旅の空からの伝言
2006年8月29日 カイロより
かつてアラビアには3つの国があったという。
ひとつは「砂のアラビア」
つまり現在のサウジアラビアを中心とした広大な砂漠地帯にあった国。
そして「岩のアラビア」
現在のシリア、ヨルダン周辺の巨大な岩山が密集している地域にあった国。
最後に「幸福のアラビア」
これがアラビア半島の南端にあった国を指している。
(「地球の歩き方 ドバイとアラビア半島の国々」より)
いよいよ!
「幸福のアラビア」、イエメンに飛びます!
楽しみだあ。
パキスタン、イラン、トルコ、シリア、レバノン、ヨルダン、エジプトと続いたイスラム圏の旅の締めくくり。
イエメンには、ラマダンが始まるまで(ちょこっと体験)滞在する予定です。
今晩、飛びます!
いよいよ!
2006年8月30日 サナアより
水シャワーを浴びる時は、まず、ちょっとした覚悟が必要です。
例え炎天下のプールでも、ううううっ、ぶるぶるぶると足踏みしてしまいます。
それを思うと、いかにカイロが暑かったか。
連日、40度。
お湯も出るのですが、当然のごとく、毎日水シャワー。
水シャワーを(浴びた瞬間から)快適に思えたのは初めてだったのではないでしょうか。
しかも、水浴び後、すぐにまた汗が噴き出す。
カイロは大都会なのですが、ほとんど水着で過ごしていました。
深夜3時間のフライトでいきなり季節が変わりました。
80日振りの雨も見ました。
イエメンの首都サナアにいます。
ここは標高が2300mあるため、とても涼しい。
いやいや快適、過ごしやすい。
布団の重みの懐かしさ。
肌を被う布地の優しさ。
良いですね。
2006年8月31日 サナアより
寂しいのは自分のためだけにしか生きていないから。
これは、今日読んだ本にあった言葉です。
涼しくなると脳が活性化するのでしょうか。
イエメンに着いてからというもの、活字を読みたくて読みたくて。
早速、しんペー(同じ安宿101号室)から本を借りて来ました。
500ページほどある文庫本を貪るように一日で読み終えてしまいました。
寂しくないですか。
3年、旅していますと言うと、時々聞かれます。
寂しいですよと答えます。
ただ旅をしていなかったとしても、日本にいたとしても、誰かといたとしても、俺はきっと寂しい。
寂しさから学ぶことは多く大きく深い。
寂しさはいつも近くにいる大切な存在です。
おまけのスープ、温かかった。
2006年9月1日 サナアより
さてさて、9月。
イエメンには、中世のアラビアン・ナイトさながらの世界が残ると言われています。
多くの男達は三日月剣を身に着けています。
この三日月剣の事を「ジャンビーア」と言います。
タイのビール「チャンビーア」を彷彿する魅力的なネーミング。
強制禁酒3日目。
ああ、緑のボトルのステラ。
ビール恋しいセプテンバー。
長い長い夏休みは終わりそうで終わらないんだ。
2006年9月2日 サナアより
亀のように歩き
子供のように笑い
牛のように食べ
犬のように眠る
そして
俺は
俺は俺を生きたい
2006年9月3日 サナアより
「ナカタ!」
アジア諸国を歩くと頻繁に声を掛けられます。
同じアジアを代表するサッカー選手として、国こそ違えど誇りに感じている人も多いようです。
イエメンもサッカーが盛んな国です。
子供達は道端でボールを蹴っています。
「NACATA」と書かれたTシャツも見かけました。
先のワールド・カップはトルコで何試合か見ました。
川口の前でイレギュラー。
ロナウドが3点。
イラン対ポルトガルはスーパー濃い顔対決。
本日サウジアラビアにて、その後の新生日本代表が試合を行うのだそうです。
(アジアカップ予選)
そして、6日にはその日本代表がイエメンにやって来ます。
観戦するワタクシが、21時よりTBSにて放送予定。
2006年9月4日 サナアより
最近の若い旅人は「i
POT」なるハード・ディスク・プレーヤーを持ち歩いています。
そして、お互いのそれを接続して、ごそっとミュージック・ライブラリーを交換します。
CD数百枚を越える膨大な音楽データが実に簡単に手に入ってしまいます。
恐ろしい時代です。
そういうのイヤだなあと思いながら、何度目かに請われるまま交換してしまいました。
パソコンを侵すウイルスと共に、夥しい音楽データがやって来ました。
ヤァ!ヤァ!ヤァ!
