旅の空からの伝言


2007年12月18日 ムアンシンより


話す

笑う

食べる

何のためのものなのだろう

歩く

書く

祈る

想像する

誰のためのものなのだろう







言葉

言葉に出来ない

たくさんの思い







2007年12月20日 カンランバより


♪だから 泣くのも 笑うのも また明日

♪星が ひとつ流れて 消えた

♪だから わくわく 寝て 起きて また明日

♪明日は明日の風が吹く

最近良く歌うのだが、何の歌なのか思い出せない

またまた中国に来てしまった

すでにラオスに戻りたい

だから 泣くのも 笑うのも また明日







2007年12月21日 モンフンより


北回帰線の南

秋と夏と春があった

山の表面は微かな茶色

ポツンポツンと桜が咲いている

こんもりとした丘に作られた茶畑

盛大に群生する竹

畦道の案山子が風に吹かれる

稲刈りが終わった一部には若い緑が固まり

田植えの準備も同時に始まっている

朝霧を蹴散らし太陽が上がる

世界は鮮やかに生まれ変わる

すべてが劇的に輝く

ヒマワリ

バナナ

サトウキビ

陽射しは痛いほど強い

北緯22度の12月

闇はすとんと訪れる

田圃の水面に映った月を滲ませ

ドジョウが跳ねた







2007年12月22日 モンフンより


カメラだけ持って

どこまでもまっすぐ

歩けるだけ

日が暮れ始めた頃に立ち止まり

道端で親指を立てる

俺はリーチをかけるとイッパツでツモる

今日もイッパツ・ツモだった

もうもうと埃を立てながらやって来て、止まってくれたのはトラクター

ヒッチハイクではロバに乗せてもらったこともある

パトカーに乗せてもらったこともある

トラクターは初めてだ

気持ち良いスピードと盛大な揺れ

一日の孤独を費やした道

俺も夕暮れに染まる

ぼっぼっぼっぼっ

がたがったがたがった

2種類の無骨なエンジン音が重なり鳴り響く

淡い光に包まれ

帰り道







2007年12月23日 景洪より


中国に入った途端に聞こえてくる

カーッ ペッ!

その回数は一日に数百回

枚挙にいとまない

老若男女 カーッ ペッ!

処構わず カーッ ペッ!

タクシーの中でさえカーッ! 

そのまま車内にペッ!とやる

漢民族の自己中心性は他に類を見ない

周囲のことなんか眼中にない

うかうかしてるとズボンにひっかけられる

カーッが聞こえると眼は自然とその主を探す

俺とジロリと目が合った若い女性

行き場を無くし、やがてゴクリと飲み込んだ







2007年12月24日 景洪より


シャンパンとケーキに背を向けて

モツ煮をぶっかけた丼飯を喰らう

中国で迎えるクリスマス・イブ

お菓子屋にもデパートにもクリスマス・ムードは無い

昨年はザンジバル(タンザニア)で迎えた

「メリークリスマス」と告げた俺に対して違和感を訴えたある黒人

仏教徒は他の宗教・文化に対して寛大なのだと説明したかった

その時俺が苦し紛れに使った近からずとも遠からずの表現

オープン・マインド&ビッグ・ハート

うん、悪くない

でっかいハートでゆきたいものだ

太陽はでかい

道は続く

メリークリスマス!







