旅の空からの伝言


2007年7月18日 ブハラより


まったりと流れる白い午後の時間

コンコンコン

第二関節で軽く叩き中身が詰まっているか確認

道端で大きなスイカを買った

両手で抱えてもズシリと重い

お腹の前に抱えたスイカに着ているTシャツを被せた

ぷっくりせり出したお腹が人目を引き笑いを誘う

指差し笑う人々に「ベイビー」と告げながら歩く

宿に着き小1時間ほど流水で冷やしてから御開帳

たっぷりと果汁を湛えた赤い三角を口に運ぶ

時間がイッキに加速した

俺はカブトムシだ







2007年7月19日 ブハラより


今朝は茶柱二本

イエー!







2007年8月2日 カシュガルより


この旅が始まったのは4年前の今日

思い出すのは焼けたアスファルト

蝉しぐれ

旅も変わってゆく

俺は変わっただろうか

旅は経験

人は経験によってしか成長できない

成長を続けることが魂の本質







2007年8月5日 カシュガルより


ふと思い出した昔話

大学生の頃にやったアルバイト

住宅展示場でパンダのぬいぐるみに入った

まさに人寄せパンダ

子供連れがやってくるとモデルハウスの前で手招きをする

ぬいぐるみの中は汗まみれ

気温の上昇と共に覗き穴は曇り 意識は遠くなる

走り寄って来た小さな女の子が俺に問いかけた

「パンダさんの好きな食べ物は なーに?」

朦朧としていた俺は答えた

「餃子!」

あの女の子は元気だろうか

今でもパンダさんの好物を覚えていてくれるだろうか

今夜は餃子!







