旅の空からの伝言


2008年2月15日 チェンマイより


「人生とは?」

俺に問いかけたのは卒業旅行の大学生である

旅先で出会う人ごとに聞いているのだそうだ

即座に「のり弁」と言いかけたが

いやまて

同じテーブルに外国人もいたので英語で答えることにした

「ライフ・イズ・ライフ」

スイス人に鼻で笑われた

「ライフ・イズ・ライフ?」

そんなのナッシングよ、ここにビール瓶があるでしょ、これは何ですかと聞かれた

あなたはビール瓶だと答えた、ナッシング、意味がない

これだから西洋人は困る

俺は仏様の微笑みを思い出しながらただ笑っていた

答えはエブリシング

意味がないという意味がある







2008年2月16日 チェンマイより


カオリは7年前の卒業旅行で台湾へ

そのまま戻らず台湾で日本語教師として働き続けた

彼女に会ったのは昨年のチベット

カイラス巡礼後、インドを半年ほど旅する予定にしていた

しかし巡礼後、さっぱり気が済んだらしい

そのまま7年振りの日本へと向かった

そのカオリからメール

外から見た日本は一枚の絵のように美しい

数年ぶりにその中に入った

上手くはまらないパズルの一片のように自分を感じた

さあて

俺も向かう

コンビニ荒野日本

どんな風が吹いて来るだろうか







2008年2月17日 チェンマイより


魚はいつも旅してる

雲はいつも旅してる

いいじゃねーか

さあ、もう、ここらで、終わり

ちゃぶ台をひっくり返し

座布団を放り投げ

俺はトンビになって舞い上がる







2008年2月18日 メーサイより


チェンマイから北に235キロ

ミャンマーと国境を接する町

タイ最北端の町でもあるメーサイに着地

10年前にも訪れたという日本人旅行者と立ち話

「全然変わっちゃったよ、もう普通の町、面白くないね」

いやいやいや

そんなことはないだろう

国境の町らしく充分にいかがわしい喧騒と雑踏

ぐるっと歩く

数軒のムスリム食堂があった

ひさびさに食べるタイとは全く違うイスラム圏のカレー

ビリヤーニ

食堂の片隅には洗面台

ムスリム達は信仰の一部であるかのごとく食前食後に必ず手を洗う

修学旅行らしきタイの学生も多い

ミャンマーに行って戻ってくる

国境を越える行為やイミグレーションでの経験にも旅行の意義があるのだろう

50バーツ(約170円)の腕時計に学生が群がって飛ぶように売れている

誰かひとりが買うと他の者も我も我もと欲しくなる

典型的な集団心理

国旗がプリントされたチープなTシャツ

漢字で表記された中国製のお菓子

ミャンマーの通貨も土産物として売られている

タナカというミャンマーならではの白粉を塗った女性も見かける

ロンジーを纏った男も見た

タイではまず見かけないほど肌が黒い人

アーリア系の彫りの深い顔立ちの人

インド人もいる

ベールを被ったムスリムの女性もいる

相変わらず大声で話しゴミを撒き散らす中国人団体旅行者

「ハッパ、タイマ、ヤスイ、オイシイ」

