2002年2月16日。

波照間島から竹富島に渡る。


焼き増しをした数枚の写真を持参した。

二年前撮らせてもらった島の人の写真だ。

直接、渡して、お礼を言いたかった。

元気な姿に会いたかった。



ハルおばあ、元気かな。

八重山そばのお店「竹の子」をきりもりしているのが、ハルおばあだ。

「竹の子」は、西桟橋に向かう道沿いにある。

お腹も空いた。

そばを食べよう。

「竹の子」はいつもお客さんでいっぱいだ。

この日も店内も外のテラスも、お客さんで溢れていた。

ちょうどお昼時だし、もう少ししたら空くだろう。



「竹の子」を通り過ぎる。

やがて海に突き出た西桟橋が見えてくる。

二年前と変わらない風景があった。

エメラルド・ブルーに輝く海。


うっすらと西表島が見える。

帰って来た。







無機質な会議室で打ち合わせをしたり。

キーボードを叩いたり。

名刺を交換したり。

取材をブッキングしたり。


自分が東京で暮らしている間も

この風景は変わらず此処にあったんだ。



太陽は東から昇り西に沈む。

潮が満ち引きを繰り返す。

また、此処に、帰って来た。


海岸線に沿って歩く。

ニーラン石が見えてくる。

海に向かって大きく息を吸い込む。

日の光が反射してキラキラと海面が光る。

この先にはニライカナイがあるんだ。







海の彼方にあるという伝説の楽園。

ニライカナイから一年に一度、神々が島を訪れる。

海を渡ってやってくる神々は乗ってきた舟を、このニーラン石に繋ぎ止める。

ニーラン石からニライカナイまで続く道を想像してみる。

どれくらいの人々が、彼方の楽園に夢を馳せたのだろう。




「竹の子」に戻る。

店の外にあるデイゴの木の下のテラスに席が空いていた。

アルバイトの女の子が注文をとりに来た。

二年前にいた子とは違っていた。

「忙しそうだね」

ビールを飲みながら、八重山そばを待つ。

ハルさんの姿は見あたらなかった。

お店は大忙しで、そばが出て来るには時間が掛かった。



ハルおばあの写真を持って、お店に入った。

先程の女の子に声をかける。

「ハルさん、いますか?」

「あの、いないんです」

「ちょっと渡したいものがあるんですけど」

「・・・すいませーん!直子さん、ちょっと」


調理場に向かって女の子が言った。


暖簾の奥から、ちゃきちゃきした印象の女性が現れた。

「あの、これハルさんに渡そうと思って」

「・・・・・」

「ハルさん、いますか?」

「・・・・・亡くなったのよ」

一瞬、時が止まった。

何て声をかけたら良いのだろう。

とにかく何か言わないとと思った。

「これ、おととし、撮らせてもらったんです。おととしの5月です。

ハルさん、恥ずかしがって、初め撮らせてくれなかったんですよ。

それで、ふたりなら良いって。バイトの子と。

初めて島に来て、歩き回って、おそば食べて。

お店の前を通ると、ハルさん、いつも元気で。

畑仕事してたり、あいさつしてくれたり・・・」

直子さんは、口をきゅっと結んで、努めて何事もないふうに聞いていた。

「そう。10月なのよ。その年の。

2、3日前まで、元気だったんだけど・・・急にね。

可愛く撮れてて・・・喜ぶよ。ありがとう」

話しながら、ハルさんのことを思い出したのか

直子さんの声は、だんだん涙声になった。

こちらも涙が出そうになった。


店を出て、デイゴの木の下に戻った。

ビールを飲み干し、空を見た。

ふと聞き覚えのあるメロディーが、有線から静かに流れてきた。

耳を澄ませた。


あ、かおりちゃんの「光の河」だ。

沖縄出身のシンガー、普天間かおりさんとは知り合いで

何度かライブに招待してもらったこともある。

その時も歌われていた印象的なミディアム・バラード。


「光の河」

満月の光が海に作った光の河。

永遠の愛を求めて、その光の河を渡るという歌。


光の河を渡ってニライカナイに行ったんだな。

ハルおばあ。






竹の子HP: