あの歌の事を良く思い出す。
粟国島で出会った不思議な歌。
粟国島で送り盆の日にだけ歌われてきた歌。
不発弾で息子を亡くした女性が30年前に歌った歌。
あの歌との出会いには、どんな意味があるのだろう。
そんなことを、良く考える。
まず、単純に音楽として衝撃だった。
それは普段、耳にする音楽とは、あまりにも異質なものであった。
巷で流れている音楽が
マーケットを前提として作られている事に自然と気づかされてしまった。
ひとりの相手に対して、自らの強い思いを伝えるためにだけ存在する歌。
第三者を全く意識していない歌。
純粋さの塊のような歌。
島唄に感じる生命力は、人を愛する純粋さが根底にあるからなのだろう。
聞いた瞬間、いくつかの感情が同時にやって来た。
その時、感じる感情と、以前、感じたであろう感情が入り交じった不思議な哀しみが沸き上がってきた。
この世と彼世を繋ぐ歌。
時代を越えて空気が気配が蘇る。
人の生に根付いて、未だ血を流し続けている歌。
確かに、そこにある魂。
自分自身の、この瞬間生きている鼓動までもが、はっきりと聞こえてきた。
2001年9月11日。
あの歌に出会ってから、すぐに衝撃的な事件は起きた。
人々は、この時を境に、世界が変わってしまったと言った。
2001年10月8日。
自分にとっては、この日の方がショックであった。
アメリカは軍事報復を行い、世界は何も変わっていないことが証明されてしまった。
内側にある気づかぬ恐れに突き動かされ、同じ過ちを繰り返す。
私達は、仲間を殺すことが出来る、唯一の種として、今も存在している。
それは紛れもない事実だ。
でも、此処から歩き出すしかない。
50年以上の月日が流れても、沖縄の戦後は終わらない。
今でも基地の重圧は、重く人々の生活にのしかかる。
残された約1万トンの不発弾の処理は未だ続き、ゼロになるまでには、更に半世紀はかかる。
未だ血を流し続ける土地。
沖縄は権力のもと、いつの時代も、犠牲を払わせられてきた。
それでも、人々は、明るく、強く、受け入れることにおおらかだ。
命が失われても、魂は受け継がれる。
誇りも、笑顔も、失われることはない。
どんなことがあっても揺らぐことのない力。
そんな力に出会いたい。
そんな力を獲得したい。
これからも、何度も沖縄を訪れるだろう。