旅の空からの伝言


2006年9月11日 サナアより


今年の夏を終わりにしました。

イエメンは涼しい所にしか行きません。

今日はパーミットをもらいに行って来ました。

イエメンを旅するには、あらかじめ訪れる場所を申請して、

許可証をもらっておかなくてはならないのです。

マナハ、ハジャラ、シバーム、コーカバン、スーラ、マフィート、イッブ、ジブラ。

申請してきたのは全て高所にある涼しい町です。

北半球が秋に向かってゆきます。

日本は果物の美味しい季節になりますね。

俺は柿と梨が大好きです。

(剥いてもらったの)

中東にはフルーツ・ジュースのスタンドが至る所にあります。

季節や場所によってメイン商品が変わります。

ヨルダンではオレンジ、エジプトではマンゴーかサトウキビを良く飲んでいました。

イエメンではメロンかレモン。

メロン100%のジュースが25円です。

たまーむ!

美容と健康のため、毎日、飲んでいます。







2006年9月12日 サナアより


午前4時30分。

暗闇。

夜明け前のアザーン。

何処かで誰かが唱えるコーランにあくびが交ざる。


今日は、しんぺーとマサトがサナアを発ちます。


しんぺーと出会ったのは2004年12月、パタゴニアのカラファテでした。

その後、ブラジルのサルバドールで同じアパートに住み、

カーニバルで一緒に太鼓を叩きました。

よくセルベージャを飲みました。

「これで旅は終わり、日本で働きます」

その頃の彼(当時26歳)は、これ以上歳を重ねると、社会復帰が難しいと思っていたようです。

南米の旅を終え、実際に日本で働きました。

そして、年齢的にも能力的にも、「なんだ、まだまだ、いけるじゃん」と感じたそうです。

それと同時に旅の虫が、また疼き出す。

中国からスタートして中央アジアを横断。

イスタンブールに着き、宿にチェック・インした日は、

二日前に俺がヨーロッパに向けて発った後だったそうです。

その後、お互い中東を南下。

「テツさん、やっと追いつきましたか」

エジプトにてビールと暑苦しい抱擁で迎えてくれました。

一年半前、サルバドールのアパートで別れて以来の再会でした。

しんぺーはまた来年のカーニバルを目指しサルバドールへ向かいます。


マサトは今年の6月にイスタンブールで出会いました。

同じドミトリーの上のベッド。

ゲバラの描かれた白いマックで良く静かな音楽を流していました。

日本での仕事は映像のディレクター。

自分と同じような職業だったからでしょうか。

テツさんの旅に興味があります、これからも繋がっていたいですとメールをくれました。

その後、パルミラ(シリア)、ダハブ(エジプト)で会い、今、イエメン。

マサトのことは出会う前、ずいぶん以前にブラウン管で見たことがありました。

彼はAD時代にテレビに出たことがあるそうです。

ある時期、アントニオ猪木にビンタをされ気合を注入してもらうのが流行りました。

マサトは猪木に殴られたい熱狂的ファンのADとして登場したのだそうです。

頬を張るのではなく、いきなり腹を殴ろうとした猪木。

「そんなの聞いてません」とびびっていたADの姿を覚えていました。

マサトは旅が終わった後、最低5年間は映像ディレクターの仕事を続けたいとのこと。

旅で得た何かが、どのように仕事にプラスされるのか試してみたいのだそうです。


偶然と必然が織りなす奇跡。

今度はいつどこでどんなふうに会えるのでしょうか。

誰もが旅の途中です。

全ての旅は古く新しく。

変わらない同じひとつの旅です。

良い旅を!







