旅の空からの伝言
2008年3月1日 ムアンゴイ
いつ以来になるだろう
カメラのデータをチェックした
そして気付いた
先月は9枚しか写真を撮っていなかった
全て蟻の写真
2008年3月2日 ムアンゴイ
ムアンゴイへのバスは無い
ノンキャウから約2時間
船で川を遡るのが唯一のアクセス
宿の裏では小船の製作中
陽が落ちると急激に冷えてくる
一日の終わり
男たちは削り木を燃やし焚き火を囲む
夜が更け
焚き火の跡で犬が眠る
2008年3月3日 ムアンゴイより
チェンマイで手に入れた文庫本
二度読んだので置いてゆこう
背表紙の裏に記した
本日、1676日目の長い旅の途中
TaLee Guest Houseへ
マムの笑顔へ寄贈
オススメは「富嶽百景」
風に吹かれ、ハンモックに揺られ、ウー川を眺め
富士を想うのも、また一興
2008年3月4日 ディエンビエンフーより
二十三時に鳴きだした鶏
一羽始まるとアチラコチラから大合唱が起こる
明けるはず無き深夜に「コケコッコー!」が響き続ける
思い出すチベットの荒野
迷っていた先頭の山羊が飛び出した
車が止まらなかったら二頭目以降は轢き殺されるタイミング
しかし迷うことなく次々と飛び出してくる
土煙を上げ
延々と群れが轍を横切り続ける
いったいどこまでどれだけが自身の判断なのだろう
人間も同じようなものだ
スカートの丈然り
ダイエット然り
戦争然り
2008年3月5日 河口より
ただ疲れた
とても疲れた
ゆっくり休みたい
「欲も憎まず、人も憎まず」
2008年3月15日 元陽より
ぽかんと開いた
俺の心
そこには一匹の鬼が巣を張っている
その巣の上で
その巣の上で
何という虚無だろう
俺を喰らっているのは俺だ
喰いかけの腐った屍を握っている
その鬼が俺だった
2008年3月19日 元陽より
私自身、ダライラマ個人として、私の未来に何ら関心はない
ダライラマという制度にも関心はない
ダライラマという制度は人が創り出したものでしかない
長い年月、人々はダライラマという制度になんらかの有用性を認めてきた
というだけのことである
だからこそ、この制度は生き残ってきた
もし、ダライラマの制度が過去の遺物となり時代にそぐわないと、
人々が判断するなら、それはそれでいい
自動的にこの制度は消滅するだろう
私はその存続にいかなる努力をする意志を持たない
もし、私のこの命があと数十年ばかり続き、
もし、人々がダライラマの制度を不必要と感じるようになったら、
それはそれまでのことである
私は最後のダライラマになることに、いかほどの痛痒も覚えないだろう
私は一個の仏教徒であるのみだ
人間は本来すばらしい知性と情感を有している
このふたつが相携えて働くなら、正しい方向に向かって進むなら、
人類愛や慈悲心がそこには湧き出てくるはずである
本当に大切なことはそれだけだ
昨年8月、ラサ滞在時に読んだダライラマ14世インタビューからのメモ
2008年3月21日 猛品より
アタマがカンガエル
シコウがコンガラガル
カラダがウゴカナイ
ココロがナミウツ
ヤミがシミコム
アスがミエナイ
アスはワスレル
2008年3月26日 那発より
慎ましく食べ
慎んでしゃべる
そして誰も傷つけない
ホピ族の格言
2008年3月27日 金平より
世界に向かって「ハロー」
なんつって手を振る
ラブリー
ラブリー
こんな素敵なデイズ
小沢健二「ラブリー」より
2008年3月29日 屏辺より
ただ目的だけをせわしなく求める目には
さすらいの甘さはついに味わわれない
森も流れも
あらゆる途上で待っている一切の壮観も
閉ざされたままだ
これからはさらに旅を味得しなければならない
瞬間のけがれない輝きが
あこがれの星の前でも薄れることのないように
旅の秘術は
世界の輪舞の中に加わって共に動き
憩うている時にも
愛する遠いかなたへ向かって
途上にあることだ
ヘルマン・ヘッセ 「旅の秘術」より
2008年4月7日 羅平より
汗ばんだ背中を浮かせる
ビニール張りのシートとの間に隙間を作り風を通す
この数日で随分と気温が上がってきた
バスは緩やかな丘陵地帯を走る
麦畑の緑がうねる
花を終えた菜の花畑の緑がうねる
驟雨のように降り注ぐ光
その光を跳ね返しながら緑がうねる
光が躍動する
何処にも属さない季節の輝き
バスが走る
2008年4月10日 羅平より
宇宙に触れるように
海を抱きしめるように
原子に口づけるように
流れに身をまかせ
千の夜を越え
胸を開いて
心を見つめて
旅を続けよう
2008年4月12日 香港より
前回、香港を訪れたのは2000年のこと
その時のことで一番印象に残っているのは元気なフィリピーナたちの姿
週末になるとスターフェリー乗り場の周辺が彼女たちで埋め尽くされる
彼女たちは香港で働くお手伝いさん
週末には仕事も居場所もなく、この場所に集まって来る
広場に新聞紙を敷き、ジュースを飲み、おしゃべりに興じる
100近いグループが出き、繁華街のド真ん中でピクニックのように過ごす
あるグループに呼び止められ、お互い拙い英語で話した
「あたし、知ってる日本語あるよ」
「なに?なに?」と促すと、彼女の口から出てきたのは
なんと!
