旅の空からの伝言
2006年11月4日 アンタタナリボより
死滅回遊魚という言葉を初めて聞いたのは昨夜のことだ。
それは同じ宿に泊まっていた依田君から。
彼は日本の商社に勤めていて、夏休みを利用して1週間の予定でマダガスカルまでやってきた。
依田君曰く、伊豆辺りの海でも思いがけないほど美しい熱帯魚を見られることがあるそうだ。
黒潮に乗ってやってくる南の海の魚たち。
その多くは水温の低下により温かい海に戻ることが出来ずに死んでゆく。
それらの南の魚たちのことを死滅回遊魚と言うのだそうだ。
それにしても凄い呼び方ですよね。
依田君は日本へ向けて、今朝飛び立った。
ひさしぶりにメール・ボックスを開いてみると死滅回遊魚という文字が見えて驚いた。
サイトを見てくれる寛子さんからのメールだった。
先日、葉山の海に潜った時のことが綴られていた。
イワシの群れ。
それを狙うカモメたち。
命尽き岩の下へ沈んでゆくウミタナゴ。
その廻りをゆっくりと泳ぐ南の海の鮮やかな魚たち。
それを海に浮かんで見ている寛子さん。
生きること、死ぬこと、命のこと、死滅回遊魚のこと。
寛子さんのメールには、昨夜、死滅回遊魚のことを聞いた時に感じた自分の思いが、
そのまま書かれているような錯覚を覚えた。
淡々と静寂に満ちた残酷でもある自然。
懸命で潔く儚く真っすぐな命。
自然と命のシンプルでリアルな関係。
その切ない永遠と摂理。
ネットって面白い。
時空と思いが捩じれながらも何処かで繋がっているさまを、手品のように見せてくれる。
昼間のうたた寝に見た夢も誰かのささやかな現実なのかもしれない。
2006年11月14日 アナカウより
とろとろとベタ凪。
俺は動かない海に座っている。
いつの間にか眠っていた。
トゥリアルから南へ40キロ。
アナカウへの道は海路だけだ。
漁師と交渉して舟を確保する。
30分後の出発予定は2時間後になった。
格安で請け負ってくれた気の良い漁師は同乗者を探していたらしい。
潮の引いた浅瀬を2頭のセヴ牛がゴトゴトと牛車を進める。
乗り移った丸木舟は大海原に浮かぶ木の葉。
全長は5メートルにも満たない。
くり抜いたノミの跡がむき出しだ。
ちいさなモーターが辛うじて付いている。
ゆらゆらと海岸線が遠くなってゆく。
風のないグレイの空。
とろんとした動かないモス・グリーンの海。
透明度の高い水。
太陽が顔を出せばキラキラと輝き出すのだろう。
ずいぶんと沖にいた。
吹き始めた潮風に揺すられ目が覚めた。
海岸線は遥か彼方。
時々、盛大に潮を被る。
船底を介して胡坐の下に海が蠢く。
うねりの中にとてつもない秘めたエネルギーを感じる。
簡単に飲み込まれる。
ちょっとした自然の匙加減で俺の命は消える。
それはとても自由な感じがする。
陸にいる時よりも今を生きていられる偶然を強く感じる。
地球の上で浮遊する。
心許なさ。
心地よさ。
さらに沖の荒波の上を、さらに小さな手漕ぎ舟が滑ってゆく。
確かに今を生きている。
投網を手繰り寄せる漁師。
俺は何かに手繰り寄せられてゆく。
彼方に揺れる、あの光。
その、もっと向こうへ。
目的地って何のことだろう。
2006年11月18日 トゥリアルより
マダガスカルにバスはない。
大型のバスが運行するには道が悪すぎるのだ。
移動手段はタクシーブルースと呼ばれる改造されたワンボックス。
18名分の座席がぎゅうぎゅうと取り付けられている。
屋根にはうず高く荷物が積まれる。
スーツケースも毛布もテーブルも自転車もニワトリも山羊もくくり付けられる。
地方への宅急便や郵便・新聞配達の役目も担う。
タクシーブルース乗り場は人で溢れている。
呼び込みの声。
山と積まれた荷物。
バゲットとカフェオーレの屋台。
南回帰線の町トゥリアル。
陽射しは痛いほど強い。
停められたトラックの下にもぐりこみぶっかけ飯を売るおばさん。
その隣では娘らしき女性がTシャツをたくし上げ子供に乳を飲ませている。
もみじのような手が全てを掴んでいる。
くっきりした陽射しの下でも子供の存在は圧倒的だ。
圧倒的に肌が綺麗。
瞳が綺麗。
笑顔には嘘がない。
何でもすぐに遊びに変えてしまう。
疲れが微塵もない。
生まれたばかりの天使たち。
圧倒的にエネルギーが高い。
俺たちは自力で自分の中の天使を取り戻すべきだ。
2006年11月27日 アンチラベより
マダガスカルの食事事情は比較的恵まれている。
それでもひと月近くいると食べる物が限られてくるし飽きてもくる。
今日はいつもの屋台での食事をやめてスーパーで買い物をした。
オイル・サーディン、ピクルス、タマネギ。
これらをバゲットに挟んで食べる。
ヨーロッパ圏を旅していた時の定番節約メニューだ。