2006年9月13日 イッブより


サナアからイッブに向かいました。

乗り合いタクシーはプジョーのライトバン。

後部座席に3名が詰め合って乗っていたところに、もうひとりが乗り込もうとする。

「おいおい、何なんだよ。やめてくれ」

初めは悪い冗談だろと思いましたが、これが普通のようです。

この瞬間、イッブに行くのを辞めようかとも思いました。

狭い所が苦手なのです。

結局、後部座席に4名、助手席に2名、荷台に作られた座席に3名。

全て大人の男たちで、車内はぎゅうぎゅう詰め。

重なり合いながら座り、体を動かすことも出来ません。

皆、涼しい顔をしています。

よく平気でいられるなあ。

これも慣れなのでしょうか。


サナアから南へ193キロ。

イッブへの道のりは、舗装された真っすぐな道がほとんどです。

所要時間はガイド・ブックによると2時間半。

ツーリストから聞いた話によると4時間。

しかし、実際にかかったのは6時間。


ドライバーは知り合いに会うと車を止めます。

握手を交し立ち話が始まります。

その間、乗客たちは当然のように文句も言わず待っています。

イッブまでは193キロしかないのだから、ちゃちゃっと行ってしまえばいいものの

長い長い昼食タイムが始まりました。

どこに行ったとも知れない乗客全員が戻ってくるまで延々と出発しません。

悠久の時が流れます。

途中で釘がタイヤに刺さり修理もしました。

市場に止まり全員で買い物にも出かけてしまいました。


走り出すとタクシーはクラクションを鳴らし続け時速100キロ以上。

前を走る全ての車を、追い越します。

下り坂のカーブでも、構わず反対車線に突っ込む。

それだけ飛ばすのに、なぜに193キロに6時間も!


やっと着いたイッブです。

ここは「緑のアラビア」とも言われる町。

降水量が多く、みずみずしい緑豊かな風景が広がります。

緑は優しい。

乾いた世界からやってくると心まで柔らかくなってゆくのが分かります。


今夜の宿を探すためコピーを取り出します。

ツーリストが宿に置いていったガイド・ブックのコピー。

数日前、この紙にはオイル・サーディンの汁をこぼしてしまいました。

パリパリに乾いていたはずの紙。

すでにしっとりと湿っています。

魚の臭いまでが漂い始めています。

緑の岩山の向こうには雨雲が見えていました。







2006年9月14日 ジブラより


丘の上に立ち、大きな風景を見渡す。

山の斜面にへばり付く様に立てられた石の高層建築。

白いモスクのミナレット(尖塔)

頭に瓶を乗せ水汲みに行く少女。

何処からか聞こえる羊を追う少年の声。

緑に輝く段々畑。

宇宙のリズムにチューニングを合わす。

良い気分だ。


ジブラにやって来ました。

ここはシバの女王に継ぐ2番目の女帝、アルワが造った古い町。

「まるで中世の町に迷い込んだよう」

ガイド・ブックにはお得意のフレーズが踊ります。

「まるでゴミ溜めに迷い込んだよう」は、あるツーリストの感想。

まあ、どちらも完全なハズレではありませんが、極端過ぎです。

主観、独断、偏見。

無自覚に撒き散らされるネガティヴな感情に注意。

ただ行ってみるといったことを大切にしたい。


ジブラは岩山の上に作られた町。

イッブから乗り合いの四駆で向かいます。


今にも出発しそうなぎゅうぎゅう詰めを避け、

誰も乗ってない車の助手席に座っていました。

「その席、譲ってもらえる?子供連れのマダムがいるので」

ドライバーのおじさんは英語の話せる人でした。

「ああ、どうぞ、どうぞ」

自分が座っていた1、5人分くらいのスペース。

そこに黒いベールのマダムと4人!の子供たちが乗り込む。


長女であろう利発そうな女の子が、席に座るよりも早く話しかけてくる。

全てアラビア語なので意味が全く分らない。

同じ質問を繰り返しているらしいことだけは分るのだけど。

人の良さそうなドライバーが、ニコニコと通訳してくれました。

「彼女は、あなたのことを独身かどうか知りたがってるよ」

女の子は10歳くらいでしょうか。

シャハラに行った時のドライバーは自分のセカンド・ワイフは13歳だと言っていました。

女の子の質問は続きます。

「何で結婚しないの?」

「イエメンの女性をどう思う?」

「イエメンの女性と結婚したい?」

車が動き始めてからも、彼女はずっと振り返ったまま。

ニコニコとこちらを見つめ続けています。


ドライバーが唐突に車を止めました。

何事かと思ってると路上の焼きトウモロコシを窓越しに買いました。

片手でポキッ。

半分を俺に渡してくれました。

おお。

シュクラン!

