旅の空からの伝言


2006年12月18日 モシより


その旅人は既に100ヶ国ほど旅していた。

「やっと、ジャンボの国に来れましたよ」

中学校の時の英語の教科書に出てきた「ジャンボ!」

この言葉を使う国に、ずっと憧れていたそうだ。


ジャンボ=こんにちは

カリブ=ようこそ、どうぞ、どういたしまして

アサンテ=ありがとう

ポレポレ=ゆっくり

アクナマタタ=万事快調、問題ない、気にしない

ブアブア=おいしい

モジャ=1

ダラダラ=乗り合いワゴンのこと


スワヒリ語の響きにはユーモラスなものが多い。

ジャンボで始まったケニアからタンザニアへ。

こちらもケニアと同じスワヒリ語圏。

タンザニアでは挨拶のジャンボにマンボを続ける人が多い。

「ジャンボ!マンボ!」

口に出しただけで楽しい気持ちになる。


ジャンボ!マンボ!

ちょっと口の中をまるくしながら言ってみる。

ジャンボ!マンボ!

素敵な笑顔が広がる。

黒い肌に笑う瞳と大きな歯は、最高にチャーミングだ。







2006年12月24日 ザンジバルより


白い迷路。

ムスリムの町、ストーン・タウン。

道すがらメリークリスマスの声が聞こえた以外、それらしい様子はない。

強いて言えば、人々のゆったりとした楽しそうな様子であろうか。

いや、それもいつもの風景なのだろう。


「じゃあな、アブドゥール」

俺は、別れの挨拶に「メリークリスマス」と続けた。

アブドゥールは足を止め、振り返った。

「おいおいおい、あんたはクリスチャンだったのかい」


「俺はブッディストだ。

仏教徒は何事にも寛大なんだよ。

この時期はトーキョーにもバンコクにもヤンゴンにもサンタクロースがいるぜ」


「そんなもんなのか。

俺は、どんな宗教も持たない。

アラーの神も信じない。

なぜなら、俺の心は強いからだ。

俺には神は必要ない」


「ああ、分るよ。

俺も若い頃は、そんなふうに思っていた。

あんたの神は、あんたの心の中にいるんだろ」


俺は自分を親指で指してからアブドゥールの胸を指差した。

意図が伝わったのだろう。

アブドゥールは満足そうに頷いた。

俺は続けた。


「俺は仏教徒だけど、俺の心のなかにも神がいるよ。

それから、神はそこの海にも、風の中にも、今朝食べたパンの中にもいる。

全ての中にいる。

俺はそう思っている。

まあ、いずれにしろ何事も目出たいのは良いことじゃないか。

仏教徒は寛大なんだよ。

もう一度言う。

アブドゥール!メリークリスマス!」


「オーケー!テツ!メリークリスマス!」







2007年1月1日 ラムより


午後になると海からの風が強くなる。

新年を祝う言葉と波音が重なる。

白い壁を這っていたヤモリが振り返る。


ルーフトップで世界地図を眺めて過ごす。

行きたい場所を書き出し繋ぐ。

道が見えた。

目の前が開けた。

何度も思い描き、破り捨てた地図。

とうとう あの国まで繋がった。

ああ 俺はまだまだ旅を続けるのだ。

そして、これからは旅の終わりや次の旅を意識するのか。


祝おうじゃないか。

夢の続き。

巡る季節。


祝おうじゃないか。

擦り減った靴底。

破れたズボン。


祝おうじゃないか。

海の色。

空の色。


花が揺れた。

道は開けた。

地図に載ってない場所へ旅立つ。







2007年1月2日 ラムより


ルーフトップで過ごす1日。

眺める海がいつもよりも遠い。

ずいぶんと潮が引いたものだ。

今日が大潮なのかも。


地球は自転を続け、

アフリカは少しづつ太陽の陰へ。

斜めの光が黄金色に海を染める。

東の空に薄っすらと白い月が姿を現す。


ああ 動いているなあ。

ああ 生きているなあ。

青さの残る空に浮かび上がった白い月。

今夜半には完全に満ちるだろう。


新年早々、ブルームーンが見れそうだ。

1ヶ月の間に2度の満月。

その2回目の満月をブルームーンといい、

幸せが降り注ぐ特別な日なのだそうだ。


東の空に浮かんだ月。

西の空に沈んでゆく太陽。

繰り返し

繰り返し

光は等しく降り注ぐ。


戦場にも

欲望の街にも

赤土を固めた村にも

谷底に水を汲みに行くあの娘にも


ベイルートを離れたのは空爆の2日前だった。

まさかあんなことが起こるなんて思いもよらなかった。

ベイルートに向かう前日には、シリアのクネイトラを訪れていた。


デッドタウン、クネイトラ。

俺が生まれた年、この町は死んだ。

1967年、突然のイスラエル軍の攻撃により、クネイトラは死を迎えた。

破壊された建物だけが延々と続く死の町。

瓦礫の山。

ぐしゃっと潰れた民家。

辛うじて原型をとどめたモスク。

病院にさえ恐ろしいほどの弾丸が打ち込まれていた。

その光景は声も出ないほどの凄まじさだった。


太陽に溢れた明るいベイルート。

破壊しつくされたクネイトラ。

ふたつの町が歪んで重なる。

エルサレムでは嘆きの壁に向かって祈りが続けられている。


どうしょもなく繰り返す歴史。

誰もが立ち尽くし戸惑いながら光を求めている。

等しく降り注いでいると思いたい。


海からの風は今日も強い。

無数の燕たちが飛び交う。

風に逆らい

風に流されてゆく







2007年1月18日 ムンバイより


「アウランガバードへ」

呼び止められてうっかり答えてしまった。

「何処へ行きますか?」のお決まりの質問。

そうそう、ここはインドだ。

場所はムンバイ駅の入り口付近。

アウランガバードまでのチケットを予約するためにやって来たのだ。

「ああ、それはダメ。数日前から線路が壊れている。

遠くの駅まで行ってから列車に乗らないといけない。

とても不便。

ツーリストはみんなバスで行ってます。

あそこにグッド・バスのオフィスが・・・」

来たぞ来たぞ来たぞ。

インドに来たなあ。

おっさん、そんな誠実そうな風貌と真面目な顔で良く言うわ。

俺は歩き出す。

駅に向かって歩き出す。

はらたいらに3000点の確かさで歩き出す。







2007年1月27日 ハンピより


「昨日とても良い写真が撮れたよ」

見知らぬ男に話しかけられた。

眺めていた川は闇と静寂に包まれようとしている。

対岸にぽつぽつと柔らかな灯りが灯り始めていた。


差し出されたデジカメのモニターを覗き込む。

見た瞬間に思った。

ああ、良い写真だなあ。


朽ち果てたヒンドゥー寺院が夕陽に照らし出されている。

シャンパンの泡のような瞬間。

魔法の時間。

その真ん中でカメラを構えている男の後姿。

観光客でもなく。

土地に根を張る者でもなく。

吹いてきた風のように風景に溶け込んでいる。


あれ?

良く見るとその男は俺じゃないか。

いつの間に。

ドイツ人らしき無骨な髭面がこちらを見て笑っている。


写真に撮れなかった風景。

心のフィルムに焼いた風景。

夕闇の中で見せてもらった一枚もそんな風景だ。

大切にしたい瞬間。