2007年8月4日 カシュガルより


縁側で三線を弾きたい

なぜだろう

憧れの地を目の前にして

むしろそのさらに先へと思いを馳せてしまう







2007年8月7日 カシュガルより


光の中にいると闇が見えにくくなる

光を走り抜け

闇に体を横たえる

光は強くなり

闇は深くなる

光も闇もしっかり自覚してチベットへ向かおう







2007年8月15日 カシュガルより


カシュガルを発つのは3度目

もう戻ることは無いだろう

訳あってチベットへのルートを変更

選んだのはタクラマカン砂漠の西側を北上

サハラ砂漠に次ぐ世界第2位の規模

日本よりも広い砂漠

空に飛ぶ鳥なく

地に走る獣なし

かつて生きて帰らざる海とも呼ばれた死の砂漠

道標は死人の枯骨だ

絹の道をゆく人々は銀河を見上げ大地に体を横たえた

昼夜走り続けるバスが俺の揺りかご

夜半過ぎ

砂漠に落ちる雷を見た







2007年8月16日 トルファンより


足元に落ちた腐ったピーマンを拾い上げる

首筋には投げつけられた気持ち悪い感触が残っている

振り返った市場は静まり返っている

「誰がやったんだ」

すぐ近くには15歳と5歳ほどの少年がいた

返事はない

「誰がやったんだ」

今度はもっと大きな声で言ってみた

列になった野菜を売るおばさんたち

角刈りに手拭いを巻いたひとりの男

答える者は誰もいない

拾い上げたピーマンを地面に叩きつけて歩き出す

ひとりぼっちでうつむき歩く哀れな旅人になることも出来る

全てを受け入れ前を向いて歩く旅人になることも出来る

こんなことはもう何十回とあった

どうってことないぜ

俺はただ眺める

吹く風に姿を変える砂紋を見るように

青空を通り過ぎる雲を見るように

小川を流れる小船を見るように

ただ湧き上がる感情を眺める

悪意も敵意も傷口もただ眺める

すべては天に昇ってゆく







2007年8月18日 ハミより


リオ・デ・ジャネイロ

サマルカンド

クスコ

マラムレシュ

タンジェ

アルベロベッロ

サンクリストバル・デ・ラスカサス

ブエノスアイレス

ヘルシンキ

ジェイサルメール

ペトロハバロフスク・カムチャッキー

名前を聞いただけで行ってみたくなる

そんな街がある

敦煌もまたそんな憧れのひとつだ

明日のバスで向かう







2007年8月19日 敦煌より


北と南はすぐに分る

戸惑うのは東と西の時だ

そんな時に必ず思い起こす歌がある

♪ ニンニキニキニキ ニンニキニキニキ ニニンが三蔵

♪ ニンニキニキニキ ニンニキニキニキ ニシンが悟空

♪ ゴーゴーウエスト ニンニキニキニキニン

そこまで頭の中で歌ってから

そうそう「西遊記」の歌なのだから西はウエスト(東はイースト)だ

そんなふうにして英単語を思い出す回りくどい回路が、

いつの間にか出来てしまった

必要になる度にバカみたいに頭の中で同じことを繰り返している

謂城の朝雨 軽塵を潤し

客舎青々 柳色新たなり

君に勧む 更に尽くせ一杯の酒

西の方 陽関を出ずれば 故人無からん

王維の詩に西の果てとして登場する陽関は敦煌の西76キロにある

俺はこの街に西の果てからやって来た







2007年8月20日 敦煌より


俺は敦煌に西の果てからやって来た

この街に着いて喜んだのは中華料理が喰えること

マーボー豆腐やチンジャオロースなどいわゆる四川料理に代表される中華だ

敦煌から西(トルファン、ハミ)ではこういった料理を出す店が無かった

あるのはイスラム教徒であるウイグル族の食堂ばかり

品数は少ない

塩かトマトで味を付けた羊肉のヴァリエーションが全てと言っても良い

美味しいのだが同じ物ばかりでは飽きてしまう

4日間同じような料理が続いた

中国内ムスリム圏の広さを実感した

言葉は主にウイグル語を使う

ヤクシ・ムセス=こんにちは

レフメット=ありがとう

人々の顔つきを見てヤクシ・ムセスとニーハオを使い分けていた

敦煌に入ってニーハオが主流になった

やっと漢民族の国に来たという実感が湧いた

中国には数百もの多様な民族が住む

様々な軋轢もあるだろう

ウイグル料理の代表シシケバブにビールは最高の取り合わせだ

しかしシシケバブを出す食堂でビールを飲むことは出来ない

宗教的に豚肉を食べないウイグル人が中華食堂に入ることはない

ある中華食堂で親切な対応を受けた日本人旅行者が、

土産に買ったドッピというウイグル帽を被って同じ店に入ったらホウキで殴られたそうだ

中国に住む多くの民族にとってマーボー豆腐は異文化で、ニーハオは外国語だ







2007年8月21日 敦煌より


何が出てくるのだろうと待つ食堂で覚えた

土豆はジャガイモ

抱菜はキャベツ

豆芽はモヤシ

豆角はインゲン

黄瓜はキュウリ

木耳はキクラゲ

西紅柿はトマト

小白菜は小松菜

猪肝は豚レバー

中国語のメニューにも随分と慣れてきた







2007年8月22日 敦煌より


いつかは西夏の侵略を受けなくてはならぬと思っていた

ただそれが早く来ただけだ

張議潮以来の沙州節度使の名誉にかけて闘わねばならぬだろう

ただ残念なことは現在の沙州に西夏の大軍に対抗するだけの武力がないことだ

わたしの代で曹氏が滅びることになるがこれも致し方あるまい

往時 この国は吐蕃に征服され長い間漢人は平時吐蕃の服を着 

祭日の時だけ漢服を着て天を仰いで慟哭したと伝えられているが

またそれと同じことがこの国を見舞うだろう

併し一つの民族が永久にこの国を征服していることはできない

吐蕃が去ったように 西夏もまたいつかは去るだろう

その時そのあとにはわれわれの子孫が雑草のような在り方で残っているだろう

それだけは疑うことが出来ないことだ

なぜならここには漢人の霊が 他のいかなる民族の霊より多く眠っているからだ

ここは漢土なのだ

沙州(敦煌)節度使・曹賢順の言葉(井上 靖「敦煌」より)







