールだ。
小鳥を売るペットショップがずらっと続く。
やがて、その店々の隣にうず高く卵を積んだ店が現れる。
ニワトリの卵を売る店だ。
こうなるとペット・ショップの小鳥達も食用に見えてくるから不思議だ。
続いて掃除用具を売る店。
ホウキなどに混ざって鳥の羽を束ねた叩きが目立つ。
それから、羽をむしった鳥が吊るされた、たくさんの肉屋が軒を連ね始める。
そして、ぽつんと一軒ある焼き鳥屋。
小鳥を愛する国の人は心優しい人が多いと聞く。
炭焼きの煙がモウモウと立ち込める。
こんな店があったとは。
堪らん。
「おっちゃん、ちょっと、待ってて。すぐ戻るから」
ビールを探し街を彷徨う。
求め戻りちらっと見せ丁重に訊ねる。
「これ、ここで飲んでも良いかなあ」
「ノープロブレム」
店の人も、同席の人も、大きく真面目に頷いてくれる。
やった!
許可を得たもののムスリム達に気遣って黒いビニールに包んだままに缶ビールを傾ける。
1週間ぶりのアルコール。
パキスタンとイランでは、全く飲めなかった。
皆無では無いようだが、自分の行動範囲と情報量では、全く手に入れることが出来なかった。
トルコではスーパーでも何処でも簡単にアルコールが手に入る。
ヨーロッパ的な側面ばかりが目に付いて少し油断してしまった。
ある宿の冷蔵庫を使う許可を得てビールを冷やしていた。
「この家はムスリムです。すぐにビールを出して下さい。飲むんだったら家の外で飲んで下さい」
シリアでは、ある程度の町に行くと多少の酒屋がある。
入国して初めての酒屋でビールの値段を訊ねていた。
常連らしき親父がやってきた。
「いつもの」
店主は一本の真新しい瓶を開けると、その透明な酒の全てをビニール袋に注いだ。
続いて缶入りのセブン・アップ一本をドボドボと。
ビニール袋にストローを刺して、輪ゴムで口を止める。
それを更に黒いビニールの中へ入れてから手渡す。
シリアでは酒屋は存在するが、おおっぴらには飲めないようだ。
ちなみに中身の正体はジンで、一袋の値段は1ドルだそうだ。
それを飲んで以来のアルコール。
しかも焼き鳥まで。
1本が3シリア・ポンド。
1ドル払うと17本も食べることが出来る。
正直、美味くはないが、こういった物が安く食べられることが、ありがたい。
テーブルの塩をぶっかける。
夏の夕暮れ。
ビルの合い間をツバメ達が飛び交う。
涼しい風が吹いてくる。
遠くからアザーンが聞こえる。
もうもうと上がる煙。
有楽町のガード下を思い起こす。
ゆっくりと10本食べた。
「これも食べなよ」
入れ替わったおっちゃん達も、さっきまで座っていた人達も、同じ言葉をかけてくれた。
こちらも彼らと同じ物を食べているのに関わらずだ。
「テツ、また来いよ」
焼き手のおっちゃんは、すぐに名前を憶えてくれた。
「オッケー!アスタ・マニャーナ!」
なぜかスペイン語で答えていた。
シリアの首都にいます。
ダマスカスでぎっくり腰。
色々とあるのですが元気にしています。
今年の夏は長くなりそうです。
2006年7月11日 アンマンより
熱い日々が続いています。
この時季の中東ではルーフトップと呼ばれるシステムが安宿にあります。
文字通り屋上(時には廊下)にマットレスを置いて通常の半額くらいで泊まれるものです。
蚊に刺されたくないのと、セキュリティ面から避けていたのですが、昨日、初めて利用してみました。
思っていた以上に快適で涼しくて、久々にぐっすりと眠れました。
目覚めた時の体の軽いこと。
最近は、暑さにまいって、夜もあまり寝れず、疲れが溜まって仕方なかったのですが、
急に体が楽になり、気分まで軽くなりました。
(一昨日、米が食べられたのも良かったみたい)
旅を再開して2ヶ月が過ぎました。
汗を出し切ったマラソン・ランナーが体験するランナーズ・ハイのようなものでしょうか。
突然、良い感じ。
一昨日はレバノンの首都ベイルート。
昨日はシリアの首都ダマスカス。
今日はヨルダンの首都アンマン。
レバノン、シリア共にトランジット・ヴィザで通過してイッキにアンマンまで来ました。
泊まっているのはクリフ・ホテル。
ここは殺害された幸田くんがイラク入国直前に泊まっていたホテル。
危険な場所にさえ行かなければ、中東はとても治安の良い場所です。
しかし、どんな時も(旅も日常も)常に死と隣り合わせであることを忘れずに
経験と五感を総動員して、細心と大胆を使い分け、安全&健康第一で旅を続けたいと思います。
みなさんも良い日々の旅を!
2006年7月16日 エルサレムより
エルサレムにいます。
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教。
それぞれの聖地。
人種と宗教の坩堝。
この場所にいると世界は微妙な均衡の上に成り立っているのを肌で感じます。
やるせなく思うことは多いけど、だからこそ愛しいと思いたい。
未来は僕らの手の中という歌がありました。
相変わらず世界は揺れています。
2006年7月19日 アンマンより
アンマンに戻ってきました。
元気にしています。
エルサレムは隣国に空爆している国とは思えないほどに日常でした。
そこで俺は飯を喰って来ました。
そこで俺は祈りの姿を見て来ました。
そこで俺は挨拶を交わして来ました。
そこで俺は石を投げられて来ました。
そこで俺は手を繋いで来ました。
双方の攻撃が1秒でも早く終わること。
これ以上犠牲者が増えないこと。
怒りや恨みが増幅しないこと。
祈り望みます。
2006年7月24日 ダハブより
「わたし」が「アナ」で「あなた」が「アンタ」で「あした」が「ボクラ」
エジプトに入りました。
紅海に面したダハブという海辺にいます。
旅の途中の夏休みといった趣き。
コーランの聞こえるビーチというのが新鮮。
海の向こうにはサウジアラビアが見えています。
陽に焼けて元気にしています。
2006年7月27日 ダハブより
熱帯魚と泳ぎ、海に浮かび、猫と昼寝をしています。
夏休みの宿題は2学期になってから。
元気にしています。
2006年7月31日 カイロより
体の底から力がみなぎって来て、走り出さずにはいられなかった。
子供の頃、海でもプールでも、水を目の前にした時の、あのどうにも抑えきれない湧きあがり。
何処から来て、今は何処へ行ってしまったんだろう。
Yahoo!でチェックしたニュースによると、日本の子供の6割は海で泳いだことが無いのだそうです。
背中とお腹の色が明らか違ってしまうくらい(走り出しはしなかったものの)
毎日毎日、紅海で泳いで来ました。
カイロにいます。
アフリカ大陸の大都会。
とはいえ、此処はまだ完全なアラブ・イスラム社会です。
朝4時半の大音量のアザーン。
ヒリヒリする背中。
蚊の攻撃(もっと若い奴を狙え)
ステラ・ビールを飲んで元気にしています。
両手に余るほど抱えていたトラブルも少しずつ解消。
全く使えなくなっていたパソコンも復活しそうです。
近々、サイトの更新も再開したいと思っています。
日本はやっと梅雨が明けたようですね。
体調に気をつけて、元気に夏を楽しんで下さい。