旅の空からの伝言
2008年1月28日 コーンケンより
言葉をひっくり返したり、隠語で話してみたり
いわゆる業界用語に感じる下品な特権意識が好きじゃなかった
その中で唯一気に入っていた言葉がある
「クリビツテンギョウ!」
驚いた時に使う
大げさな響き、イキオイのある語感
口にするだけで楽しい気分になる
ラオスの「おいしい」は「セップ」
続いて「ライ・ライ」を付けると「とても美味しい」になる
「セップ・ライ・ライ!」
これも楽しい
語呂が良い
タイでは「アロエ・マック・マック!」が同じ意味に相当する
食事のたびに料理してくれた人に伝えたい
言葉にしただけで楽しい気分になる
「アロエ・マック・マック!」
「セップ・ライ・ライ!」
言われた方も、きっと嬉しい
食事が終わった時、元気良く伝えることにしている
更にもうひとつ
好きな言葉
なにかを頼まれた時は力強く答えたい
「お茶の子さいさい!」
今、再再再再再再再度メコンを越えてタイにいる
2008年1月29日 スコータイより
とうとう靴を手放した
暑いアジアに来るたびにどうしようかと思ってしまう
南米やアフリカではどんなに暑くても移動のたびに靴を履いていた
走って逃げなくてはならない
蹴りをいれなくてはならない
いつなんどき思わぬ事態に陥るか分らないからだ
その点、アジアは楽
まずサンダルで充分
この靴はイランで買った
まるまる2年、ずいぶん長いこと一緒に旅したものだ
日本から穿いて出発した最初の靴を手放したのはマレーシアだった
カバス島のバンガローに置いてきた
その後、タイ・カンボジア・ベトナム
ビーサンで旅をした
山道を歩くためハノイで買った靴は30分でソールが剥がれた
結局サンダルで北ベトナムの山道を歩き中国で再度購入
この時まで靴だけは良いものを履くようにしていた
安物の靴はこれほどまでに歩きにくいのかと感心した
靴を物色しながら、チベット・ネパール・インド・パキスタン
イランに入りエスファハーンの靴屋で20ドルで買った
以来長い付き合いだった
モティシャケラン?
ペルシャ語のありがとうがイマイチ思い出せない
コップンカップ!
ムーチョ・グラシアース!
アディオース!
2008年1月30日 チェンマイより
再びのチェンマイ
読むこと
書くこと
飲むこと
そして泰然と世界で呼吸すること
2008年1月31日 チェンマイより
手品師
タクシードライバー
番頭
陶芸家
朗読者
ベビー・シッター
ホルモン焼き屋
八百屋
さあ、日本で何をやろうか
などと考えてはみるが上手く像を結ばない
俺は俺である
以外現在は何者でもない
だから何者にでもなれる
かもしれない
ギャンブラー
郵便配達
禅坊主
植木屋
釣りキチ
ディスクジョッキー
スタイリスト
翻訳家
墓守
ピアニスト
革命家
蕎麦屋
何をやろうかと考えるのは漠然とした不安を含みつつも楽しいものだ
しかし何をやろうかとあれこれ思案するものの
具体的には見えてこない
確信を持って分っているのは何をやるかではなく
どうやってやるか
自分に合っている
自分に向いている
そういったものは今はどうでも良い
大切なのは社会が必要としているかどうかだと思う
それを一生懸命やりたいと思う
音楽が鳴り止んだ時に前にある椅子にポンと座れば良い
さあ、何をやろうか
ロックン・ローラー
市議会議員
ほか弁
駄々っ子
ペンキ屋
講釈師
珍奇男
靴磨き
F1レーサー
ちんぴら
アイドル
飲んだくれ
2008年2月1日 チェンマイより
正午前後には町から日陰が消える
暑い陽射しを避け
歩く場所を求め遅めの昼食
持ち込んだビールにさえグラスを出してくれる
グラスには氷まで入っている
こだわりも計算もない親切
これはタイ、ラオスを通じてどの食堂、屋台でも同じである
親切心も
氷のグラスも
親切で出してくれたのだからとそのまま氷のグラスにビールを注ぐ
最近気づいたのだがタイのビールは6.4%とアルコール度数が高い
ビールのオン・ザ・ロックにも慣れた
ラーメンに砂糖を入れるのにも慣れた
コーヒーに砂糖を入れるのには未だ抵抗がある
少し長くなった日陰を踏んで宿へと戻る
市場ではほとんどが店じまい
残った野菜売りのおばちゃんは日除けの下でコックリ居眠り
俺が酒屋の前を通ると「アーチャ、アーチャ」と声が掛かる
これはいつも飲んでるビールの銘柄である
2008年2月2日 チェンマイより
戦前、国民学校の教科書はアカイで始まったのだそうだ
アカイ
アカイ
アサヒ
アサヒ
そして、戦後第1号の教科書
おはな
かざる
みんな
いいこ
ちなみに俺小学校1年時こくご
あさ
あさ
あかるい
あさ
以下は本日のチェンマイ
あめ
あがる
そら
あおい
2008年2月3日 チェンマイより
いつものテーブル、いつものソムタム
今夜はビール2本
若いフランス人がガヤガヤと戻ってくる
目の前にドカッと座り、
「俺たちは魚みたいだ!」
買ってきた焼き魚をテーブルに放り出す
俺は呟く
「魚に川の流れは変えられない」
昨日やって来たふたりのフランス人はこの宿に来てから出会ったらしい
ずいぶんと賑やかになってしまった
「長くいるのか、ここは静かで良い宿だ」
「どこに行った?」「どのくらい旅してる?」「金はどうしてる?」
「どこの国から来た?」「日本のどこだ?」「仕事は?」「年齢は?」
そんな話は吹き飛ばす鼻毛
沈黙の鋭利を埋めるだけの会話が好きになれない
沈黙の清らかさを愛せない者に心の声は聞こえない
食事を済ますと早々に部屋へ戻った
ドスドスと枕元が揺れて目が覚めた
今日、階下から向かいの部屋に移ってきた英国女性が外出から戻ってきたのだ
高床式家屋に手を加えた古い木造の宿
天井は高く風通しは良いが、声は筒抜け足音は高らかに響く
コンクリートに住み慣れた者には想像力と思いやりが必要だ
昼間から気になっていた彼女の歩き方
美人だけれど美しくない
ふたりのフランス人がやって来て廊下での立ち話が始まる
踊り場に移ったがこの場所も俺の部屋からは板一枚向こう
部屋の中で話されているのと何ら変わらない
思いやりと想像力
それは俺自身にも必要な資質だろう
話したい人は話せば良い
しかしやがて午前1時を過ぎた
子供たちも一緒に住んでいる
やれやれ
俺は布団から抜け出し蚊帳をくぐる
声色を変えず顔色を変えず目を逸らさず伝える
1度目は「ビー・クワイエット・プリーズ」
2度目は「アイ・キャント・スリープ、スモール・ボイス・プリーズ」
3度目は「シャラップ、ゴー・アウト」
やっと夜が始まった
こそこその話がやがて高くなり
ピストル鳴りて
人生終わる
石川啄木「一握の砂」より
2008年2月9日 チェンマイより
ほう
そうなのですね
どこどこへ行った
たくさんの国へ行った
そんなものは俺自身ではない
だから良いのです
心も宇宙も膨らんでいるのです