2007年8月23日 敦煌より


中国における観光地の入場料はバカ高い

莫高窟は180元

これは9日分の宿泊費、60本分のビールに相当する

トルファンで見た石窟にはガッカリした

中には薄汚れた額に入った仏教画の写真がぶら下がっていた

「当時の面影もなく旅行者は嘆くばかり」と書かれた看板まであった

だったら金とるな

今朝の目覚めは爽やかだった

「よし!今日だ!」と懲りずに莫高窟へと向かった

まずは巨大な仏像を見る

釈迦如来

文殊菩薩

普賢菩薩

金剛力士

石窟内にあるのは全て馴染みのラインナップ

日本が近づいてきたのだなあと思う

敦煌より西ではこれより良好な状態の仏教遺跡はない

最近ではアフガニスタンのバーミヤンが良い(悪い)例だろう

ムスリムの支配に下った歴史は偶像崇拝を許さない

乾燥した砂漠気候も幸いしている

石窟に描かれた壁画の状態も良い

北魏 隋 唐 五代 宋(西夏) 元

1000年もの間、描き続けられてきた人々の思い

花びらを散らしながら舞う天女の羽衣

海に立ち太陽と月を支える阿修羅

苦しみも憂いもない極楽浄土

赤い琵琶が奏でる天上の調べ

涅槃 説法 賢者 神話

風神 雷神

山水画 暮らし 狩猟

鳳凰 龍 千仏

それらの画を全て並べると30キロもの長さになるそうだ

とてつもない砂漠の大画廊だ

美しいばかりではない

釘で引っ掻いたような痛々しい傷跡

清の時代に書かれた誰かの名前

薬をかけてテープで剥がして画を持ち出した跡

全てが途方も無い

ある仏画の横に書かれていた仏の名前

その隋の時代に書かれた文字を自分はしっかりと読める

普段何気なく使っている漢字はまさに「漢の文字」なのだ

17窟も見ることが出来た

ここは20世紀最大の発見とも言われる

1900年、砂に埋もれていた石窟から5万冊もの経文が出てきた

石窟の前に立つ

目を閉じる

全てが途方も無い

人間が生きてきた

思いも祈りも欲望もラクガキも破損も全てが途方も無い

途方も無く美しい

そして限りない

封じ込められていた美しさが現れる

時空を越え受け継がれた美しさに我を忘れて立ち止まる

そしてまた次の1歩は自分自身で踏み出さねばならない







2007年8月24日 敦煌より


北京時間が全土に用いられる中国

西に3000キロほどの敦煌の朝8時は実質6時くらいであろうか

砂漠の朝は冷え込む

一昨日、日中の最高気温は37度

昨日の最高気温は24度

体調を崩しやすい時期でもある

Gジャンを羽織って朝飯に向かった

麺をすすりスープを飲み干すと体が目覚める

温かくなった帰り道に露店で果物を選ぶ

乾燥した土地の果実は水分を集めるのが上手だ

ウズベキスタンのメロン

カシュガルの無花果

トルファンの葡萄

今年の夏は美味い果物を良く食べた

今日は何を買おうか







2007年8月25日 ゴルムドより


雲の切れ間に覗く青空がセピアとシンクロする

ふと子供の頃に思いを馳せてしまうのはいつも夏

覚えている一番古い記憶に思いを巡らせる

床屋の匂い

井戸

祝日に揚げられる日の丸

造り酒屋の路地

老猫の目ヤニ

テレビの中のジャイアント・ロボ

汗をかいた麦茶のコップ

痛む歯に詰めたユキノシタ

鍋を提げて買いにゆく中仙道の豆腐屋

簾を揺らす風

蚊帳にもぐり込む高揚感

踏み切りで数えた貨物列車

ポパイと一緒に食べたホウレンソウ

恐らく辻褄は合わないのだが

なぜだか国道まで行ったことが自己最古の記憶のような気がしている

母方の祖父に三輪車を引かれてダンプ・カーを見に行った国道

そこには交差点の向こうからそれを見つめているもうひとりの自分がいる

予定を変更してラサに向かうことにした

あの頃の自分に会えるだろうか