2001年9月2日。

粟国島に渡る。

粟国島は沖縄本島の北西60キロに位置する小さな島。

那覇から一日一便の船に乗り、約二時間半で行くことが出来る。



船の揺れに身を任せて水平線の彼方を見ていた。

いつの間にか、うとうと眠っていたようだ。


視線を海に移すと、海面を何かが飛び跳ねている。

イルカだ!

3頭ほどのイルカが、船に併走しながら飛び跳ねていた。

初めて見る野生のイルカ。

こんな所で出会えるとは思いも寄らなかった。

船内の人々は、気づく様子もない。

しばらく併走していたイルカはだんだん遠ざかり、その姿は、やがて見えなくなった。


全く予期していなかった出来事で、初めは自分の目を疑ったが、本当のイルカだった。

やったー見ちゃったよ。

粟国島への訪問を、イルカが歓迎してくれたような気持ちがした。








船の先端に移動してみた。

少し高くなって、進行方向を見渡すには、もってこいの場所も

大きく揺れて、正面から風を強く受ける為、たった一人の先客がいるだけだった。


それが中程さんだった。

中程さんは、白髪まじりの髪をオールバックにしていて

沖縄の人特有の彫りの深い顔立ちで、俳優でも通用するくらいの雰囲気を持った人だった。


風を受けて遠くを見つめる中程さんとポツリポツリ話した。

言葉にはウチナンチューのアクセントが強くあった。

中程さんは那覇に住む彫刻家で、奥さんの実家が粟国島にあるのだそうだ。


少しずつ島影が見えてきた。

映画「ナビィの恋」の冒頭のシーンで見た島が、目の前で、ゆらゆらと揺れている。

映画で流れていた、マイケル・ナイマンの切ないピアノの旋律が蘇る。

ホントに此処までやって来たんだ。

「ナビィの恋」を見た時から、粟国島に、どうしても来てみたかったのだ。


「この辺りで海流が変わるよ」

彼方の島を見つめたまま、中程さんが言った。

船の揺れが縦に大きくなった。

どーん。

水しぶきが、大きく跳ね上がる。

左手には尖ったシルエットの、渡名喜島が見えている。

船は上下に揺れて、軽く水しぶきがかかる。

先程から、この場所には、中程さんと自分だけだ。


「夜、遊びに来くると良いよ」

沖縄の社会は旧暦で動いている。

今日はちょうど、旧暦の送り盆の日なのだそうだ。

たくさんの人が帰省して、島の人口は、普段の二倍から三倍になるのだそうだ。

そして各々の家庭では、盛大に御先祖さまを送り出す。

「なかなか見れないよ。すごいから。それから飲もう」

中程さんは、口頭で家の位置を教えてくれた。







モーターの音が大きくなる。

港が近づき船はスピードを落とす。

船員が太いロープを陸に向かって投げた。


ああ、本当に、やって来たんだ。


宿に荷物を置くと、島を自転車で走った。

陽ざしが強い。

ビールを買って、道ばたに座り込んで飲んだ。

車のクラクションが鳴った。

見ると、中程さんだった。

「夜、来なさいよ」



宿で夕飯を食べ終わると、教えてもらった家に向かった。

「農協の前の道を海に向かって真っ直ぐ。
突き当たったら左に曲がって、右側三軒目」

月光に照らされた、背の低い石垣が続く道を歩く。


「よく来たね」

庭に置かれたテーブルで、近所の人も集まって、既に酒盛りが始まっていた。

泡盛を一杯飲むと、中程さんは仏壇を見せてくれた。


そこには、信じられないくらいのお供え物が並んでいた。

これ以上入らないくらいに、どんぶりに盛られた後飯。

刺身や天ぷらや煮物など、数々のおかず。

泡盛の一升瓶。

山のような果物。

それらがキッチリ8名分、畳一畳以上もあるテーブルに所狭しと並んでいた。

これらは朝昼晩と全て取り替えられるそうだ。

仏壇の一番上には、太いサトウキビが供えられている。

「あれを天秤棒にして、供え物などを、あの世に持って帰るんだよ」


色々と説明を聞きながらも、どうしても別のことが気になっていた。

この家に来たときから聞こえている歌だ。

今まで聞いたこともない不思議な歌。


聞いた瞬間から胸が締め付けられるような何とも言えない気持ちになった。

哀しさ。

愛しさ。

儚さ。

強さ。

切なさ。

全てがひとつになって流れ込んできたような。

歌われている言葉も分からないし、聞いたことも無い旋律なのだが、懐かしい。

気持ちがザワザワするのに、なぜか安らぐ。

何が何だか分からないけど、涙が出ていた。


いったい、この歌は何なんだろう。

いったい、この心の動きは何なんだろう。


「この歌は何ですか」

「ああ、これね。これは送り盆の日に歌われる歌だよ」

この島には、送り盆の日に、亡くなった故人を偲んで、歌を捧げる風習があった。


この日にしか、歌われない、特別な哀歌。

奥さんを亡くした男が歌う歌。

子供を亡くした母が歌う歌。

他にも、いくつかの種類があるのだそうだ。


「もう歌える人も居ないんだけどね」

風習としても、ほとんど廃れてしまっている。

50代である中程さんくらいの年代の人達も、既に歌えないし

そこで歌われている言葉さえも理解できないのだそうだ。

中程さんには、80歳になる義母さんがいて、それくらいの、おじいおばあが

辛うじて言葉が分かるくらいに遠くなってしまっている。


流れているのは、30年前に当時のおばあが歌ったのをカセットで録音したものなのだそうだ。

当時、両隣に住んでいたおばあ3人が順番に歌った。

恥ずかしがる3人を、おだてて、なだめて録音したのだそうだ。

伴奏は一切ないシンプルな歌だ。

虫の声や、周囲の話し声や、テレビの音も、うっすらと録音されている。

「一年に一度、この日にしか流さないんだよ」

時を越えて30年前の濃厚な空気と、強い想いが伝わってくる。

人の生に根付いた湧き出る感情の歌。

聞いていると、また、涙が出そうになる。


別のおばあが歌い始めた。

良い声をしている。

周囲に促されて、笑いながら歌い始めた歌声が、だんだん
湿り気を帯びてきた。

故人を思い出しているのだろう。

感情の動きが手に取るように分かる。

やがて涙声に変わった。

最後には、声が詰まって歌えなくなってしまった。


「この人の息子は不発弾で遊んでてね。

それが爆発したんだよ。

すぐそこで。

4人の子供が亡くなったよ。12歳の時だった」









月が明るかった。

一歩先には果てしない闇が広がっていた。

木々がざわめく。

沖縄の戦後は終わっていない。

海に映った月光が波に揺れていた。