昼休みの出来事。

     いつも昼食を食べる店がいっぱいだった。

     何となく、自転車に乗って、母校である大学に行く。

     ベンチでコーヒーを飲む。

     女の子が近づいてくる。

     「私達、こういうことをやってるんですけど、良かったら一緒に・・・」

     サークルの勧誘だ。
 
     なんと。

     わたくし来月35歳。

     「哲学とか、生きることとか考えるの興味ないですか」

     「すいません。自分、この大学で教授をやってるんですけど」


     女の子はニコリともしない。
冗談が空回り。

     (Gジャンに顎髭にとんがったメガネ、まあ、どうみても教授には見えないよな)

     「私達といっしょに生きるということについて考えてみませんか」

     受ける感じから、政治団体や、宗教団体ではなさそうだ。


    とにかく答える。

     「いやいや、別に考えたくないです」

     「何で考えないのですか」
 
     「うーん、こうして、今、存在している事自体が、生きることですから」

     「考えないと、大切な時間が、ただ過ぎてゆきますよ」

     「いやいや、考えてる間に、大切な人生が過ぎてゆきますよ」
 
    「どうして考えないのですか」

     「今、生きているからです」

     「あなたは幸せなんですか」

     「幸せですよ」

     「どうしてですか」

     「そう感じるからです」

     「お金や富や名声があれば幸せなんですか」

     「(話が飛ぶなあ)お金も名声もないですし、あったからといって幸せだとは思いません」

     「不安じゃないんですか」

     「不安なこともありますよ。いろいろと」

     「不安だったら、幸せじゃないでしょう」
 
     「幸せですよ。幸せでありたいと思う時もありますが」
 
     「それは、おかしいです」

     「不安である事も含めて、今、こうして、存在している事が、幸せなのです。
 
     それが生きることだと思っています」
 
    「私達といっしょに生きるということについて考えましょうよ」
 
     「自分は、今、生きています。日々の生活の中で、感じたり、考えたりします」
 
     「そうですか・・・」
 
    「そうです」
 
     「ありがとうございました・・・」
 
     「いえいえ」
 
 
 
     そうそう。

     考えたりするんだよなあ。


     生きる意味とか存在意義とか。

    考えることが、言い訳や、回り道にならなければいいけど。

     ガ・ン・バ・レ。
 
     しかし、もし考えて答えが出たとしても、それで全て割り切れるのかな。

     彼女の人生は。
 
     などと思いつつコーヒーをすする昼休み。

     来月、35歳の春。




                                2002年4月10日