それに贅沢をして、ワイン、チーズ、トマト。
以前は毎日続いて飽き飽きしていたメニューも、
ひさしぶりに食べてみると新鮮に感じ美味い美味い。
ある種の味覚は遠い記憶を喚起する。
ベランダで育てていたバジルを思い出した。
ワインを飲む時にモッツアレラとトマトと一緒にフレンチドレッシングで食べた。
絶妙のコンビネーションだ。
ローズマリーも育てていた。
豚肉と一緒に炒めると抜群に美味い。
ナスもピーマンもトマトもシシトウも育てた。
古代米も育てた。
種を蒔き、苗を植えた。
緑が育ち、虫や鳥が集まってきた。
獲りたてのナスを焼いてベランダで一緒に食べた人も思い出した。
楽しく美味しく幸せな時間だった。
元気にしているだろうか。
丁寧に種を蒔くように日々を過ごしたい。
全てを見つめ育ってゆくものを大切にしたい。
2006年12月2日 アンチラベより
過去の伝言板からの文章を編集したコンテンツを少しずつアップしている。
今日アップしようと思っている「俺は花咲じじいになりたい」は、
日本を離れて1ヶ月目くらいのこと。
予備知識なく辿り着いたメキシコ南部の町、サンクリストバル・デ・ラスカサス。
この町を起点に先住民族の村々を訪ねた。
先住民の権利と文化の認知を求めた闘争を続けている
サパティスタについての文献を読み、彼らの自治区にも滞在した。
そして、「あらゆる世界が ありうる世界を」というコンテンツを作り始めた。
気がつくと1ヶ月が過ぎていた。
転がり続けることにより世界が開け、
転がり続けることにより精神の苔が落ちてゆく。
あてのない長期旅行の良い面を体現した時期だったと思う。
この頃、出会った人々のことは、今も鮮明に憶えている。
サパティスタ自治区に滞在出来るように推薦状を書いてくれた
笠置 華一郎さんはサンクリストバル・デ・ラスカサスにて亡くなった。
笠置さんの宿「カサカサ」で出会い、クスコ、ブエノスアイレスの宿でも一緒になった
旅のベテラン寺 充夫さんは旅の途中ミャンマーにて亡くなった。
サンクリにいる時に伝言板に書き込みをしてくれた(インドで出会った)
小山田 咲子さんは旅の途中、24歳の若さでパタゴニアにて亡くなった。
また会える人だとばかり思っていた。
俺はもっともっと話すべきことがあったように思う。
もっともっと過ごすべき時間があったようにも思う。
一緒にいられるのは、ほんの一瞬。
人生は、星の瞬き。
生きていられるのは、ほんの一瞬。
2006年12月5日 アンチラベより
グレイスが降り注ぐ
憶えてなんかいられない
もはや 憶えてなんかいられないですよ
小鳥のさえずり
今 まさに
教会の鐘の音
君のため息が空の色を変えた
俺の口笛が世界を変えた
夢の中で詩が出来た
たった5行の傑作
4、5行目が特に良く傑作たる所以なのだが
忘れてしまった
憶えているのは
憶えてなんかいられない
もはや 憶えてなんかいられないですよ のところまで
そんな殺生な
夢の中で思い出そうとするが
もはや霧のさらに向こう
夢うつつで続きを作ってみたが
もはや意味不明
2006年12月11日 アンタタナリボより
足の指から卵が出てきた。
プツプツプツと。
200個くらい。
針の先くらいの大きさ。
びっくり。
しばらくの間、痛痒かった右足の人差し指。
ダニかノミに刺されたのだろうと思っていた。
血でも溜まり始めたのか少し黒っぽくなった。
なにげなく押してみたら白いものが出てきた。
膿みかなと思ったけど、何か違う、良く見ると・・・
なんじゃこりゃ!
卵じゃんか!
皮を切りながら押し出してゆくと出てくる出てくる。
針の先くらいのプツプツが200個くらい。
卵を取り除いた後は、直径5ミリくらいの穴があいた。
穴はすぐにふさがった。
赤い肉が綺麗に盛りあがってきて傷を塞いだ。
たいしたもんだなあ人間の身体って。
しかし、数日後には、その指が腫れ上がった。
倍くらいの太さ。
バオバブのようにパンパン。
鬱血して触れないくらいに痛い。
足をまともに着いて歩けない。
そこを列車の中で何度か踏まれて絶叫飛び上がる。
アイスボックスも落とされる。
しばらくして爪がポロッと取れた。
今は新しい爪が育ってきた。
快方に向かっている。
腫れもずいぶん取れて半分くらいの大きさに戻った。
もう1歩で正常だ。
マダガスカルの動植物の70%近くは固有種だという。
細菌レベルでも馴染みの無い奴らがウヨウヨしているのかもしれない。
早く治癒力と時間に覆い尽くしていただきたいものだ。
指の思い出。
これがマダガスカル最大の思い出かもしれない。
いやいやいや。
こんなテキストをアップしようと思っていたら更なる衝撃が。
それどころではなくなった。
やられました。
続きは3年後の今日アップします。