聞きたい気持ちの起こるものは、あまりありません。
その中で見つけたお気に入り。
井上
陽水−ゴールデンベスト。
陽水を熱心に聞いたことは無かったのですが、収録されている曲のほとんどを知っていました。
彼は宇宙人です。
メロディ・センス、言葉の選び方、アレンジ。
突飛のなさ、ひねくれ方、とっ散らかり方、普通じゃない。
(それを当たり前のように聞かせてしまう歌の力)
彼の宇宙人っぷりは、若い頃のスティング・レベルです。
陽水は、老いて更に宇宙人というのが素晴らしい。
個人的なベスト・5
1、アジアの純真
2、氷の世界
3、リバーサイド・ホテル
4、ダンスは上手く踊れない
5、少年時代
次点、いっそセレナーデ、傘がない、飾りじゃないのよ
涙は
地図の黄河に 星座を全部 浮かべて
ピュアなハートが 誰かに巡り会えそうに
流されてゆく 未来の方へ
けっこう、歌えるようになりました。
2006年9月5日 サナアより
ユウコからメールが来ていました。
2年ぶりに日本へ戻ったとのこと。
日本人は冷たいと書かれていました。
無理もないと思います。
彼女と会ったのは昨年の7月、バリのウブドでの事でした。
その時のユウコは16歳。
バリに来て10ヶ月が過ぎた時でした。
それ以前の彼女は、中学校へは全く行かず、遊びまわるだけの、どうしょうもない不良。
学校からも見放され、見るに見かねていた父親に引きずられるように空港に連れて行かれ、
ひとりバリに放り出されたのだそうです。
自分が会った彼女は、16歳とは思えないほどしっかりした女性でした。
バリに来てから別の人間に生まれ変わったようですとも語っていました。
その後、インドネシアの大学に入って語学を学んでいるとの便りがありました。
もともと日本が合わなくて、海外に出された彼女です。
もともとの感性も鋭敏なのでしょう。
15歳から17歳までの多感な時期をバリで過ごした彼女が、日本社会に戸惑うのは当然だと思います。
日本に限らず、ネガティヴな側面に直面することは良くあります。
でも、そのことで腹を立てたり、不機嫌になってばかりいても、つまらない。
そんな時、どうして自分は腹が立つのだろうと考えてみる。
答えなんか出さなくても良い。
何で自分の気持ちはそのように動くのだろうと考えてみる。
出発点を自分の内側の深い所に置くと、周囲のことも客観的に見えてくる。
そうすると、その国が辿ってきた歴史が見えてくる。
そこに住む人々が置かれている状況や気持ちなども見えてくる。
何となくだけど見えてくる。
同じ人間の変われない性懲りなさも見えてくる。
自分自身も同じようなものじゃないか。
ネガティヴに捉えているのは囚われた自分自身なのかもしれない。
俺は、美しさを見たい。
説教臭くならないように伝えられたらと思います。
ビジン!
アリラン!
ガムラン!
ラザニア!
ユウコのパワーで日本をバリにしてしまえ!
2006年9月6日 サナアより
ゴール!
