旅の空からの伝言
2008年1月5日 バンビエンより
瞼を閉じると無数の太陽がある
グリーンとイエローが混ざり合う
その外殻はフラッシュ・レッド
それぞれが重なり合い点滅を繰り返す
俺の中にある数百もの太陽たち
唯一の太陽は風景を黄金色に染めながら山の端に近づいてゆく
空はブルーからオレンジのグラデーション
全てが沈黙する瞬間
やがて雲が真紅に燃え始める
瞼の太陽は急速に薄れてゆく
97枚の夕陽の写真が残った
2008年1月6日 バンビエンより
朝から元気に遊ぶ子供たちの姿が目立つ
そうか日曜日
ゴム跳び
おにごっこ
魚捕り
こちらにも活気が伝わってきて楽しくなる
可愛いなあと橋の上で見ていると
「サバイディー!キップ!(お金ちょうだい)」
二人の男の子が無邪気に手のひらを差し出してきた
むむむ
何も言わず顔をじっと見つめる
子供は少し後ずさり
更にじっと見つめ続ける
どうしたらいいんだという表情が浮かび始める
おもむろに手のひらを出してこちらも「キップ!」
子供たちは「わーっ!」と声を上げて逃げ出す
俺はそのままのポーズでゆっくりにやりと歩み寄る
子供たちは笑いながら戻ってきて俺の手のひらをパチンと叩いた
俺もパチンと叩き返した
やがてお互いに笑いながらのハイタッチの応酬となる
それを見ていた別の子供が手のひらを差し出してやって来る
今度はその手を握ったまま離さない
身をよじって逃げようとするが離さない
その子の脇の下をコチョコチョとくすぐってやる
わはははは
朝からいっぱい笑った
ああ楽しかった
2008年1月7日 ビエンチャンより
数ヶ月間の乾季を経たメコンはすでに大河ではない
流れているのはタイの近く川幅50mほど
ラオスからは数百メートルの干乾びた砂地が川まで続いている
夕陽に向かってメコンまで
歩いてゆこうとしたらぴょこぴょこぴょこぴょこ
飛び跳ねる飛び跳ねる
足元はカエルだらけ
小指の先ほどの黒いカエルで地面が埋め尽くされている
これじゃあうっかり踏み潰してしまう
進路を変えて町を歩く
ビエンチャンの夜は暗い
灯りの先に山盛りの生野菜が見えた
野菜をムシャムシャ食べ始めるとおばさんがやって来た
「あなたのために一本」
実践指導してくれた
ここは生春巻きの店だったのか
レタス、ミント、パクチー、ネギ、キュウリ、ニンニク、トウガラシ、魚のすり身
ライス・ペーパーを湿らせては巻いてゆく
美味しい楽しい美味しい楽しい
いつの間にか大皿に盛られた野菜を平らげていた
おかわり
更にもう一皿平らげる
どんぶりイッパイのパクチーも胃袋に収まった
2008年1月8日 ノンカイより
07年から08年
中国に11日、ラオスに10日間滞在
メコン河を越えて再度タイへ
ダーモンロンを離れてから直線距離で500キロほど南に移動した
強くなる陽射しに比例して日影の気持ち良さが増す
民族や習慣も文化もグラデーションを描く
食堂で出てくる食事の量も大きく変化した
中国に比べるとタイではすでに半分くらいだ
食事のスピードも全く違う
タイ人は少しの食事をゆっくりゆっくり食べる
ラオスもゆっくりだがタイ人のスピードは蝸牛の歩みのごとく
ひとくちひとくちを噛みしめる
慈しむように味わいながら時が流れる
命をいただいているんだなあ
彼らの食事を見ているとそんなことを強く意識する
2008年1月9日 ノンカイより
メコンを染めて太陽が沈んでゆく
後戻りすることのない時間が進んでゆく
俺はその中に空間となって存在している
闇の訪れ
安宿のベッド
天井の滲み
隙間から夜風が入ってくる
淀んだ昼間の熱気と混ざり合う
俺は時間そのものになって流れてゆく
2008年1月10日 ポーンピサイより
オレンジの袈裟が風になびきながら輝く
小僧たちを鈴なりに乗せたテンソウが追い抜いてゆく
田園風景の中、バスは午睡のようにのんびり走る
よく知っているメロディーが流れ出した
携帯電話の電子音が午後早い車内に溶けていった
メロディーに乗せる歌詞は忘れもしない
♪ あんなこと いいな
♪ 出来たら いいな
目指すポーンピサイはノンカイから東へ48キロ
地図にも載らないような小さな町
