enter for 古代米 grally

        数年前の春、晴れて、おじさんになった。

        妹に子供が産まれたのだ。

        名前は「拓海」


        生まれたばかりの子供の成長はすごい。

        すくすく成長する。

        会うたび大きくなっていく。


        拓海は母乳で育てられた。

        つまり、母である妹が食べた食事が、彼女の体内で母乳となり

        それを飲む拓海の身体を形成する訳なのだ。

        日に日に大きくなる、拓海の身体の100%は

        母親の食べた物から作られているのである。

        実際、母親がほうれん草を食べれば

        母乳は白くても、拓海のうんちは緑色になる。


        そして、ふと心配になった。

        普段、私達が食べている食べ物は安全なのだろうか。

        普段、私達が飲んでいる水は安全なのだろうか。


        遺伝子を組み替えた食品を、知らない間に食べさせるような国である。

        安全な物を食べたい。

        どうしたらいいのだろうか。

        一番確実なのは自分で作る事なんじゃないのか。

        では何を作ろうか。


        本来、体に良い食べ物は、自分の暮らしている土地で採れた物だという。

        考えてみれば、交通機関が発達してない大昔から

        私たちは自分の足で動ける範囲の物を食べて命を繋いできたのだ。

        「十里四方より遠くの食べ物を食べてはいけない」

        昔の言い伝えもあるじゃないか。


        日本人だ。

        米だろう。

        新宿区で稲作だ。


        しかし、はたして、稲作なんて出来るのだろうか。

        住んでいるのは、マンションの4Fだ。


        いろいろと思いめぐらしてる時、ひょんなことから古代米の存在を知った。

        古代米は品種改良されてない、米の原種で

        生命力が強い為、水田でなくても育てられるそうだ。

        赤米、黒米等、いろいろな種類があって、見た目も綺麗だ。

        栄養価も高い。

        この米なら作れるかもしれない。


        しかし、どうしたら古代米を手に入れることが出来るのだろう。


        こころを静かにしていると、本当に必要な事は、自然に訪れるものである。


        いろいろな偶然が重なって、片野農織さんという方に出会った。

        片野さんは公務員をやりながら、小田原で古代米を作っている。

        全国を巡って手に入れた20種類以上もの古代米があるそうだ。

        一日の労働力を提供する換わりに、数本の稲穂をいただいてきた。


        4月の終わりに、ベランダに置いたトロ箱に、籾殻に包まれた米を直播きにした。

        約2週間ほどで発芽した。


        水やりは一日一回。

        たっぷりと。

        陽ざしの強い日には朝晩。


        毎日、少しずつ成長する様子を見るのが楽しみになった。

        植えた場所によって微妙に日照時間が違い、成長具合も少しずつ違う。

        やはり長く日の当たる場所の発育が良い。


        茄子、ピーマン、ししとう等の苗も植えてみた。


        新芽が出る。アブラムシがやってくる。

        テントウムシがやってくる。カマキリがやってくる。


        花が咲く。蝶々が飛んでくる。

        コオロギも鳴いている。


        地面に目をやるとアリがいる。

        だんご虫がいる。げじげじがいる。

        名も知らぬ草が生えてくる。


        すごい。

        命!命!命!


        芽がある程度おおきくなってからは、草を抜くのをやめた。

        米もガンバレ。草もガンバレ。


        自分が米を育てているのだといった意識も消えた。


        全ての命は生かされているのだ。

        全ての命が本来備えている生命のメカニズム。

        それが太陽、土、水、風などによって生かされているのだ。

        それは自分自身も同じ事。


        同じひとつの命。

        そして同じ全ての命。


        様々な命は互いに関わり合いながら、対等に暮らしている。

        私たちが何気なく見ている風景は、命の集合体なのである。





                                      2001年8月24日