2007年12月25日 ダーモンロンより


ホテルの廊下にも痰を吐く中国人

煙草を勧める時だけは素晴らしくスマートだ

今日もバスに座った途端に一本差し出された

「いやいや、ありがとう。俺、吸わないんだ」

言いながら窓を全開にする

クレナクテ イイカラ ミッシツデハ スワナイデネ

心の願いは届かない

バスが走り出す

ひたすら続く未舗装のボコボコ道

視界が無くなるほどに土煙をあげてバスは走る

沿道にある全てのものは真っ白になっている

とても窓を開けられる状態ではない

これから向かう町ダーモンロンは景洪の南50キロにある

その道のり50キロをバスは3時間半かけて走る

なんと時速14キロ

増田明美の方が速い

酷い悪路で終始土煙をあげながらの大揺れ徐行が続く

車内では頭痛がするほど大音量のドンチャン・ディスコ

ボリュームを下げるように頼んだが5分で元に戻った

どうやら運転手はコンポの重低音を自慢したいらしい

車内に蔓延する煙草とドンチャン・ディスコ

他の乗客たちは不快に感じないのだろうか

中国全土がこんな調子だ

気が違ってしまっているとしか思えない

中国では自らの感覚を閉じたくなる

ニーハオ・トイレは阿鼻驚嘆

この世のものとは思えないほどの凄まじい情景

まず足の置き場がない

一瞬たりとも息をしたくない空気

積もり積もって処によりギャク鍾乳洞状態

入った瞬間立ち止まり、後ずさり

そのまま立ち去った白人ツーリストを何度も目撃した

トイレでは嗅覚を塞ぎ、視覚を閉じる

今日のバスでは耳栓をしてマスクを付けた

それでも猫に小判じゃなかった山火事にションベン

「もう やめてー!」

某教団の顧問弁護士のように心で叫ぶその頃

ダーモンロン到着







2007年12月26日 ダーモンロンより


ぶっかけ飯屋のカレンダーは既に来年

赤地に大きく金字で描かれた「福」

今宵の月はとろんと黄色

小学校5年生の家庭科で茹でた卵の黄身を思い出した







2007年12月30日 ウドムサイより


行き先の決まった直通バスを途中で止め、ある区間だけ乗せてもらう

上乗せされた金額を払うのは仕方がないと思っていた

しかし提示されたのは想定していた上限額の3倍

金額を聞いた時点で交渉する気さえ失せた

更に道端で待つこと30分

ニッコリ親指を立てる

ヒッチ・ハイクは今日もイッパツ・ツモだ

バックパックを背負って荷台によじ登る

停まってくれたのは竹の子を運ぶトラックだった

中国で作られたカーキ色の無骨な軍用トラック

荷台には蒲鉾型の幌が架かっている

道が最悪だった

施された舗装が剥げてしまったガタガタの道

未舗装よりもこんな道の方が遥かに始末に悪いのだ

このトラックはよほど頑丈なのだろう

ボッコボコ道をスピードを落とさずに突っ込んでゆく

窪みを通過するたびに体が完全に浮き上がる

クッションなんて当然無い

板と鉄が敷かれただけの荷台

アフリカでの移動を思い出しながら4時間飛び跳ねた

もうふらふらだ

荷台から降りるとしばらく動けなかった

竹の子はタフだった







2007年12月31日 ルアンプラバーンより


ひとめ見た瞬間に寺さんだと思った

コールド・リバー・ゲストハウス

旅人が書き残してゆく情報ノート

丁寧で几帳面な寺さんそのままの文字で書き込まれていた

寺さんに出会ったのは2004年4月27日

メキシコ南部の町、サンクリストバル・デ・ラスカサス

その後、お互いの旅は続いた

亡くなったのを知ったのはイランのエスファハーンにいる時だった

2006年1月17日に旅先であるミャンマーにて

脳出血で亡くなったという連絡を息子さんからいただいた

その時のことは忘れられない

信じられないという気持ち

やり切れないという気持ち

寺さんはまだ旅を続けているような気がずっとしていた

でもこれを書いた人はもうこの世界にいないんだよなあ

残された文字を見ていたら亡くなったことが実感として受け入れられた

寺さんの書き込みの傍にメッセージを残した

「また旅の空で会いましょう」







2008年1月1日 バンビエンより


♪ さあ行くんだ その顔を上げて

♪ 新しい風に 心を洗おう

♪ 古い夢は 置いてゆくがいい

♪ 再び始まる ドラマのために

心では軽やかに歌うが、疲れが溜まって体は重い

ゆっくりする予定だったルアンプラバーンを一泊素通り

昨年末から4日間連続の移動となった

新しく年が改まったという実感が全く湧かない

バスを待つターミナルで坂口安吾を読んだ

うう、ぶるぶるじゃ







2008年1月2日 バンビエンより


風景は同じなのだが

取り巻くものたちが随分と変わった

以前は庶民の生活にポツポツと旅行者が交ざっていた

そんな素朴な小さな町だった

まず町の中心にあった市場が移動していた

その隙間を埋めるようにツーリスト向けの店ばかりが出来た

町中はツーリストだらけになった

川に架かっていた橋が跡形もなく無くなった

木を組み合わせて渡しただけの素朴な町唯一の橋だった

その50mほど下流に立派な橋が出来ていた

この橋を渡るには法外な通行料を払わなくてはならない

川向こうにはたくさんの村がある

野菜を売るに来るおばさん達は歩いて川の中を渡っている

ツーリストは金を払いトレッキングに向かう

物の値段が高い

露骨なツーリスト・プライスだ

値段を尋ねると誰もが口を揃えたように「テン・サウザント(10000キップ)」

他の町なら5000キップのヌードルも、8000キップのビールも、

6000キップのジャーキーも、5000キップのサンドイッチも、全てが10000キップ

ツーリスト・エリアだけならまだ話は分るが、

これは往復1時間歩いて市場へ行っても同じ

酷いものだ

まるっきり変わってしまった

これだけ観光バブル真っ只中の場所も珍しい

すぐに町を離れようかとも思った

片目を瞑っていないと心穏やかに過ごせない

そんなふうに思っていた時、ある美しさに触れた

夜明け前、市場へ向かいながら何気なく脇道に外れた

人気の無い土の道にお婆さんが座っていた

朝靄の中から黄色い列となった托鉢の青年僧が現れる

お婆さんは正座をしたままひとりひとりに頭を下げ

青年僧が差し出す竹筒に餅米を入れてゆく

それが終わると青年僧はお婆さんの脇に並び経を唱え始めた

お婆さんは聖水で道を清めてゆく

そして地面に頭をつけて一心に何かを念じている

やがて僧列は立ち去った

お婆さんは念じ続けている

その美しさから目が離せなかった

誰の為にでもなく

毎日繰り返される営みなのだろう

両目を開かれたような思いがした

俺はお婆さんに向かって自然と手を合わせていた

顔を上げたお婆さんが俺の姿を見て笑いながら何か言った

やはり両目を開けたままでいよう

自分を捨ててフラットに全部を眺めなくてはと思った







2008年1月3日 バンビエンより


5行と読まず本を閉じる

夜9時を12分過ぎていた

空である俺には空が必要だ

電気を消し体を横たえる

ゆっくりと息を吐きながら降りてゆく

からっぽになる

宇宙が訪れ通り過ぎる

歴史が訪れ通り過ぎる

やっと新年がやって来たような気がする







2008年1月4日 バンビエンより


以前あった橋を渡った所には集落があった

椰子の木に囲まれた小さな集落だ

そこを越えると空間はいきなり開ける

まっすぐな道

両側に広がる麦畑

それを取り巻くような奇岩

放牧された牛

竹篭を背負った農民が行き交う

この風景が大好きだった

裸足で歩き何度も立ち止まり写真を撮った

風景は変わっていない

でも何かが違う

そして気づいた

道に沿って電柱が立ち並んでいるのだ

基本的な景色は同じなのだが、受ける感じが全く違う

もうこの路上でシャッターを押すことはないだろう

でもこれで良いのだ

この風景の先にある村々に電気が通った

随分と暮らしやすくなったはずだ

こうやって流れてゆくのが宇宙なのだろう