そんな田舎町をのんびり巡ってみようと思った
車窓には南国の穏やかな風景が続く
惜しげもなく輝くブーゲンビリア
壁板をチョコレイト色に塗った高床式の家
左手にはメコンが流れその向こう岸はラオスだ
どこでもドアかタケコプター
どちらかを選べるとしたら
ためらいなく無く俺はタケコプターを選ぶ
瞬時に目的地へ行けるのも魅力だけど
俺は過程を楽しみたい
風景を楽しみたい
生命の営みが創り出す隙間と隙間の間に限りない自由を感じる
畦道に生えた椰子が天をくすぐる
こんもりと地平に伸びた木陰では農夫がハンモックに揺られている
ポーンピサイはどんな町だろう
バスに揺られ満ち足りた気持ちで俺は思う
♪ 空を自由に飛びたいな
2008年1月11日 ブンカーンより
バスを待ちながら切なかった
「また会おう
ありがとう」
握手をしてボーイと別れた
昨夜は彼の家に泊めてもらったのだ
小さな町を歩き廻ったが宿が無い
眼前にある寺に泊めてもらえるか聞いてみようか
そう思い始めた時だった
「もし、あなたさえ、良ければ・・・」
丁寧な英語で打診してくれた
今まで個人宅に泊まることを避けていたのだが
「もし、あなたさえ、良ければ・・・」
同じ言葉でボーイの親切を受けた
一緒にいてさりげない親切に何度もありがたいと思った
同じ事を自分が出来るだろうかとも思った
バイクの後ろに跨り水が流れた跡さえ残るボコボコの赤土の道を走った
ボーイの生活は貧しかった
町から10キロほど離れた小さな集落から更に数キロ
畑の中の藪に囲まれた場所に一人ポツンと住んでいた
朽ち始めた木造の高床式家屋
「ここだ」と示されたその家は農具置き場にしか見えなかった
裸電球と拾ってきたような小さなテレビだけがあった
水道、ガス、食器、台所、冷蔵庫、シャワー
当然あると思っていたものが存在しない
窓にガラスは無く、カーテンの代わりにボロボロのズタ袋が下がっていた
トイレの脇でポリバケツに溜めた水を浴びた
夕食はボーイの友人に御馳走になった
バイクで町を走っている時に声を掛けてくれたジャッキーとパウダー
彼女達が市場へ走り、料理してくれたのだ
夜は冷え込む
ボーイが吊ってくれた蚊帳の下、板の間に横になった
朝食はお礼のつもりでこちらから誘ったのだが払わせてもらえなかった
バイクに乗せてもらいバス乗り場へ向かった
アドレスを交換した
何から何まで世話になってしまったなあと思いながら言った
「ボーイ、日本に来た時は俺の所へ泊まってくれ」
その言葉は不用意だったかもしれない
「そんなの無理だ」が返事だった
ビザや金銭的な問題で日本に行くのは無理だという意味なのだろう
タイは豊かな国だ
携帯電話で話す中学生
スクーターで学校に通う垢抜けた高校生
カフェで寛ぐミニ・スカートのOL
物が溢れた明るい市場とコンビニエンス・ストア
最近の俺はタイの発展にばかり意識が向かっていた
しかし経済的な格差はまだまだ大きかった
俺とボーイ
そして、日本とタイ
親切はありがたかった
申し訳ないような気持ちにもなった
別れた後は切ない気持ちが残った
様々な感情が俺を訪れる
どこまでも行けるんだという高揚感
時には憤り
時には妬み
そんな揺れた心の中に真実は隠されている
これから歩く道が見え隠れしている
2007年1月12日 ナコーンパノムより
彼方前方の道端に小山のような荷物がある
陽射しを避けてバスを待つ人
それを確認すると車掌はステップから半分以上体を乗り出して風を切る
ドライバーがスピードを緩め始める
バスがまだ止まらない間に、車掌は勢い良く飛び出してゆく
その瞬間が彼の人生だ
乗客がバスに上がるのを手伝い
テキパキと荷物を積んでゆく
口笛で合図を送り、動き出したバスに飛び乗る
彼はすでに充分じいさんと呼べる胡麻塩頭
容姿からは違和感を覚えるほどその身のこなしは爽やかに軽い
陽に焼けた顔
深く刻まれた皺
空いている適当な座席に腰掛け
前席の背もたれに両肘を預ける
訪れる煌きを待つ
輝きだけが少年のままで
恍惚と流れる風景を見つめる
彼の瞳には何が映ってきたのだろう
流れゆく風景に自由なる喜びを感じる
いつの間にか通り過ぎた1歩は永遠にもなりうる