ドライバーは運転しながら日本のことを質問してきます。

俺の返事は簡単なアラビア語に直され車内に伝えられます。

「ほーっ」といった具合に、車内がうなづきます。

振り返ったままの女の子は、親指を立ててこちらにウインク。

温かい車内でした。


ジブラに着いてからずっと気分が良いのも、乗ってきた車のお陰でしょう。

もらったトウモロコシも嬉しかったけど、もらったのはそれだけじゃない。

私たちは、目に見えない、何かを交換しながら生きている。

その存在は、実はとてつもなく大きいのではないか。


大きな風景を見渡す。

思い切り深呼吸。

俺は美しい世界で満ちてゆく。








2006年9月15日 イッブより


相手の目を見て、ドスを利かせて、大声で怒鳴りつける。

「このタコ野郎!舐めたこと言ってんじゃねーぞ!」

市場中が振り返り、こちらを見る。

そういえば、最近は、「タコ野郎!」のフレーズが多いなあ、俺。

(タコ刺しもタコ焼きもタコ社長も大好きです)


海が近くなったからでしょう。

市場には焼き魚を売る店が並んでいました。

店の前には煙が立ちのぼり、良い匂い。

トマトを絞った香草入りの辛いソースを付けてフォブスに包む。

ムチャクチャ美味い!


食べ終わり会計です。

店に入る前に値段を訊ねたのですが、英語は全く通じないようでした。

何度言葉を変えて身振りを交えても、

こちらの理解できないアラビア語でゴチャゴチャと言われただけです。

それが、なんだ。

食べ終わった途端に「トゥー・ハンドレッド」だと!

この野郎、英語、分るんじゃねーか。

さっきは英語が分らない振りをして、わざと値段を言わなかったんだな。

「おいおい、魚はどこでも100レアル前後だろう」

「いや、おまえは、ソースも頼んだ。だから200だ」

「このタコ野郎!舐めたこと言ってんじゃねーぞ!(日本語)」


ソースの値段は10レアルほどです。

初めから騙そうとして、英語の分らない振りをしていたのが、特に気に入らない。

怒鳴られた男は、結局、「アイム・ソーリー」と言って、

こちらが差し出した100レアルを受け取りました。


イエメン人は親切な人が多いと言います。

実際に、その通りで、随分と親切にしてもらいました。

だけど、騙す奴は騙す。

盗れる者からは盗ろうとする。

いろいろな人がいて、それが人間なのでしょう。

後に残さない怒り方を身に着けたいものです。







2006年9月16日 サナアより


雲が流れ、切れ間から太陽が顔を出す。

タハリール広場の噴水に虹が現われる。

「ほら、虹が見えるよ」

やってきた子供が隣に腰をおろす。


イッブからサナアに戻ってきました。

住み慣れたマナハ・ホテルに3度目のチェックイン。

今回の部屋は通りに面したシングル。

破れた網戸に丸めた新聞紙が突っ込んであります。


「あれっ、猫が覗いてる」

それが新聞紙であることは知っているはずなのですが、

ふと外を見るたびに、子猫が部屋の中を覗いているように錯覚してしまいます。

一度はアルマジロに思えた。

一度は陸カメに思えた。

何だか楽しい気持ちになります。


僕ら 夢を見たのさ

ホントさ

よく似た 夢を







2006年9月17日 サナアより


「ホエアー・アー・ユー・フローム?」

「ヤーパン!」

「ウエルカム!ヤーパン、グッード!」

「シュクラン!(ありがとう)」


旧市街をぶらぶらと歩く。

好奇心の強いイエメン人が、次々に話しかけてきます。

ほぼ100パーセント、何処から来たかを聞かれて、次にウエルカム!