「ジブンノコトハ、ジブンデ!」
これには大笑いしてしまった
いったい誰が教えたのだろう
意味は分っているのかな
「ジブンノコトハ、ジブンデ!」
お互いに何度も言い合って何度も笑った
そのやり取りをキョトンと見ていた周囲のフィリピーナたち
やがて口々に真似し始めた
広場の一角が「ジブンノコトハ、ジブンデ!」の大合唱になった
自分のことは自分でやろうとする意志
自分の出来ないことは素直に認める勇気
その間を揺れながら日々は流れる
異国で逞しく笑う彼女達を見ていると、その真ん中を歩き続ける力が湧いてくる
2008年4月13日 香港より
カチカチカチと小刻みな音を発する青信号
香港の信号は忙しい
この街のスピードを象徴している
誰もが目的に向かって真っすぐに歩く
ゆっくりした自分のペースでは、どうも歩きにくい
周囲に合わせてスタスタスタ
早足で歩いていると、どういう訳か気持ちまでが急いてくる
この群集は何を考えているのだろう
規則正しく表情のない人たち
赤信号を渡る者は俺以外誰もいない
どうも調子が狂う
すれ違いざま
お尻をポンと叩かれた
なんだ、なんだ
3、4歳くらいのインド人の女の子
知らん顔して人ごみに紛れていった
うーん、臭ったか
穿いてるズボンはインドで買ったものだし、
先程の食事はサモサで済ませた
まあそれよりもこんな推測が当たっているような気がする
「お互い歩きにくいけどガンバロウゼ」
そんなインドからのメッセージ
2008年4月14日 台北より
台湾に着いた
夜市を歩く
甘い匂いが漂ってくる
クレープ屋でもあるのだろうと進む
売っていたのは今川焼き&どら焼きだった
寿司、天ぷら、刺身は一般的に食べられている
サカリバと呼ばれるエリアもある
街には「日本」や「日式」(日本風)といった文字が溢れている
「三越」 「寿楽」 「ダイソー」 「和民」「大戸屋」
聞こえてくる「はい はい はい」という相槌
駅前留学のNOVAでは英語と並び日本語が学ばれる
日本という国に確実に憧れを持っている人が存在している国
街を歩いただけで、それを感じるのが台湾だ
若者のファッション・センスも日本と変わらない
今日一日ぶらぶら歩いただけで現地の言葉で3度道を聞かれた
中国(大陸)には200日以上滞在したが、そんな経験はなかった
中国では完全に異邦人、台湾では溶け込んでいる
日本が近づいてきた
2008年4月18日 台南より
この旅の最長滞在国はぶっちぎりで中国
滞在日数は200日を越えた
(とはいえ訪れたのはチベット自治区、ウイグル自治区、雲南省のみ)
その割には中国語が覚えられなかった
香港に入った時の変化は大きかった
漢字だらけの世界に英語が併記される
そのことによって分らなかったいくつかの中国語が理解出来た
地下鉄に乗った
「Priority Seat」は「博愛席」
なるほど
台北のモスバーガーの入り口には黒板が立てかけてあり
店員のメッセージが書かれていた
「我加油」
その横には日本語で「がんばります」と書かれていた
なるほど、なるほど
高校生の時の雑然とした汗臭い部室を思い出した
落書だらけのロッカーには「酒はガソリン」とも書かれていた
今日も我加酒
ガソリンをくれ
アイム・オン・ファイアー
そして、がんばりません
2008年4月19日 台南より
台湾では台湾のことを台湾とは言わずに中華民国と言う
食料品の賞味期限は97年○月○日と表示されていることが多い
思い切り期限切れじゃないかと思っていたのだが
これは西暦ではなく中華民国が出来てからの年数
1911年の辛亥革命に始まり今年が97年
通貨に記された発行年度もこの年号が用いられている
1000圓札のデザインは地球儀を見つめている子供達
500圓札は歓喜と共にグローブを放り上げている野球少年達
100圓札は孫文
どれも好感の持てるデザインだ
2008年4月21日 台南より
たんまりと血を吸われ
痒くて眠れん
午前3時
どこからか聞こえる
リコーダーで吹くラブ・ミー・テンダー
俺は鏡に映ったコーヒーカップに手を伸ばす
2008年4月22日 台南より
パスポートに押されたスタンプを数えてみる
その数、257個
貼り付けられたビザは31枚
よくぞこんなに旅したものだ
残りページこそないがスペースを詰めれば
なんとか20箇所ほどはスタンプが押せる
のべ10カ国
ビザを取らずに動くにはどんなルートが考えられるだろう
さて何処へ行こうなどとついつい考えてしまう
2008年4月23日 台南より
峠は決定をしいるところだ
峠には決別のためのあかるい憂愁がながれている
峠路をのぼりつめたものは
のしかかってくる天碧に身をさらし
やがてそれを背にする
風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいってゆけない
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける
峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
みちはこたえない
みちはかぎりなくさそうばかりだ
峠のうえの空はあこがれのようにあまい
たとえ行手がきまっていても
ひとはそこで
ひとつの世界にわかれねばならぬ
そのおもいをうずめるため
たびびとはゆっくり小便をしたり
摘みくさをしたり
たばこをくゆらせたりして
見えるかぎりの風景を眼におさめる
真壁 仁 「峠」