やっとやっと入った一点。
その瞬間に振り返った電光掲示板。
なんと「GOOL!」の文字。
中東各国にある英字で書かれた看板の30〜40%はスペールが違っています。
それにしても、あんな大観衆の前でデカデカと。
衝撃でした。
あの瞬間が、個人的なハイライトでした。
評論家はたくさんいます。
試合内容に関してあれこれ書くのはやめましょう。
日本人応援席を離れイエメン・サイドにも行ってみました。
スタジアムの一番上から競技場を見下ろします。
眼下で観戦する100人ほどのイエメン人が振り返って、一斉にこちらを見ました。
壮観。
手を振ると「ヤポーン!ヤポーン!」の呼びかけが、やがてナカタ・コールに。
とても嬉しく感じました。
この感情は、ナショナリズムではなく、ナカタ選手に対する個人的なお疲れ様の拍手です。
スタジアムには女性がひとりもいませんでした。
男たちが普段身に着けているジャンビーア(三日月刀)は持ち込み禁止。
ベルトに固定された鞘だけが見えていました。
応援団だと思っていた白いTシャツの集団は選挙運動でした。
今月末に大統領選挙があり、現在、街中でPRが行われています。
選挙とは言うもののあちらこちらに貼られたポスターの9割以上は、現職大統領のもの。
街中の壁という壁、そして、バスやタクシー、工事中の一輪車にまで貼られています。
スタジアムでは多くの人が大統領のポスターを掲げながら観戦していました。
ところどころで白い帽子が配布され、その度に、奪い合う人の波が動き、喧嘩が始まります。
ゴール・シーンと同じくらいイエメン選手が倒れるのを期待してしまいます。
イエメン・チームのドクターは関取並みに巨漢です。
その関取がありえないくらいのスピードで選手に向かって走ってゆきます。
揺れるスタジアムの注目は彼に釘付け。
普段走っている姿など見たこともないイエメン人です。
貴重なシーンでした。
2006年9月7日 サナアより
ピーナッツ・バタークリーム。
ピクルス。
マヨネーズ。
ネスカフェ。
オイル・サーディン。
などなど購入。
すっかり滞在モードのサナアです。
イエメンについてあまり書いていませんでした。
位置はアラビア半島の南端、サウジアラビアの下。
西側は紅海を挟んで数10キロ先にアフリカ大陸です。
その昔、地中海とインドを結ぶ貿易の要所(「海のシルクロード」)として栄えましたが、
今は、非石油産出国、アラブの最貧国です。
吉祥寺なんかが引っ越してきたら、イキナリ首都ですね。
経済が発展していない国の御多分にもれず、人々は親切。
アラブ世界の精神的な故郷として、
古き良きアラビアン・ナイトの時代が(少し)残っている場所です。
昨日のサッカー観戦、テレビに映ったようです。
早速、何通かのメールをいただきました。
ありがとうございます!
元気にしています!
明日から北部のシャハラに出かけます。
2006年9月8日 シャハラより
おいおい、そんなに危ねーのかよ。
初めはちょっとひるみました。
荷台には銃を携えたポリスが7人。
中心には何やら大そうなマシンガンまで備え付けられています。
そんな車に護衛されながらシャハラに向かいました。
しかし。
ポリス達に緊張感の欠けらもありません。
「俺たちの写真を撮れよ」
「こっちの車に来いよ」
彼らは荷台に立って、楽しそうにひゅーひゅー言いながら手を振っています。
ずっとそんな調子。
ドライブを楽しんでる単なるアホな若者にしか見えません。
まあ、そのくらいの方が安心ですが。
シャハラはまさに天空の村。
ありえない絶景でした。
2006年9月9日 シャハラより
紺碧の空に浮かぶ満月。
その前をスローモーションのように数羽のコンドルが飛び交う。
朝が訪れると、きっぱりと風景が立ち上がりました。
光も雲も全てが好ましく感じられました。
シャハラは標高3000mの切り立った岩山のてっぺんにある村です。
「マチュピチュ級」との評判も聞こえていたシャハラ。
俗世と隔絶された雲の上の土地。
乾いた岩山。
そこに刻まれた無数の段々畑。
岩石と緑のコントラスト。
確かにシャハラにはマチュピチュを彷彿するものがあります。
個人的にはマチュピチュ以上のインパクトでした。
マチュピチュは過去の遺跡。
シャハラには、現在、人が生活しているという凄さと生々しさがあります。
2006年9月10日 サナアより
昨日、シャハラから戻ってきました。
部屋のドアを開けたままタンゴを聴いていると、ふたりの日本人が入ってきました。
「見るからに(旅が)長そうなので、良かったら食べて下さい。
僕ら今日(日本から)来たばかりなので」
おおお!柿の種!
嬉しいなあ。
ありがとう!アキオ&サトウコウイチ!
ずーずーしくもスコッチまでいただいてしまいました。
沁みるぜ。
10日振りのアルコール。
今日のサナアは良い天気です。