やはり国境の町は面白い

今度はイミグレーション前にドカッと腰掛け定点観測

18時になるとゲートが閉じるのだろうか

30分前くらいからミャンマーへと向かう流れが目立って増えた

ペラッとした水色のパスポートを持って自転車に乗ったまま国境を越えてゆく

リキシャーや屋台も国境を越えてミャンマーへ向かう

野菜を背負ったおばさん達

ゲートが閉まると町は急に静かになる

日帰りで国境を越えタイで商売をしている多くのミャンマー人がいることが分った

尚も座っているとタイ国歌が流れ出した

どんな時に流れるのかは分らないのだが、タイにいると時々こんなことが起こる

国歌が流れ出すとタイ人の動きがピタッと止まる

ビデオの一時停止ボタンを押したかのような状態が現実の世界に起こる

自転車もバイクも車も走っていたその場に止まる

よく事故が起きないものだと思う

国歌が終わるとまた何事も無かったかのように動き出す

面白い

メーサイ、今日一日、面白かった

楽しめるかどうか

旅は旅行者独自の視点の発露だ

楽しめなかった彼は御愁傷さまでした

楽しめた俺は幸いでした







2008年2月19日 メーサイより


宿のベランダで朝食

薄紫に輝く玉

石榴一粒、零れ落ちる

摘み上げて蟻の通り道へ

指先を押し当て力を加える

果実、砕ける

果汁、弾ける

蟻、大騒ぎ、わらわら、群がる

ベランダから見下ろす人の道

物乞いの家族が歩いてくる

セブンイレブン前が彼らの縄張り

お母ちゃんは襷に掛けた赤子に乳をやり

周りで子供たちが「マニー」と無表情に掌を差し出す

お母ちゃんを囲んで4人の子供、同じ顔

仕事中には見たことのない楽しそうな笑顔で歩いてくる

良いものを見たと思った

小さな女の子の顔が突然パアッと輝いた

ある家の中に入ってゆく

祭壇に供えられた蜜柑を掴んで家族に戻った

嬉しそうに手にした蜜柑を姉妹に見せている

良い笑顔だった

クワガタ捕りが好きだった

見つけた瞬間の自分もあんな顔だったろうな

俺とクワガタ

女の子と蜜柑

蟻と石榴

あの瞬間、世界に存在したのは唯それだけ







2008年2月20日 メーサイより


上半身ランニング

裸の大将が坂道を降りてきた

杖を突きながら、道行く人に手のひらを差し出す

向かいの洋品店店頭で若い女性に追い払われ

それを見て子供たちが指差して笑う

俺はビールを注ぎ足し、パッタイを喰らう

昼下がり

鳥のさえずり

顔を上げると目の前に大将がいた

どこから調達したのか空のグラスを握り締めている

卑屈でもなく

へりくだるでもなく

俺の前に突き出されたグラス

「まあ これも何かの縁だわな」

ビールを注ぎ、氷もカランと落とした

俺の前に立ったまま

舐めるようにビールを飲む裸の大将

最後の一滴を乾すと何も言わずに立ち去った

「まあ これも何かの縁だわな」

もう1度呟いた

道で遊ぶ子供達から熱い視線が俺に集まっていた

ビール瓶を掲げる

いっぺやっぺ!







