旅の空からの伝言
2007年4月26日 レーより
人はしばし問う
そこに何があるんですか
俺は答える
何かあるから行くんじゃない
何かあるかもしれないから行くんだ
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2007年4月28日 レーより
桜の花のように見えるのはザクロ
梅の花のように見えるのはアプリコット
ベランダにそっと置いたパン屑は
小鳥がついばんだのか
風が運んだのか
シーズン前のラダックには観光客がほとんどいない
花と光に溢れた気持ち良い宿をひとり占め
入り口のテーブルに宿泊者カードが無造作に置かれていた
とうとう自分以外のお客さんが来たのだろうか
思わず覗き込んだ
そこには自分の友人と同じ名前が書かれていた
彼女とは同じ大学で同じ業界に就職したのをきっかけに親しくなった
お互い初めて足を運んだ競馬場で俺が取った万馬券で飲んだこともあった
まさかと思いながらもついつい名前の先へと目を走らせる
年齢も同じだし
確か住んでいるのもその辺り
筆跡も似ている
そんなことがあるのだろうか
彼女が旅好きなのは知っていたが
ゴールデンウィークの短い休みを利用してこんな辺境まで飛んできたのだろうか
俺の姿を見たらさぞかし驚くだろう
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2007年5月3日 ダーより
険しい岩山を削り流れるインダス上流
バスは谷沿いに蛇行を繰り返しすでに4時間が過ぎた
灰色の世界に微かな緑が現れ始める
「花の民」が住む30軒ほどの集落
チベット仏教を信仰するアーリア系民族「ドクパ」(花の民)
髪の毛は細かい三つ編み
銀のかんざし、鮮やかな毛糸、リボン、コイン、針
そしてショクロ(ほおずき)を始め、色とりどりの花がうず高く飾られる
緑がポツポツと顔を出し始めた谷間の小さな畑
花の民が農作業に勤しむ姿は、まさに大地に大輪が開いたよう
水道も電気もない山奥に命の強さと美しさを思う
「花のおばちゃん おはよう」と声をかける
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2007年5月5日 カルギルより
空は宇宙へと溶け
神への憧れが風に千切れる
唇はがさがさに切れ
粘膜は彼方へ蒸発してしまった
標高4094M
命の気配さえない鉱物の世界
黒い蝶が戯れていたのは幻だったのだろうか
峠を越える
軍事基地が点在する
バスは3時間ほどで1400M標高を下げた
眼下に流れる河の向こうにカルギルの町が見えてきた
町には銃を持った兵士達
あちこちに築かれたバリケード
この町はインド・パキスタンの停戦ラインに接している
地図には暫定上の国境が引かれている
俺の目に見えるのは山ばかり
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2007年5月7日 スリナガルより
薄暗く懐かしいバーにボトルキープ
ラベルに「永遠」とマジックで書いてきた
そんな夢を見た
現在泊まっているのは川の上
停泊しているボートに部屋を借りた
窓からの涼風
川面すれすれに飛ぶ燕
OLD ZERO BRIDGEが夕陽に映える
雲ながれゆく
ウイスキーを飲むのはずいぶんと久しぶりだ
ラダックにて日本に帰る旅人がドアの外に残していってくれた
「竹鶴」
お礼を言いたいがすでに流れた叶わぬ来し方
嗚呼 名前しか知らない
もう会うこともないのだろうか
目を閉じて
流れてゆく未来に思いを馳せる
ぼうぼうと風が吹き抜ける
最後の一滴が沁み込む
永遠を封印した
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2007年6月28日 ビシュケクより
「すなお」「すてき」「すずやか」「すこやか」「すがすがしい」
「すき」な言葉には「す」で始まるものが多い
友人のサイトにそんな記述があった
キルギス
完全なロシア語圏
現在、俺の使えるボキャブラリーはふたつ
「スパシィーヴォ」=ありがとう
「スコーリカ」=いくら?
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2007年6月29日 ビシュケクより
真珠は海に
宝石は山に
そのままに
失くしたものは探さず
見つけたものは拾わず
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2007年7月1日 チョルポンアタより
何だろう
いつになくからっぽだ
このからっぽさの中で窓の大きさだけは救いだ
壁いちめんニメートル四方一枚ガラス
夜には月が渡ってゆく
昼には縄に吊るした洗濯物を乾かす
時折ボールを蹴る子供の歓声が
木々の間を抜けて届く
さあ あの場所へ行けるかな
落日が今日を黄金色に染める
育ちの悪い向日葵が後姿を見送っている
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2007年7月2日 チョルポンアタより
誰かに見られているような感じがして振り返る
しかし俺に注意を向ける者は無く
ただ羊たちがしょぼしょぼと草を食んでいる
どこまでも広がる牧草地
その遥か向こう
天山山脈が西日を浴びて俺を見下ろしていた
ああ お前か
足元にはアザミが咲いている
枯れても野に立つ命の寂寥
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2007年7月3日 チョルポンアタより
秒針を聞いていた
光の訪れと共に けたたましい程の鳥達の唄
突然に木々を殴り全てを掻き消した風雨
明方の落雷で電気が途絶えた
しばらくは湯が使えないらしい
ジェスチャーを交え日本語で話す俺
ロシア語で返すおばちゃん
最後に「無いんだ」と呟くとおばちゃんは「無い」と繰り返した
英語しか話さないツーリストが着くと部屋がノックされる
彼らは俺がロシア語を解すると思い込んでいる
いずれにしろ一言で片がつく
「ワン・ベット・ワン・ハンドレッド」
おばちゃんが「ソム(キルギスの通貨単位)」と付け加える
俺は背後に広がる青空を眺めている
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