「テツの歌を人形達に聞かせてあげたいんだ」

我童さんの個展で歌わせてもらうことになった。



彼が創り出す人形は美しい。

光と影、陽と陰、喜びと悲しみ。

そんなバランスが共存している痛さを伴った美しさだ。



その痛みを前向きに歌ってあげたいと思った。

今を生きている魂として歌いたいと思った。



すぐに、ある2曲が思い浮かんだ。

この2曲を三線(蛇皮線)の伴奏で歌いたい。



三線の音は沖縄を象徴している。

喜びも悲しみも三線の音色と共に、チャンプルされる。



我童さんに、沖縄の血が半分流れていること。

未だ血を流し続けている沖縄を再認識したこと。

祈りの中で、更に争いが繰り返されていること。

そんな事が三線とこの2曲の楽曲を選んだ理由だ。



潮風(うすかじ)というエイサー隊で三線を弾いている

友人の福島さんに伴奏をお願いした。

選んだ中の一曲は、沖縄音階で作られていない曲なのだが

無理を言って弾いてもらった。








「お祝いに歌わせていただきたいと思います!

良かったら、こちらに来て、聞いてもらえませんか」



オープニング・パーティーに、駆けつけた人達が

目の前に集まってくる。

視線が集中する。



感覚を開き人形達の気配を感じる。



福島さんの三線が強く柔らかい音を、はじき始める。



三線だけの演奏は、唄を限りなく裸にする。

上手、下手以上の物が剥き出しになる。

そのままの自分をさらけ出すしかない。

裸である自分を恥ずかしがったら

何も伝えることは出来ない。



一曲目は「涙そうそう」を歌った。


この歌は森山良子さんが最愛の兄を亡くした時に書いた詩である。





古いアルバムめくり 「ありがとう」って 呟いた

いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ

晴れわたる日も 雨の日も 浮かぶ あの笑顔

思い出遠くあせても

面影探して よみがえる日は 涙そうそう



一番星に祈る それが私の癖になり

夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す

悲しみにも 喜びにも 思う あの笑顔

あなたの場所から 私が 見えたら

きっといつか 会えると信じ 生きてゆく



晴れわたる日も 雨の日も 浮かぶ あの笑顔

思い出遠くあせても

淋しくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう

会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう





大切な人を想う気持ちが、まっすぐに伝わってくる。

今をキチンと生きようという意志も伝わってくる。



この曲を歌う時、サン・テグジュペリの「星の王子様」を思い出す。

数え切れないほどの星に、数え切れないほど存在する花達。

たったひとつのかけがえのない花を想って、夜空を見上げる王子様。

星に帰って行った王子様。

王子様を想って夜空を見上げる飛行操縦士のぼく。

星達に耳を澄ますと、5億もの鈴が鳴り響いているようだ。



自分にも会うことが出来なくなってしまった人がいる。

今でも大切に想っている。

たとえ会うことが出来なくても、大切に想い続けている限り

その人はずっと、生き続けているのだと思う。



誰もが、かけがえのない星を、空に持っているのだ。



拍手をもらった。

うまく伝えることができたであろうか。




2曲目に歌ったのは「童神」

歌詞は、うちなーぐち(沖縄の言葉)で書かれている。



今年は沖縄が舞台になった連続ドラマ「ちゅらさん」を欠かさず見た。

印象に残っているシーンがある。



助からないであろう不治の病にかかっている和也が、おばあに聞く。

「おばあは死ぬのは怖くないの?」

「怖くないよ。死んでも魂は、ここにいるんだよ」

「ぼくも怖くない」

「和也君、うそを言っちゃだめだよ。

 若い人がそんなこと言ったらだめだ。

 たくさん生きた、おじいやおばあが言うことだよ」

おばあは、和也に強く生きる気持ちを持って欲しかったのだと思う。

けれど、結局、和也は亡くなってしまう。

残された、えりぃと文也に、おばあは海を見ながら言う。

「和也君は神様に選ばれた子なんだよ。

 命は宝物で、そのことを和也君が教えてくれたんだ。

おばあは、そう思うよ」

<ぬちどぅーたから>

沖縄の言葉で、命は宝物で一番大切な物である事を、言い伝える言葉だ。



沖縄の島を歩き回った時の事を思い出す。

三線を持っている人を見かけると

「何か歌ってください」と声をかけた。

上手い人も下手な人もいた。

誰もが、その人にしか歌えない歌を持っていた。



声はたったひとつの楽器だ。

今、ここで響いている声は、たったひとつしかない楽器である。

たったひとつの楽器で、空気を振動させる。

たったひとつの楽器で、想いを伝える。



2曲目の「童神」には、「天の子守歌」というサブタイトルが付いている。

産まれたばかりの子供は、神様の魂のように

無垢な心を持っているところから付けられたタイトルだ。





てぃん(天)からの恵み うきてぃ(受けて)くぬしげに(地球に)

生まりたる なしぐわ(産子) わみ(我身)ぬむい育てぃ

イラヨーヘイ イラヨーホイ

イラヨー かなし(愛し)うみなしぐわ

泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー

てぃだ(太陽)ぬ ひかり受きてぃ

ゆういりよーや ヘイヨー ヘイヨー

まさ(勝)さあてぃたぼり(給え)





どんな事があっても、身を盾にして守ってあげるからね。

泣くんじゃないよ。

どうか良い子に、

どうか何事もなく、元気に育ってね。



そんな母が子供を思う気持ちが歌われている。



母が子供を思う気持ちが、平和の原点だ。

大切な人を大切に思う気持ちの延長が、平和の実現だ。



それなのに、私達は、大切な人を傷つけてきた。

私達は、自らも、母なる星さえも傷つけてきた。



ひとつの千年が終わった。

しかし、争いは終わらなかった。

原子爆弾を落としても終わらなかった。

今、この瞬間にも人が人の命を奪っている。



政治、宗教、国境、経済、民族、イデオロギー。

どんな事柄も母が子供を思う気持ちの前で色褪せる。

かけがえのない命を大切に思う気持ちが優先される世界になって欲しい。



たったひとつしかない、かけがえのない命の集合体が地球だ。

私たちの意志で地球が回る。

私たちの心に宇宙が反応する。



たったひとつしかない楽器で、空気を振動させた。

歌が終わった。

三線の余韻を聞いていた。



我童さんが握手を求めてきた。


「テツ、ありがとう。人形達、喜んでたよ」

彼の笑顔を見たとき、今日ここで歌って良かったと思った。



世界が数ミリでも良い方向に動いたと思いたい。




2001年12月15日