2008年2月21日 チェンセーンより


道路で魚が俺を見ていた

メーサイから、乗り合いトラック、52キロ

「ここがチェンセーンだ」

バックパックを背負い上げ歩き始めると間もなく

横切る道路に魚がいた

30センチほどの立派な魚体

俺を待っていたかのごとく真中に横たわっている

周囲を見回せど魚の存在に気づいている者はいない

走ってきた車を左手で制し、道路から魚を掴み上げる

体を捩ってピチピチと俺の右手からイキオイ良く飛び出した

まだまだ元気だ

今度は遠慮なく力を込めてエラの辺りを掴んで持ち上げた

何度でも飛び出そうとする生命力を感じる

さて

知らない町

着いたばかり

思いがけず手の中に新鮮な生きた魚

ぬめり

生臭い匂い

バックパックを背負い、魚を片手に俺は立っている

焼き魚として買えば50バーツは下らないだろう

近くに炭火を熾している屋台はないか

口から香草を突っ込んで焼いてもらおう

歩き出すと道端にいたお婆さんと目が合った

穏やかな微笑みに「これ、あげましょうか」と差し出した

お婆さんは東を指さした

笑みを湛えたまま「メコン」と言った

そして魚を流れに離して、拝む仕草をした

「逃がしてあげなさい」と言うことか

それは良い案だ

俺は喰うことしか思い至らなかった

魚が俺を見ている

良かったなあ、おまえ

功徳を積ませてもらうことにするよ

流れに放つ刹那

白い腹を浮かべた姿が思い浮かんだが、まさに水を得た魚

鮮やかな命の躍動

瞬間的に流れに消えた

目に映るのは濁ったメコンの流れ

空は深く

風は青く







2008年2月23日 チェンセーンより


メコン沿いの道

携帯電話で話しているオジサン

その横には息子らしき小さな男の子

公衆電話の受話器を耳に当て、楽しそうにおしゃべりをしている

「おい、誰と話してんだよー」

日本語で声を掛けた

男の子は恥ずかしそうに笑うとお父さんの陰に隠れた

ラインは繋がっていなかった

可愛いなあ

誰と何を話してたのだろう

改めて子供の凄さを思う

公衆電話の受話器を耳にあてる行為が遊びにも大冒険にもなり得る

未経験ということは新しい視点の開拓

時に経験は残酷だ

巻貝から海を聞くように

俺も受話器をそっと耳に当ててみようか

何か聞こえるかもしれない







2008年2月24日 チェンコンより


同じテーブルについたオランダ人カップルが口々に言う

「きゅうどう!きゅうどう!」

「えっ?きゅうどう?」

「イエス!きゅうどう!」

なんで、また・・・

その言葉はさっきまで俺の頭の中だけに存在していたはずなのである

いつもの如く屋台でビールを飲みパッタイを喰っていた

目の前はのんびりした午後の市場

チェンライ行きのローカル・バスが通り過ぎる

乗客はひとり

なぜか「求道」という言葉が思い浮かんできた

それを使ってオリジナルの四字熟語を作ってみようなどという

他愛も無い試みを頭の中で繰り広げていた

求道 弓道

剣道 面胴

悪徳 拾得

二宮 損得

完成には程遠く愚にもつかない言葉遊びに終始していた

その時「ここに掛けて良いか」と声をかけられたのだ

見るからに旅慣れている老カップル

男性60代、女性50代

俺が日本人であることを伝えると突然「きゅうどう」と言い出した

「えっ?きゅうどう?」

「イエス!きゅうどう!」

女性の方がニコニコとアルバムを取り出した

あるページを開いて俺に渡す

それぞれが袴を身に着けて弓矢を引き絞っている写真がファイルされていた

まさに「きゅうどう」

数年前、日本を旅した時に弓道が好きになり、しばらく名古屋で習っていたのだそうだ

確かに弓道

ちげーねー

しかし、なぜ、また、どうして?

この広い世界で、このタイミングで、オランダ人が、きゅうどう?

ポルケ?







2008年2月25日 ルアンナムターより


だから

そんなもんで

いいじゃないの

HAPPYで

HIPPYで

TOGETHER


サザン・オール・スターズ「ジャズ・マン」より







2008年2月26日 ルアンナムターより


旅の中に旅の命あり

再訪の中に再訪の命あり

ルアンナムターはルアンナムターにあり

俺は俺であり







2008年2月27日 ルアンナムターより


まだまだ

そんなタイトルが付いたメールが3通並んだ

日本はまだまだ寒い

旅はまだまだ続く

結婚は決まったがまだまだ先の話

それぞれそんなまだまだを含んでいた

俺もまだまだ







2008年2月28日 ルアンナムターより


平成20年なのだそうだ

それを聞いて愕然としてしまった

いつの間に・・・

10年ひと昔とは言うが

半紙に書かれた「平成」と言う文字

あれが掲げられてから既に20年になるのか

ということは、あの時、俺は20歳だったのだ

60年をひと巡り

60歳で赤ん坊に還ってゆくというのが還暦の考え方

ということは30歳が頂点

40歳である俺は少し還って、現在、20歳という訳だ

次がナインティーンで、セブンティーンはこれからだ

まだまだ青春

これから青春

還暦を迎え2周目を走り始めた友人もいる

まだまだ俺も走り続けないと