インドの列車は「これがホントに動くのか?」と心配になるような鉄の固まりだ。

それが、えんえんと一キロ以上続いている。


発車が2,3時間、遅れるのは当たり前。

どのホームから出るのかも、当日にならないと分からないという。

とりあえず始発駅で良かった。


ホームは人々で溢れかえっている。

引っ越しをするかのような、たくさんの荷物を持った人達が

いたるところに座り込んでいる。


どの車両に乗るのか、さっぱり分からない。

リーさんがインド人に聞きながら、どんどん進んでいく。

その後を見失わないように小山田さんとついてゆく。


乗る車両があったようだ。

いたるところにいるインド人をかき分け席を探す。


席が見つかると、まず、持参したチェーン・ロックで荷物を座席にくくりつける。

これがインドを旅する常識なのだ。


寝台は上中下と縦に3つあり、それが向かいあっている。

一番下の寝台が昼の間、座席になり、真ん中のはたたんである。

つり棚の位置に一番上の寝台がある。


ミネラル・ウォーターを買ってきて、しばらくすると、ゴトンと列車が動き出した。

「おー予定通りだよ」と小山田さんが、ちいさく拍手していた。


列車のスピードは、ものすごく遅い。

動き始めた頃は、歩いた方が速いくらいだ。

発車の合図が全くなく動き始めるので、このくらい遅くないと乗り遅れてしまうのだろう。













列車の中は、やはり暑かった。

天井に扇風機が付いていて、かろうじて空気が動いている。

ちいさく開いた窓からは45度の熱風が入ってくる。


座席指定を取っていないインド人も同じ車両に所狭しと乗っていて

すこしでも隙間があるとズケズケと座ってくる。

上の寝台にもインド人が乗っている。

夜になったら、どいてもらわないと。

物乞いも車内を廻ってくる。


座席の向かいには、2人分の席しか予約してない

インド人の家族が5人で座っていた。


3人の子供がかわいい。


車内はすごいホコリで、時間が経つにつれて

シャツやタオルが明らかに黒くなってゆく。


駅に着くたび、インド人達は、水道で水を汲むため、急いで列車を降りる。

列車は、何の前ぶれもなく、ゆっくりと動き始める。

開いたままの入り口に飛び乗る。


ミネラル・ウォーターで少しずつ水分を補給する。

予定では17時間の移動。

東京から大阪まで新幹線で数往復できる時間だ。



窓際のリーさんに席を変わってもらい車窓から写真を撮る。

線路脇に立って、通り過ぎる列車を見ている大人達。

手を振る子供達。

ちいさい頃の自分も、あんなだったなと思う。

貨物列車の車両を、よく数えてたっけ。













向かいのインド人のお母さんから食べ物をもらった。

ちいさな丸いドーナツのようであった。

「ナマステ!」

中にはカレーとスパイスが混ざったような物が粉のまま入っていた。

ものすごく辛い。

外側はパサパサで飲み込むのに苦労した。

なるべく、おいしい顔で食べようとしたが、正直つらかった。

リッティーと言う食べ物らしい。


これがこの日初めての食事だった。

小山田さんが胃腸薬をくれた。


4時間程経つと気分が悪くなり、普通に座っているのも、つらくなってきた。


上の寝台にいたインド人が、ある駅で降りたので

そこに横になることにした。

眠ってしまおう。





人が動いている気配で目が覚めた。

汗をかいていた。

時間は午後九時を過ぎていた。

車内は、ずいぶん暗くなっている。

まわり中が真ん中の寝台を下ろし、寝る用意を始めていた。


小山田さんと場所を変わった。

女性が上の方が安全だろう。


車内はだんだんと静かになってゆく。

横になったまま見上げる窓の外には月が見えた。

細くもなく丸くもないただの月。


もう二度と会うことの出来ないであろう人を思い出す。

お互いに月を見るのが好きだった。

きれいな月が出ていると、教えてあげようと電話をかけた。

そのままベランダに出て、とりとめのない話をした。


いつの間にか日付が変わる。

4月29日。


深夜にも何度か駅に停車した。

かすかに灯る明かり。

その外側の深い暗闇。

向かいのホームには、何をするでもない人々がぼんやりしている。

生気のない老人がしゃがんだまま用をたしている。


もの悲しい風景を後にして列車は走る。

何度か眠りに落ちる。


午前4時くらいには鳥がさえずり始めた。

あたらしい一日が始まろうとしている。


あと数時間で、長かった列車の旅が終わる。