大人も子供も、おおらかで気持ち良い笑顔の人々です。

大体の場合、ひと言ふた言、お互いに交しながら通り過ぎます。


ある時、思いがけない返事に足を止めました。

「ジャパン、ノーグッド!」

日本なら小学校3、4年生くらいの男の子でしょうか。

ちょっとした敵意も感じました。


「おいおいおい、ちょっと待てよ」

立ち止まり、男の子を呼び止めました。

「アイ・ドント・ライク・ジャパン」

振り向いた彼は敵意と共に真剣に続けました。

うーん。

「どうして、日本がノーグッドで嫌いなんだよ」

男の子は自分の首を絞めるジェスチャーをしました。

そしてもう一度、「ジャパン、ノーグッド」と言いました。

そうなのか。

とりあえずは分った。


男の子は日本人に首を絞められた経験があるのかもしれません。

あるいは、それは彼の友達なのかも。

あるいは、大人から聞いた話なのかもしれません。

それは分らない。

確実なのはイエメン人の首を絞めた日本人がいるということ。

そんな行為を行ったからには、何らかのトラブルがあったのでしょう。

どんなことが原因なのかは分りません。

双方にそれぞれの理由もあることでしょう。

単にふざけてやっただけなのかもしれない。

男の子の様子からは詳しいことは分らない。

ただ失われてしまったものが確実にある。


「ごめん。ごめん。それは悪いことをしたよ。アイム・ソーリーな」

どれだけ伝わるかはわかりません。

アイム・ソーリー。

ただそれだけ。

そう言うほかない。

彼は日本が嫌いなんだなあ。

立ち止まった二人は、またお互いの道を歩き始めました。

そしたら、背後から男の子の声が聞こえました。

「アイム・ソーリー」


心の動き。

時の流れ。

生活。

立ち止まり、光と影を確かめる。

諸行無常。

切なく愛しい人間の営み。








2006年9月18日 コーカバンより


急な山道を上りきる。

びゅうびゅうと吹いていた風がぴたっと止んだ。

太陽の温かさを感じた。

遊ぶ子供たちの歓声が聞こえてきた。


日帰りの予定でシバーム&コーカバンに向かいました。

サナアの街並みが途切れると乾燥地帯が剥き出しになります。

荒涼とした大地。

ゴツゴツした岩山。

イエメンの特徴的な風景は、この岩山自体が町になっていることです。

こんな風景、見たことない。


岩山の上から下までビッシリ。

4階ほどの高さのある煉瓦造りの家が、斜面に張り付いています。

その様子は荒野に現れた要塞のよう。

山(町)の周辺の平らな土地には不思議と家がありません。

荒地になっているか、畑が広がっているかです。


耕作のために平坦な土地を確保するという目的もあるのでしょうが、

この町の形態は、軍事(防衛)目的の側面が強いように思います。

部族間の対立により利便性や効率は後回しにせざるを得なかったのです。

今でもイエメンの北部では部族間抗争があり、男たちは日常的に銃を携えています。


シバームとコーカバンは垂直に350m離れた双子の町です。

切り立った岸壁の上にあるのが軍事(敵の監視)担当のコーカバン。

その下にあるのが同じ民族が暮らす農業と商業の町、シバーム。


350mの標高差。

垂直に切り立った岩山をくねくねと上るのには40分ほどかかりました。

子供たちの歓声の先にはサッカーボールがありました。

鍛冶屋の爺さんが仕事場を見せてくれました。

アフメットが自慢の自転車を見せてくれました。

羊飼いの女の子が手を振ってくれました。

陽だまりも人々も温かい平和な町でした。